5-13:”神” ●
”神”
それは、いつ、どこにでも存在する。
姿なくとも。
声なくとも。
認識すらなくとも。
”神”はいる。
曖昧で。
不確かで。
すがられて。
残酷で。
正しい。
”神”とは世界そのものだからだ。
見ている。
常にそこにいて。
しかし、どこにもいない。
だが、”神”はいるのだ。
●
「―――過去世界に来て、最初にあったのは”混乱”だった」
先を行くファナクティは、そう呟いた。
「混乱…? 世界が変わりすぎたせいか?」
周辺の環境が劇的に変化したことによる、内心の驚きからだろうかと考える。
エクスも、過去に来てすぐは、実感がわかずいろいろと調子が狂っていた。
だが、
「違うよ、エクス。私達が得た混乱とは、もっと不可思議な現象からだ」
「どういう意味だ?」
その問いに対して、ファナクティは軽く息を吐いた。
エクスは知っている。
ファナクティが、頭の中を整理している証拠だと。
「エクス。”時間転移”とは人類が初めて成し得たもの。御伽話に過ぎない空想を我々は見事に実現して見せた。だが、予期せぬ事はやはり起こったのだよ」
「…何があった?」
「お前は、”神”がいると思うか?」
「思わん」
「だろうな。お前らしい答えだ」
背中越しでも、ファナクティが笑みを浮かべているのを察することができた。
「だが、その説は私が否定する。結論から言おう。―――この世界に”神”は存在する」
「なに…?」
ファナクティは、断言して見せた。
エクスも、ファナクティがこんな冗談を言う類の人間でないことは知っている。
「夢でも見たんじゃないのか? ”神”など…」
「信じるかどうかじゃない。”神”はただそこにいて、見ているだけだ。なぜなら、世界そのものなのだからな」
エクスが、眉をひそめるもファナクティの精神状態がおかしいとも思えない。
前をいく白衣の男は、それが当たり前であるかのように語っている。
彼の当たり前に話すとき、それは全て事実。
「ふん。なら”神”が仮にいるとして、それと”混乱”に何の関係がある?」
「時間転移、と言うものは、ただ時間を遡るだけではすまなかったということだ」
ファナクティが足を止め、振り返る。
「決められた歴史の道の絶対的な守護者であり、本来決して出会わず、知覚するはずのない存在。…”神”とは”時間”そのものなんだ、エクス」
エクスは、男の表情を見た。
無表情に、どこか真剣さを隠した顔だ。
それは、エクスにとって未だ辿り着けないもの。
薄い赤銅色の明かりが、その表情に深く影をさす。
「この世界、…いや”時間”には、ある法則がある。正しく歴史を進めていくために、その時間内に存在していい人間の総数はあらかじめ決まっている。それは、人が人として存在するために定められた絶対のルールだ。逆らうことはできず、そうしようとすることに意味も、価値もない」
エクスは、嫌な予感を覚えた。
ファナクティの言うことが真実なら、生じた”混乱”というものがより危機的なものに感じられたからだ。
「回りくどいぞ。何があった!?」
「最適化、と言おうか。大げさに言えば、我々はこの”世界”という題材の記録映像の出演者。本来舞台上に存在しない者だ。時間とは進み続けて、決して戻ることはない。その絶対的な法則を無視した行いは、すなわち”神”に背く行為だ。ゆえに、我々は成り代わった。この時代に存在した本物の住人に、存在を上書きされた」
分かるか?、とファナクティは問う。
「過去に跳んだことで、実在の人物としての第2の人生を与えられた。未来での自分自身の記憶と、過去に実在し上書きされた人物の記憶。その両方を持って、存在を許されたということだ」
エクスは、何も言えなかった。
意味が分からなかった。
ファナクティの言うことが本当なら、未来からの転移者は皆、自分でありながら、別人になったということだ。
「役割だよ、エクス。人は、この世に生を受けた時から、何かを果たすために決められた人生を生き、そして死ぬ。それが法則だ」
「そんなものが”神”とやらの決めたことだというのか…!」
「全くの他人と家族となったもの、見に覚えのない犯罪者となったもの、若き時から死期近いもの、様々だ。多少なり性格に影響を受けるものも現れ、結果的に皆の統一はなくなり、最終的には各地に散らばっていく結果となった」
「抗うことは、できなかったのか?」
「意志の強いものにはある程度抵抗できたようだが、結局のところ結果は同じだ。それに悪い例はほんの一部だ。たいていは、社会に順応して個別の幸福にいそしんでいるはずだ」
自分であり、他者となる。
その感覚はエクスには理解できない。
自分が自分でありながら、しかし自分でなくなる。
なら、
「……ライネは…どうなった?」
エクスは、その問いを投げかけることをためらいながらも、しかし、その先の答えを得たいと思った。
ライネが、別の存在として変わってしまったのなら、
……ユズカ、お前なのか…?
違和感の正体に、説明がつく。
ライネと似たものを感じ、しかし決定的には違う。
似ても似つかない。
しかし、どこか面影を残した彼女こそ、ライネがこの過去世界に来て”最適化”された姿だったのだろうか。
「……ずいぶんと考えにふけるようになったな、エクス」
ファナクティの声で、エクスは、ふと我に返る。
「さしずめ、”ライネがどのような存在へと変わったのか”ということについて考えていたのだろう?」
言い当てられ、視線をそらす。
先を聞くことを躊躇しようとも、しかし拒否はない。
ここまで来た。
ならば、自分は答えを得て進まなければならないのだから。
「教えてくれ、ファナクティ。ライネは…”誰”になった?」
問いに対して、ファナクテイは一度目をつぶり、そして、
「エクス、物事は複雑そうで、しかし意外と単純な結果に終わることもある」
「何を、言っている?」
「確かに”最適化”によって、”箱舟”の乗組員のほぼ全てが、”誰か”となった。しかし、必ず、どこにでも”例外”というものは存在するものだ」
「例外…?」
「この世界で数人だけが”自分”を残しての存在を許されている」
「なに…?」
ファナクティの言葉は、エクスにさらなる疑問を抱かせる。
”神”=”時間”における絶対法則を覆した者がいるというのか。
「その数人に共通するのは、いずれも”未来から引き継いだもの”を過去に持ってきていたということだ。人間が人間として持っていて、”神”ですら手を出せない―――”奇跡”。それをライネもまた得ていたのだ」
ファナクティは白衣を翻し、エクスに背を向けた。
「幾億分の1かという類稀な出来事でありながら、人1人では成し得ることはできず、しかし当たり前のように思われがちな”奇跡”。それは男には与えられなかった女だけに許された権利だ」
分かるか?、とファナクティは言う。
「この世界において存在を残した”例外”の数人とは―――」
ファナクティが少し、間を置き、そして告げる。
「―――転移前から、その身に赤子を宿していた者達だ」