5-7:”虚偽の悪意”を追いて ●
「秘密の頼みごとにきたのじゃよ」
シャワーを浴びた後のラフな格好のままソファでくつろぎながら、西の”王”アンジェリヌス=シャーロットはそう言った。
「まあ、そういう話で来るのは分かってたわ。どうしてエクスと戯れてたのかは知らないけど」
とユズカは、半目でため息をついた。
「そこはワシの趣味じゃ。男の器を計るなら、腕っ節の鋭さを見るのが手っ取り早い」
「で、どうだった。私の”騎士”は?」
「なかなか腕は立つようじゃが、かなり卑怯で姑息じゃの~」
「でしょうね。私もそう思うわ」
と、ユズカの視線は、腕を組んで壁に背を預けて、不機嫌そうな表情の男に向けられる。
「悪かったな。そういう性分だ」
「ユズカよ。どうしてあやつを”騎士”に…」
アンジェは、途中で言葉を切った。
理由は、ユズカが少し視線をそらしたからだ。
本人は無意識だろうが、その場合は追求して欲しくない意思の表れであると、アンジェは理解していた。
アンジェにとってユズカは、年上だが気兼ねなく相談できる友人でもある。
立場的には、”王”とその直属の配下である”魔女”という主従の間柄であるが、それくらいの気配りはするというものだ。
「…いや、お主のことじゃ。何か理由があるのじゃろう。深くは尋ねんことにしようかの」
「ありがと。で、秘密の頼みごとって何かしら? まぁ、いつもどおりだと思うけど」
「うむ、西の現状については、ここの皆が知っておるとは思うが…」
「知らんぞ」
エクスが即答で割って入る。
未来人なので分からない。仕方ない。
しかし、そんな事情をアンジェが知るはずもなく、半目でエクスを見て、
「…ユズカよ、こやつは人が不可侵の樹海の奥に人間不信で立てこもって俗世からアウェイして修行でもしてたマジ原始人かの?」
「ええ。そんなところよ」
ユズカが笑顔で即答。
エクスは、眉間にしわを寄せつつもツッコまなかった。
いちいち否定してたら話が進まないからだ。
アンジェはため息をついた。
説明するのが面倒臭くなったので、別の人間に説明させようと思う。
その第一候補として、ソファの後ろに立つ自らの騎士へと視線を送った、はずだったが、
「リファルド~…ん? あやつどこにいった?」
いなかった。
すると、奥の方のキッチンから、
「―――ほぉ、この紅茶はすばらしい。アンジェにもご馳走したいので、入れ方をぜひ私にも教えていただけますか、リヒル殿」
「―――いいですよ~。その代わり、アインの仕事休みへの根回しをお願いしますね~」
そんな会話が聞こえた。
全員が、そんな声の方へと視線を向け、それが次にアンジェに移り、
「ユズカ~。友達じゃろぉ~。親友じゃろぉ~?」
ソファのアームレストに、顎を乗せ、腹ばいになったスタイルで”魔女”に甘えてきた。
ユズカは、丸投げよね…、とため息をつき、説明を代行した。
「……”西”には、今妙な噂が広まっているのよ。”朽ち果ての戦役”についてのね」
「”朽ち果ての戦役”…15年前の、東と西の間にあった大規模戦闘のことか?」
「なんじゃ、それは知っておるのじゃな」
「ああ。中立地帯では発端が諸説あって特定できていない部分が多い、と聞いている」
エクスが開示した情報に対して、アンジェは少し眉をひそめた。
「…それはどこからの話じゃ、原始人」
「エクスだ。情報源は中立地帯代表。名は言わずとも知っているんじゃないのか?」
「ヴァールハイト、か…。なるほどの…。”中立地帯”ではそう言われとるのじゃな…」
「中立地帯では…、とはどういう意味だ?」
「”西”と”中立地帯”の持っている見解が異なるということよ。この”西”において、かの戦役の発端として言われているのは…”東”からの一方的な戦線布告と戦闘行為の開始と言われているわ」
「そちらが真実のいうわけか?」
「知らないわ。その頃、私は”魔女”じゃなかった。後方でいそいそと技術研究に没頭するいたいけな少女だったのよ? 最前線の事情は完全には把握できていない」
うむ、と頷いたのはアンジェだ。
「ワシも同じじゃ。まだ20にも満たない身なのでな。子供心がついた頃ゆえ、リファルドから聞かされた一部しか知らぬのじゃ」
「”最速騎士”か…、最前線に立った奴からその戦場はどう見えていたんだ?」
「正確には飛んでいたぞ」
「どうでもいい。ちょうどこの場にいるなら、聞かせてもらいたいところだ」
と、言った矢先だった。
「―――聞かせることはかまいませんよ」
と、紅茶のカップを2つ持ってきたリファルドがアンジェの傍らへと帰って来た。
リファルドは、片方のカップをアンジェにそっと手渡した。
「お、これは良い香りじゃな」
「いい淹れ方を教わりました。今度、宮殿の侍女達にも教えておきましょう」
「うむ、頼むぞ」
「おい」
「あ、すみません。繰り返しますが、この場で聞かせることはかまいません。しかし、私はおそらくほぼ何も知らないに等しいと思っています。エクス=ゲンシジンさん」
エクスでいい、ととりあえず修正しておく。
……名前を記憶されないというのは思いのほか面倒だな。
どこかの巨乳メガネが思い浮かんだが、今は意識の隅に追いやって続ける。
「知らない、とはどういうことだ? 貴様は最前線に立っていたはずだろう」
問いに対して、リファルドが見たのはアンジェだ。
アイコンタクトの様子を見れば分かる。
……開示していいのか、という確認を行っているな。
一応機密扱いにはなっているらしい。
当然と言えば当然。
国同士の戦いが起こり、その詳細が不明なまま。
不明瞭なまま、不確かな情報を交わせば予期せぬ混乱が広がる可能性もあるはずだ。
アンジェは”王”。
この国を最も上から見る重き使命を負った者。
……これ以上は無理か。
「ん~? 別に良いぞリファルド。言っちゃえばよいのじゃ。それそれ」
予想が外れた。
アンジェは、意外と軽い”王”であった。
「おい…」
「アンジェ、今さらっと問題発言してない?」
ユズカとエクスが、同じような半目の視線をそれぞれ送るが、
「そうかの? 別に良いではないか」
あのねぇ…、と言いかけたユズカだったが、そんな2人を置いて”王”から情報開示の許可を受けたリファルドが話を再開する。
「え~、さっきの続きですが、ほぼ何も知らないというのは紛れもない事実です。最前線での視点など狭きにしかり。私は戦場へ参入すると同時に”東国武神”との戦闘に入り、終結まで戦い続けていましたので。今思えば、見事な足止めどころか、逆に墜とされそうな危うい状況にまで持っていかれましたから、余裕がなかった言えば言い訳にもなります。ともあれ、全て戦況については先代”王”にしか分かりえないことで―――」
と、いいかけてリファルドが言葉を止め、目を伏せた。
アンジェとユズカ以外の周囲が、どうしたのか、という表情を浮かべる。
「よい。ワシは気にしておらぬといつも言っておるじゃろうが…」
まったく、とアンジェはため息をついた。
「まあ、先代”王”。とりあえずワシの父であるアルカルド=シャーロット。そして東の”長”イスズ=シノノメが戦死したことで、一応の終結を見た。…いや、終結というのは正しくないかの。正確には停戦状態と言える」
「それは理解している。では、先に言った”西”に広まる噂とはなんだ?」
「”東”が発端であるという当初の説を覆そうとする動きがある」
「覆す、とはどういうことだ?」
「よいか原始人。互いに対立してきた”西”と”東”の長き歴史において、双方に正義があり悪はない。しかしそれは理屈で見た場合の話じゃ。いざ戦うとなれば、相手側が悪であると考える必要がある。それは何故かの?」
「決まっている。自らに正義があると思いこまなければ戦えないからだろう」
「そうじゃ。争う、ということは自らが正しいと示すこと。正義は我にありと知らしめることじゃ。”西”では、その根底が揺るがされようとしている。すなわち、”西”こそが悪であると。停戦から今に至るまで、発端が曖昧であったがゆえにどちらを悪ともせずにあった世界のあり方が揺らぎかけておるのじゃ」
アンジェは、紅茶を一口飲み、つづける。
「原因が明かされたとなれば、追求せねばならぬ。そして、その結果は民衆に大きな感情の波を与えるであろう。もしも、自らの国が”悪”であったとするなら、な。混乱も起きるじゃろう」
「その原因になりつつあるのが、例の”噂”か…。どういった内容だ?」
「簡単よ。とっても単純。”朽ち果ての戦役の始まりは西の先代”王”が引き起こしたものである”と」
「15年間、”西”を正義としてきた民衆が、噂程度で揺れ動くものとは思えないがな」
と言うエクスに応えたのはユズカだった。
「―――曖昧で見えない真実と具体的で合理的な嘘。民衆はどちらを信じると思う?」
「どういう意味だ?」
「”噂”を広めている連中は、どうしてか分からないけど”朽ち果ての戦役”をよく知っている。もしくはそう思わせる何かを持っているのよ。先代”王”と共に封じられた真実を知っている可能性がある。巨大な戦闘は、それだけ多くの傷痕を残したわ。身体にも心にも。当時生き残った兵のほとんどは、今復帰できない状態にあるくらいよ」
「嘘であるにしろ”朽ち果ての戦役”における真実は現”王”であるワシも欲するところじゃ。故に、その連中の正体を見極める必要がある」
アンジェとユズカは、以前からこの件について調査していたようだが、まだ尻尾をつかめていない。
しかし、エクスはこれと似たような状況を以前経験したような感覚を得ていた。
……ありもしない、しかし民衆を惑わす声か…
「初めは御託に過ぎない”噂”も広がり、浸透すれば”真実”と錯覚される。国とは民が創るもの。その民を扇動する輩には少々きつい仕置きも必要じゃろうな」
「…”王”が違うと否定すればいいだけではないのか?」
「言ったじゃろう。この件に関しては分かっていないことが多すぎるのじゃ。曖昧な真実をいくら声高に叫んだところで、合理的な嘘は打倒できん。”噂”とやらに過剰に反応すれば情報を隠そうとしてる、ともとられかねんしのぅ」
アンジェが、ソファから立ち上がる。
「民のため、そしてワシ自身、真実を得たいと思っておる。ほぼ2分されたこの世界に、何かが起ころうとしておる。それに立ち向かい、正しきへと導くことが”王”であるワシの務め。先代が残したものが”負”であったとしても受け入れる。では、…いざ、行くのじゃ城下町!」
と拳を突き上げるアンジェだったが、
「…アンジェ。あなたは帰りなさい」
「な、何故じゃ!?」
「珍しくまじめなこと言ってたけど、半分遊び入ってるでしょう」
「そ、そーんなことはないのじゃぞ!? けっして街の隠れたクレープの名所に行きたいわけではない! ましてや牛一頭食べ放題のお店狙いなどとは決してありえぬ話じゃ!」
「えっと知将軍への直通方法は…」
と、ユズカが手首の端末を操作し始め、
「させんのじゃーッ!」
アンジェが飛び掛った。
手首をつかみ、細かい操作を封じる。
「あ、ちょっと!? やっぱりそうじゃない! 放しなさい! あとで説教3倍増しになるわよ!?」
「構うものか! ワシは”王”! 徐々に狭められつつある監視包囲網を抜け出してきたこの身の上。説教など恐るるに足らず! いや、できればないにこしたことはないがの!」
「”王”関係ないでしょ! いい加減にしなさい! あなたが街に出てきたなんて知れたら、それこそパニックものだわ! ”最速騎士”! 見てないで―――、て、ちょ、やあっ!? どこさわってるのよ!?」
「ふふふ、お主はここが弱いのじゃろう~。ほれほれ、どうじゃ降参か!?」
「こ、こんなひ、卑怯、よ! ひゃぁっ!?」
「それそれそれそれ!」
アンジェとユズカがもみ合っている状況を傍目で見つつ、エクスはリファルドに歩み寄る。
「…いいのか?」
リファルドは、その言葉だけで理解し、返答する。
「ええ、いいんです。私は”最速騎士”。歴代の”王”に仕えてきた忠実な者。彼女の正しき選択を支持し、その結果でいかなる危険があろうとも守り続けます」
エクスは感じる。
この男の生きる上での率直さを。
自らに重ねたとき、ライネのことを思い出す。
この国のどこかに彼女はいる。
そして、もう1つ思い出したことがある。
……まさか、あの連中がこの過去世界に来ているのか?
未来で戦った敵は機械だけではなかった。
”虚偽の悪意”
真実を隠し、偽りで塗り固め、しかし人の感情の根本を利用した者達がいたのだ。
……見極めるべきは俺も同じか。