7-21:約束の果て【Ⅴ】 ●
”カヤリグサ”のブリッジに辿りついたスズは、ムソウと声で繋がっていた。
”その時が来たならあなたは送り出さなければなりません。かつて失った友との約束を果たそうとする彼を”
スズは、アリアからの言葉を受け取った。
送り出す。
その言葉の意味はわかっている。
わかっているのに、覚悟はしていたつもりなのに。
「ダメ…」
拒んでいた。
「だめ、ムソウ…! 帰ってきて、お願い…お願いだから…」
そこにいたのは、”東”の”長”ではなく、東雲スズという少女。
周囲の目など気にもかけず、泣きじゃくり懇願する少女の姿だった。
その姿に、周囲の隊員は皆目を伏せる。
わかるのだ。
彼女が、どれほどにムソウを大切に思っていたのかを。
「まだ、ムソウに勝ってない…、一度も、一度も勝ててない…!」
『――大丈夫だ。お前も、他の奴も俺様なんかよりずっと強いんだよ』
「そんなのわからないよぉ…」
大声を出すだけでも、スズの身体には負担がかかっていた。
不意に足の力が抜け、頽れそうになる。
だが、傍らにいたランケアがすぐに支えに入り、床に両膝を落とす。
『勝ってたさ。お前は、ずっと前に俺様に勝ってた』
だから、と言葉は続く。
『返す。お前がずっと返してほしかったものは、置いてきた。イスズの墓の前にな。ちと適当だが、俺様なりの免許皆伝の証ってこった』
違う、とスズは思う。
そんなものがほしいんじゃない。
自分がずっと欲していたのは、
「そんなの、いやだ…。だめなの…、ムソウの手からもらわないと意味がない…!」
声に嗚咽が混じり始める。
視界がぼやける。
呼吸がしづらいのは、傷のせいじゃない。
『本当、お前は強い。勝つまで諦めない。妥協もしない。”東”に、世界に未来を作れる。俺様なんざ小さく見えるぐらいに、とんでもない奴になれるさ』
ノイズが大きくなっていく。
ムソウが遠ざかっていく。
違う。
そんなことが言いたいんじゃない。
「いやだ…! いや、いやだよ…! 行かないで、生きて、私を見ててよッ! ムソウッ!」
スズが本当に望んだこと。
家族と一緒にいたい。
たったそれだけのこと。
爆発音が音声にノイズを入れる。
「ムソウ…!?」
声は、途切れない。
『――俺様は、ずっと前に死んでたはずだ。山賊として、生きて、いつかどこかで野垂死ぬと思ってた。だが、違ったんだ。”東”が、多くのバカ達がここまで連れてきてくれた。感謝してもし足りねぇ。だから――』
マーカーが消えていく。
もはや計測不能なほどに膨れ上がった敵の群れ。
その中にわずかばかり残った命は、もう数えるほどしかない
『――頼む。東雲の新しい"長"。かつて、尊敬した親友で、主人だったあいつのように、名誉をくれ。約束を果たしたと、伝えに行かせてほしい』
「無理…そんなの、無理…だよ」
スズは声を押し殺して泣く。
頬を涙が伝う。
言えるわけがない。
言ってしまえば、それはムソウに”死ね”と言っているのと同じだ。
「……北条・フォティアより、”砲千火”の充填が完了したとの通信。現在、戦闘区域から離脱、衝撃軽減が可能な位置まで後退中。60秒後に敵の中枢と思われる白亜の戦艦に撃ちこむとのこと」
スズは、目を見開く。
「待って…そんなの…」
時間の通告。
その時、傍らにいたランケアが突如立ち上がり、ブリッジの出口に向けて走り出した。
「!? 若を止めろっ!」
声と同時、周囲に待機していた槍撃隊の数名が瞬時に動いた。
数名を避けてなお進もうとするランケアだったが、カバーに入った隊員に取り押さえられる。
「放してください! だめです。あの人を死なせたら、ダメなんです!」
渾身の力で、数人がかりの拘束を振り払おうとするランケアだが、すでに身体の疲労は相当なものだ。
加えて屈強な隊員の力に、子供の筋力では抗えるはずもない。
「若が出てもどうにもなりません! 俺達だって同じ気持ちです。抑えてください…!」
「若も”槍塵”もボロボロなんだ。戦えるわけないですって!」
「ここで出れば、ムソウ殿の覚悟が無駄になっちまう!」
スズは、声を出せずにいた。
どうすればいい、とずっと考えていた。
考えて、考えて、だが答えが出ない。
出したくない。
「ぁ…。あぁ…」
わからない。
自分はどうすればいい。
ムソウを死なせずに済む方法を探したい。
時間が欲しい。
「――あと40秒です」
止まらない。
拒絶しても、時間は待ってくれない。
『――スズッ!』
突然飛んで来た声に、スズは意識を引き戻される。
『イスズの最後の言葉、まだ伝えてなかったな』
「父上の、最後の…」
ああ、とわずかな間がある。
大切な父の言葉は、今、15年の時を経て、娘に届く。
”新しき”長”としてあるのなら、強くあれ。最愛の我が子に、幸あれ”
願っていた。
変わらない。
幼い日の知っている父のままの言葉。
『イスズの奴は、ずっとお前の事を想ってた。それが真実だ。もう嘘は言わねぇ』
スズは、数秒の沈黙の後、涙を拭う。
震える足で、ゆっくりとではあっても、確かな力で立ち上がる。
「――あと30秒」
スズは呼吸を整える。
目を瞑り、強くあれ、という言葉の意味を自ら言い聞かせる。
自分は”東”の”長”。
なら、彼を導こう。
イスズの言葉ではない。
東雲・スズとしての言葉で。
「ムソウ…、いや”東国武神”…最強の将よ」
声はわずかに震えている。
『はいよ。なんだ』
ムソウがいつもの調子なのが、心強かった。
「敵を斬れ。”東”と”西”…世界に仇なす、敵を徹底的に切り伏せよ。お前の刃に、迷いはあるか?」
その言葉を受け、ムソウが鼻を鳴らす。
『ねぇな。この内にあるのは、忠義。俺様は"長"に害なす敵を斬るための刃。戦場に放たれれば、容赦はしねぇ。もはや、迷いなし!』
「ならば、行け…、己が心に誇りを、持って―――」
ひくつく声を必死に抑えつける。
言うのだ。
彼に後悔を与えないため。
無念とさせないため。
スズは、天を仰ぎ叫んだ。
「刃を振るえーーーっ!!」
『御命……承ったっ!』
通信が途切れる。
中継すらもはや不可能になった。
「”武双”の反応はあります。ですが、交信、途絶しました…」
スズにその報告はもう聞こえていない。
「バカ…バカ……」
少女は、床にへたり込んで泣いていた。
嗚咽混じりに、ただ口から出るのは。バカ、という言葉。
頬を伝うのは止まってくれない涙。
「大好きだよ、ムソウ…」
小さな声は、誰にも聞こえることなくそこにある。
●
『――カウント、残り20…! 構えろ、”東国武神”!』
「ああ!」
”武双”が砲断刀を振り上げ、右肩前に構える。
見上げるのは、白亜の戦艦。
最大出力解放のため、頭部の装甲が展開する。
出力の上昇を察知したのか、刃形態に変形した敵が数百近い数で雨のごとく飛んでくる。
『させる、かぁ…!』
『ここは通さん…!』
両腕を失っている”矛迅”2機が、その軌道に割り込み串刺しになり、機能を停止して落ちる。
直撃するもののみを引き受けたことで、”武双”は致命的な損傷を免れる。
「……すまねぇ、お前ら…」
砲断刀の機構が展開する。
刀身が開き、収束される熱量によって大気が歪み始める。
周囲の人型が一斉に襲い掛かってくる。
数機の”矛迅”が止めに入るが、もはや防衛は瓦解している。
刃の先端が”武双”に突き刺さるかに思われたが、
「無駄だ」
刺突を入れようとした人型の、刃の切っ先が融解。
勢いのまま近づいた敵が溶けて崩れていく。
「”崩断撃”の最大出力は止められねぇ。誰であろうとだ」
すさまじい熱量を周囲に放つ”武双”は今、巨大な熱エネルギーの塊に近い。
多大な熱は、最大冷却をもってしても処理しきれない。
周囲を融解させ、近づく者は果てる。
そして、自身も、ひび割れ、崩壊していく。
……一振りできればそれでいい…!
そして見る。
莫大な熱量を圧縮した1つのプラズマ砲弾が、白亜の戦艦へと飛来してくるのを。
”砲千火”だ。
「最後の一撃…!」
今度は空から巨大な黒霧の竜がこちらを飲み込まんと大口を開けて降ってくる。
赤く光る眼は1つ。
おそらく、周囲の機雷群を無理やり集め、巨大化したのだろう。
その形態は竜というより、機雷の濁流に近い。
機雷の中に飲み込んでこちらを消し飛ばすつもりだ。
……あと数秒――
足りない、と思った。
だが、
『おおおおおっ…!』
上空から、”アキュリス”が神速をもって、機雷の中へと自ら飛び込んだ。
次の瞬間、爆発が連鎖する。
もう火器はない。
唯一残ったのは、S3――カイの機体から拝借した、大型ブレード。
『断ち切る…!』
一閃。
黒い機雷の濁流が内部から破裂するように霧散する。
統括指令機を両断したのだ。
損傷で飛行能力を失った”アキュリス”が墜ちる。
『やれ、”東国武神”っ!』
ムソウは視線を瞬時に細め、口の端を釣り上げ、叫んだ。
「崩断撃!! 吹き飛びやがれぇぇぇぇっ!!」
”武双”が雄叫びを上げた。
陽炎が砲断刀に集束する。
莫大な熱は、圧縮から解き放たれ、振り下ろしと同時に炸裂する。
はるか上空、白亜の戦艦に向けて放たれたそれは、不可視ではなかった。
大気が歪み、衝撃の余波ですら数キロ先の敵の軍勢を空へと打ち上げた。
衝撃波が向かう先には、竜が無数にいた。
それらも消滅させ、なお奔る。
到達までほんの数秒。
一瞬の静寂。
そして、
「――くたばれ」
爆発の轟音が響き、”バクレッカ”の数倍という質量を持つ白亜の戦艦の船底が爆発し、砕け散る。
姿勢制御ができなくなった白亜の戦艦の船体が傾いていく。
遅れて、”砲千火”が来る。
しかし、ムソウはもう操縦桿を握っていなかった。
”武双”もまた、砲断刀を振り下ろした姿勢のまま、目の光は消えている。
長きにわたって、”東”を守ってきた守護戦機は、ムソウの相棒としての役目を終えた。
「約束守ったんだ。感謝しろよ、イスズ…」
姿勢制御を失った白亜の戦艦のさらに上空。
”砲千火”が、圧縮したエネルギーを解放する。
解放を中心として、半径数10キロの空間が光にのまれる。
そこから千以上の小さな光が連鎖し、大地と空を爆炎と衝撃によって破壊していく。
全てを飲み込んで、火の花が世界を照らした。