6-4:”王蹴姫拳” ●
翌朝。
空はよく晴れている。
鳥は鳴いて、ちらほらと人々が活動し始める時間帯。
東雲邸の庭には、鞘に収めた刀を地につき、瞑想していた。
周囲にはスズとアリア以外誰もいない。
各当主には持ち場に戻ってもらっているからだ。
そして、ふと言葉を発する。
「…遅い!」
イラついていた。
「そうね。どうしたのかしら」
母上はほんわかしていた。
相手の完全なる遅刻である。
”西”と”東”に優劣を決めるための試合。
ルールは単純。
時間無制限の模擬戦方式。
場所は、東雲家園庭。ここは模擬試合のできる場所としても整備されている。
戦闘方法は各自自由だが、飛び道具なし。
開始は朝7時。
そして、必ずアンジェのみが来ること。
それを取り決め、昨夜は話し合いを終えた。
泊まる場所は東雲邸であったが、一応監視をゾンブルに指示してきた。
妙な動きをしていなかったかと尋ねると、
―――西の御仁の寝姿とはなんとも刺激的であったぞ!
と、親指たてて応えていた。
……人選ミスったかしら。
といまさらなことを考えつつ、相手を待つ。
自分は、試合用に刀を持ってきた。
木刀である。
打撃数発で充分に相手を叩き伏せることができるものだ。
過去に1人だけ例外がいたが。
……相手は、どう来るかしら。
よくよく考えると、自分は”西”の戦い方を知らない。
過去の戦闘記録では、近接より銃撃戦に主体を置いているとのことだが、今回はそれがあてはまらない。
……西の武術…あるなら1度見ておきたいわ。
とも感じ、どこか高揚感が少なからずある。
それでも”長”としての自覚を持ち、この試合に勝利を得にいくつもりだ。
「スズちゃん。楽しみなのね」
「いえ、違いますよ母上。私は、しっかりと東雲の長として勝つつもりで」
「わかってる。母上はスズちゃんが一生懸命なのを知ってます。でもね…」
「でも…、なに?」
「楽しんでいいの。他人と触れ合う機会があれば、それを思う存分楽しみなさいな」
母の笑顔に、どこか重たいものを抱えていた心が晴れた気がした。
”東が勝てば安泰だ”
ムソウの言うことは確かだ。
この試合で、”西”と”東”の優劣が非公式とはいえ決まることになる。
あれだけ、堂々と宣言してきて、負けたら知らんぷりというのは、おそらくあり得ない。
「たとえスズちゃんが負けても大丈夫、母上は”ばっとまん”という悪い奴に変身してこう言います。”審判ハナニモミテマセーン”って」
そう言ってガッツポーズに似た構えをビシリッと決める母がいる。
……母上、また深夜アニメで変な影響受けてる…
まあ、負けてから今のなしっていうのはさすがに良心が咎めるが、最悪使おうともやや邪に考える。
そして、
「―――待たせたの!」
その声を聞いた。
「…遅刻よ。西”王”」
スズの見る先にはアンジェがいた。
彼女の服装は昨日着ていた服の上着がないくらい。
はねまくりの金の長髪は、後ろで適当に1本に束ねられている。
そして、目をこすりつつ、あくびをしてむにゃむにゃと口を動かして…
「…って、今まで寝てたわね!?」
どう見てもそうとしか取れない姿だが、怒気を抑えつつあえてそう尋ねる。
一方アンジェはというと、
「まさか。今ではない。五分前には起きてたぞ」
「ええいッ! 屁理屈言うな!」
「いやぁ~、さすがに最近ハード過ぎた。すまんの」
何か言おうとしたスズだが、その直後に、はぁ…、とため息をつき肩を落とす。
木刀を地に突き刺すと、柄尻に両の手を乗せ、改めて顔をあげる。
「西”王”。この場に現れた時点で、戦闘の開始としてもよろしいのですね?」
「ああ、ワシはかまわん」
言うなり、スズは木刀を地面から引き抜き、正面に真っ直ぐに構える。
対するアンジェは構えることはしない。
右足を軽く後ろに引いただけ。
「武器は何を使うのですか」
「必要ない」
スズは、は?、という顔を浮かべる。
武器を持つ自分に対して、アンジェはいらないと言う。
「私を甘く見ているのですか」
「違う。ワシにはこれが最善ということじゃ。下手に不慣れな武器を使うよりもな」
アンジェの視線は本気だ。
ふざけているわけではない。
本当に武器を持たず、自分と戦うつもりなのだ。
……いいわ。後悔させてあげる。
スズも手加減する気はない。
相手の選択に手を抜く必要はない。
「…始めましょうか」
「…ああ、ゆくぞ…!」
戦闘が開始される。
●
早朝の酒屋に2人の男がいた。
ムソウとリファルドだ。
営業時間外なのだが、店主にムソウのコネで無理行って入らせてもらっている。
片方は酒、もう片方は水を手元に置いて話していた。
「アンジェリヌス殿も、ずいぶん大きくなったよな。胸とか尻とか」
「いや、そこですか。…ムソウ殿、あなたはアンジェに会うのは初めてだったのでは?」
「いや、イスズの奴がよ、写真持ってたんだよ。幼い時にアルカイド殿と一緒に撮ったやつ。それ見たことがあるだけだ」
「15年前…ですか。イスズ殿とアルカイド王の間に交流があったことは、最近まで全く知りませんでしたよ」
「そりゃ、当時のお堅い騎士殿に話したら、即行で反対に決まってるからな」
「信頼されていなかったと?」
「逆だよ。信頼しているからこそ、全てを揃えた時、託せる者としてお前をアンジェ殿の傍に置いてきたんだろ」
ムソウは火のついていないキセルを口にくわえたまま、へっ、と笑う。
「ではイスズ殿もまた、そうであったのでしょうか。あなたに全てを託そうと…」
「違うね。あいつは1人に全てを託すやつじゃない」
ムソウは窓の外にある空を見上げ、思いにふける。
「全てを背負う義務は全ての人にある、ってよ。”長”だろうが、”王”だろうが、本質的には変わらない。誰かに背負わせるんじゃない。全ての人が背負うべきなんだよ。だってよ、―――みんなで生きてる世界なんだしよ」
スズとアンジェ。
その2人の成長を見守り続けた者。
隻眼隻腕の侍と最速の騎士。
彼らは、敵同士だ。
世界が今のままである限り。
しかし、今こうして話している。
言葉を交わし、意見を交わし、そして考えをめぐらせている。
●
”東”国内にある療養院にエクスはいた。
早朝からの面会も可能なこの場所に、来た理由はユズカの状態を見るためだ。
命に別状なく、経過しているとのことだったが、気にはなる。
”外国人”ということで、東国の民からは結構珍しがられたが、気にしていない。
ドアを抜け、受付を通る。
早朝で人の出入りは少ない。
ユズカの居場所はすぐにわかった。
…見張りつき、か。
ある病室の前に、刀を携えた兵がいるのを見る。
ユズカも一応は敵国の人間扱いなので、この対応はむしろ当然。
病室のプレートにある名前を1枚ずつ確認していくつもりだったので手間は省けた。
しかし、
……どう通るか…。
1人で来たので自分の身分を証明できない。
……殴り倒すか…。
と、少々物騒に考えていると、
「―――考え事をするのは自由だが、通路の真ん中に立つのはやめてくれまえ」
ふと、聞いたことのある声が聞こえた。
振り返ると、
「お前は……」
その人物は、金色の装飾の施された黒いスーツを身にまとっていた。
「久しいな。目の色が変わったか、エクス=シグザール」
オールバックの男は、そう言いメガネを人差し指で押し上げた。