7-9:結末への抗い【Ⅱ】
エクスは、疑問に思っていた。
自分は、時間による存在の修正を受けない。
しかし、その立場をなんのリスクもなく持ち得ることが不思議だった。
自分は、”過去”の人間ではない。
そして、同じ時間内に存在できる万物の数は一定であり、増えも減りもしない。
その概念すら無視できているとは、考えづらかった。
”例外”であるとは言っても、1人の人間に過ぎない自分は、いったい”いつ”の人間なのだろうか。
考え続けて、1つの仮説にたどり着く。
自分は学者ではない。
ゆえに直感でしかないが、妙な確信があった。
「――俺は…、”未来”の人間のままに、ここに存在しているんだろう」
エクスの言葉に、ファナクティは頷く。
「そうだ」
一言、肯定があった。
ファナクティは、1つの本を開く。
データではない。
この時代で集めてきたと思われる、紙の本だ。
学者の読む本ではない。
内容は、たんなる小説。
過去に戻り、未来を変えようとする男の物語だ。
「この物語の男は、恋人の死という結末を変えるために過去に行き、様々なことを試した。それを果たせば、自分も彼女も幸せになれると思っていた。しかし、恋人には様々な死因が付きまとった。帰るたびに、違う理由で恋人は死を迎える。病魔、他殺、自殺、事故…それを見せ付けられても、それでも男はなんとしても、未来を変えようとあがいた。そして、恋人を生かすことに成功した。…だが、結末から言ってしまえば、それは無駄だった。なぜだと思う?」
ファナクティが、問う。
静かに本を閉じ、机の上に置き視線だけを振り向かせる。
「…自分が消えてしまった」
そうだ、とファナクティがうなづいてみせた。
「男は、恋人の未来を変えようとするあまり、自分の未来というものを考えていなかった。恋人の死が、男の未来のために、存在のために必要な出来事であったことを」
男と恋人は、初めから一緒の時間を生きられないと決まっていた。
「それを歪めた結果、確かに恋人は生きた。しかし男の存在は消えた。誰の記憶にも残ることもない。初めからなかったものとして。そして、恋人は、男の存在すら知ることもなく、新たな男と結ばれる。そういった結末の話だ」
「俺は、それと同じ状況にあるということか」
「無論、仮説に過ぎん。この先、お前に起こることは全てが未知だ。”未来”の人間の末路に関する前例などない」
だが、とファナクティは続ける。
「歴史が変わるということは、お前が存在する”未来”が消えるということ。万物を繋ぎとめるものが世界や時間と繋がっているとするなら、お前自身をこの”過去”に繋げているものはなにもない。つまり、おまえの存在は、未だに”未来”が繋ぎとめている。そして、それが壊れたとき、おまえ自身も、それに引きずられて消失する。…そういう仮説だ」
エクスは、自分の存在を認めていた”未来”を壊そうとしている。
その代償。
「……」
部屋の入り口にある鏡に自分の姿を見る。
色あせた赤い髪。
紅い左目。
傷だらけのジャケット。
その下にある身体には、さらに多くの傷がある。
たくさん傷つき、ここまで来た。
その結果が”消失”
誰の記憶にも残らず、成した結果を見届けることもできず、初めからいなかった者として、”消える”。
だが、それでも――
「――あいつらは、生きていける…」
見る。鏡に写る自分の顔を。
「あの”未来”がなくなった先は、あいつらが自分で探して、築いていける…」
後悔も、恐れも、悲哀もない。
「俺は、結局、自己満足したいだけだったんだ。”神”の思い通りになるのが、気に食わない。だから未来を壊して、変えてやる。そして、ライネに死ね、と言った”神”に思い知らせてやる。”ざまあみろ”とな」
自分が成すべきと決めたことに対する静かな笑み。
迷いを捨て、この身を使い尽くすと決めている。
「……もうすぐ、戦闘が起こる。”鍵”となる者と”創造者”となる者同士の」
「”創造者”…?」
「お前が”破壊者”であると同時に、”創造者”もまた存在する。よく知っているだろう」
ファナクティが、巨大な空間ウインドウを開く。
そこには、朽ちたままの巨大な漆黒の機体があった。
「……”絶対強者”か」
「そうだ。”ブレイハイド”は、”システム”を、”ラファル・センチュリオ”は、”躯体”を分離させ、復元したものだ」
”サーヴェイション・システム”
”ブレイハイド”に搭載されていた、アウニールに感応して発動する強化システムの正体だ。
彼女の持つ、”サーヴェイション”の感応を擬似再現するシステム。
そして、前に”シュテルンヒルト”の格納庫内で見た、黒い機体。
”絶対強者”と見間違えたあの時の感覚は、決して気のせいではなかった。
「”絶対強者”と名づけられたこの機体の、正式名称は――”ラファル・センチュリオ・Ver.X”。大破するたびに、”サーヴェイション”による再設計と、”インフェリアル”による強化改修を繰り返し続けた不死の守護者」
あの黒い機体”ラファル・センチュリオ”の、未来の姿。
長い時の中で、傷つき、強くなり続けた絶対的な守護者。
”サーヴェイション”の中枢である、たった1人の少女の守り手。
「ウィル=シュタルクは、今日ここで死ぬ。”ラファル・センチュリオ”という、いずれ”絶対強者”となる者の手によって」
「そのために、俺とウィルを分断したわけか」
「そうだ。私と話さず、地下に向かったとしても間に合いはしない。すでに戦闘は始まっている」
「そのようだな…」
エクスの”紅”は、地下深くで起こっている戦闘による熱の発生を捉えていた。
「慌てないのだな」
「急ぐ必要はあるだろうがな」
エクスは、ファナクティに背を向けて歩き出す。
「……あの少年は、戦うために生まれた者ではない。戦いに対して、あまりに未熟で、甘い。勝てる可能性は限りなく低い」
その言葉に、エクスは脚を止める。
振り向かず、声だけで応える。
「…確かに、ウィルの奴は戦いに向いてないだろうな。だが、俺は、信じられる。あいつは、負けはしない」
「言い切るのだな」
ああ、とエクスは肯定する。
「初めから、あいつは勝つための力を欲していたたわけじゃない」
「なら、なんのためだ」
エクスは、振り返る。
「守るための力。ただ勝つことよりも、ずっと難しい力だ」
人は、誰かを守ろうとする時、最大の力を発揮する。
自分だけを守ろうとするよりも、はるかに強く、尊い力を。
「”鍵”が失われれば、お前が望む新たな未来を創ることはできない」
「俺は”壊す”のみ。その先を創っていくのは、――この世界に生きる者全ての役目だ」
「”誰も知らない奇跡”のために、自らの存在全てを投げ打つというのか」
その言葉に対して、エクスは応えない。
代わりに質問を返す。
「……ファナクティ。今、お前が例とした小説の主人公は、消える瞬間、何を考えていたんだろうな」
「さぁな…。心理描写はない。自分が消えたことすら認識できなかったようだ。作者の語りで最期が終わっているからな」
「もし、結果を見届けて、何かを思う時間があったなら…」
自身の消失に、後悔に嘆くのか。
大切なもの存続に、喜び涙を流すのか。
また、何か違う思いか。
「……それを決めるのは、俺だ。他の誰でもない。俺自身の感情だ」
ファナクティは、目を閉じる。
そして、静かに告げる。
「なら、お前が”破壊すべきもの”はここにある」
ファナクティは、背後の空間ウインドウに映っている漆黒の”骸”へと視線を送る。
エクスは、それを追い、見る。
すると、
「なに…!?」
映像を拡大し、センサー部分を確認する。
光が灯っていた。
そして、機体全体が小刻みに振動している。
「まさか…!?」
「そうだ。”絶対強者”は破壊されたわけではない。”サーヴェイション”の存在しない時代に来たことで、一時的に機能を停止していたに過ぎない。そして、”サーヴェイション”は、もうすぐ起動する。つまり――」
”骸”の目の光が強まる。
「――”絶対強者”は、再び目を醒ます」
甲高い軋みの音を放ち、”骸”が動き出す。
片脚がなく、盛大に転倒し、砕ける部品を撒き散らしながら、しかし、這いずるように動く。
片手をつき、周囲の金属と自らの摩擦による起こる金切り音は、まるで怪物が叫び声をあげるかのようだった。