5-9:”人形”劇【Ⅱ】
女は思う。
胸に下がったペンダントを握りしめ、前を見る。
……これで、いいんだ。
思い出す。
戦場から帰って来た兄のことを。
多くの負傷者がおり、彼の発見は困難だった。
屋外に設置された臨時の治療テントは無数にあった。
それでも探した。
1人1人顔を見てまわった。
まだ12歳だった自分には、大変なくらい広く感じたのを覚えている。
そして、ようやく見つけた。
テントから担架で運び出される兄を。
担架から力のない手を下げている兄を。
もう息がなかった。
泣いた。
すがりついて泣いた。
泣き続けて、少しだけ落ち着いた時、兄の手に引っかかっているのに気づいた。
それはお守りとして兄妹で買いにいった細い鎖のついたペンダントだった。
金の装飾による文字は、その時追加で彫ったもの。
兄は、女神の名を彫った、と言っていたが、それは妹の名前。
……私、守ってあげられなかった。
兄がいなくなって、心の内にはずっと暗いものが巣食い続け、それは決して晴れようとはしない。
兄は、ただの戦死者として処理されて終わるのか。
あんな優しかった兄が。
死んでしまえば、どんな人間でも一緒。
墓に入るか、戦場で朽ちるか。
……そうだ。人間なんてみんな同じ。最期は、みんな同じ…
死んで、等しくなればいい。
そんな時、”狂神者”の長に誘われた。
”組織に入らないか”と。
そして、半ば何かに憑かれたように組織に属することになった。
なんの組織かもわからない。
でも、何もかも壊してしまいたかった。
……もう、いい。どうでもいい。
暗く、晴れない思いで、ここまで来た。
今、自分は”王”に刺客を差し向けている。
見たこともない、機械人形を4体も操作する権利を与えられて。
馬鹿なことをしているという思考は、女にはない。
目の前の人間が誰であるかも、深くは考えない。
死ねば全て平等に終わる。
自分は反逆者として処罰されようが、どうでもいい。
だが、
「…どうして…?」
目の前で起こっていることが信じられない、という思いに駆られる。
「どうして…どうしてよ!」
戦っていた。
鉄の機兵4体を相手に、たった2人の人間が立ち回っている。
しかも”王”は、未知の機兵など眼中にない。
……私だけを見てるの…?
”王”は進もうとしていた。
その眼差しにあるのは咎めではない。
反逆者を断罪する意思でもない。
”ひっぱたいて目を醒まさせる”
”王”はそう言った。
本当にそうしようとしているのか。
そして、1体の機兵の後方に火傷痕を持つ男が滑り込む。
奪ったナイフの刺突を、持ち主であった機兵の腰部に叩き込む。
装甲に覆われているはずの頑強な機兵がいともたやすく無力化され、崩れ落ちる。
仕留められないどころの話じゃない。
……止められない…?
胸のペンダントを握り締める。
兄の形見は何も語ってはくれない。
●
エクスは、引き抜いたナイフを見た。
「脆い。安物か…!」
1体目を機能停止させるために、腰部の急所に突きいれてひねり、中枢をズタズタにできたものの代わりに刃は砕けている。
「やるの! エクース!」
と言う先には機兵の攻撃を跳びまわって回避するアンジェがいた。
敵の女の指示に従い、アンジェを集中して狙っている。
アンジェもそれが分かっている。
だから自身は回避に専念し、その間にエクスが1体ずつ処理する流れだ。
ち、と折れたナイフを捨て、エクスは2体目に挑みかかる。
機械兵の反応はすばやい。
振り向きざまに手にしたナイフを突き入れてくる。
身をかがめて回避し、懐に飛び込むと、
「それをよこせ!」
比較的脆い手首部分に、肘と膝を上下から同時にぶち込む。
交差法の強力な衝撃によって、機械兵の手首が千切れる。
握る力の失ったことで落ちたナイフをエクスがキャッチし、さらなる踏み込みから2歩のステップだけで一気に機械兵の背後をとり、
「墜ちろっ!」
またも腰部後方にナイフの刺突を入れた。
2体目が沈黙し、崩れ落ちる。
エクスは、それを見届けることもなく次に向かうが、
「くそ…!」
見る先、アンジェが倒れていた。
足からの出血が遠目にも分かる。
3体目がエクスに振り向く。
深いスリットに隠れた丸い双眼の無機質な光と、エクスの視線が交差する。
「どけ! 機械が!」
幸い、今奪ったばかりのナイフは無事だ。
そのまま切り結べる。
だが、
……間に合わん…!
●
「―――く、やはり通じぬか!」
アンジェは、無事な片足の跳躍と、バック転などを駆使しなんとか時間を稼ごうと動き回る。
その身体にはすでに10以上の切り傷を刻まれていた。
踏み込みから、動作の鋭さ、容赦のなさまで何もかもが異常なほどに正確だ。
機械人形の開発は、リッター=アドルフが後ろ盾である技術部で開発されているのは知っていた。
そして実際に見る機会もあり、試作型も見た。
その上で、今の敵を見る。
……これは進んだ技術を用いておる。
敵の刃が来る。
斜め上からの一閃を、片足だけで跳んで回避しようとしたが、
「つっ…!」
膝の切り傷からきた瞬間的な痛みが、わずかに動作の遅延を招く。
斬閃がアンジェの肩に入った。
……まだ、浅いわ!
衣服の肩口が切り裂かれ、少なくない出血が皮膚を伝っていく感覚がある。
機械兵の攻撃は止まらない。
緑光を尾として引く双眼が、常にアンジェへと向けられて離れない。
殺意がなくとも、一振り一振りに絶命の動きをのせるナイフは、回避能力の低下したアンジェの身体に小さくも確実な傷を刻んでいく。
切り傷ができる度に、アンジェが苦痛に顔を歪める。
……これが、あやつの痛みか…
アンジェは、この状況下においてなお、遠くに立つ女性を意識する。
大切な人を亡くしたと言った。
それは、埋めようのない喪失だ。
死んだ人間は、2度と戻らない。
隣で褒めてくれることも、笑ってくれることもしてはくれないのだから。
アンジェもそうだ。
先代”王”の死は、父の死。
本来は、幼い自分も受け止めることなどできないはずだった。
だが、リファルドがいた。
彼がいなければ、自分はここに立とうという存在にはなれなかった。
……戦いが終わり、父の死を知り、塞ぎこむワシの元に来て、お主は言ったな。
”あなた様が、よき”王”となれるようこの命を賭し、おそばに仕えます。それが、先代”王”への手向けであり、アンジェ様への贖罪であり…、私の願いです”
疲弊し、傷つき、それでも帰って来てくれて、自分と一緒にいてくれると言った。
……リファルド、ワシは嬉しい。おぬしが、そばにいてくれる時が一番嬉しい。
親しきものが共にいる。それがいかに幸福なことかを知っている。
「ワシは伝える! 伝え続ける!」
アンジェが、上着を脱ぎ、敵に向かって投げつけた。
時間稼ぎだ。
しかし、そのわずかな時間は、己が誇りを放つために必要な時間だった。
「知れ! 汝らと共に”王”はあると…!」
●
エクスは、3体目の機械兵と切り結ぶ。
機械兵は、学習している。
2体目が倒された時点で、時間稼ぎに徹しているのか不用意な踏み込みを見せない。
……カウンターを狙える状況ではないか…!
エクスが一気に加速する。
地面すれすれを跳ぶように駆け、機械兵に肉薄する。
鉄の身体を持つ敵は、わずかに後退しつつも左右の回り込みから背後をとらせるような隙はみせようとしない。
だが、
「そこだ…!」
機械兵の身体が宙を側転させられた。
足払いだ。
後退でわずかに浮き上がった機械兵の足に、エクスが力任せの蹴りをかけたのだ。
人間相手ならともかく、重量がある機械兵には、通常有効ではないが、
……浮き上がった状態を蹴り飛ばすのに重量など関係あるまい!
体勢が崩れた、機械兵の頭部に真上からナイフを叩き込む。
頭部は装甲が薄く、腰部に続いて確実な急所だ。
「3体目…!」
と、声をあげた時、
「―――くあっ…!」
アンジェの声がした。
見る先、機械兵の蹴りがアンジェの腹部に入っていた。
細身の身体が、吹き飛び、地に打ち付けられる。
当然だ。
アンジェは、初めて機械兵と遭遇したのだ。
いくら体術に秀でていようと、正確な対処法を知らない彼女では鉄の身体を持った兵士に太刀打ちできるはずがない。
「くそ…!」
エクスは、その場を蹴って駆け出す。
だが、即座に起き上がれないほどにダメージを受けているアンジェは、腹をおさえたまま動けないでいる。
そこに機械兵が無慈悲な刺突を真上から突き入れる、が、その直前、
「!?」
刃物の雨が降り注いだ。
刀、ナイフ、蛇腹剣、鉤爪、鋼剣。
どれも見たことのあるものだ。
「シャッテンか!」
空にあった小柄な影は、アンジェと機械兵の間に着地すると同時に、袖から新しくククリ刀を引き出して構えをとる。
降り注いだ凶器は、機械兵の動きをとめ、距離を開かせるのに充分な働きをした。
そして、凶器の束からアンジェを守っているもう1つの影がある。
彼女の上に覆いかぶさるように防弾仕様のコートをはためかせる男、リファルド=エアフラムだ。
●
「……遅いぞ、我が騎士。少し…居眠りをしてしまっていたではないか…」
抱きかかえられ、そう皮肉を言ってくるアンジェを見て、リファルドはため息をつく。
「まったく…あなたはいつもそうです。1人で突っ走っていってしまう」
「だが、いつも迎えに来てくれるではないか。だから、ワシは安心して突っ走っていけるのじゃよ」
「では、ここからは遅れた私めに後を任せてくいただきたく思います。我が偉大なる”王”よ」
リファルドは、脱いだコートをアンジェにかけ、その身を立たせる。
「ああ、行け。我が愛しき”最速騎士”リファルド=エアフラムよ。その力、ワシに見せよ」
「感謝を」
リファルドは歩き、シャッテンの元までくる。
目の前、数メートル先に距離をとった機械兵がいた。
こちらの様子を伺っているのだろうかとも思ったが、すぐにこちらへと向かってきた。
「…シャッテン殿、武器をお借りします」
言うとリファルドは、シンプルな仕様の鋼剣を1本、地から引き抜き、正面に構えた。
柄を両手で持ち、構えをとる。
「決して手は出さないでください。あの敵は、私が打ち倒します」
と告げてくる。
シャッテンが頷き、一応フォローに入れる体勢をとるが、リファルドの目にはもはや眼前の敵以外の姿は映ってはいない。
自分の後ろには、”王”がいる。
ならば、
「”王”に向かう敵に、私は一切の容赦をしません!」
機械兵が、一瞬身体を揺らしたかと思うと、一気に加速してくる。
対して、リファルドは剣を正面に構え、歩みを進めていくのみ。
そして、
「っ!」
機械兵と”最速騎士”が交差した。
一瞬だった。互いに得物を振りぬいた姿勢で止まっている。
止まっていた時間が動き出したのその数瞬後。
「終わりです」
機械兵の胴体が割れた。
横一文字に断ち切られ、胴体がずれた位置から火花を吹き上げた鋼鉄の兵士は、鉄塊と成り下がり、2つになって砕けて果てた。
崩れ落ちた残骸に対して、リファルドは振り向かず剣を一振りし、地に突きたてた。
「私は”王”の守護者”! そのいかなる敵をも滅ぼす”最速騎士”!」
男は、自らの誇りを空に向かって放った。
「この力の命は、我が”王”のためここに在り!」
次回:”不明”への遭遇