7-5:未来から賜りしもの ●
山岳都市”ジャバルベルク”。
広大な地形と温和な気質の住民で知られる文明圏から外れた都市。
皮肉だ、とファナクティは思った。
戦いというものから、最もかけ離れたイメージのあるこの場所に、この世で最も危険な兵器を呼び覚ます鍵が眠るとは。
……ここが、終わりへの始点になるか。
自らの運命に従い、”ファナクティ”という歴史の駒は動く。
己の行為に対して、善意や悪意を越えた、何かを宿して、ただ動き続けている。
この地に入ったとき、すでに住民の影はなかった。
……この場所に気づいた者がいたか。
優秀だ、とそう思う。
しかし、気づけてはいても、それ以上はできなかったとも悟る。
住民の退去を行い、人的被害を抑えることは最低限できているようだが。
……歴史は動かず、か。
どこか達観したような感情を得て、ファナクティは通路を抜ける。
そして、
「いたか。リバーセル」
銀の髪を持つ少年の背に語りかける。
「…ファナクティ、か」
少年は、振り返らず声だけで応じる。
彼が触れているのは、”大切な人”が眠る棺だった。
わずかばかりの沈黙があり、リバーセルが問いかけてくる。
「どうして、イヴは、目覚めないんだ…?」
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リバーセルは、棺に眠る妹の顔を見る。
彼女と最期に言葉を交わしたのは、もう1ヶ月以上も前だ。
数日眠っては、数時間起きて、ろくに活動もせず、虚ろな表情のまま、眠りに落ちることを繰り返している。
しだいに眠る間隔が伸び、目覚めている時間が減っている。
言葉を話すこともなく、食事も摂らない。
まるで、本当の人形のようになっていくようだった。
「…ナノマシンの副作用かもしれん」
ファナクティは、普段と変わらない口調で言った。
次の瞬間、リバーセルが掴みかかった。
身体能力を強化されたリバーセルの動きに対して、ファナクティは抵抗する素振りも見せない。
「どういうことだ…! あいつは、完全に適合していたんじゃなかったのか!?」
ファナクティが持つナノマシンの技術には、適合、不適合がある。
リバーセルは不適合であるがゆえに、定期的なナノマシン機能調整を必要とし、これを怠れば生命機能にも著しく影響が出る。その他にも制約を抱えている。
だが、妹は違った。
ナノマシンを取り込んだ後も、調整を必要とせず、以前よりも高い生命力を持って蘇った。
記憶を代償にしたようだが、それ以上の事態もなく、これまで存在していた。
なのにここに来て、現状に至っている。
「なぜだ…! 答えろ! ファナクティ!」
締め上げを強めるリバーセルに対して、ファナクティの表情は冷ややかだった。
「完全などなかった、ということだ」
「なに…?」
「まずは、この手を放せ。感情が高ぶると寿命を縮めるぞ」
言われた瞬間、リバーセルはハッとなる。
すぐに手の力を緩め、わずかな震えを残しつつ数歩後ずさり、気づく。
「…が、あ…」
胸を強烈に締め付けられる感覚。
呼吸ができない。
ナノマシンが不適合である以上、僅かな感情の高ぶりでも、自律神経バランスへ過剰に影響する。
彼は、簡単なことで死ぬことはない。
故に、死ぬほど苦しむしかない。
一瞬意識が薄れ、体のバランス崩れ、倒れそうになった時、
「大丈夫か…」
ファナクティが、正面から支えになった。
しばらく荒く息をついていたリバーセルだったが、しだいに落ち着きを取り戻していく。
呼吸が戻り、高ぶっていた心臓の鼓動もしだいに元に戻っていく。
「もう、いい…」
自力で立てるようになったリバーセルは、情けないと思いながら、ファナクティの支えをはらいのける。
「……後悔しているか? そんな身体になったことを」
「していない…。何度も、言わせるな」
蘇生してから、何度もしたやり取りだ。
妹を生きていけるなら自分はどうなってもいい。
それはずっと変わらない。
「ならいい。妹のことは、原因を探っているところだ。だが、これだけは約束しよう。彼女は死ぬことはない。絶対にだ」
「本当、だな…」
「ああ。生命活動そのものは安定している。それは間違いない。目覚める手段を探すだけだ。そのためにここにいる必要がある」
「なら、まかせる…。頼む…」
懇願するような声になっていることに、リバーセルは気づいていない。
本当は怖いのだ。
人としてあるべきものを失っていくことが。
……それでも、俺は…。
リバーセルは歩き出す。
「どこに行く?」
決まっている。
「敵を、倒す…!」
リバーセルの言葉の終わりから数秒後、警報が鳴り響く。
『隊長…! 未確認の戦艦がこの場所に接近中! 映像を送ります!』
映し出されるのは、加速に特化した飛翔翼を広げ、すさまじい速度で向かってくる未知の戦艦だ。
「……”ナスタチウム”か」
ファナクティが、誰にも聞き取れないほどに小さな呟きで、艦の名前を口にする。
●
『――所属を名乗れ! 迷い込んだだけなら見逃す! 応答がない場合、撃沈する! 繰り返す!』
リヒルは、相手からの通信を耳に入れながら”ヘヴン・ライクス”のコックピット内で起動の準備を始めていた。
わかっている。
相手には、こちらを撃沈する手段などない。
「テンちゃん。わかってるよね…」
『…うん。誰も、失っちゃいけない。反省させる』
隣にいる”ヘル・ライクス”の頭部が、頷いてみせる。
不殺。
リヒルとシャッテンは、互いの意思を再確認する。
”西”を離脱した孤立無援の”知の猟犬”部隊。
彼らは、滅びの一旦を担おうとしている。
それを正し、そして後の世を知ってもらいたいと思う。
それには、総勢20機の特務仕様の”アルフェインバイン”を相手取る必要がある。
対するこちらは、未来の技術が使われているとはいえ、たったの2機で相手をしなければならない。
「バリアとかが搭載されてたら楽だったのにね…」
『…気合で行くべし…!』
シャッテンの張り切り声を聞き、気分を入れ替える。
『―――あー、あー。みなさん、ごきげんよう。毎度おなじみ、ご機嫌AI”ナスタ君”でありま~す。本日晴天なり、晴天なり』
艦内アナウンスで、うるさいAIの声が響き、正面のハッチが開放されていく。
だが、それは今では慣れたし、なぜかこの場では心強い…ような気がする。
『ナスタチウムは快速です。雲ひとつない空を飛べるのは実にすばらすぃ~! 気持ちいぃ~! よって、これより、気持ちよくみなさんを送り出しますので、よろしくお願いします』
「了解です!」
『…了解…!』
”ヘヴン・ライクス”と”ヘル・ライクス”が、リニア式のカタパルトの射出点に立つと、周囲が発光し、巨大なライド・ギア2機がいともたやすく浮き上がる。
唐突な浮遊感に、おおぅ、とシャッテンが驚く声がした。
『では、”ナスタ君”より、言葉を贈ります。戦いより、無事に帰ってきてくださることを信じて、――乾杯!』
『…それ違う』
『あっと、失礼。なにやら、”サムラーイ”という人から、こう言えって言われまして。では改めまして――』
カタパルトレールがさらに展開、延長し、僅かなスパークを帯びた、磁力の射出口が形成される。
『――幸運を!』
「はい!」『…行ってくる!』
2つの”翼”が、今、空へと放たれる。
滅びを回避すべく、未来からのやって来た2つの力。
飛翔翼を同時に広げ、眼下にある者達と激突する。