2-9:始まりへの”飛翔” ●
雨が降っていた。
―――ごめんね・・・
その人は、泣いていた。
―――そうだよね。君がここで死ぬことに、意味なんて・・・ないよね・・・
その人の手は、それまで首にかけていた手は、震えながら離れていく。
―――こんなことしても・・・変わらないんだ・・・なにも・・・
その人は、きれいな緑色の長い髪を持つ女の人だった。
大粒の雨を絶え間なく降らせる、暗き天だった。
空を仰いだその人は、
―――私・・・怖いよ・・・。
血に濡れた自分の肩を抱いて、震えて、泣いていた。
寒さと、孤独に。
自分の弱さと、愚かさに。
何も変えられない絶望と、自らが招いてしまった災厄の重さに。
空も泣いていた。
女の人は、誰かの名前を呟いた。
大切な人の名前かもしれない。
女の人は、
―――君は、生きて・・・・強く、誰よりも・・・
小さな少年を抱きしめた。
―――私は、君に生きていてほしい・・・”後悔”の、ないよう・・・・・精一杯・・・
女の人の身体は、温かかった。
包み込んでいた。
母のいない少年を。
まるで、母のように。
いつまでも・・・・・
●
「―――起きてください」
「ぐふぉッ!?」
みぞおちに強烈な打撃を受け、ウィルは激痛によって意識を取り戻す。
「い、いたぁ・・・」
「・・・すみません。眠らせると、そのまま帰ってこない気がしたので」
と涼しい顔で言うアウニール。彼女は。真上からこちらの顔を覗き込んでいた。
「い、今の一撃で、死にそう・・・」
しかし、それは、打撃の痛みだけではないことにすぐに気づく。
強烈な痛みにさいなまれた原因は、すぐに分かった。
「あぁ・・・これは、やばい・・・・・な」
周りにある、血溜りの多さと意識の薄さから、自分が、大量に出血していることに朦朧としながら気づく。
医学はまったく知らないが、明らかに致死量なのはわかった。
普通、ぶん殴られても起きないくらい。
「アウ、ニール、の方は・・・」
ウィルは、その状況下でも、相手の心配をしていた。
意識がまた薄れるどころか、今にも飛びそうなのにも関わらず。
「・・・私は無事です」
そこで、ウィルは気づく。
自分の頭が、地面に正座した彼女の膝の上に乗っていることに。
人生初の膝枕であった。
「・・・・・よかった」
・・・夢だったなぁ、膝枕・・・
「・・・その言葉、邪念も含まれていませんか?」
「・・・いや~、そんなこと、ないッスよ・・・まったく、これっぽっちも・・・」
アウニールは、しばらく影のある目つきでウィルを見下ろしていたが、
「・・・この地形にも助けられました」
そういい、周囲を見渡した。
偶然なのか、崩落場所の真下は、アウニールの目覚めた場所。
”棺”が置かれていた場所であり、今は”イルネア”の種を植えてある場所。
やわらかい土壌が、クッションとなり、アウニールの下敷きになる形で落下したウィルの命を救ったのだ。
「・・・そうッスか・・・よく見えない、けど・・・」
右腕を動かそうとしたが、動かなかった。折れていた。
代わりに左腕を動かし、土をさわる。
冷たい、でも、
「・・・温かい」
「それ、死ぬ直前の言葉ですね。もう一度殴って起きますか?」
アウニールが、もう一度拳を固める。
「い、いえ・・・!けっ、こうッス・・・・・それに―――」
そういい、自分の左手を見た。
思ったよりも、黒い自分の血がベットリついていた。
「―――もう、無理ッス、から・・・」
もう、どこから出血してかもわからないほど、感覚も薄れていた。
自分の命は、今にも消え、死に包まれようとしている。それが分かる。
ウィル達は、まっすぐ落ちたわけではない。
途中にある岩場に、何度も接触し、その身を打ちつけ、落ちてきた。
それでも、ウィルは、アウニールを離さなかった。
自ら傷つくことを選んだ。
それが、
「・・・これが、ウィルにとって”後悔”のない選択なのですか?」
アウニールの金色の瞳が、真上からウィルを見つめ、問う。
「・・・そう、ッス」
「・・・今しがた、会ったばかりの良く分からない人間のために死ぬことが、”後悔”のない選択になるのですか?」
「アウニールが、助かったから・・・それで、いいんスよ・・・」
ウィルの目は、ゆっくりと、閉じていく。
ゆっくりと訪れる”死”を寛容に迎え入れようとした。
「では―――」
続けるアウニールの、その言葉は、小さな呟きだった。
「―――”死にたくない”とは思いませんか・・・?」
少女の口から、囁くように告げられたその言葉。
風が吹いていればかき消されてしまいそうな、その声。
ウィルは、数秒の時間を置いて、再び、ゆっくりと、自ら目を開けた。
「―――死・・たく・・い・・・・・・」
震える唇が言葉を、精一杯の声を絞り出す。
「・・・よく聞こえません」
「死に、たくない・・・」
ウィルの、色をなくした瞳から、涙が流れた。
その一言によって、決心が鈍った。
諦めかけていた”生”にしがみつこうとする意志が生まれた。
他人を救ったから、自分はやり遂げたから、もう満足したと、無理やり納得しようとした。
でも、
「生き、て・・・・」
本当は、自分の歩みを止めたくない。
まだ、たくさんの人に告げたいことがある。
エンティ、ヴァールハイト、自分の面倒を見てくれたおじいさん、おばあさん達。
みんなと、まだ、これからたくさん話したいことがある。
遠い過去・・・自分も覚えていない、遠い場所で、誰かに告げられた言葉が鮮明に浮かんでくる。
名も知らない、その人は、自分を抱きしめてこう言ってくれた。
―――――私は、君に生きていてほしい・・・”後悔”の、ないよう・・・・・精一杯―――――
これは”後悔”。
”死ぬ”ことへの”後悔”、そして”生”を諦める事への”後悔”。
すなわち、”未練”
だから、
「生きて、いたいっ・・・!!!」
声の限り、叫んだ。
血に濡れ、震える左手を、天にかざした。
降り注ぐ、青白い光。
陽の光が届かないこの場所に、命を与える光。
たとえ、何であろうと、しがみつきたくて、ウィルは、手を伸ばした。
「・・・わかりました」
アウニールは、そう言い、やさしくその手を握った。
包み込むように、温もりを与えるように。
欲するものに答えるように。
少女の長い髪が、光を帯び、ふわりと浮き上がる。先端の金色が徐々に銀色の領域を埋めていく。
そして、完全な金色になった少女の髪は、その意思に従い、”生”を望む少年を包みこんでいく。
光の粒子が、地より湧き出し、浮き上がり、いつしか2人はその中にあった。
周囲の鉱石が、まばゆい光を反射し、金色に輝いていく。
ウィルは、自分の身体から寒さが消えていくのを感じた・・・