誰も知らない奇跡【Ⅱ】
よく晴れた日だった。
雲はまばらだが、気温もよく活動しやすい。
”シュテルンヒルト”は、”東国”の”ミステル”に寄港し、すでに数時間が経過していた。
定期的な物資の流入と、今後の利益に関する情報交換などを行うのに3日は滞在することになる。
「――お、こいつも新しい本だな!」
「――なんだ、この調味料?」
物資を運ぶ東の作業員達からそんな声が上がってくる。
あの戦いの後、”西”と”東”からそれぞれ、”朽ち果ての戦役”の終結が言い渡された。
それでも互いの交流が、急激に増えるということはない。
まだ、双方に戦いの溝が残っている間は。
だが、物資の流通は以前より増えていた。
文化を知ること。
それは、そこに生きている人々を知ること。
理解しあうための1歩だった。
「――おお! こいつを待っていたぞ!」
「――ついに見つけたぞ!」
「――おお、”西国”の女性の麗しさを記した書か!?」
「――おい、誰か”槍撃隊”のバカ共を止めろ! それは開封前の品だぞ!」
「――くそ! こいつら、昨日まで病院で意識不明だったんじゃないのか!?」
そんな喧騒もある中、1人の少年と少女、そして青年がその場をチラと見つつ、歩いていく。
……変わらないなー。
少年――ウィルはそう思った。
●
ウィル達は、市街に出る。
”ミステル”から1歩出れば、そこには風情のある街が広がる。
木造を1階建ての家屋。
砂利と砂で舗装された道。
ところどころある露店には、多くの人だかりがある。
子供たちが走り回り、大人たちはそれをいさめつつ、周囲の人々と話をしている。
「――にぎやかですね」
ウィルの横を歩く少女――アウニールは、そうつぶやいた。
彼女の髪は黒く染められていた。
銀色の髪は目立ちすぎるというエンティの提案を受けて、急遽染めることにしたのだ。
短時間であったため、染め方が荒く、チラチラ銀色の髪が数本見えるが、目立つほどではなかった。
彼女自身、目立つのは本意ではないだろうからその提案には賛成したようだ。
「――ウィル、”東”の”長”に会うにはどこまで行くんだ?」
青年――リバーセルがそう言った。
彼の場合は逆に銀の髪そのままだ。
”護衛”という名目でエンティに言われ、出発前に合流したのだが、そこまで気が回らなかったようだ。
代わりに、頭部を覆うタイプの帽子をかぶり、頭髪そのものを隠すようにしていた。
「エンティさんが連絡とってるから、”長”の家に行けって」
ウィルはそう言って手首に巻いた端末を操作する。
表示された地図には、合流場所である”長”の家の位置がマーカーで印されている。
「”東”の”長”の邸宅か。格式が高そうだがな…」
「偉い人に会うのって、少し気が抜けませんが…」
アウニールとリバーセルはそう言うが、ウィルには落ち着きがあった。
……なつかしいって、言っていいのかな。
ムソウに連れて来られ、あっさり入れたのを思い出す。
初めけっこう緊張したが、意外と、
「そうでもないッスよ。楽しいところだから」
そう思えるようになっていた。
●
「――いらっしゃい。待ってたわ」
真っ先に出迎えてくれたのはスズ本人だった。
右目に怪我をしているのか、眼帯をつけており、長い髪で隠れていた。
「あ、どうも。スズさん。忙しいのに時間もらえたみたいでありがたいッス」
「”中立地帯”からの文書を届けに来たんでしょ。受け取るも仕事の1つよ」
そう言って、スズは手を出す。
渡して、という動作だった。
ウィルは、懐にある文書を手渡す。
受け取ったスズは、封書を少し見て、無言で踵を返す。
「あ、えっと、スズさん…」
ウィルは、彼女の背に声をかけた。
忙しいのは承知だが、なんというか、このまま去るのも気が引けた。
何かを話そうと、意気込んできたわけではなかったのだが。
「何をしているの。そっちの仕事は終わりよ」
立ち止まったスズから声が帰ってくる。
淡泊な応対だったので、話すことはない、ということかとも思った。
だが、違った。
「――上がっていきなさい。少し、話をしたいから」
そう言って、振り返った彼女は微笑んで見せた。
作り笑いではない。
柔らかくて自然な笑みだった。
●
”西雀”の第7工場に、シェブングの声が響く。
「おぃ! 誰だ! 機体のOSに空中宙返りなんて組み込んだ奴は! ”槍塵”以外でこれやったら機動中に空中分解しちまうだろうがよぉ! 正直に言えぃ!」
「じ、自分は、”西”の技術の高さに嫉妬したわけじゃないのです!」
「”槍塵”並に運動性能が高い機体があるなんてわかって、悔しかったわけじゃないんです!」
「負けられねぇ! って火が燃え移ったわけじゃないんです!」
「悪気はありませんでした! やる気が出まくっただけなんです!」
「全員でやれば怖くないって言われてノリノリになったんです!」
「お前ら、全員かぃ!? ていうか最後の奴、正直すぎるだろうがぃ!」
まったく、と悪態をつきシェブングは、キセルを吸い、煙を吐き出す。
あの戦いが”槍塵”の初戦闘になったわけだが、ランケアと”槍塵”は予想をはるかに超えた成果をたたき出した。
そして、得られた戦闘データから、”西”にも”エーデルグレイス・B”という、比類なき運動性と機動性をもった機体があったことが知れ渡り、技術者共にいらん火をつけてしまったのだ。
”槍塵”を最高傑作としていた面々から、くそー!、という声が上がったのを思い出す。
「気持ちはわからんではないがよぉ。もう少し節度ってのがなぁ…」
「――まあまあ、いいではないですか、おじいさま。技術の進歩には無茶もあってしかりと、クレアは思います」
「あのなぁ、クレアよ、次期当主ってのは危機管理も大事に――」
振り返ると、溶接面を被ったクレアが立っていた。
その手には、OS調整用の端末を握られている。
「――実行犯はおめぇかぃッ!!」
「クレアは技術者です。純粋なんです。だから正当な行為です。オートパイロット、死人0。どうです?」
「それ以外の被害がありすぎるんだろうがぃ!」
こんのバカ孫が、とため息をつきつつ、いつまでもこうはしてられないので指示を飛ばす。
「やる前に気付いたからいいもんだがよぉ。……午後には別のテストあるから、持ち場に戻りなぁ」
はーい、と面々が了解し作業に戻っていく。
「おじい様だって、若いころはいろいろ作ったでしょうに」
「今とは少し事情がちげぇんだ。それに、なんでも好き勝手に作ってたわけじゃねぇ」
「そうですか。クレアは、好き勝手に作りますけど」
「自重しろぃ!」
ため息をつくシェブングから視線を外し、クレアは溶接面をとって1つのハンガーを見る。
他よりは1周りも大きい機体を格納、整備するための特別製。
そこには、ほぼ大破状態の機体が1機、吊り下げられるように格納されていた。
「――おじい様を越えたいと思うのが、クレアの原動力でもありますから」
”東雲”の守護戦機であり、”東国武神”の搭乗機――”武双”がそこにはあった。
四肢を失い、頭部が半壊し、機能をほぼ失っている。
無数に近い敵の群れを斬り捨て、損傷し、最後まで踏みとどまり、広範囲殲滅弾”砲千花”の爆撃の中心において、閃光の中に消えたはずの機体。
それほどの状況にさらされてなお、――胴体は原型をとどめていた。
「……操手の命を守れる技術。クレアが1番大切にしたいその部分は、まだまだおじい様に敵わないのですから」
「当たり前だろぃ。誰が造ったと思ってる」
”武双”は、物言わず眠っている。
2世代に渡って”東国武神”と共にあった戦神は、戦いを終えたのだ。
最後に、皆にとって大切な命を守って。
●
客間に通されたウィル達が初めに会ったのは、
「よお、ウィル。元気だったかよ。おい」
ムソウだった。
「ムソウさん!? 死んだはずでは!?」
「勝手に殺すなっつうの。……まあ、俺様も死んだつもりだったんだがよ。こうして帰って来ちまったよ」
隻眼隻腕の侍は、そう言ってカッカと笑った。
「――まったくよ。無茶しまくって、さんざんみんなに心配されたくせに」
そう言って、スズは飲み物を載せた盆を机の上に置く。
良く冷えたお茶を配りつつ、半目でムソウを見る。
「なんだよ。帰ってきてすぐに泣きまくってたくせによ」
「悪いの? ほんとに死んだと思ったんだからね」
「おお、素直になられたな。スズ様はよ」
「はいはい。とりあえず、ウィルと連れの方々、適当に座ってちょうだい」
●
南部家の近くにある竹林で、打ち合いと音が響く。
「――次、お願いします!」
ランケアがそう言うと、間髪入れず別の隊員が打ちこんでくる。
「”驟雨”! 若、受けられますかな!」
前方からくる一糸乱れぬ、刺突隊形。
一瞬で対象を確実に討ち取る新たな確殺の攻撃。
だが、
「はぁ!!」
ランケアは、刺突の隙間を突破しようと前に出た。
刹那の判断だ。
わずかでも触れれば弾き飛ばされる。
「いけませんぞ! ランケア殿…!」
「!?」
ランケアが気づいたとき、すでに遅かった。
隙間を縫う中で、別の影が正面から突進してきたのだ。
振りぬかれた一撃を槍で受けるが、相対速度も利用されたその攻撃は重く軽いランケアの身体が弾き飛ばされた。
「ぐ…!」
背中から地に落ち、滑りながらも受け身をって体勢をたてなおすが、
「――勝負あり!」
すでに槍撃隊に取り囲まれていた。
四方を囲まれ、反撃、回避の手段を断たれている。
「はぁ…、また負けました…」
そう言って、ランケアは訓練用の槍を置いて、その場に座り込んだ。
新たな攻撃陣形”驟雨”。
これを破るのに、すでに30回以上失敗している。
ただの刺突の壁に見えるが、槍撃隊の連携から繰り出されるそれは、様々な変化を見せる柔軟さをもっていた。
「身体の小ささを活かせるのは今のうちだけですぞ。そろそろランケア殿も別の戦法を作られた方がよいかと」
「そうですよね。実際、”槍塵”でこんな回避はできませんから、癖になるとよくないかも…」
あの戦いで、ランケアはリッター=アドルフの駆る”エーデルグレイス・B”を破った。
だが、あれはまぐれ勝ちに近かったのだ。
”槍塵”の得意とする突進の直線状に”エーデルグレイス・B”が来たのは、状況からくる偶然だった。
まともに正面から戦えば、おそらく”エーデルグレイス・B”とリッター=アドルフの実力に押しつぶされていただろう。
それに隊長として隊を指揮する能力も足りなかった。
「足りないものが多すぎますね…」
そう言って、空を見上げた。
「――あ、ショボンとしてるランケア殿かわいい」
「――落ち込んでるランケア殿かわいい」
「――汗をぬぐうランケア殿、いい!」
そんな声が聞こえるが、無視した。
すると、
「――苦悩しているな、ランケア」
その声は聞こえた。
「ゾンブルさん、どこに…?」
「ここだ」
声のしたのは、ランケアの背後。
振り返ると、黒装束を纏った忍者が腕組みをして立っていた。
気配がなかった。
「ゾンブルさん、ありがとうございました。しっかりとお礼を言えてなかったので」
央間家当主”央間・ゾンブル”。
あの戦いの中、珍しく裏方として忍んで動いていた彼は、多くの部下と共に負傷者の救出を行っていたらしい。
最後に、”砲千火”の炸裂前に”武双”の元へと急行した彼は、周囲の機体から生存者を運び、”武双”のコックピットへと押し込むと、機体のセーフティシャッターを起動させた。
殿の槍撃隊数名、”西”のパイロット、そしてムソウ。
多くの大切な命を救った。
「礼はいらぬ。当主として、当然の役目を果たしたまでよ」
なぜか、今日のゾンブルはかっこよかった。
すごく珍しいことだが。
「朗報を届けにきた。意識不明だった槍撃隊の面々が回復した」
「本当ですか!? よかった!」
「うむ。そして、そいつらが、今”カナリス”の輸送物を襲撃している」
「何やってるんですかーッ!?」
ランケアの声が竹林に響いた。
●
「――ってなわけでな。命拾っちまったんだよ」
「よかったッスよ。本当」
ムソウが鼻を鳴らし、遠くの空を目で見つめる。
「寝てるときにな、夢の中でまだ来るなバカ野郎…って言われたような気がしたんだよ」
「誰に?」
「俺様の”親友”だった奴。変に騒がしくて、能天気で、強かった…恩人だよ」
「なんかムソウさんがしんみりしてるッス」
「うっせえよ」
ムソウは左腕で頬杖をつき、半目でウィルを見た。
その視線が、ウィルの隣に座るアウニールとリバーセルに動く。
「…ウィルよ。そっちの兄ちゃんと嬢ちゃんを助けたかったんだよな」
「そうッス」
「そうか。よかったな。……大事にしろよ。助けたくても助けられなかった奴だっているんだからよ」
ムソウがそう言って、茶を飲む。
「おい、アウニールの嬢ちゃんは会ったことあるんだけどよ。そっちのはなんて名前だ?」
ムソウは尋ねる。
銀の髪の青年に。
少し、間を置いて、名乗る。
「俺は、…リバーセル。”カナリス”に所属している。アウニールの…知人だ」
「俺様は、ムソウだ。……この家の――」
言おうとして、ムソウの視線が腕を組んでいるスズを見る。
彼女は、ムソウの言葉を待っているようだった。
ムソウは、目を閉じ、告げる。
「――東雲・スズの家族で、それを誇りにしてる男だ。よろしくな」
ウィルは気づく。
その言葉を聞いて、スズが笑みを浮かべるのを。
ずっと、その言葉を待っていたのだ。
ムソウが、自分をそう認められるまで、ずっと、ずっと……。
「歓迎するわ。ウィル=シュタルク。――世界を救った英雄さん」
●
世界を救った英雄。
ウィルは、自分がそういう立場で認識されているとヴァールハイトから聞かされていた。
もちろん、世間に公表されてはいない。
”中立地帯”、”東国”、”西国”が今回の事態の全容を知る上で一部の人々にそう認知されている。
巨大要塞”インフェリアル”。
その制御中枢である”サーヴェイション”に突入し、それを停止させたのがウィルであると。
「……」
ウィルは、空を見た。
遠くにあるそれは、輪郭がおぼつかない傘のような形をしている。
”インフェリアル”は昼間に見る月のように空にある小さな白い点の1つになっていた。
”サーヴェイション”の停止と同時に、”インフェリアル”は上空へと昇っていったらしい。
どんどん小さくなっている影を見るに、まだあの要塞は動き続けているようだった。
空のずっと先。
はるか彼方へと、上り続けている。
「ウィル。あなたがどういうことをやったのかは、特に問わないわ。多くの命が救われた。”西”と”東”の戦いも終わった。まだ問題は山積みだけど、それはこっちでなんとかしていくから」
ウィルは、そう言われ何かが引っかかる思いがした。
確かに自分は、アウニールを連れ出し、”サーヴェイション”を停止させた。
それは紛れもない事実なのだが…。
「――ムソウさん、俺、ずっと疑問に思ってることがあるんス」
「なんだよ」
「俺は確かに行動した。でも、何かを忘れてる気がするんス」
「お前バカだからな」
「なんスかその切り返し」
「バカみたいにまっすぐだってことだよ。褒めてんだぜ?」
「よくわからないッス」
「ずっと前ばっか見てるとな、意外と大事なこと忘れちまうもんさ」
ムソウは懐からキセルを取り出し、火をつける。
「立ち止まって、思い出してみるといいんじゃねぇの。そういうの、大事だと思うぜ。俺様はよ」
そう言って、ムソウはまたカッカと笑う。
……忘れていること…。
忘れている。
それとは少し違う気がした、
なにかが、ぽっかりと抜け落ちているような感覚。
”東”の滞在3日を経て、次の輸送地点は”西国”になる。
自分の感じている感覚は晴れるだろうか、と思いながら、時間は過ぎていく。