5ー23:”最速”の空【Ⅱ】
ナスタチウムの格納庫内で、リヒルは佇んでいた。
見上げる先にあるのは、”ヘヴン・ライクス”がある。
ユズカから託された機体だ。
その前で、リヒルはそれを使うか否かを悩む。
理由は外で行われている戦闘だ。
リファルドとアインが戦っている。
”東”に”王”を導こうとする者と、それを阻止しようとする戦い。
師が、弟子を後継者とできるかどうかの見定め。
弟子が、師を越えられるかへの挑戦。
翼同士の誇りを持った対決だ。
だが、リヒルは、
……アイン。あなたに会うのが怖い。
そう思っていた。
”ヘヴン・ライクス”の砲身を、かつてアインの乗る”スレイヴニル”に向けたことがある。
そのとき、自分は何を考えていただろうか。
未来のために必要である行為と、アインことそのどちらを重く考えていただろうか。
答えは出ず、ここに来て立ち尽くしている時間の方がずっと長い。
自分は託されている。
ユズカに頼まれたことを成すべきと思っている。
しかし、その行き先でアインと衝突したとすれば自分はどうすればよいのだろう。
答えが出てこない。
……でも、それでも…!
意を決して、機体搭乗のためのリフトに乗り込もうとした時、
「―――何をしている」
声が聞こえた。
振り返ると、そこには暗がりの中でも分かる紅い左目を持った男がいた。
エクスだ。
先ほどまでの血のついたジャケットなどは、一時的に別のシャツに着替えられている。
「エクスさん…」
「外の戦闘に介入するつもりか。よせ、あの速度での戦闘を繰り返しているところに割り込めるほど”ヘヴン・ライクス”は軽くない」
軽くない、というのは単に機体特性だけを指しているわけではない。
その存在価値についてもいえることだ。
”ライクス”シリーズの予備パーツはすでにない。
唯一その製造の知識を持つユズカも、再起できるかどうかの状態だ。
この状況で、もし”ヘヴン・ライクス”が破損すれば、後に響くリスクを伴うのだ。
場合によっては致命的に成りうる可能性もある。
出撃できるのも、あと数回程度。
リヒルにもそれは分かっている。
分かっているのだ。
「…私は、助けたいんです。みんな、助かってほしい…。みんなで笑って、また…」
歩いていたい、と。
”最速騎士”とその弟子。
両者の間には、もはや手加減など存在しない。
どちらかが墜ちるまで戦い続けるだろう。
それが、戦士というものだと。
しかし、それに無理やり納得しても、何も解決してはくれない。
「一緒に歩ける可能性があるなら、私は、それを掴みにいきたい」
「―――なら、迷うな。行け」
え?、とリヒルはエクスを見た。
いつもと変わらない。
しかし、どこかで全てを理解しているような表情をしていた。
「お前に守れるものがあるなら行け。守れずに後悔する前に動け。お前の未来を創るのは、その意思だ。この世界で生きる者として、したいことに迷うな。それが大切な人のためならな」
戦力の損失など小さいこと、とエクスは言ってくれていた。
人の意思に、その想いに替えはない。
ここにあるものこそ大切にしていけ、と。
「はい…!」
リヒルは、迷いを振り切る。
大切な人のために、今だけは自分勝手になると決める。
……ユズカさん。ごめんなさい。
コックピットに乗り込むと同時にハッチを閉じ、起動を開始する。
そして、躊躇なく武装を捨てた。
●
回転突進の余波に弾き飛ばされ、アインの意識が明滅する。
平衡感覚が乱れている。
アキュリスは、バランスを崩し、機体が地面に吸い寄せられるように落ちていく。
……姿勢を、戻さない、と…
身体に力が入るかどうか定かではない。
それでも、できなければ地に叩きつけられて終わりだ。
越えられないのか、とアインは感じた。
どこまでも先を行くあの翼への憧れは、叶わないのか。
こんな形で、去っていくことに、なにもかも納得させられて…。
……違う。こんなところで…終われない。
”最速騎士”
それは、歴代が背負い続けた称号。
”王”のためにある翼。
なら、自分はどうだ。
翼への憧れだけで、越えられないというのなら、何が必要だ。
”西国で2番目に速い男”
”最速騎士の後を継ぐ可能性のある男”
そんなことを言われても、自分は自分だ。
そして、問う。
なんのために飛ぶのかを。
自分にとって大切なものを。
……リヒル…!
自分を笑顔で迎えてくれる人がいる。
彼女に、自分の夢を話した。
いつかリファルドを越えていきたい、と。
リヒルを、自分を育んでくれた場所を守りたい、と。
全てを約束してきた。
リヒルの内に秘めた何かの迷いすら、受け入れることの出来る人間になる、と。
「…まだ…まだだ!」
アインは意識にまとわりつく歪みを、コンソールに頭をぶつけることで消し飛ばす。
機体の操作し、各部のスラスターをマニュアルで細かく制御し、姿勢を安定させる。
安定したとき、地に脚部がついた。
姿勢を落としたアキュリスは、足の関節を曲げ、地を蹴って再び飛翔する。
向かう先には、リノセロスの巨大な影を持っている。
……今度こそ、あそこまで届かせる!
アキュリスが、近接用ブレードの”イスパーダⅡ”を腰部から抜く。
武装はすでに尽きかけている。
初手からここまで、武装のみの破損に留まっているのはリファルドが手加減しているのか、それとも自分のスキルゆえなのか。
いずれにしても、ここで雌雄を決する。
自分が勝つ手段は1つだけ。
ゼロ距離まで近づき、反撃手段を封じること。
リノセロスの回転機動は、機体に大きく負担をかけるので、多用はできないはずだ。
……回避できるか、どうかが分かれ目…!
来た。
再び、ミサイルの一斉射が。
最期の囮を起動させ、切り離す。
後方へと吸い寄せられたミサイルの隙間を抜け、目標に突進する。
使い切ったミサイルコンテナも、ブレードも、軽くなるために捨てる。
「耐えろよ、アキュリス…!」
アインは、コンソールを操作していた。
タッチパネルにあるいくつかの安全装置を外し、そして表示されたのは音声認識による最終解除通告。
表示された文字は、
”出力解放”
「―――解除了承…!」
機体の出力が一気に跳ね上がる。
浮遊機関は、最大を越えた臨界へと達する。
●
……速い…!
”最速騎士”を持って、そう感じさせた。
最期のデコイの使用と同時に、アキュリスが急加速を見せたのだ。
リファルドは、反応すると同時に機体を加速させた。
……追いついてこれますか…!
巡航形態になったリノセロスが、上空へと加速する。
追うアキュリスは、膨大なブースターの光を引いてきた。
●
アインは視界にある巨大な影が加速したのを見る。
攻撃位置を変えるためこちらを振り切るつもりだ。
……追いついて見せます…!
アキュリスは、速度と化して追跡にかかる。
後方から狙撃できる武装はない。
最も、自分も加速している状況では正確な照準も難しい。
なら、あとはリノセロスの速度を越え、前に張り付くしかない。
アインは、意識の全てを速度に継ぎこむ。
……感覚を、保て…!
速度による重圧が、身体にのしかかる。
身体を正面から押しつぶされそうな重圧に耐えながら、それでも速度を落とすことはしない。
追う。
ただ追う。
リノセロスの姿が徐々に大きくなっていく。
速く。
ただ速く。
そのことだけを思考し、機体を飛ばす。
追え。
追いかけろ。
追いすがれ。
あの巨大な存在に。
届かないという考えを捨てろ。
……全力で…!
そして、
「……!」
いつしか、はるか先の空だけを見た。
夜の中、月明かりに照らされた地平。
青い山の連なりに、白い光の線が輝く彼方を。
自由な空。
それは、アインだけが到達し、手にした世界。
そして、見る。
自分のすぐ後ろ隣にある巨大な機体を。
越えていた。
ほんのわずかに過ぎなくても、今このとき、確かにリノセロスの速度を越えていた。
”最速”を得た。
『―――見事です。アイン=ヴェルフェクト』
●
来た声を皮切りに、エアブレーキをかけるのは同時だった。
アインは、それを読んでいた。
スラスター操作で、機体をリノセロスの真上へと飛ばす。
リノセロスは攻撃態勢に入っている。
見えるのは、発射前のミサイルの弾頭。
……勝機っ…!
アキュリスが、急降下した。
否、下方に加速した。
リノセロスの真上に向けられる唯一の武装はミサイルのみ。
アキュリスが、残されていた最後の武装であるショットガンを抜刀する動作で抜き、瞬時に照準する。
ワンテンポ遅らせて、激発。
リノセロスの装甲に対して、有効打になる距離にはまだ遠い。
だから、狙ったのは、ミサイルの弾頭。
「おお…ッ!」
発射と同時に拡散した弾丸の1つが、発射直後の弾頭に突き刺さり、爆音の連鎖が夜空に轟いた。
●
「くぅ…!」
至近距離での爆発の影響は、当然リファルドにも影響があった。
墜ちはしないが、それでも対G仕様のスーツを着ていない現状では、衝撃が大きかったのだ。
意識こそ、飛ばされないように気を留め、爆発後の煙から抜け出すように機体をゆっくりと降下させていく。
センサー類が狂っているのは一時的な機器の混乱だろう、と考え、前を見る。
目の前、つまりリノセロスの上に機体が乗っていた。
膝をつき、装甲もあちこちが焼けついて、各部に損傷が見られるが健在だった。
「…もう一度賛辞を。見事です。アイン=ヴェルフェクト」
話しかける声に対して、アキュリスからの返答はない。
センサーの光も消失している。
機体の出力は完全に停止している。
オーバーヒートではなく、先の爆発のダメージが大きかったのだと推測する。
すると、
『―――リファルド、殿…』
通信が来た。
パイロットは意識を保っているようだ。
リノセロスを巡航形態のままホバリングさせ、応じる。
「アイン。自力で帰還できますか? 私は、先を急ぎます」
『どうしても、行かれるの、ですか…? 』
「そうです。これはアンジェと私がそれぞれで決めたことです。それに、彼女も協力してくれます」
『彼、女…?』
言うと、アキュリスの目の前に新たな機体が降り立った。
グレーと薄い黒が入り混じった装甲を持つ人型。
リノセロスの上に静かに着地し、背面のブレード状のスラスターをたたんだそのシルエットにアインは見覚えがあった。
『この機体は、あの時の…』
陥没都市前で、戦った時はローブをかぶっていたが間違いなかった。
だが、あの時とは圧倒的に違っている部分がある。
武装が一切取り付けられていないのだ。
そして、不意にそのコックピットが開け放たれ、乗り手の姿が明かされた。
『……アイン。私です』
金色のウェーブのかかった髪をおさえた少女の姿があった。
その表情には、より強い真剣な眼差しがあった。