6-7:”裏側”の同盟者達 ●
夕刻。
日は沈み、空は朱から深い蒼へと移り変わっていく。
人が、自分の場所へと帰って行く。
そんな中、”東”で随一の診療所の一室に1人の男の姿がある。
エクスだ。
ガラス越しに見つめるのは”集中治療安静室”。
そこには穏やかな表情で眠り続けているユズカがいる。
人工呼吸器や心電図など多くの機器が、彼女の命のありようを音に変えて知らせている。
……娘、か。
エクスはここにきて、ようやく自分の立ち位置を整理し始めていた。
ライネと、自分の間に生まれた存在。
当然、実感はない。
自分が父親であるということも未だ半信半疑。
そして、ライネがすでにこの世にいないという事実もそうだ。
今でも何かの間違いであってほしいと考えている。
しかし、ガラス越しに映る自身の紅い左眼が現実を告げる。
……ナノマシンアイ”紅”…。
ライネの左目にあった義眼”アフマル”。
あれは試作品と称されていた。
専用兵器との完全な精神同調。
生体である人間が、周辺機器なしにハッキングを行うことも可能となる。
その代償として、多大な脳への負荷があり、ライネは使用後に二日酔いのごとき頭痛に悩まされていたはずなのだが、
……この”紅”には、それがないのか?
未来技術の結晶。
そして、まだ自分には残してもらったものがある。
……ソウルロウガ・Rもか。
未完成であったという”ソウル・ロウガ”。
格闘特化から、戦闘特化型への変化。
エクスの運用することを前提とした究極的な専用機。
未来と過去の技術融合によって生み出されたこの世に”存在しない”機体。
それゆえに問題もあった。
予備パーツが存在しない。
技術を有していたユズカも、今は長い眠りについている。
消耗し傷つけば、もはや修繕はできない。
……最大出力で、あと数回の出撃が限度、か。
もしかしたらあと1回かもしれない。
それでも、充分だ。
……俺の果たすべきことに変わりはない。
そんな物思いにふけっていると、横の扉が開いた。
こんな時間に自分以外の誰が面会に来るのかと、視線を動かす。
「―――やはり君はここにいたか」
銀髪のオールバック。
四角い銀縁のメガネ。
いつものごとく金の装飾のある黒の礼服に身を包んだ男がいた。
「…ヴァールハイトか」
ヴァールハイトは、ガラス越しのあるユズカの姿を一瞥し、そしてエクスへと視線をやる。
「自分の置かれている状況に実感が持てない、といった顔だな」
「…そうだな」
「とはいえ、それは私にも言えることだが」
「お前がか?」
「ようやく、君が”未来人”であると確信を持ち始めたところだ」
「そうか。それはなによりだ」
「その様子では、私と”魔女”の間に事前の接触があったことも知ってるようだ」
「意外か?」
「むしろ手間が省けた。時間は貴重だ。金では買えん」
言うと、ヴァールハイトはエクスの隣に立ち、ユズカへと視線を移す。
眠り続ける彼女を見て、口を開く。
「私と彼女が接触したのは、まだ”魔女”でなかった時期からだ。当時接触を図ってきた際は、妙な言動をする少し頭のおかしな女かと思っていたものだ」
「何を言った?」
「”世界の滅ぶと知ったらどうする?”とだ」
「なるほど、それはそうだ」
「加えてこうも言った。”いずれこの世界を訪れる人のために私にはやるべきことがある”と」
「それが俺か」
「そうだったのだろう。結果的には」
ヴァールハイトは、ユズカの話を初めは世迷言として信じなかった。
それよりも明日の取引先からどれだけ金をふんだくるか考えるほうがよっぽど有益だと。
しかし、
「それからも幾度と、彼女は私の前に現れた。しかし、私には彼女の話が信じられなかった」
「それでどうした」
「無論、無視を決め込んだ。そんなことが1年近く続いた」
1年近く、という言葉。
終わりの時が来た。
「ある日だ。雨のふりしきる日だった。私はいつものように取引きの場所から秘書を連れて帰るところだったのだが、そこに彼女はいたのだ」
「待ち伏せか」
「ああ。しかし、そこにいたのは彼女だけではなかった」
「?」
「君が”機械兵”と呼ぶ兵器の無数の残骸が散らばり、その中央に彼女が倒れていた。雨にうたれ、傷を負って、だ」
”魔女”と呼ばれる前。
その時のユズカは、1人で戦っていた。
1人ぼっちで、多くの敵と。
「先に待っていたのは、彼女か、機械兵の軍勢か。それは定かではないが、おそらく私への襲撃を阻止したのが彼女だったのだろう」
「お前は気づいていたのか?」
「全く、だ。目覚めた彼女に、事情を聞いた。私への襲撃は予見されていた、と」
ユズカは、自分が関わる人物の未来をある程度知っている。
それを身をもって証明して見せたのだ。
「私を信用させるための工作の可能性も当時は考えたが、思いとどまった」
「何があった」
「言葉だ。それも、願いのある強い意思ーー」
―――必ず、その人は来る…、絶対に、…よ。
「ーーその時、私は彼女が利益を求めていないことを理解した。当時は、今よりも若く未熟だった。他者への疑心暗鬼も多かったものでな。利益抜きに私と話をしにくる人物がいるとは考えにくかった」
「それからどうなった」
「多くを聞いた。どれもやはり信憑性に欠けるものばかりだったが、しかし、1つだけ彼女の武器とできる交渉材料があった。それを条件に私と彼女の”同盟”は成立した」
「”魔女”になること、か」
「そうだ。”魔女”とは”西国”にとって重要な立ち位置。それとのパイプをもち、影響力が得られるとなれば、より多くの取引を優位に進めることができる。彼女は盟約どおり、商売に関して”カナリス”が優遇されるように影響力を働かせた。それのせいで一部の商人からは、悪い意味で”魔女”とされていたようだが」
そして、と続ける。
「仮に”滅び”が訪れないとしても、その条件が満たされ続けることは私にとって益をもたらしくれる。損がなく理想的だった。だが、その数年後に事態が動いた」
「俺が現れた、というわけか」
「そう。”赤い髪の目つきのわるい男が、見たことのない機体と共にやってくる”と聞いていた」
「迅速に俺を保護したのはそれもあったか」
「ああ。彼女には、君を見つけたと伝えはした。そして取り決めた。時が来るまで、君へのあらゆる事実は伏せておくことを」
なぜ、と問いはしない。
今は、その理由が分かる。
「…俺の暴走を防ぐためか」
「君がいかに危険な存在であるのか君自身で理解できていない以上、無理な行動で計画を狂わせたくなかったのだろう」
「そうだな。来た頃なら、どこだろうと1人で乗り込んでいっただろうからな」
そして、無意味に命を失っていたかもしれない。
「情報を隠していたことには謝罪しよう」
「もういい。済んだことだ。結果的に、俺はここにいる」
「君は、良い家族を持った」
「家族…か」
「父親と娘だろう」
「実感はないがな」
「父親とは意外とそういうものだ。子供のために身を痛められるのは女性の特権であるゆえにな」
そう言って、ヴァールハイトはユズカとエクスを見比べる。
「似ているな。目つきの悪さが」
「ありがたいことにな」
2人の男は互いに苦笑する。
「俺が初め、守りたいと思っていた奴はもういなかった。もう俺には何もないと思ってた。だが…違うと気づいた」
「新しい目的を持てたようだ」
ああ、とエクスが応じ、宣言する。
「俺は、ユズカが生きる世界を守ってやりたい。もう、俺のために犠牲にならないよう、全てに決着をつける」
強い決意がエクスの中にある。
それは、今、彼を動かしている。
決して揺らぐことのない、確固たるものだ。
「エクス=シグザール。今なお我らの”同盟”は継続している。未来人として接点を持つのは、可能な限り私のみとしておけ。その方が、こちらとしても支援しやすい」
「こちらに義理立てしても、お前にもう利はない。それでも”同盟”を望むのか?」
「確かに”魔女”との同盟は終了した。ゆえに、ここからはユズカ=ウィネーフィクスからの正式な”依頼”となる」
「依頼…?」
「エクス=シグザール。君がこの世界の一員となれるよう取り計らってほしい、と」
エクスは、たった1人未来からきて、何者にもなれなかった。
過去のいかなる者にも上書きされずに、自分という孤独の中に身を置くしかなかった。
しかし、
「君は、この世界の住人だ。未来に生まれようと、過去のこの場所にいることがその証明だ。いずれ目を醒ます娘のために、父親として生きたまえ。それが、そこにいる彼女の望みだ。君はどうかな?」
言うと、ヴァールハイトが懐からメモリーチップを取り出す。
「この中にあるのが、君の架空の身分証明だ。私の父親のような生命体のプロフィールを偽装したものだが、まずバレはしない」
そう言って、投げ渡されたそれをエクスが右手で正面から掴む。
手の平大のそれの中にあるのは、エクスの知らない”未来”だ。
エクスは苦笑し、目を伏せて告げる。
「努力しよう…」
そう言って、ふと、胸の内をよぎることがあった。
しかし、今は考える必要はない…、と思考を切り替える。
「ヴァールハイト。調べてもらいたい情報がある」
「”インフェリアル”かね?」
「知っていたか」
「私は、受身が嫌いでね。独自に動かさせてもらった」
「なら…!」
「すでにその正体も、所在も掴んでいる。全ては、数日後の会議で明かす。そして問うつもりだ。今一度、世界のあり方を」