5-24:君の生きる”世界”
「…この機体のパイロットは、私です…」
リヒルは、うつむくように両の手を胸の前で合わせた。
どこか叱られる前の子供のような仕草で。
『どういうことなんだ…?』
アインは混乱しているようだった。
西国の孤児院で待っているはずの自分がここにいることが、信じられないといった様子だ。
「これが、私の嘘です…。この機体は、この先、世界を救う可能性を秘めています。私は、自分から望んでこれを受け取ったんです」
『これは、ユズカ殿の”魔術”の産物なのか…?』
その問いに、リヒルは首を横に振る。
「違います。この機体は、ずっと先にある遠い場所から来たんです。―――未来から」
『未来…?』
「アイン。信じられますか? この先、人は滅びに立ち向かって、結局は全てが失われてしまう運命にあるなんてこと」
『待て、リヒル。何を言っているんだ…?』
「聞いてください。ユズカさんは、それをずっと1人で抱え込んできたんです。知っているのが自分だけだから、誰も巻き込みたくないから、ずっと1人で押しつぶされそうになっていたんです…。だから、私はユズカさんを助けたいと思って―――」
『…証拠はあるのか? リヒル』
静かな一言に、リヒルの身が縮んだ。
「証拠…」
『人が滅びに瀕するという話があって、しかしそれはどれほど先の話だ? 私達が生きている間か、もしくその先なのか? それを君自身が自覚できているのか?』
「それは…」
リヒルは二の句が繋げない。
自分は、ユズカから詳しいことを話されなかった。
知ることで、狙われるリスクがある。
そして、何より運命の軌道に何かの変調を起こす可能性があるからだ。
話して納得してもらえる証拠など、何もないのだ。
『リヒル。私達は誰もが、今を生きている。ずっと先にある運命は、自分で切り開くべきだと考えているんだ。未来が分かるなどと、言われても到底信じられはしない』
「分かっています…」
『君は、不確かな情報に踊らされていないか…? その機体もそうだ。出自を調べれば、手がかりが出てくるかもしれない』
踊らされてる…、とリヒルは呟く。
その言葉だけが、思考の中で反復する。
それはどういう意味なのか。
ユズカが、嘘をついたといいたいのか。
「…そんなこと、絶対にないっ!」
リヒルは顔をあげ、涙を滲ませて叫んだ。
コックピットから身を乗り出し、風に翻弄される金色のウェーブ髪をおさえようともせず、ただ叫んだ。
「いい加減なことを言わないで!」
いい加減なことを言っているのはこっちだ。
しかし、どうしても許せなかった。
「ユズカさんを…!」
優しかった。
強かった。
何かがうまくいったとき、それを一緒喜んでくれた。
「ユズカお姉ちゃんを…!」
謝ってくれた。
泣いてくれた。
自分とアインが戦うことが避けられない事態を招いたことを。
「悪い人みたいに言わないでっ!」
手を引いてくれた人。
自分達に勇気をくれた人を、けなされることだけは絶対に許せなかった。
未来を変える可能性。
ユズカは、それをずっと抱え続けてきた。
1人で背負うには重過ぎる使命をずっと、自分達のために。
『…リヒル。私は”S1”だ。この地位には責任が伴う。歴代の担い手達がそうであったように』
そういうと、アキュリスのセンサーに光がともり、再起動する。
同時に、武装のショットガンを動かし、そして、
『これが君への返答だ…』
発砲音が響いた。
●
『こちら”S2”。ようや調整終了か。気を持たせるなよ』
輸送艦のカタパルトに乗ったアキュリスから、壮齢の声が響く。
「す、すみません。完全に終わっていたのは、”S1”さんの機体だけだったので…」
響く声に対して、身をちぢ込めたのは、深く帽子をかぶった作業服姿のキアラだ。
『いや、君はよくやっている。よく空の状態から、短時間でここまでOS調整したものだな。関心している。カタパルト班! 遅れているぞ!』
そうはいうが、これはカタパルト班に対する一種のジョークのようなものだ。
実際は、この輸送艦のクルーは精鋭がそろっている。
”S1”の先行出撃からわずか10数分で、格納庫で半ば分解状態だった機体を出撃可能な状態までもってきたのだ。
カタパルトの調整をしていた班長が応じる。
「どうも、ケーブルのボルトが聞かん坊になってるみたいだ! この際構うな! 遠慮なく引きちぎって飛び出せ!」
『了解だ。後で酒でも差し入れてやる。ゆっくり直せ!』
「ぬかせ。酒はバーで奢ってもらう。―――全員退避!」
その声と同時に、アキュリスの後部に光が生まれ、徐々に大きくなっていく。
出力を上げながら、射出のために機体を前のめりに倒す。
「”S2”さん! 機体の武装は通常ライフルのみです! 無茶はしないでくださーい!」
『分かっている。―――”S2”、アキュリス発進するぞっ!』
言うと同時に、塗装前のグレーの機体が一気に加速を見せる。
電力供給のケーブルを強引に引きちぎり、2機目のアキュリスが夜空へと飛び立った。
●
アインの行った発砲は、誰に影響を与えることもなかった。
銃口は空へと向けられ、薬莢と煙を吐き出すに留まっていた。
リヒルは、泣きはらした表情で、目を見開いていた。
『帰って報告する必要がある。”リノセロスと交戦し、中破に持ち込むも、途中で介入してきた所属不明機によって撤退せざるを得なくなった”と』
「アイン…どうして…」
『簡単なことだリヒル。君が、私を退けたんだ』
そう言い、アキュリスが最期の武装を空に捨てた。
武器を持たず、2つの機体が、互いを見つめる。
「アイン…、私は…ユズカさんを、信じていたいんです…」
『分かっている。すまなかった。私も、ユズカ殿を疑ったことはない。ただ、君の想いを確かめたかった』
そういうと、アキュリスのコックピットハッチもまた開放される。
そこには、青年がいた。
優しい表情をした、大切な人が。
「君がその”嘘”を話してくれたとき、私もまたそれを受け入れる。その約束を今、果たそう」
「信じて、くれるんですか…? 未来のこと…、滅びのこと…を」
「違う。私が信じるのは、リヒル。強い意志を持った君自身なんだ」
「私を…」
「君がユズカ殿を信じるように、私は君を信じるよ」
リヒルの目元から、また涙が滲む。
先とは違う、安堵と、喜びで。
「1つだけ、質問に応えてほしい。―――君は、また帰ってきてくれるのだろうか?」
リヒルは頷く。
迷いなく、意思を示す。
「はい! 必ず帰ってきます。そしたら、…またデートしてくれますか?」
「デートはしたことがないだろう?」
「む…」
リヒルは、いぶかしげに目を細めるが、
「いや、私の中では、デートとは男から誘うものだと思っている。だから、今度は私から声をかけさせてもらうよ。それで許してほしい」
「なら許します」
そう言って、2人は笑みを浮かべる。
互いに守りたい人を見つめて。
そして、アキュリスはハッチを閉じる。
『リファルド殿、そして”王”。あなた方の帰還まで、”西国”はこの身を賭け、守り抜くと誓います』
『任せました。次代の”最速”の担い手よ。私は”王”をこの身を賭けて守りぬきましょう』
そして、
『リヒル。君が帰ってくるのを待っている。今度は私が君の帰る場所を守る』
「はい!」
アキュリスが、浮上するのに合わせてリノセロスがスラスターの向きを変え、ヘヴンライクスを乗せたまま遠ざかっていく。
その場に残されたアキュリスは、まだ動く右手で敬礼し、それを見送った。
『―――グッドラック』
●
”S2”のアキュリスがその場に到着したのは、その5分後だった。
その時には、すでにリノセロスも、ナスタチウムの艦影もはるか”東”の地へと旅立った後だった。
”西”の”翼”達の戦いの終結は新たなる出会いへのさきがけとなる。
滅びがいまだ身を潜める中、様々な思いが先へと誘われていく。
後戻りはせず、ただ進み続ける人類の歴史の行き先は、いまだ定まってはいない。