5-6:その人、一般人?【Ⅱ】 ●
エクスが、庭の草木の間を走り抜けていく。
それを追うのは、
「それそれ、どうしたのじゃ? そう逃げていては対戦になるまいて!」
金の長髪を後方に流して、駆ける女だ。
速度は、同等見える。
しかし、足技を得意とする女の方が、挙動が軽く、明らかに余裕が伺える速度だ。
……機動力、運動能力も女とは思えん。いや、女だからこそ、か。
男と比較して、女は筋力といったパワー面を突き詰めた場合、敗北する。
だが、それはあくまで真正面から同じ力比べをした状況に限る。
戦いとは、力よりも技術の方が優勢を得られるものだ。
エクスは、追われながら反撃の手を考える。
最初の攻防で、すぐに転身したのは、間合いと技量の差を感じたからだ。
純粋な戦闘能力で言えば、エクスには相当な分がある。
だが、戦闘能力と言うのは、武器の使用も前提とした総合で言う話だ。
本来、エクスの戦闘は武器を持ったことが前提。
体術に関しては達人級とも言われたが、単純な肉弾戦で見る限り、その分野を突き詰めた人間に対しては不利な立場にある。
……公正というのは、俺には馴染まない言葉だな。
はっきり言って、エクスは勝利に対してあまり手段を選ばないタイプだ。
だまし討ち、闇討ち、不意打ちをよく行う。
それを好むわけでもないが、確実な勝利のために必要な手段は全て行使するのである。
……不公平な状況、作ってやるさ。
エクスは走る。
女が追う。
その行き先は、
「おい! こら! そこは花壇じゃ! 花を踏むでないわ!」
エクスは無視して、飛び込んだ。
いくつかの花を踏み散らし、立ち止まり、後方へと振り返る。
女は立ち止まっていた。
花壇に入る前に、自身にブレーキをかけていた。
「どうした? 対戦場所を移しただけだ。ここで心置きなく戦わせてやる」
エクスは、微笑を浮かべた。
「うぬぅ…、騎士の風上にも置けぬ奴! そこから出てくるのじゃ!」
女は、両拳を握って上下に振りながら、地団駄を踏む。
「騎士など、”魔女”が勝手に名乗らせているだけに過ぎん。俺には俺のやり方がある。どうした? こないのか? 不戦勝になっても俺はかまわないところだがな」
「むむぅ…、外道め!」
「何とでもいえ。そのためらいこそ…」
エクスの邪悪な笑みが強まり、同時に、
「…貴様の敗因だ」
地面から水が噴出した。
「な!?」
女が驚くのもつかの間、花壇の周囲に霧状の水が散布されたのだ。
芝生用の霧水散布装置が、作動したのだ。
「この装置は、定時ごとに一定の場所で作動するようでな。ここに来て数日で、作動場所と時間は熟知している」
もちろん、花壇の中に水は散布されないように配置されている。
花壇の花に水をやるのは、人間の仕事だからだ。
いわば、エクスの飛び込んだ場所は、水の入らない結界というわけである。
ちなみに、孤児院の子供達はこの霧水散布装置の作動を狙って水遊びをしているようだ。
「お、の、れーッ!」
散布される水から逃れるように、ずぶ濡れ女が花壇の中に飛び込んできた。
花をいくつか踏んだことに苦い顔をし、足元を見る。
「あぁ…これは、叱られるのぅ…」
「どうする、花壇で暴れてでも続けるか?」
「くぅ…、花壇を荒らし、草花を荒らす、この外道で卑怯者の原始人め。ワシがじきじきに裁きをくれてやるのじゃ!」
女がエクスをビシリと指差した。
反対に、エクスはフッと軽く微笑し、
「先に言った。何とでも言え。先に名乗るのは貴様の方になりそうだな」
後方へと土を蹴った。
間合いを詰めるのは一瞬だった。
「く、この―――ッ!?」
女が、反撃で足を振りぬこうとして、
……く、水のせいで重い!?
気づく。
水を浴びた分、衣服が全て重くなり、挙動に影響を出している。
反対にエクスの服には、多少の湿りがあるのみ。
まともに水をかぶった女とは、その動きの鋭さには圧倒的な差が生まれていた。
「ここまでだ…!」
流れは、エクスに移った。
エクスが、繰り出した拳を女が上半身を左右に振って回避する。
しかし、それは本命前の軽い2撃。
左拳を回避するため、左に身を反らしたところに、強力な回し蹴りが奔る。
まともに入ればクリーンヒット、防御されれば、
……体勢を崩すことになる。
女は、防御を選んだ。
細い腕では防御しきれないと判断してか、片足の膝を屈曲させ、跳ね上げた。
そこに、回し蹴りが衝突。
ダメージは軽減された。
しかし、
「くぁ…!」
女は、衝撃を受け止めきれず、花壇の中に倒れこむ。
泥を跳ね上げ、背から落ち、思わず息を吐き出す。
……とどめだ!
エクスが、最期の一撃として、拳の振り下ろしで追撃をかけた。
だが、その時、
「―――アンジェ!」
新たな声が聞こえた。
それと同時。両者の間に、人影が割って入った。
その人影は、男だった。
男は、エクスの拳を手のひらで受け止め、弾き返すと、
「はっ!」
気迫を込め、反撃の肘打ちをエクスの腹部に打ち込んできた。
ち…、と舌打ちするも、エクスはすでに防御していた。
同じく、手のひらで肘を受け、後方に大きくステップすることで威力を大幅に軽減させた。
その勢いで花壇から出たが、すでに霧水散布装置の作動は、停止している。
追撃を警戒し、構えるエクスだったが、
「アンジェ! 大丈夫ですか!? 死んではいけません!」
「勝手に殺すな、バカモノ」
泥んこまみれの女が、男に抱きかかえられ、コントをしていた。
どうやら、互いの存在が興味の優先であるらしい。
「おい…」
とエクスが声をかけるも、2人は聞こえていない様子で、
「やはりここにいましたか。探しましたよ。だいたい分かってましたが」
「ふふ、おぬしはいつもながら勘が鋭い男じゃ。それでこそ我が騎士じゃの」
「さて、帰りましょう。説教が待ってます。よいしょ、っと」
「あ! 待つのじゃ!? ワシは今日は用事があってきたのじゃぞ!? ええい! このお姫様抱っこをやめい! すごく残念じゃけど解放するのじゃ! はーなーせー!」
エクスは、構えたまま半目で相手を見ていた。
……こいつらは何をしているんだ?
見る先にいるのは、男に横抱きにされ、その腕の中でジタバタ暴れる女。
さっきまで戦闘は何だったのかという気分になっていた。
「おい…」
再度、声をかけると、
「あ、そうじゃ! おい、そこのお前! ワシに名乗らせたかったら助けるのじゃ!」
女が要求してきた。
エクスが、わけがわからん、という状態になっていると、
「失礼。そこの方、アンジェが失礼を。しかしこの件は内密にお願いします。外に漏れると、いろいろと噂が生まれてしまうので」
男の方から声をかけてきた。
まるで、こちらを知っていて当然、という感じだ。
「誰だ貴様は…、いや貴様ら、だな」
その質問に対して、男は目を少しばかり丸くした。
「重ねて失礼。あなたは西国の人間ではないのですか?」
「まあ、そうだが…、どういう意味だ?」
「いえ、それなら知らないこともあり得るのでしょうが…」
「?」
会話がかみ合わず、互いに首を傾げていた。
するとそこに、
「―――その男は、知らないのよ。世間知らずで有名な男だから」
ユズカが歩いてきた。
傘をさし、後ろにシャッテンとリヒルを連れている。
お、と声をあげたのは、未だに抱きかかえられたままの女だった。
「ユズカ! 約束どおり、おぬしに会いに来たのじゃ! 助けてくれぬかのー!」
ユズカは、ため息をつくが、
「そうね。そういう約束もしたわね。ここで会った以上、私も協力しないとね…」
それに反応したのは男だ。
「どういうことですか? ユズカ殿?」
「あなたにも事情を話す必要がありそうね。場合によっては協力してもらう必要があるかもね。…”最速騎士”リファルド=エアフラム」
その言葉に、内心強く反応したのはエクスだった。
……”最速騎士”だと?
この西国における3大戦力の呼ばれるうち、その2つがこの場にいる。
その事実は、エクスに次の疑念を抱かせた。
それはすなわち、
「おい、女。貴様は何者だ?」
その声を受け、男の腕の中にあった女は、ふふ、と笑い、
「リファルド。一度降ろせ。なに、逃げたりはせん」
リファルドは一瞬、ためらったがユズカの頷きを見て、それに従った。
身体を傾け、女の足先を丁寧に地に降ろす。
女は、直立し仁王立ちで腕を組む。
威風堂々。
おのれの存在に誇りを持って、高らかに告げた。
「ワシの名は、アンジェリヌス=シャーロット。この西国における現”王”じゃ。少し冷や汗をかいたが、楽しい対戦であったぞ。え~…原始人!」
「…エクス=シグザールだ」
”王”
西国において、最高の位を持つ存在。
以前から、話は聞いてはいたが、
……まさか、女だったとは…
「自己紹介は終わりね」
と、ユズカが動いた。
数歩進んで、エクスの横に立つと、
「で、花壇を荒らしたのはどなた?」
笑顔で言った。
そいつ、とアンジェがエクスを指差した。
「そうなのー」
ユズカの笑顔が、横に向く。
エクスは、その視線から顔を背けた。
その数秒後、電撃を食らった男の叫び声が周囲に響き渡った。