5-5:”知将軍”
宮殿。
そこは、夜になれば、街とは別の意味で静まり返る。
侍女も、召使いもほとんどが眠りにつく。
起きているのは、番役の兵のみ。
「星がこうも映えるのは、久しぶりのことであるな」
書斎にして、専用の空間。
ガラスの天井越しに、夜空を見上げる”知将軍”ウィズダム=ケントニスは、上質なロッキングチェアに背を預け、自身で注いだ紅茶を口にしていた。
実に優雅な時間だ。
普段はこうはいかない。
なぜなら、
……ゆっくりしようにも、今日もトラブルが絶えなかったのである。
弾薬の技術部で、遊び半分でつくった花火が爆発して大騒ぎになったので説教した。
ライド・ギアに夫婦喧嘩の再現プログラムを組み込んだせいで暴走騒ぎになり、ハンガー1つが壊滅したので説教した。
偶然部屋に行ったら、”王”が窓から外に抜け出そうとしてたので説教した。
「若者は無鉄砲なくらいがいいとは思うが、どうも、こう加減を知らん輩が多すぎるのである」
そうぼやきながら、紅茶をすすった。
すると、
「―――お疲れですか?」
声がした。
来たか、とウィズダムが振り返り、その人物と視線を合わせた。
「うむ、時間通りである。―――ファナクティよ」
ファナクティと呼ばれたのは、初老の男だった。
少し後方に長く、白に近い銀髪を後ろで結んで、研究者らしい裾の長い白衣をきっちりと着こなしている。
「知将軍殿の召集であるなら、早くくるも、遅くくるも失礼にあたるかと思いまして、今、参りました」
ファナクティは、特に表情も変えずに淡々と言葉を告げた。
「礼儀正しきこと、まことによし。では向かいに座るがよいのである」
頷き、ファナクティは歩を進め始めた。
ウィズダムは、テーブルの上に置いてある装飾の施された銀製のティーポットの取っ手を持ち、事前に用意していたもう1つのカップに、新たな紅茶を注ぐ。
「お主は、甘い方を好むのであったな」
「そうですね。頭をよく動かしますので」
そう言い、ファナクティが座ったのを見て、ウィズダムはカップと砂糖の入った小ぶりな入れ物を差し出した。
「砂糖である」
「感謝を」
細い目つきが特徴的なファナクティは、砂糖を数杯紅茶へと入れた。
「お主とこうして話すのは久しぶりであるな」
「正確に言えば2年と245日ぶり、となるでしょうか」
「相変わらず正確であるな。きっちりとしているのである」
「失礼。性分でして。お気にさせてしまいましたら、お詫びを」
いや、とウィズダムは首を軽く横に振った。
機械のような正確さは、初めこそ奇妙にも思えたが、今では慣れた。
技術部というのは、実に変わり者が多く、一癖どころか、二、三癖あってもなんら不思議ではない。
だが、ウィズダムがファナクティを少しばかり優遇するには、個人的な理由もあった。
「―――”息子”は元気にしているのであるか?」
「ええ。今日も、剣の腕を磨いています。少し体調は優れないようですが。この国において、あいつの力は必要なものでしょう。特に、知将軍にとっては」
”息子”という言葉にも、ファナクティは特に動じずに答えてみせた。
うむ、とウィズダムは頷き、思う。
……この男は、恐れぬのであるな。
ウィズダムは”朽ち果ての戦役”において息子を亡くした。
妻も、元々身体が弱く病に倒れ、そのまま亡くなった。
ウィズダムは、戦いから退き、国の安定に尽力した。
近しいものが死に行く姿は、年をとるとなおいっそう堪える。
ウィズダムは、半ば逃げ出したのだ。
その後、ファナクティと出会った。
名もなき技術部から、”息子”を西国における影の部隊に編入させてもらいたいと申し出てきたのだ。
……初めは、技術費援助が狙いかとも思ったのであるが…
ファナクティは、それ以上を欲しなかった。
”息子”が、無事に部隊に組み込まれたのを知ると、何も求めることなく、何事もなかったかのようにこれまでどおりの生活に送っていた。
裕福でもなく、最低限の予算のみで生活する。
研究するものも、他の技術部と異なるもの。
本人は多くを語らないが、”この先必要となるもの”ということだった。
”息子”に対して、無頓着であるなどということは決してなかった。
無表情な仮面の下に、どこか父としての風格を持つ男だ。
「ファナクティよ。お主は、かつて言ったな。”地位も名誉もいらぬ”と」
「ええ、その通りです」
「なぜ、何も欲さぬ?」
「必要ないからに過ぎません」
そう言い、ファナクティはカップを置いた。
鋭い視線が見るのは空だ。
「そう、地位も名誉も。この西における文化において必要なもの。得られればそれは幸福でしょう。しかし、私はそれを欲しません。ですから―――次代の知将軍を担うというお話、お断りさせていただきたい」
その言葉に、むぅ、とウィズダムはうなった。
「願い叶うは”息子”だけでよい、というのであるか?」
「願わくば。そうあることを望みます」
「”息子”もまた、おぬしの幸福を望んでおるのではないか?」
「そうであろうと、私が得るかどうかは別の話。私には、私の。”息子”には”息子”の。それぞれに成すべきことがあるのですから」
そう言い、ファナクティはカップを手に取った。
紅茶は残り少ない。
ウィズダムは、目の前の男の底知れぬ強さを知っていた。
国を担うほどの力量がこの男にはある。
”知将軍”の器だ。
先代も、その前の先代も、”知将軍”において血のつながりは必要ないと言った。
”王”にいずれ、この男のことを伝えねばなるまい。
ウィズダムは、そう考えていた
「”息子”を失うのを恐れぬか」
「恐れています。しかし、―――恐れこそ人に大切なものを思い出させてくれるのです。それがどういう結果に繋がろうとも、私も”息子”も後悔しない」
そうか、とウィズダムは目を伏せた。
思い出す。
息子も、妻も失った時、自分は一時的にとはいえ逃げ出した。
失う前に、あらゆることをしておこうと、若者にしつこいほど説教をするようになった。
だが、ファナクティは、強い意志をもって”息子”を送り出した。
死に対して、初めから向き合うことを決めて。
……いずれ、この男には”知将軍”を継いでもらいたいものである。
「…我輩ばかり話をしてすまぬな。”知の猟犬”の運用、今後も任せるぞ。ファナクティよ」
「…私でよければ」
空の星は、いっそう輝きを強めていた。