5-1:未来にあった過去
エクスは、瓦礫に座りそれを見下ろしていた。
それは、小さな子供だった。
まだ赤ん坊寄りの。
「……」
なんと声をかければいいのか思いつかない。
自分と同じ生物のはずなのに、分からない。
こちらをじっと見つめてくる。
「……」
不快はない。
逆に不快がなさすぎて妙な気分だ。
「ちゃ」
子供が、そう言葉をはなった。
小さな両手を広げて、おぼつかない足取りでこちらに歩み寄って来る。
無警戒に、敵意なく。
意味が分からない。
「……」
それの手がこちらの足に触れた。
小さな感触。
おもわず、
「……おい」
声をかけた。
それほど、強くない口調のつもりだった。
なのに、
「う…ぅわああああああああああああああああんんっ!!!」
「!?」
泣かれた。
「おい…! 待て、何故泣く!?」
エクスが、動揺して立ち上がる。
だが、それは言葉を受け取らずただただ泣き続けた。
声に強弱が加わり、さらにけたたましさが増す。
「くそ…、どうすれば―――」
あいつが戻ってくるまでは、ここを離れるわけにはいかない。
だとすれば、この泣きまくる子供をなんとかしなければ、という感情に無意識に駆られてしまう。
だが、
……わからん…
屈強な機械を幾度となく打ち倒してきたエクスにとって、逆に感情を持つ生物を相手にする方が不得手なのである。
機械なら切り捨てれば黙る。
だが、人間を黙らせるにはどうすればいい?
考え付かず、目の前で泣く未知の生物相手に困惑するしかなかった。
だが、ふと思考に至る。
……俺は、なぜどうにかすべきと思っているんだ?
赤の他人だ。
しかも、戦う力もなく、親に守られないと生きる事もできない弱々しい存在。
この世界で、生き残るに値する条件は2つだ。
戦える者か。
戦う以外に価値ある力を持てる者か。
子供はどちらも満たさない。
なのに、
「おい、いいかげん泣きやめ…」
自分は相手にしている。
退屈なわけでもない。
待機中にも考える事は山のようにある。
なのに、
「くそ…」
目の前の子どもから目を離そうと思えない。
……なぜだ。
外側と内側の両面で苦悩する。
そして、ふと気づいた。
柱の影から、こちらを覗いてる奴がいた。
夕陽を受け、かすかに光る緑色の長髪をなびかせる女だ。
その口元と目線から、にやにやとした意地の悪い、どこかイタズラめいた気配が感じられた。
「……ライネ。いつからそこにいた」
エクスは、少々イラつきをはらませた口調で言う。
するとライネは、上機嫌に柱の陰から姿を現し、腰まである緑髪を揺らしながらエクスの元までやってきた。
「機嫌が良いようだな。交渉はうまくいったのか?」
「ううん。全然ダメだね。“お前の妄想に金をだせるか”、って追い返された」
「なら、なぜ笑っている?」
ライネは、その問いに答えなかった。
ただエクスに、意地悪さを込めた笑顔を向けてくるだけであった。
おもわず、
「……なんだ」
問い返していた。
ライネが答える。
「いや、それは、ほらあれですよ。機械相手には、滅法強いエクス君が、まさかまさか子供相手に慌てふためくとは。これまた新鮮な光景ですな~。ほれほれかまわず続けてちょーだいな」
「ふざけるな」
と、声を発した時だった。
いつの間にか泣くのを止めていた子供の眼元にまた涙が溜まり、
「しま―――」
「ぅああああああわああああああああんっ!!」
泣いた。
くそっ、とエクスが声を漏らす。
すると、ライネが苦笑いを浮かべ、しゃがみ、泣きじゃくる子供に向かって、両手を広げた。
そして、
「ほーら、こっちにおいでー」
柔らかい笑みで、子供に話しかけた。
すると、
「えぐっ…、ぁ」
子供が泣きやみ、おぼつかない足取りでライネの所まで歩いていく。
ライネは、すがりついてきた子供を抱きよせ、よしよし、と頭をなでる。
そのまま、抱え上げ、触れるように背中を叩きながらゆっくりと揺らした。
「だいじょうぶだよー。ゆーら、ゆーら」
優しい声音だった。
抱えられた子供は、おしみなく与えられた母性に寄り添い、その身を預け、安心して両目を閉じている。
「お兄ちゃんの顔が怖かったねー。もう大丈夫だよー。よーしよし」
「生まれつきだ」
「この辺りの子かな? 親はどこだろ」
と、ライネは、エクスに声をかけたつもりだったが、当の本人はこちらを見て少しばかり目を丸くしていた。
エクスには、先ほどまでの状況が嘘のように思えていた。
「……手慣れているな」
ライネは、その言葉を受け、くす、と笑った。
もちろん、子ども刺激しない程度の呟くような声で。
「そうだよー。母親みたいでしょー」
「出産経験があったとはな」
「……あのね、エクス君。私ね、まだ20代前半の処女まっただ中なの。出産経験あるわけないでしょーが」
「そうなのか…?」
「そうなの。おわかり? 新品、ツヤツヤ。OK?」
ふむ、とエクスが少し考え、
「なら、どうしてそう迅速に子供に対処できた? 子供の育成経験はないはずだろう?」
エクスには、純粋に疑問だった。
人は、経験の蓄積を力とするのに、経験ないことをどうしてそうもあっさりとやってのけるのか。
おそらく、いくら考えようとも答えは出てこない。
だから、尋ねたのだ。
「そうだね。必要なのは“愛情”であるぞよ」
エクスは、半目で溜息をつき、
「…意味が分からん。具体的に言え」
「簡単だよ。まず笑顔。そして優しく抱きしめて、頭をなでてあげて、“俺の気持ちはお前だけのものだー”って伝われば、子どもは安らげるの。常識だよ?」
ふむ、と納得したエクスは、少しばかり自信を得る。
「試してみよう」
そう言って、手を差し出し子供を受け取る姿勢を示す。
「落とさないでよ?」
「信用しろ」
ライネが、自分の胸の中にいる小さな存在をエクスへと渡す。
それは、ライネの腕の中を離れるなり、目を見開き不安な表情を浮かべた。
そして、次に収まったのはエクスの腕の中。
女性の柔らかさと異なる、男性の筋肉質な堅い身体に触れさせられ、その不安はますます大きくなっていく。
「ほら、泣いちゃうよー」
「任せろ」
と言うなり、エクスは子供と真正面から向き合い、しばらく時間が経過。
おそらく5秒くらい。
そして、
「ぅ…わあああああああああああああああああああああああああんっ!!」
泣かれた。
「く、なぜだ…!」
「誰が戦意を向けろ言うたか」
呆れ顔のライネが、エクスの頭にチョップを入れる。
「やはり、よくわからん。…お前に任せた方がよさそうだ」
そう言い、エクスが子供を渡そうとしたが、
「いーや、却下!」
ライネが、腕をクロスさせ、その流れを制した。
「なに?」
「いい機会だから泣きやませてみて。これは、エクス君への試練です。子供の扱いも知っとかないと、将来父親になった時に困るでしょ」
無理だろう、とエクスは思った。
自分は、戦いの中で生まれ、戦いのために育てられ、生きている。
おそらく、最後を迎えるのも戦いの中だ。
ましてや父親などというものは、全くもって別次元の存在だ。
考える事にも意味を感じない。
だから、
「俺には、そんな機会は来ない」
「む。本当にそう思ってる?」
「ああ。だから、早く受け取れ」
泣きじゃくる子供と、自分とでは異なる生物であるように思えた。
エクスは、泣いたことが無い。
覚えてないだけかもしれないが、それでも戦いの記憶の中で、味方の死に対して“損失”感じる事はあっても、涙を流し、泣いたことはない。
だから、泣いている人間の感情が分からない。
“怒り”は知っている。
“楽しい”も少しだけ得ることはある。
“喜び”も多少分かる。
だが、“悲しい”だけは、いまでも理解できなかった。
「俺は、“人間”になりきれてない」
まるで、自身に言い聞かせているような言葉だ。
すると、ライネは、
「ダメ」
そう言った。
笑みを消した表情で。
「そういうことを言ったら、ダメ」
エクスは知っている。
その表情を浮かべた彼女は、普段よりもさらにかたくなになる。
「君は“人間”になりたいんでしょ? でも、今“人間”である事から逃げようとしてる。最期にどうなろうとするかは君が決めればいい。自由だよ。でも―――」
ライネの表情に笑みが満ちる。
「私は、エクス君に“人間”になってほしいって、思うよ」
なぜだろう。
この表情を曇らせる答えを出す事に抵抗を覚える。
「“人間”になるのは…難しいな」
エクスは、腕の中の子供を見た。
目が合うと、また泣かれるのではないか、という反射的な意識を持つ。
「怖がる必要ないよ」
ライネがそう言った。
エクスと子供、どちらに言ったのか。
「ただ待ってるんだよ。だから―――、手を触れてあげて。子供は、優しさをくれる人がそばにいてくれるだけで、とても喜ぶんだから」
数多の瓦礫が散乱する場所。
そこは戦いが過ぎ去った場所。
そして、またいずれ戦火に包まれる場所。
その場所において、男と女は、1つの命を確かに抱えていた。
エクスの顔に、まだ火傷痕のない頃。
それは、かつて未来にあった過去の話だ。