誰も知らない奇跡【Ⅳ】 ●
早朝。
まだ日が昇り始めた中、ウィル、アウニール、リバーセルの3人は、空を飛んでいた。
「――おー、いい眺めッスねー」
窓の外から見下ろす地上の風景は、いろいろ刺激的だった。
森の緑が広がり、巨大な湖も見える。
「あの湖、あんなに大きいんですね」
「魚とかいるのかな? うまいやつ」
「あの湖は、結構やばい魚がいますから、食べられるかもしれませんよ?」
「え? なにそれ怖い…」
同乗者に、自分達以外の人物がいた。
作業服と深くかぶった帽子に身を包む、優しげな雰囲気を持つ女の子だった。
キアラ=アルティザン。
”西”の技術責任者の1人らしい。
「それより、離陸して数時間ですが、どうですか? この移動用航空機”スカイリア”の乗り心地は?」
「快適ッス! というか、初めて乗ったッスよ! こんな乗り物ってあるんスね!」
ウィル達が搭乗していたのは、航空機”スカイリア”。
キアラが、独自の設計、開発、組み立て進めていた試作航空機らしい。
航空艦に比べサイズははるかに小型だが、少人数の移動に長け、次世代の移動手段として考案したものだそうだ。
早朝、ウィル達が車両を借りて出国しようとした直前、キアラが声をかけてきたのだ。
急ぎなら乗ってみてほしい、と。
「こんな便利なのがもっとあったら、いろんな人が自由に行き来できるようになるんスけどね」
「試作って名目で許可が下りたんです。結構前から2人で造ってて、早くには完成してたんですけど”東”とにらみ合ってた中じゃ、無用って言われるでしょうから、ずっと表に出せなかったんです」
「へぇ、でもよかったッスね。すごくいい乗り物だと思うッス!」
「はい」
そう言って、キアラは手を後ろで組んで、照れるように笑みを浮かべた。
……かわいい。
と思った。
作業服は男性用のものを多少改良して、自分に合わせているようだが、それでもけっこうブカブカで見た目には小柄に見える。
自分と同い年と言っていたが、無邪気で人懐っこい笑顔だ。
ウィルの周囲にいる女性と言えば、営業スマイルとゲスマイルを使いこなすミニマム鬼と鉄面皮の怪力メッシュ乙女、あとは噂と騒乱大好きなおばあちゃんズが主体だ。
皆かわいいのだが、同時に恐ろしさもあって、
「――て、あいだだだだ! アウニールさん! 顔がッ! 顔が外れるッ!?」
「すいません、条件反射が何かを感じたので」
「だ、大丈夫ですか!? というか、思考の水面下で何があったんですか!?」
「へ、平気ッス…、日常茶飯事なんで……お話、なんでしたっけ…」
ウィルが、顔を抑えながら呻くように言う。
キアラは、はぁ…、と納得してるような、しきれてないような曖昧な感じだった。
……アイアンクローが”中立地帯”の日常…、予想以上に奇怪で、私の想像をはるかに超えた世界なのかもしれません。やっぱり外の世界て怖いんですね。
と思ったりしていたが、ウィル達は知る由もなかった。
『――おい、キアラ主任。客室で妙な悲鳴が聞こえたぞ。誰かアイアンクローでも食らったのか?』
天井のスピーカーからそんな声が聞こえてきた。
「い、いえ、大丈夫です。こちらは問題ありません。そのまま飛行を続けてください」
『まあ、大丈夫ならいいけどよ』
そう言って通信が切れた。
「今のって、操縦してる人ッスか?」
「はい。”西”でも3本の指に入るぐらいの腕利きパイロットなんですよ?」
「もしかして、キアラさんの恋人ッスか?」
「え? あ、いやですねー、ははは。そうです」
「けっこうあっさり認めたッスね」
「自慢の彼ですから。あ、本人の前じゃ言わないでくださいね?」
そう言ってキアラが、片眼を閉じ、人差し指を唇の前にあてて見せた。
……うーむ、やっぱりかわい――
「――って、あいっだだだだッ! アウニールさんッ! 耳が1回転しそうになってるッ!?」
「すいません。何かが私の内側で燃え上がる気がしたので」
「少し、静かにしろ。お前ら」
そう言って、リバーセルが窓の外から視線を戻した。
「キアラ=アルティザン。あとどれくらいで”魔女”の元につく?」
「もう数分以内です。早いでしょ?」
「ああ、車ではこうもいくまい。助かっている」
素直な礼に、キアラが頬を指でかいて照れる。
「でもすごいッスね、キアラさんって。こういうの自分で考えて作っちゃうんスから」
「いえ、そうでもないんですよ。こういう乗り物を造るっていう夢はずっと持ってたんですけど、昔は知識とかが全然なくて」
「すごく勉強したとか?」
「確かに、浮遊機関についての書物とか資料とかは数多くありました。でも、そういうのは一般人とかそこらの技術者には手に取れないほどの機密だったので」
そう言って、キアラは席の1つに座り、窓の外を見た。
地平まで広がる青い空を見つめる。
「――ユズカさんが、私に教えてくれたんです。浮遊機関の特性を踏まえた新しい改良、効率化、そして新しい運用への考え方を」
「ユズカさんが?」
「はい。それを聞いて、私の中にどんどん新しい考えが生まれたんです。ユズカさんは、考え方の基礎をくれました。そこから自分なりに考えをまとめて、改善とか試行錯誤を繰り返して、夢にすぎなかったことが、現実になっていくのをすごく感じました」
”魔女”
それは、”西”に繁栄をもたらす知識を有する者に与えられる称号だ。
「あの人は、私の人生の恩人です。あの時、ユズカさんに会えていなかったら、私はたぶん、こうはならなかった。だから、会いに行きたくなったんです。私をここまで連れてきてくれた人に」
「いい話ッスね」
「ええ。あの人は、もう知識を失っているそうですけど、いいんです。恩人に変わりない。ここからは、私がみんなのためにいろいろと造る番ですから」
キアラが、両腕でガッツポーズをとる。
……やっぱり、かわ――
「――あだだだっ! やめてアウニールさんッ!? 俺の手が! 手が曲がってはいけない角度になってしまうううッ!?」
「ストレッチは大事ですよ。ウィル」
「い、いったい何が起こっているんですか…?」
「痴話げんかだ。気にするな」
「なるほど。わかります」
「納得しちゃうんスか!?」
そんなやり取りをしてると、
『――おい、見えたぞ。”両翼”との合流地点だ。これより垂直降下に入る。席について、ベルトを締めろよ』
アナウンスが来た。
「気を付けてくださいね?」
『わかってる。まかせとけって』
●
機体の降下から、着陸が終わる。
機体から外に出たウィル達を迎えたのは、
「――あ、ウィルさん、お久しぶりです」
「――…久しぶり」
リヒルとシャッテンだった。
そして、
「――あなたが、ウィル君?」
長くなった緑色の長髪を後頭で1本に束ねた女性がいた。
彼女は、杖を地につき、そこに立っていた。
「ユズカさん。お久しぶりッス」
ウィルは、彼女をよく覚えていた。
陥没都市”シア”の地下で、光る花々の中にたたずんでいた彼女のことを。
庭園を守るように、笑みを浮かべていた彼女を。
だが、今の彼女の印象はあの時とまるで違っていた。
「…ユズカさん、何か思い出した…?」
「ごめんなさい、シャッテン…、やっぱりなにも…」
ユズカが、少し残念そうに微笑む。
「ウィルさん、ユズカさんのこと何か聞いてますか?」
「確か、記憶がないって…」
リヒルの問いにウィルは、”知将軍”から聞いていた彼女の事情を思い返す。
ユズカは、記憶をなくしていた。
意識が戻った時、自分のいる場所が分かっていなかった。
自分が何者なのかすら。
どうしてここにいるのか。
それまで何をしていたのか。
周囲から自身ついて教えられても、何も思い出せないのだという。
それは、彼女の中に秘められていた先進的な技術知識の全てが失われたということを意味してもいた。
だが、
「ウィル君、かしら?」
「あ、はい。どうも」
「せっかく来てもらったのに、あなたのことも忘れてしまってるみたいで、ごめんなさい」
ユズカは申し訳なさそうにほほ笑む。
だが、その表情はどこか憑き物が落ちたようで、自然なものだった。
張り詰めた意識も感じられない。
「大丈夫ッス。気にしないでください」
「ありがとう」
これが、彼女の本来の姿なのかもしれない。
高い知性を持つ”魔女”。
その称号の内側に封じ込められていた、ユズカという女性が初めて、外に出ることができたのかもしれない。
ユズカの視線が、ウィルの隣に立っているアウニールへと向く。
「あなたは、ウィル君のお友達?」
問われ、アウニールは、少し目を閉じる。
「はい。私は、…アウニールと言います」
アウニールは自身の胸に手を当て、そう答えた。
「いい名前ね」
そう言って、ユズカは微笑んだ。
「あ、そうだ。ユズカさん、これを受け取ってもらいたいッス」
ウィルは、ここに来た目的を思い出す。
懐から、少し色あせた封書を取り出し、ユズカへと差し出した。
「私に?」
「はい。差出人は――エクス=シグザールさん、って書いてあるッス」
「エクス……」
ユズカは、封書を受け取り、そこに書かれた名を見つめた。
「自分は、心当たりないんスけど…、どなたかご存知ッスか?」
ウィルの問いに、ユズカはしばらく黙っていたが、
「……いえ、心当たりはないのだけれど……、でも…知っているような気がする」
そう言って、その場で封が切られる。
中からは1通の紙が取り出される。
「なにが書いてあるんスか?」
「……いえ、なにも」
「え?」
手紙に見えた、用紙には何も書かれていなかった。
白紙だ。
初めから、何も書かれていなかったように。
「どういう、ことッスか?」
「……わからない。でも――」
ユズカの視線が遠くを見た。
ウィル達もつられてそちらへと視線を動かす。
ずっと遠く。
戦火の爪痕が刻まれた大地の先にあるもの。
そこには、青い装甲を持つ人型の姿があった。
左腕はなく、肩の装甲は脱落し、地に落ちている。
装甲には数えきれない傷とひび割れが見えた。
「――ソウルロウガ…」
ウィルは、その機体の名を呼ぶ。
誰かのものであった、その名を。
「どうしてかしら。ここに来たいと思ったの。リヒルとシャッテンに無理を言ってまで、連れてきてもらった…。何も思い出せないけど、でも、大切ななにかがある気がしたの」
ユズカが、そうつぶやく。
「ウィル、あれは…」
「花が…」
ソウルロウガの周囲には、花が咲いていた。
朝日が昇り始める中、風が吹く。
花が揺れ、輝きを放った。
「イルネアの、花…?」
暗く、日の差さない場所でしか咲くことができなかった花。
それが、外に咲いている。
日の当たる場所で、咲いているのだ。
朝日が昇りきらない中に、ほのかな光を帯びている。
「私が、ただ1つだけ覚えていることは、強くなったイルネアの種を誰かに渡したこと。顔も思い出せないけど、きっとその人を私は信じて、託したの」
そして、ここにきて、分かったのだ。
その人は、約束を果たしてくれたのだと。
「約束…」
”――ありがとう――”
ウィル達は、あの機体の中で目覚めた時、最後に表示されていたそのメッセージを覚えていた。
”箱舟”の崩落から、自分達を守り、皆の元に帰してくれた。
きっと、その言葉を残した人が、自分達を救ってくれた人が”エクス=シグザール”なのだと。
「――ウィル」
そう呼びかけられ、ウィルは気づく。
アウニールが自分に寄り添っていることに。
ほほ笑みを返す。
「アウニール、もう歩ける?」
「はい、歩けます……ありがとう。私は、あなたに会えてよかった」
「俺も、アウニールがいてくれるから、強く生きていける」
●
未来と過去。
多くが連鎖した戦いの果て、新たな未来を得たのだ。
いつか、滅ぶかもしれない。
だが、人々はまた立ち向かう。
この戦いの真実を誰も知ることはない。
だが、そこに確かにあった”奇跡”の話。
これは、”誰も知らない奇跡”に至るまでの物語だ。
――完。