5-6:見守り人達の”夜” ●
シュテルンヒルトの書斎で、ヴァールハイトは運営に関する資料に目を通していた。
普段どおりだ。
ウィル、エクスの両名がいなくなった現状においても、彼の業務にはさしたる支障もない。
それが組織の常だ。
トップが健在なら、組織の運行に乱れが生じることはない。
とはいえ
「―――いじめる奴が少なくなったのはさびしいよね」
エンティがソファにごろごろしながらそう呟いた。
作業終了時間を過ぎているので、シャツのボタンは上2つほど開けて少しばかり着崩している。
「そうだな」
ヴァールハイトは同意した。
「まあ、支部にいたミットとロブを呼び戻したから現場の動きは支障ないよ。重機買うのに出費はあったけど」
「たいしたことではない。先代から世話になっている老人達になにかあったら困る」
「それ労災手続きの話でしょ」
「手間がかかる。特にじじい共は貯金と言う高等な言語を知らん」
「御伽話にこういうのがあるよ。”年老いた老人は山に埋めろ”って」
「それは猟奇事件だ、エンティ。”山に置いてくる”のが正解だ。埋めるまで徹底しなくていい」
「だってあの爺さん達、山に離したらそこ切り開いてバー開きそうだよ」
「……否定できんな」
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「―――結局、西からは何も言ってこなかったね」
エンティがそういうと、ヴァールハイトの手が止まった。
そして、別の資料を開く。
「私の予測は正しかったらしい。彼女の存在を公にする気がない、ということだろう」
「もしくは、公になるとまずい事情がある、とかね」
「今回の襲撃は”知の猟犬”により行われたようだ。彼らの行動は西の記録には一切残らない裏の所業だ。この結果は予測どおりだろう」
「ヴァッ君。その”猟犬”だけど。やっぱり…」
「なんだ?」
「らしくないよねって思うの。”朽ち果ての戦役”で隊長以外が全滅ってありえると思う?」
その言葉への返答に、ヴァールハイトは少し間を置いた。
「あり得ない、とは言い切れない。だが、現実に起こっているとすれば、気にもなる。諜報部というものは、兵士を育成するのとはまた別の訓練が必要になる」
「危なくなったらスタコラサッサが基本だもんね」
「ああ、得た情報を確実に持ち帰るのが諜報の基本。故に彼らが鍛えるのは、戦闘力よりも生存力の方だ」
「それが、多大な人的被害を被るって、どう思う?」
「西には、なにかが潜んでいると感じられてならないよ、私は」
「新しい情報は?」
「噂同然の不確かな情報ばかりだ。”同志”に期待するしかあるまい」
”同志”。
ヴァールハイトに情報を与える人物をそう呼ぶ。
同じく”中立”の立場をとり、世界に巨大な混乱が起こることを避けるという共通意識を持つ者のことだ。
「エクスのその後も、”同志”の情報待ち?」
「一任している。彼に関しては、”同志”が最も待ち望んでいたことだ。相応の働きを期待しよう」
「エクスのこと心配してないの?」
「彼と私は同盟という間柄にすぎない。あの男は得体が知れん。だが、推し量れない、という存在は私にとっても興味深い。あの男の成すことが私の利となればいいが」
そういうと、ヴァールハイトは立ち上がろうとする。
すると、
「あ、いいよ。座ってて、コーヒーでしょ?」
エンティはそう言って、立ち上がるとコーヒーメイカーの元に歩み寄る。
だが、彼女は小柄だ。
ヴァールハイトの身長にあわせて置かれている台の上にあるコーヒー用品に手を伸ばすには、
……むぅ、身長が足りない。
そう思ってたら、横に椅子が置かれた。
見ると、ヴァールハイトが立ち上がり、エンティの傍らにいた。
「使うといい」
「もう、チビ扱いしないでよね」
「現実を無視してもよい結果は得られないぞ、エンティ」
それに、
「私よりもお前の方が作るのがうまい。その過程のひとつを手伝ったとて、咎められることでもないと思うが?」
「もうちょっと素直になってもいいんだよ?」
「私は素直だよ。常に自分に正直だ」
「ま、そうか。そういうことにしといてあげるよ」
エンティは微笑んで、椅子を使わせてもらうことにした。
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「―――ところで、ウィルはどうなってるの?」
エンティはソファに戻っていた。
話しかけた相手であるヴァールハイトは、机を挟んで対面のソファに座りコーヒーをすすっていた。
足を組んで、背もたれに身を任せている姿勢。
彼がくつろぐところは、あまり見られるものではない。
自分だけの特権だろう、とエンティは思う。
「大飯ぐらいなら、”東雲”で世話になっている。当主代理からの情報だ」
「あそこの奥さんすごいよね。美人だし、専業主婦で政治してるし―――」
エンティは自分の胸部を見て、
「―――グラマーだし」
「生涯埋まらない差に劣等感を抱くのはどうかと思うぞ、エンティ。私にはどうして、女性は胸の大きさにこだわるのか理解ができん」
「そりゃ、わからんでしょうねー」
エンティが、そっぽを向いた。
ヴァールハイトは、かまわず自分の流れを維持する。
「先代当主である東雲イスズは、東の歴代でも最も優れた当主の1人だ。知に富み、歴史のままに囚われることをよしとしない風雲児としての姿勢と手腕には、私も見習うところが多々ある。そのイスズの妻となると並の者では務まるまい」
すすっているコーヒーものこり少なくなってきた。
「私は、この世界が今のままでいいのか、と時折思うよ」
「具体的に」
「西には”王”。東には5人の”当主”。本質的には変わらない。カリスマという、すがる存在をもって成り立つ形だ。それは、この先々を歩んでいけるのかと」
「歩んでこれてるよ?」
「これまでは、な。だがその先のことは誰にもわからない。”同志”の言うところの”災厄”がこの先に訪れるとすれば? 明日、人類が滅ぶ運命にあるとしたら? その時になってあの時こうしていればよかったと思っても遅い。なら私は運命などに身を任せる気もない。対策を打つだけだ」
「ヴァッ君て、運命とか信じてるの?」
「運命とは、必然を人の言語で言い回したものだ。大きな差はない。認識の問題だ。それは父の言葉だが」
「あの人は、いろいろトラウマ残してくれたからね。特にヴァッ君は」
「血の繋がらない息子に対して、ずいぶんと容赦のない教育をしてくれたものだ」
「ヴァッ君が崖から落とされたときには、あ死んだ、って思ったけど」
「生きて帰ったら、まず顔面を殴ってやろうと頑張ったからな」
「実にたくましい。ってあれ、ウィルの話からずれてない?」
「たいした話題ではない。先々を見る限り、ブレイハイドの補修は必要だ。あの大飯ぐらいが運命どおりの結末を迎えるとすればな、戦う力をくれてやる必要がある。どの道止めても止まらん」
「東とのパイプを強化しといてくれた親父殿に感謝だね」
「いまいましいことだがな」
ヴァールハイトがため息をつく。
「なんだかんだで一番ウィルを心配してるよね。ヴァッ君て」
「あいつは借金があるからな。逃す気はない。今頃、東雲の一人娘にでも叩きのめされてるかもしれん」
「東雲スズ、か。この間、初めて見たけど」
エンティが天井を仰いだ。
「…彼女、ムソウのことどう思ってるんだろうね」
ヴァールハイトが最期の一口をすする。
視線は、エンティではなく、カップの口にある。
「どう、とは?」
「噂通りなら、相当に憎んでるんじゃないかな。なんせ、主君である父親を見捨てて生き残った男だから」
「東雲イスズは、死に際に”東国武神”の健在を西に示した。それが停戦のきっかけにもなったわけだ。彼らの間にはそれほどの信頼があった。それは理解しているだろう」
「理解と感情は一致しないよ。特に子供は」
エンティは、思う。
「どんな思惑があったにしろ、親を失うって子供には耐え難いことだよ。そう、子供だけにしか分からない感情なんだから」