6-8:温泉宿”ホウヨウ”へようこそ【Ⅱ】
夜に進み続ける中、東随一の温泉宿”ホウヨウ”では奇妙な撃音が鳴る。
男湯。
そこには口にくわえた鞘から刀を何度も抜刀して、壁に立ち向かってる奴がいた。
しかし、何度繰り返しても壁に明確なダメージは与えられず、攻撃による消耗の蓄積すら見受けられない。
「―――くそ! 壊れねぇぞ!」
「む、無理せず諦めましょうよ…。というかもう覗く気ないですよね? 乗り込む気ですよね?」
「ムソウ殿の力押しが通用しないとは、…なんという技術力…!」
ムソウの絶対的な技である”砲閃抜刀”は、神速の居合いと同時に強力な衝撃波を放つ。
狙いどころしだいでは、一撃で人型兵器すら戦闘不能に追い込むことすら可能だ。
しかし、かつて両腕で無制限に放てたこの技も隻腕となった今のムソウにとっては負担を伴う。
刀の固定方法として、鞘を噛んでいるため、何度もやってると、
「あたた…、歯が…」
膝をつくぐらいにダメージがあるのだ。
そこまで消耗していても此度の敵は揺るぎさえしない。
壁だ。
西雀の現当主にして”東”最高の技術者、西雀・シェブングによって開発された覗き防止仕様の巨厚防御壁。
男の夢は今、技術という最大の敵の前に屈服させられそうになっていた。
「まったく、いい加減諦めろてぃ」
開発者、もとい現状の元凶たるシェブングは、1人浴槽に浸かって酒をたしなんでいる。
「おいこらじじい! かわいい孫がどれぐらい成長してるのか気にならねぇのかよ!」
「甘いなムソウの坊主。クレアの奴ぁ、恥じらいがねぇしよぉ。風呂の後は裸で家の中うろついてるから成長観察は間にあっとるってぇ」
「ええっ、クレアさん、全裸で家の中を移動してるんですか!?」
「風呂上りぐらいだがよぉ。さすがに寒くなってきたら作業着着てらぁ」
クレアの全裸事情を聞いたところで、このじいさんとの交渉は不可と断定される。
「…やっぱ、乗り越えるか」
「わ! 諦めてない! というか無理ですよ。何メートルあるか…」
「15メートルあらぁ。リモコン操作1つで2倍にもなる」
「絶望的ですね。静かに温泉というものを堪能して帰りましょう」
諦めムード漂う中、静かな奴がいた。
ウィルだ。
顎に手をあて、うなりながら空を見たり、壁を見たり、地面を見たり。
「ウィル、どうしたよ」
「いや、なんか気になるところがあって」
「なんだよ」
「音が聞こえないッスか? ほら、なんか水が流れてるような…」
言うが、3人は首をかしげる。
しかし、老人は反応した。
「…おい、ウィルの坊主。それはどこから聞こえる?」
「えっと、そこッス」
ウィルが指差すのは、ムソウがぶっ壊そうとしていた位置から50センチほどズレた位置。
その指摘を受けて、シェブングが僅かに眉尻を下げる。
そしてムソウがそれを見逃さなかった。
「おい、じじい、もしかするとよ、この壁、湯の循環機構を内臓してやがるな?」
気づいてみると妙だった。
”東”には、”ホウヨウ”ほどでなくとも、多数の温泉宿がある。
そのどれもに巨大な循環設備が設置されている。
しかし、この”ホウヨウ”の大浴場にはそれがないのだ。
「では外付けでなく、施設そのものに循環機構を内蔵した最新設備ということでしょうか?」
言うと、シェブングがやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「そういうところは鋭いなぁ」
「ようはそこが比較的脆いわけだ…」
ムソウが、刀をおさめた鞘を口にくわえる。
「ウィル、お手柄だぜ…!」
ムソウが勝者の笑みを浮かべ、渾身の”砲閃抜刀”を放った。
●
男湯でそんなことやってる少し前。
女湯では、状況がかなり静まりつつあった。
「はぁ、温泉とはまたいいものじゃなぁ…」
「そうですわね。肩こりとかにいいわね~」
湯船に浸かっていたアンジェとアリアが並んで表情をとろけさせていた。
「のうアリア。もう和平結んでみんなで温泉入りきてもいいかの」
「いいわよ~」
そんな感じで軽く和平締結されそうになっている。
しかし肝心のストッパーであるはずのスズは、
「イジメ! これイジメ継続中だわ…!」
巨乳に囲まれてやや正常でなかった。
「母上は気がつくと大きくなってましたよ? だからスズちゃんも…………その内大丈夫ね!」
「間があいてるわ!」
「全くですね。クレアとしては小ぶりな方が動きやすいのですが。貧乳姫、どうしてこっちをみて口をパクパクさせているのですか?」
「栄養足りなかったんじゃないのかい。あ、でもアリアさん、何もないところからでも懐石料理作るし、それはないはずだけどねぇ…」
「栄養のせいか? ワシ、ダイエット中に急激に大きくなった過去があるのじゃが」
「もう胸部関連の話やめてくれる…!?」
「大丈夫ですよ~、東雲のお姫様。小さいほうが好きな殿・方もいますよ」
「今日は運送屋が味方に見えるわ…」
そう言いながら、ぶくぶくと首まで湯に沈める。
「はぁ…疲れた」
「主に自意識過剰が原因だと思うけどね」
「そうよスズちゃん。お胸の大きさなんて、些細なことです。あの人も私の”優しくて、予測不能なところを好きになった”といってくれたんだから」
「あの人って、東雲・イスズのことかい?」
「そうよフォティアちゃん。あの人と結ばれた時はここにお世話になったの」
「先代の、ていうかアタシの親父だけど。言ってたよ。”あの2人は嵐そのものだ”って」
「それ褒められてんの?」
「そうだよ。祝福つきでね。この”ホウヨウ”は、そのために建てられたんだ」
言って、フォティアが浴槽の縁に座り、語る。
共に歩むと誓いあえる人達。
祝福し、迎え入れ、そして送り出すための場所。
「いつの時代だってそうさ。赤の他人が、互いを理解して、共に向きをあわせようとする。それは祝福されてしかるべきだ。本当に」
「大切な人、か…」
「なんだいアンジェ。気になる人でもいるのかい?」
「ああ、おるよ」
周囲が、おお、と色めきだつ。
「”最速騎士”でしょ」
周囲が、ええ…、とやや冷ややかな視線を向ける。
「何よその反応!?」
「そこは本人に言わせるべきじゃないかい? チビ姫」
「なぜわかったのじゃ…!」
「あんたの”最速騎士”を見る目でわかるわよ」
「つまりワシは、すごく乙女してたのじゃな!」
「はいはい。それで、どこまでいったわけ?」
「そうじゃの。寝室で、裸にYシャツ1枚姿でベッドまで誘って…」
周囲が、おおぅ!、とうなる。
「あやつがワシの目の前まで顔を近づけてきてから、ワシは告げたのじゃ。ワシの夫になってくれ、と…」
周囲が、それで!?、と身を乗り出し、
「…フられた」
ああ…、と肩を落とした。
「なんだい。その誘惑まっしぐらの流れでフたれたのかい。”最速騎士”ってのは、鋼の自制心を持ってるか、鈍感の権化なのか、それとも超絶ヘタレなのか、のどれかだね」
「散々な言われようですね」
「いや、正確には間が悪かったのじゃ。ワシの都合ばかり押し付けてしまったからの。ワシの夫となるなら、相応の重責もセットでついてくる。それに、あやつも思いつめるところがあって…」
「ま、なんにせよタイミングは大事だね。互いに人間なんですし」
エンティが妙に落ち着いた様子で言う。
そうだね、とフォティアは続けた。
「でもね、男ってのは2種類いるのさ。自分でがむしゃらに道を切り開く奴と、迷いから抜け出せず足踏みしてる奴。前者は適当でいいけど、後者と一緒になろうってんなら、女の強引さも必要ってのを忘れちゃいけないね」
「しかし、それでいいのか? 今以上にあやつの心を傷つけてしまったら…」
「もちろん、確実とは保障できないよ。アタシは、戦士としての”最速騎士”しか知らないから」
フォティアは、フッと微笑を浮かべた。
「あんたは、知ってるかい? 本当の、1人の男としての”リファルド=エアフラム”をさ」
「1人の”男”として、…?」
言葉を受け、アンジェは思う。
リファルドのことをどれぐらい知っているか。
幼い頃に初めて会ったのは、父の近衛兵として配属され、自分の部屋の前の衛兵としての任を与えられた時。
少年だったリファルドと、彼の腰までの背丈もなかった自分。
その頃から、どれだけ距離は縮まっただろうか。
彼がどれほどの思いを持ち、今、この場にいるのだろうか。
”騎士”としてか。
”遺志”のためか。
それとも…
「ワシは、知らないのかもしれん…」
「なら、知りにいくことだよ。本当にアイツのことを想ってるなら、ね」
言って、フォティアは何かを思い出すように鼻先にある古傷をさする。
すると、それは不意に終わりを告げる。
「いい話のところ申し訳ありませんが、クレアの耳に妙な音が聞こえるのですが」
「え?」
クレアの見る先へ、その場の全員が視線を向ける。
そこには、壁がある。
湯の循環機能を備えた巨厚防音壁。
西雀家の謳い文句では、”斬ろうが撃とうが戦機で殴ろうが跳ね返す!”だったが、
「ヒビ入ってない?」
「入ってますね」
「お湯漏れてない?」
「漏れてますね」
そんなことを言っていた次の瞬間。
「あ」
壁が砕けて飛んだ。