5-19:”未知”への道 ●
「―――ずいぶんと根回しが早いものじゃのう」
と、アンジェは呟く。
リファルド、シャッテンと共に走り、すでに目的の場所の目の前に来ていた。
すなわち、”リノセロス”専用の特殊格納庫だ。
だが、問題はその周囲にいる人影だ。
「……あれは、”知の猟犬”の部隊服…?」
リファルドが呟く。
妙だ、と感じる。
”知の猟犬”は諜報の任務のみを主とするはずだ。
”知将軍”の指示で展開するなら、正規の部隊でよいはず。
「今日のウィズダムは容赦ないのぉ…」
「…違う」
シャッテンが不意に呟く。
「違う、とは? どういう意味じゃ」
「…殺気立ってる」
どういうことだ、というのは共通の疑問だ。
しかし、心当たりがないわけではない。
「考えたくはないのですが…、まさか”知の猟犬”に…」
「すでに”狂神者”が潜り込んでいる可能性があるのじゃな…」
根が深い、という予測は当たっているのかもしれない。
”知の猟犬”が機能していないということは、”西”の目と耳は塞がれている状態にあるということ。
それもいつからだったのかすら予測がつかない。
……おそらく、ワシが”王”となるよりも前から。
ウィズダムですら気づけないほどに”意思”は隠れている。
そして、その”意思”は、アンジェに牙を向けてきている。
なら、なんとしてもこの場を離脱する必要がある。
悲しみの”意思”は見えない。
見えない姿をしたまま、静かに染み渡っていくだろう。
「…強行突破?」
シャッテンが、服の右袖からジャッキン、と刃物類を擦らして伸ばす。
「シャッテンよ。物騒なことはやめじゃ」
「…どうする?」
「蹴り倒す」
「…アンジェ、今足怪我してる。だから、無理」
「じゃあ、打撃系で」
「あなた達には戦闘回避という思考が浮かばないのですか?」
リファルドが半目の呆れ顔で呟く。
「しかし、どうにも動きを読まれとるようじゃしの。ここはガツンとかました方が意表をつけるのではないじゃろうか?」
「確かに”狂神者”でない者も混じっているかもしれませんが、それでもあなたが討たれればそこまでであることに変わりはありません。ここは慎重に行くべきです」
「しかし、どうする? 小型戦艦並のサイズを持つ”リノセロス”の整備を行っているあの格納庫は、こう距離が離れていてもバカでかく見えるのじゃ。入り口もそう多くなかろう。入り口を固められているだけでお手上げなのじゃぞ?」
「…騒ぎ起こす?」
シャッテンが、服の左袖から鎖系の凶器をジャラリ、と垂らす。
「よろしい。拷問系じゃな」
「よくありません。しまってください」
結局振り出しに戻っている。
”リノセロス”にたどり着くにはどうすればよいのか。
3人が再び思案し始めた時、
「―――おおっ!! そこにおられるは、我らが”王”ではありませんか!」
背後から大声が聞こえた。
げ、と3人が後ろに振り返ると、変態がいた。
リッター=アドルフだった。
いつものファー付きの特殊改造礼服を着込み、いつもの通りキラキラしていて、いつもどおり無駄に踊っているような動きをしていた。
「このような場所にて出会えるとは、まさに天のつかわした幸運! なら、私めが今日、この場所を、3歩づつ回りながら歩いていた事実は、まさに運命だったのでしょう! つまり、私は今日、運命に愛されている。まことに見事! 至福の至り! して、”王”よ、本日はお忍びで―――ぶはぁっ!?」
その場で、踊っている変態に、アンジェが問答無用の膝蹴りを叩き込んでいた。
蹴りの反動を利用し、バック宙で元いた位置に着地を決め、
「いたた…、傷口がひらきそうじゃ…!」
「アンジェ。今、反射だけで蹴りを入れに行きましたね?」
「じゃってじゃってぇっ! うるさいんじゃもん!」
と、アンジェは手を上下にブンブン振りながら困り顔で訴える。
「かわいらしい仕草とは裏腹に、蹴りは顔面真正面からの極悪軌道でしたが…」
「…殺してでも黙らせる、的な」
と、言っている間に、
「さすが我らが”王”! 優美なる曲線と麗しき白い肌からの強烈無比かつ容赦ない一撃! 蹴りの軌道すら美しすぎる! このリッター、今の蹴りを受け止められたこと、まことに至福の極みです! ビューティフル!」
変態が起き上がって、クルクルと回転していた。
驚いたことに、鼻先が軽く赤くなって鼻血を一筋たらしているだけであった。
どんな耐久力をしているのだろう。
「く、ダメじゃ。これでは奴を仕留められん…! もう1発いくべきかの」
「アンジェ! 身体をかがめて全力疾走前のスタイルをしてはいけません!」
「放せリファルド! 身体が勝手に動いたことにして見逃せ!」
リファルドに後ろから羽交い絞めにされ、ジタバタするアンジェ。
変態は相変わらず踊り続けている。
「お忍びとあらば、このリッターがお供いたします。”最速騎士”殿も、ご一緒されるがよい。おや、そこにいるのは”両翼”の…、となぜに武器を構えられるかな? ははは、思春期かな?」
ポーズを決めて、ビシリと指差されたシャッテンは、両袖から先ほどの倍近い量の凶器を取り出していた。
いらんところで、一触即発になっていると、
「”対象者”発見。繰り返す。”対象者”発見―――」
こちらの騒ぎに気づいた敵が、応援を呼んでいた。
応答した部隊が次々に集結してくる。
「く、なぜバレたのじゃ!?」
「…全くの謎」
「あえてツッコミませんよ」
最初にこちらを発見した隊員が、すでに銃を向けてくる。
対してリファルドは、アンジェを背に隠し、自ら前に出る。
そして鋭い視線を持って言う。
「あなたは、この方が西の”王”と知ってその矛先を向けているのですか?」
相手は応えない。
言葉による誘導を受け付けないのは特殊部隊なら当然。
しかし、リファルドは見つける。
相手の目に、それはあった。
……迷いがある。
少しだけ、目を細めたのが分かった。
そして視線が少しばかり、本当にわずかだが震えている。
迷いを、己の使命で無理やり抑えこんでいるのだ。
……少なくとも、目の前の彼は”王”を討つことに迷いを感じている。
洞察する。
後から来た者達が横並びに集結し、銃列を組む。
そして、最初の隊員が口を開いた。
「”王”よ。あなたは、この後、この世に”災厄”をもたらすとされている。正しき未来のため、ここで…消えていただく」
●
災厄、とアンジェは呟いた。
そして、
「…フ、なるほど、そういうことなのじゃな」
アンジェは、立ち上がる。
「アンジェ!? 危険です!」
リファルドの静止する間もなく、その後ろから前へと歩き、出る。
敵の縦列は歪まない。
しかし、どうだ。
誰1人として発砲しない。
それどころか、前に行くごとに敵の隊列が下がっていく。
「どうした、銃を持たぬYシャツ1枚の女がたった1人、無防備にその命をさらしているのじゃ。何をたじろぐ?」
アンジェは、不適な笑みを浮かべた。
相手を測るように視線を細め、顔を軽く傾け、腰に片手をあてる。
「正しき未来のために消えろ、と言ったな。ワシ1人の命で、すばらしく救いのある、夢のような未来が創れるというのなら、安い買い物よ。いくらでもこの命捧げてやろうぞ」
アンジェが1歩踏み出す。
「じゃが、何が正しいかなど、誰が決める? どのような未来があろうと、人は等しく苦悩し、喪失に泣き、愛しきものと共にあることを望むであろう」
そこに”王”はいた。
金色に煌く長髪を風になびかせ、両手をゆっくりと掲げていく。
「”正しい”などというのは幻想の言葉。こうあれば”正しい”などとは可能性の話。何もかもが”正しい”ことなどありえぬことじゃ。人は過つ、だからこそそれを是正し、先に進む糧とできる」
優美なる姿。
誰もがすがり、手の届かないとされる高貴な存在として、アンジェはそこに立っていた。
「そなたらはなぜ武器をとる? 守るべきは”未来”か? そんな他人名義の大儀を盾に、本来守るべき無垢な者達をないがしろにする気か!」
横に、祓うように手を振る。
それによって、場は完全に支配され、反論できるものはいなくなる。
「たとえ銃であろうと、剣であろうと、我が王道は曲げることは叶わないと知れ。無限にある可能性の1つをそなたらが知って、そのために行動しているのなら、この”王”はそれどころではない、より多く、さらに多くの未来を模索しようぞ。1つなどとちっぽけに決めて選ばぬ。より多くを探し、手に入れる。どこまでも、果てしなく! それでもなお、この”王”に挑むというのなら敬意を評しよう。そして―――」
”王”は、凛として宣言する。
「かかってくるがいい!」
●
リファルドは見る。
”知の猟犬”の心の揺らぎが強くなっている。
いや、それどころでなく、
……完全に支配している。
言霊。
”東”にある言葉。
強き言葉には、他者を圧倒する力がある。
そして、それを持つのは”王”の器を持つ者であると。
……アンジェ、やはりあなたはこのままでは…いずれ…
と思考したとき、ふと気づく。
敵の1人の銃が震えている。
そして、
「…っ!?」
引き金が引かれた。
暴発だった。
気づくのが遅かった。
声を出すにも、飛び出すにも間に合わない。
弾丸はまっすぐに彼女の身体を貫く。
そう思ったとき、
「―――はっ!」
影があった。
アンジェの前にすでに、それは立っていた。
いつ抜いたのか、先ほどまで腰にあった細剣がその刀身を輝かせている。
誰もが目で追えなかった神速の抜刀。
それは、アンジェに到達する前に弾丸を斬り飛ばしていた。
「”王”の言葉の最中に発砲とは、なんと無礼な。恥を知るがよい!」
そう言って、リッター=アドルフは剣を納めた。
発砲した本人すら、未だに驚愕しているが、リッターはそんなことなど気にも止めず、その身をアンジェへと振り返らせ、片膝をつき忠誠の姿勢をとる。
「さぁ、”王”よ。そのありがたき、エクセレントなお言葉、どうぞお続けください」
アンジェは、一歩間違えば命が危なかった状況においてなお、悠然と立っていた。
「いや、ワシから言うべきはもはや褒める言葉のみ。よくやった、リッター=アドルフ。剣捌きだけは、いつも美しいと思っておるよ」
その言葉の衝撃にリッターは、なんと!?、と声をあげ、仰け反った。
「”王”が私にお褒めの言葉を!? すばらしい! なんとエクセレント! 今日という日は、まさに運命に愛された日! 今日を私暦で”美の日その34”として記録しましょう! 今、この時を持って私はより輝かしい、ビューティフルな存在へと昇華されたということでよろしいですかなっ!?」
うむ、とアンジェは腕を組んで頷き、
「では、リッターよ。より美しく昇華完了したそなただけにしかできない任務を与えよう。”王”の特命じゃ」
「なんなりと!」
では、とアンジェに視線を向けられた”知の猟犬”の部隊が一様にたじろぐ。
「”王”に銃を向けたこの不届き者達を成敗せよ。もちろん、1人の命も奪わず、後に支障のでない程度にじゃ。それが出来たなら”あなたはすごく美しいです勲章”を授けようぞ」
その言葉に、リッターは回転しながら華麗に立ち上がった。
「なんと!? それは光栄、いや光栄の極み!! 了解! では、美しき”王”のため、この剣の冴えをごらんにいれましょう。では、そこの君達、私が”王”へ盛大なアピールと、この世で最高の勲章を得るためだ。成敗されてもらおう!」
”知の猟犬”が一斉に銃を構える。
アンジェに向けた時と違って、まったく迷いのない照準である。
フッ、とリッターが笑みを浮かべ、
「そのような黒い鉄筒ごときで、美しき私が倒れるはずがなかろう? ましてや、今の私は”王”より数々のお褒めの言葉を賜り、まさに無敵状態。そなたらには見えぬであろうが、この身体は至高の輝きを―――」
「撃てぇっ!!」
やはり容赦なく発砲が始まった。
●
「ふぅ、リッターの奴は使いやすくて助かるの」
「って、囮ですか!? まぁ、でもこの場では適任ですね」
リッターに八つ当たりしているような戦闘音が響く中、アンジェ達は格納庫内に入っていた。
アンジェは、特殊ハンガーに固定されている巨大な影を見た。
「やっぱりでかいの」
”リノセロス”
100メートル級の小型戦艦とも見まがうその姿。
元々、試作段階にあった高速戦艦の計画がおじゃんになったため、新たな改造プランを持って再建造されたワンオフ機体。
他に類のない航空戦闘機という機種名があるのもそれに起因している。
”西”における空の守護者にして、リファルドの愛機。
そして、アンジェを可能性の地へと導く翼だ。
「…これ、本当に1人で動かしているの?」
と、シャッテンが素朴な疑問を提示するが、リファルドは当然どころかそんな疑問に頭をかしげる。
「ええ、そうですが?」
シャッテンの疑問は晴れない。
実際に近くで見ると、機体のサイズがバカでかすぎる。
このサイズで最高速度がマッハを出し、なおかつ機敏な動作ができるものだろうか。
「”リノセロス”に搭載されている浮遊機関はすこし特殊でして、建造当時に偶然構築された理論が使われているんです。解体して解析しようとすると、元に戻せなくなる可能性があるので量産は出来ませんでしたが」
「ところで、ワシこれ乗るの初めてなのじゃが、客席はあるのかの?」
「当然あります。元は戦艦ですから。ただし少し揺れますよ?」
「これに関しては、お主の少しは信用できん」
「上下逆さ。急加速。急速上昇、または下降。どうです? これぐらいですよ。気を使って飛びますから、それぐらいで済ませられます」
「それよりひどいケースがあるのかい!?」
アンジェが、軽く怯えていると。
「…リファルド。お願いがある。リヒルに合流してほしい」
「いえ、あまり余裕は…」
そう言いかけたリファルドだが、シャッテンは首を横に振った。
「…大丈夫。空で合流できるから」
●
「―――ふうむ、もうお姿が見えぬとは、”王”はやはり多忙であったか。もっと決着を急ぐべきであった。私としたことが、美しくしとめることにこだわりすぎてしまったようだな。いや、まことに失敗だ。いや、ある意味では成功なのだ! ああ、興奮してくるわが身が恨めしいな!」
そういうリッターの後ろには、コテンパンにされた隊員達が山のように積み上げられていた。
全員の銃が切り刻まれ、強制分解され、なおかつ残らず気絶している。
それだけの大立ち回りを演じたにも関わらず、リッターは呼吸1つ乱すことはない。
「リッター殿。こちらにおられましたか?」
リッターが声のする方を振り返る。
「おお、我が副官よ。用事は済ませたか?」
「はい。リッター殿の計らいにより、娘の授業参観を無事に終えることができました。父親の面目も守れました。感謝いたします」
「そうかそうか。愛しき娘のために、全身全霊をかける。そなたはまさにすばらしき副官だ。私は誇りに思うぞ」
「は。ところでリッター殿。後ろに積みあがっている人々はどのような…?」
「なに、気にするな。美しい立ち振る舞いというものを無粋な者達に教えてやったに過ぎん。そして―――」
リッターが言葉を切る。
すると、その背後にある格納庫の天井が開放されていく。
風が吹く。
巨大な鳥が羽ばたいているかのような、雄雄しき風だ。
「あれは、”リノセロス”?」
副官が見上げる先、巨大な鳥は姿を現す。
プラズマ砲を搭載した長い船首。
そこから広がる胴体。
全てが優美にして、巨大。
飛翔翼をたたみ、巡航形態の”リノセロス”が空気を押しのけ、上昇していく。
「行け。”王”よ。そして、最もそれに近き”騎士”よ。私、リッター=アドルフはそなたらの旅路が美しきものであることをせつに願う。いずれ、戻ることを信じて、この剣を優雅に振るおうぞ」
リッターはあえて、その姿を見ることはしない。
自分は送り出す者であり、追う者ではない。
送り出すことを自らの使命とした以上、先を行く者の後姿に焦がれるというのは、実に美しくないことだ。
「そうであろう…? グレイス…」
”リノセロス”は、飛ぶ。
軌跡を描き、”王”を新たな地へ導く翼となって。