5-10:”不明”への遭遇 ●
「立てますか」
戦いを終えたリファルドが、そう言って手を差し伸べる。
「バカにするでない。この程度のケガ…っつ…」
「無理はいけません。すぐに手当ての者を呼びます」
そういうリファルドに対して、アンジェは首を横に振る。
「いや、リファルド。その前に、ワシは立って行かねばならん場所がある」
衣服の数箇所に小さく血を滲ませながらも、アンジェの眼差しは強い。
「…手伝ってほしい」
「…わかりました」
リファルドがアンジェの隣に肩膝をついた。
アンジェがその肩を支えに、震える足になんとか力を込めて立ち上がる。
「…く」
痛みに耐えるアンジェに対して、リファルドは何も言わない。
彼女を支えることが彼のすべきことだ。
アンジェが視線を上げた。
見据える先には、今回の主犯たる女性がいた。
4体の機械兵が撃破された後も、その場に座り込みペンダントを握り締めてうなだれていた。
まるで、自分の殻に閉じこもっているかのように。
「…ワシは、よき”王”になる。そのために、まずは傷ついた1人民の心を救わなければいかん」
アンジェが歩くために、足に力を込める。
力を貸してくれる男の肩の広さと力強さを得て、確かな1歩を踏みだし、進み始めた。
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エクスは、隣にシャッテンを置いて待機していた。
敵の女が逃げ出さないという懸念もあり、すぐに飛びかかれる様にはしていたが、どうやらその必要はなさそうだった。
相手は、完全に戦意も気力も失っている。
戦力を失ったからというのもあるだろうが、それ以上に元から逃げるつもりもなかったという可能性もある。
……”狂神者”か。
未来世界にいた、機械以外の敵。
それは人間だった。
長い戦いは、多くの悲劇と喪失を容赦なく産み落としていく。
その過程で、生きること、人間の存在そのものを病的なまでに否定してしまう者達もいた。
さらに狂ってしまえば、機械を決して太刀打ちできない”神”として崇めるという異常な精神症状を示す事例もあったのだ。
そういった人間が裏で結託し、半ば宗教化してしまった集団が”狂神者”。
……くだらん。
エクスは、そう一蹴してきた。
人間側がどう考えようと、機械は何も考えない。
無機質に行動し、無意味に殺し、無感情に押しつぶす。
自分は、それに対抗するための存在として育成されたに過ぎない。
だからこそ、その思考回路が無意味に過ぎないと考えるのだ。
死ねば、何もかも終わり。
それだけが全ての共通点と決まっている。
……考えることをやめた人間は、機械と同じだ。
機械を”神”とする”狂神者”の集団は、見えないうちにその勢力を広げていった。
まるでコンピューターウイルスのように、徐々に人類の結束や連携を崩壊させていった。
機械の軍勢に対して、敗北する要因となったのも”狂神者”の暗躍が大きかったようだ。
軍上層部が、”狂神者”の厄介さに気がつき、排除を図ったときにはすでに手遅れだった。
軍部の7割が”狂神者”となった時点で、人類は機械に屈したと言っていい。
……貴様らも、それがわかっていたんだな。
エクスはライネの”夢”ために集まってくれた”仲間”と感じられた面々を思い出す。
エクスに負けず劣らずの変わり者ばかりだったが、強い信念を持つ者達だった。
最期のイストワール防衛戦において、”仲間”からの通信の一切が途切れた時、怒りとは違う別の感情を得たふうにも感じた。
さびしい、と似ていてどこか違う。
損失と言った計算じみた単純な考えでは片付けられない。
なんだろうか、と自問しても答えは出なかった。
●
アンジェは女性の目の前に膝を落とした。
そして、
「…っ」
その頬を平手で打った。
割と容赦ない一発の音が周囲に響いた。
女性は、打たれた左頬を抑え、アンジェを見上げた。
「…”王”…私は、あなたの命を狙った反逆者です。どうか…、相応の罰をお与えください。お願いします…」
女性は、虚ろな目のまま小さく言葉を紡いだ。
「なんじゃ。罰が欲しかったのか?」
「はい…、この場で、命を絶つことにも恐れはありません…。もう、私には何も残って―――」
と、そこで女性の言葉が遮られた。
アンジェが、女性を不意に抱きしめたのだ。
その背に手を回し、力を込める。
「命を絶つことに恐れはないと言うか」
「…は、い」
「ならば、ならば…なぜこんなにも、そなたは震えておるのじゃ…?」
「…!」
女性は、ペンダントを握る自分の手を見た。
震えている。
その後からくる、鼓動の強まりを自覚する。
自分は、一体何をしていたのか分からない。
「目を醒ますのじゃ。あの戦役で、多くの人々が大切な者を亡くした。怒りも、悲しみもあろう」
だが、とアンジェが続けた。
自らが背負っていくものを示すかのように。
「ワシらは、皆今を生きておる。過去に何があろうと、ワシらはここにいる。生きている。だから繋げていかねばならぬ。悲しみを越え…、新しい道を歩まねばならぬ」
「”王”…、私は…私の中にある悲しみに向き合い続けなければならないのでしょうか…」
女性が、ペンダントを握る力が自然と強まる。
耐えようのないこの感情をどう抑えこめばいいのか。
その答えが見えない。
「悲しみばかりを見るでない」
アンジェがそっと身体を放し、ペンダントを握る女性の手を包むように自らの手を載せる。
「そなたの兄は、自らの死後、このように苦しんでいくことを望んだだろうか?」
「……違い、ます。きっと」
女性は思い返す。
自分の兄と、最期に交わした言葉を。
”俺は、仲間と国を守りに行く。だから、お前も誰かを守れる人間になれるよう頑張れ”
「死者とは決して等しくない。生き様を知り、受け継ぎ、つなげていきたいと思う者がいることこそ、その者が生きた証足りえる。そうは思わぬか?」
女性が見上げると、そこにはアンジェの優しい笑顔があった。
とても柔らかく、そっと照らしてくれるような笑顔だ。
これが、自分よりも幼い子の笑顔なのだろうか。
父を失い、若くして”王”となった子の。
「私は…、繋げられるでしょうか? 兄の生き様を…」
「当然じゃ。そしてそこにはもう1つの生き様も加えるがよい。そなたの生き様もまた大切なものじゃ」
女性は、ペンダントにある兄の写真を見た。
その時、
「…アンジェっ!」
リファルドが叫び、アンジェが視線を上げた。
建物の側壁に隠れていた2つの影が、ローブをはためかせ、突進してきた。
「伏兵じゃと…っ!?」
その手にはナイフがある。
リファルドは、鋼剣を引き抜き敵の奇襲を止めるべく地を蹴った。
それでも止まったのは1体のみ。
抜けた1体が、まっすぐにアンジェへと突っ込んでくる。
エクスとシャッテンも気づいて駆け出しているが、少しばかり遅れている。
機兵が到達する方が早い。
アンジェは、女性の手を引いて後退しようとしたが、
「く…、足が…!」
立ち上がろうとして、しかし予想以上に消耗していたアンジェはその場で膝をつく。
見れば、敵はすでに数歩でアンジェに攻撃を届かせる位置にいた。
無機質な緑光の双眼が、自分を捉えているのが見えた。
次の瞬間には、すさまじい速度で繰り出されたナイフの切っ先が、その先の対象を貫いていた。
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「なに…!?」 「…っ」
駆けるエクスとシャッテンは見た。
機械兵のナイフが貫いた対象は、敵だったはずの女性だった。
ナイフの軌道に無理やり割り込み、自らの身体を盾としたのだ。
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「ぐ…、か…は…っ」
ナイフは、女性の右胸部を貫通し、血液を伝わせる切っ先をアンジェは見た。
「何を…、何をしておるのだバカモノーーーーっ!!」
アンジェは、痛みすら忘れ、力の限りに叫びを飛ばしていた。