5-10:片割れ達の月見酒 ●
三日月の映える明るい深夜の空の下。
東雲邸の縁側に人影があった。
ムソウだ。
彼が手に持ってきたのは、酒の入った瓶と、幅広の赤く塗られた杯。
それを、床に置く。
そして、自身は庭に降り立った。
「……」
空を見上げ、一息だけ呼吸の整えを行うと、腰に下がった”炎月下”の柄に手をかける。
そして、
「―――ッ」
抜刀する。
大気を両断するであろうとという高速での居合い。
鞘から抜ける音すら、わずかにも聞かせない。
抜刀と同時にすでに振り抜かれきっていた。
「―――さて、と」
ムソウは、そう言うと、手に持ったそれを勢いよく地面に突きたてた。
切っ先が傷つくこともなく、あっさりと石を割り深く沈むと、”炎月下”はその身を地へと固定する。
突きたてたムソウの方は、そのまま刀を置いたまま、縁側に戻り、座り込む。
「相棒、5年もつき合わせて悪かったな、東の空の下が恋しかったろうよ。のんびりしな」
そう言って、ムソウは杯に酒をこぼす。
そして、ゆっくりとあおった。
喉を通る苦い感覚も、ずっと昔に克服した。
「こいつじゃ、いつもお前には勝てなかったよな、イスズ」
ムソウは、”炎月下”の刀身を見つめる。
黒の刀身の刃を際立たせ、炎のように波打つ波紋。
それは今、月光を受け、青く澄んだ光を纏っている。
月の光を、思いきり浴びているかのように思えた。
すると、
「―――あら、寝床にいないと思ったらこんなところにいたの?」
声の方を見る。
アリアがこちらに向かって、歩いてきていた。
昼間と違い、寝る前の薄い淡色の着物のみを身につけている。
「なんだいアリアさんよ。深夜に徘徊とは、あんたらしくねぇな」
「ふふ、ムソウとお話したかったの。だって、家にいるとスズちゃんが噛み付いてばかりだから、長話はいつもお預けになるし」
「まあな、今日で306連勝だな」
「なーるほど、これで夕方に、どうしてスズちゃんがボロボロの服着て、泣きべそかいてお風呂に飛び込んだのかが分かったわ」
「なんだ。アイツ泣いてたのか?」
「5年ぶりで、絶対勝てるんだって自信満々だったから、ボロ負けして悔しいのね。完勝かしら?」
「まさか、アイツも少しはできるようになってたさ。さすがに素手だけだと攻撃食らう気がしてきたぜ」
「ふふ、昔は木刀VS素手でムソウ圧勝~、だったものね」
カカカ、とムソウは笑い、新し一杯を入れようとする。
すると、
「私にもいただけるかしら?」
杯の一式を挟んだ位置に、アリアが腰を降ろした。
共に月のある方へと、身体の方向を合わせた形になる。
ムソウは、1つしかない杯に酒をこぼす。
アリアは、それを静かに右手で持ち上げ、そしてもう一方の手を添えた。
すぐには口をつけない。
その視線がいく先には、地に突き立てられた東雲の宝刀”炎月下”がある。
「―――もう、15年以上経つのね。早いわね、時間が経つのって」
ムソウは、イスズのことだと悟る。
どのように、自分の夫が亡くなったのか。
アリアにもそれは知らせてはいない。
なので視線を合わせられず、ただ前を見ながら、ボソリと言った。
「……すまねぇ」
そっと、視線を横に流すと、アリアが口元につけた杯をゆくりと傾け、お酒を口の中に送っていた。
「ふぅ…、もう一杯、いただける?」
アリアは笑顔で、杯を盆の上に置いた。
ムソウは、ため息をついて酒を注いだ。
すると、不意に、
「ムソウ。私は、あの人の死において、あなたを咎めません」
そんな言葉が来た。
ムソウが、瓶を置く。
アリアが、杯を手に取る。
「このお酒と一緒です。流れ、飲み込まれたものは、決して戻っては来ない。人が生きるということは、同時に死もどこかにあり、いずれやってくる。それは当然のことです」
ムソウは、少し間を置いて応じた。
「…確かにな。理屈はそうだよ。正しいさ。だが、アンタは…、いや、あんた達の心はどうなんだ? それで納得しちまっていいのか?」
そうだ、自分は―――
「アイツを、見捨てて戦場から逃げて帰って来た俺を。イスズを守れなかった情けない男を、責めずにいられるのかよ…」
ムソウはそう言い、肩を落とした。
「どうして、どいつもコイツも俺を恨んでくれねぇんだよ…。たくさん死んだだろ、かけがえのない奴が。イスズだけじゃねぇ。フォルサも、西雀家のご夫婦も、他にもたくさんいただろ…」
なのに、
「どうして、こんな情けない落ち武者なんかに笑顔くれんだよ…」
ムソウは、空を仰いだ。
まぶしい月光だ。
だが、見上げられる。
こうして、この場所にいられる。
それが分かる。
そして、それがつらいのだ。
「なんで、みんなして”おかえり”って言ってくれるんだよ…」
そんな資格ないのに。
「―――では、死んでいった者の代わりに、あなたが死ねば良かったと思うのですか? 皆がそう思ってくれることを願ったのですか?」
「そうだよ」
「なら、その認識は改めなさい」
アリアが発したのは、普段どおりの口調。
しかし、ムソウはそこにある何かに気押された。
見ると、杯は盆の上に戻され、新たな酒が注がれている。
「ムソウ、それをとりなさいな」
言われるがままに、ムソウは杯をとる。
だが、すぐに口には運ばず、揺らして、月の光を映しこませた。
「―――確かにあの戦役は多くの、大切な人を奪いました。その中には私が愛した人も含まれています。しかし、それでも、あなたが帰ってきてくれて皆嬉しかったんです。あなたはもう”大切な人”なんですよ?」
ムソウは答えない。
ただ、聞き続ける。
「東雲・イスズは、あなたをこの場所に、東雲に連れてきた。そして、親友とし、戦友とし、そして家族としての名を、東雲の守護戦機と同じ名前を与えた。それができる人だったんですよ? あの人は」
赤の他人を、家族にする。
簡単なことじゃない。
むしろ愚かしく、馬鹿げたことだ。
でも、東雲・イスズは言った。
―――赤の他人であることか? それだけでは、家族になれない道理にはならないな。頭おかしいんじゃないのか、ムソウ。ははは!―――
むかつくぐらい笑っていってのけたのだ。
東雲という家柄が持つ立場や行為の重さ、重要さなどものともしない奴だった。
―――過去の偉人達がなにを成そうと、今をつくり上げているのは、ほかならぬ我々だよ。ならば、ここに新しい出来事や珍事を並べよう。そして、後から思い出してみんなで笑いあおう。きっと楽しいに違いないさ―――
「―――ほんと、変な奴だったよな…」
ムソウの口元に笑みが浮かぶ。
後から後から、記憶が返ってくる。
戦って、ケンカして、笑いまくって。
全部、思い返せる。
そして、思う。
「ああ、楽しかったよな…、イスズ」
突き立つ”炎月下”が、答えるように鈍く光る。
イスズに預けられたときから、共にあるものが、告げているように思えた。
―――まだ、やるべきことが残ってるだろ?―――
そうだな、と内心で思う。
すると、アリアが言う。
「あの人は、東雲の跡取りである私に、なんの躊躇もなく近づいてきたんですよ? そして、なんていったかわかるかしら~?」
「知ってるよ。”一目惚れです。抱き上げてもいいですか?”だろ? 一時大騒ぎになったってな」
「そう! そうなのよ~! あの人、あまりに斬新すぎてね~。まさか、そのままさらわれるなんてね~。あーれーな気分だったの」
「そのあと、初接吻だろ? イスズの奴、暇になるとその話してきやがる」
「そうそう~! 凄く楽しかったわ。初めて、外を見た。そして、一緒に逃げて逃げて。そして、私が”そろそろ帰らないと、父上が心臓麻痺を起こすわ”って、オロオロしてたら、こう言ったの。”では、また今度来ましょう。あなたと一緒に楽しい時間を得るために”って。もう、乙女回路爆発寸前よ?」
「話だけ聞く限りだと、変態野郎にしか聞こえないのにな」
ムソウは、天を仰ぎ、笑った。
アリアは、袖を口元にあて、ふふふ、と微笑んだ。
かつて、2人の中心にいた人のことを思い出し、笑顔を送った。
それは、死にいった者達への鎮魂として、最もあるべき形。
「あいつは、言ってたな。”笑え”って。”どんな感情を抱いても最期には笑っていろ”ってよ」
「ムソウ、知ってるかしら? 人は2度死ぬって言う話」
「なんだよそれ。2度目はいつだよ」
ムソウの苦笑に対して、アリアが人差し指をたてる。
「1度目は、生き物としての死。これはわかるわね?」
そして、と中指をたてる。
「2度目は、魂の死。人には思い出を振り返る力がある。それはとても尊く強い力。それがある限り、その人は、いつでも共にいるということ。みんなが忘れない限り、あの人はここにいます。あの楽かった記憶と共に、ね?」
アリアの視線が、ムソウへと向けられる。
姉とも、母ともとれるまなざしに対し、ムソウはもうそこから目を背けることはしない。
「サンキューな、アリアさんよ」
「ムソウ。私は、あなたが帰って来てくれて嬉しかったですよ。家族を1度に2人も失わずに、本当によかった。心の底からそう思います」
2人の視線の先には、”炎月下”がある
東雲の意志を宿して。