5-7:かつての”人”は
日が昇って間もない早朝。
朝の鍛錬を終えたスズの姿は、人気のない脱衣所にあった。
東雲のならわしである”清め”であるが、その正体は、ただの朝風呂であると近頃気づいた。
着ている服を体よく脱いでいく。
身につけているのは、戦闘服ではなく、動きやすいタイプの服だ。
まずは袴にも似た下の服の腰紐を外し、スルリとおろし、白く細い足先までがあらわになる。
次に上着。
親指で、ボタンを押し出し、引っかかりを外していく。
全て外すと、大きく広げて前のめりになるように脱いだ。
上は下着をつけていない。
……まだ、必要ないだけ…よね?
鏡を見て、むぅ、と眉間のしわを深くする。
あまり傷がないのは、スズの身体能力もそうだが、着ている戦闘服などが特注品であるというのもある。
西雀家の技術者に感謝するところだろう。
最期に下着。
母親が示したゾンブルへの対策である”穿かない作戦”だったが、
……ごめんなさい母上。無理です。
というわけでしっかり穿いている。
ちなみに白に戻している。
バスタオルをとり、口にくわえたまま、それをスッと白い肌の表面を滑らせて降ろす。
衣類を全てカゴにおとすと、小さなタオルをつかって長い髪を一まとめにし、浴室の扉をあけた。
●
「―――よお」
妙なのがいた。
ムソウだった。
浴槽につかっている。
先のない右腕部分には、バスタオルをかけ、ほどいた髪はスズと同様に小さめのタオルでまとめている。
「……なんでいつもいるわけ?」
呆れ気味に言いながらスズの行動はスムーズ。
今は、泡をたてて全身を洗っている。
ウィルを連れてムソウが帰ってきてから、1ヶ月が過ぎようとしていた。
予想はしていたが、やはりそれ以来この男は早朝の風呂によくやってくる。
というかほぼ毎日いる。
まあ、昔から一緒に入っていたから慣れてはいる。
とはいえ、
「さっさと出て行ってよね」
目もあわせずにそれだけを伝える。
ムソウはというと、へいへい、と軽く流しながらくつろいでいる。
「しかし、ここの湯はきくな。傷口に染みないってのはここぐらいだ。西のやつはえっと、なんだったか…”しゃわー”だっけか? ありゃダメだ。勢い強すぎてかなりつかいにくいんだよ」
「あっそう」
「なんだよ、つれねぇな」
と、身体を洗い終えたスズが、浴槽に入る。
不用意な波を立てないよう、静かにゆっくりとつかる。
広めではあるが、2人入るとやや余裕がなくなる。
必然的に隣り合う形となる。
「さっさと出て行きなさいよ。でかくてかなわないわ」
「あん? おめぇが小さいから相殺していい感じだろ。足も伸ばせるしな」
「最近毎日いてうっとおしい」
「なら入れないよう入り口に番でもつけるこったな」
「あ、それいいわね。ウィルの奴でも立たせましょうか」
「アイツじゃ無理だろ。思春期少年だぞ? 俺様が懐柔できちまう」
「懐柔すんな。ま、いいのよ。覗いたら覗いたで、飯抜きにする大義名分を得るから。あいつ食いすぎなのよ」
「飯ととるか、エロをとるか。難しい死活問題だ。どっちがなくても死ぬかもな」
ま、とムソウはスズの胸元に視線をやり、
「―――男と変わらんしな。よく考えろ飯をとれ、と進言しといてやるか」
「よし、叩き切る。叩いてから切る。そこになおれ」
「アンシンシロ。キットコレカラデカクナルサ」
「片言やめんか! さらにむかつくわよ!」
だはは、とムソウは笑い飛ばした。
●
「―――んで、会議から1ヶ月だが、どう思うよ? 東雲・スズ殿?」
話題が移り変わっていた。
当主会議によって西国の現状など様々な報告が行われた。
まずは西についてだ。
「ゾンブルの言うとおり、西では今、”知の猟犬”の機能低下があるのは事実でしょうね。現に弱体化している”東”との小さな衝突すらここ数年起こっていない。新型戦機のテストを行ってるって言ってたわね」
「西は、お空を飛ぼうと躍起になってるみたいだな」
「”リノセロス”並みの戦力が増えると厄介だけど。対策は打てるわ」
「どんな?」
「北錠と西雀が合同で新型のプラズマ式拡散榴弾を開発中よ。連射可能かつ、攻撃範囲は半径数キロらしいわ。発案はシェブングさんよ」
「西雀のじじいは、いよいよ妖怪だな。もう90近いくせによ。俺が生きてる間は死なない気がしてきたわ」
「私はそのほうが安泰だけど」
「へいへい」
「他にもいろいろあったけど、1つ気になることがある」
「なんだよ」
「……ウィルよ」
スズが、ムソウに対して下から睨むように視線を送る。
「あいつが来ると同時に、運び込まれた機体…”ブレイハイド”。大破状態のあれを極秘に改修するっていうのがどうにも腑に落ちないわ」
”中立地帯”のヴァールハイトからの依頼であるらしいが、詳細は不明だ。
だた、戦える状態にしてもらいたいという。
西雀は作るのが主体なので、判断は東雲が行うことになった。
ただの機体改修依頼と思えば済むことだが、どうにもいろいろと考えてしまう。
「だいたい、クレアが”操縦者がここにいるはず”と言った時点で、ウィルしかいないでしょう。なおかつ極秘っていうのも引っかかる。改修だけなら”中立地帯”でも可能なはず」
なので、
「あんた、絶対何か知ってるでしょう?」
対してムソウは、
「何のことだかなー」
はぐらかして天井を向いた。
追及しようとして、スズはふと、
「……あ」
彼の右目に視線を囚われた。
普段は長い前髪に隠されているが、この時だけはそれをはっきりと見ることができる。
傷だ。
2度と光を得ることのない右目。
そこに十文字に切り裂いて走る大きな傷。
スズは思う。
あの傷の中に、父、イスズの死に様が封じ込められているのか、と。