5-7:かつての”人”は【Ⅱ】
”朽ち果ての戦役”と呼ばれる大戦の、休戦が決まった時、スズはまだ言葉も話せないぐらい幼かった。
言えた言葉も”ちちうえ”、”ははうえ”、”むそうにいちゃん”、”だっこ”とかそんな単語ぐらいだ。
世界なんて知るはずないし、知る必要もなかった。
家族だけが世界で、温かい居場所だと知っていた。
最期に見た父の笑顔もよく覚えてる。
言葉はよく覚えていない。
理解できない年頃だったので当然だが、それでも感性で愛情を理解することはできた。
やさしい父だと。
その傍らに立つ母もまた同じだと
そして、物心つくころから共にいる兄のような人も、自分の両親と同じ思いを持っている人だ、と。
だが、今はそれも変わってしまった。
印象に残っている。
ムソウが血まみれになって、担架で運び込まれた時のことだ。
手術後、しばらくして病室で彼に会う許可が出た。
”むそう”から望んだものらしかった。
そして、母と共に”むそう”のいる病室を開けた。
なくなった右腕と右目に包帯を巻きつけた”むそう”。
寝台に横になっていたその姿に、すこし驚きもしたが、
―――よぉ、待ってたぜ。チビ。
いつもの調子なので、安心を少しだけ得た。
スズは、彼にどうしても尋ねたいことがあった。
誰も答えてくれない。
だが、”むそう”なら聞けば答えてくれるだろう。
―――むそう、ちちうえは、どこ?
彼はすこし黙った。
が、すぐに答えをくれた。
忘れもしない、その言葉を。
―――お前の父親は…、イスズは死んだよ。俺様が見捨ててきた。
死んだ、という言葉の意味が分かったのはその数時間後だ。
スズは泣いた。
部屋にこもって、1人泣きじゃくった。
2日間、部屋に立てこもって、最期には母親に抱きしめられて、ようやく明かりの下に戻った。
理解してしまった。
もう父は、あの笑顔は永遠に戻ってこないのだ、と。
忘れることはできなかった。
●
「―――ムソウ。どうして、教えてくれないの…」
あ?、とムソウは声だけで応じた。
そして思う。
……何度目かね、こういうやりとり。
父の死。
東雲の次期当主である以前に、血の繋がった娘として知りたいのだろう。
しかし、その質問に意味がないことは分かりきっているはずだ。
過去に何度も尋ねられ、その都度答えることを拒否してきたというのに。
「知ってどうすんだ。あいつは、お前の親父は死んだ。その事実だけが結果だろうが」
「親の死に様を知りたいと思うことは、いけないことなの?」
ムソウが、会話に間を空ける。
何も言わなければそれで済むことなのに、会話を続けようとするのは不毛ではないか。
そう思いつつも、次の言葉を告げる。
「前から言ってんだろ。あいつの死に様は、俺様のもんだ。ガキは、親の生き様だけ知ってりゃいいんだ。親の生きた姿を思い返して、それに習うか、それとも新しい何かを見出すか。それを決めるのが、お前の役割だろうが」
説教くさくなったな、とムソウは思う。
少し話しすぎた。
いつもならつっぱねて終わりなのに、これではスズの反論を許してしまったようなものではないか。
だが、スズから返ってきたのは一言だけだ。
「―――卑怯よ」
スズは、お湯の表面に自分の顔を映す。
分からない。
スズは、どうして自分が泣きそうな顔をしているのかがわからない。
どうして”卑怯”なんて言葉が出たのかがわからない。
ムソウは、そんなスズを見て突き放すように言った。
「なんとでも言え。お前が知りたいと言う限り、俺様はこの家の敷居を大手振って通れるわけだ、実に好都合だよな」
「そんな言い方…しないでよ」
……まるで、自分が最低な人間みたいな言い方、しないで。
スズは顔をあげない。
ムソウは、かまわず続ける。
「俺様は、もう落ちちまった”最低の武者”なんだよ。そんなのにも勝てねぇお前が、イスズの後を継ぐ? 笑っちまうよなぁ。どうだよ、おい」
へッ、と天井を仰ぐ隻腕隻眼の武者の言葉。
そうだ、もう全てあのときから変わってしまったのだ。
父は消え、同時にこの男も何かを失くしてしまった。
かけがえのない何かを。
自分は、ムソウに対してどう向かい合っていくべきなのだろう。
答えはでない。
だが、いくべき道筋は見えている。
「―――”炎月下”…必ずあんたの手から取り戻すわ。そして次期当主として、私がこの家から追放してやるから」
「ああ、楽しみにしてるぜ。俺様の一番弟子だった姫様よ」
次回、VSランケア