第41唱 信じるからこそ見えるものがある
――私ったら、何がしたいのかしら――
3D眼鏡をかけて、いかにも楽しみみたいな顔を作りながら、私はずっとそんな事を考えていた。
小学四年生の時に転校した二年の間、ずっとトオルと黄麻に会えないでいて、私は心寂しく思っていた。長い人生の中でたったの二年だけど、その時私はたったの二年でまた二人に会えるとは思っていなかったのだ。その時の驚きと喜びはこの先も忘れないと思う。もっと、もっと長い間会えないと思っていた二年は、私にとってとてつもなく長かった。
アイドル活動も、たったの二年でマイナーアイドルとはいえ知名度もそれなりに上がってきたし、何年たっても芽が出ない人達と比べたら幸運といえるはず。
でも、そのとんとん拍子の成功も逆に不安としてのしかかってきた。
同じ事務所の子や先輩から嫉妬されたり、途中で何かの挫折で二度と立ち上がれなくなったりするのではないかと、いつも不安に震えていた。
そんな中、黄麻が少し遠いとはいえ、東京の中学校に通う事になった時はとても嬉しかった。
そしてなにより、何の連絡もなくどこかへ引っ越したトオルと同じアパートで再開できた時はもっと嬉しかった。黄麻も小学校の時の先生に聞いても、トオルの引っ越し先を知らなかったので、もう二度と会えないかと思っていたのだ。
そして今回の遊園地。三人で集まって遊びに行くのは、東京に引っ越してから初めてだった。トオルと黄麻を誘った時、私の胸は期待で高鳴っていた。
だからこそ、トオルが中学校の友達も誘っていいかって聞かれた時に少し戸惑ってしまった。トオルの新しい友達に会えると思って喜んだ事の反面、トオルがこの三人組から少し距離が出来たように感じて少しさみしい気持ちもあった。
……それでも、ここまで気分が沈むとは思ってもいなかった……。
トオルに仲の良いガールフレ……女の子の友達がいるとは思わなかった。
おまけに、その子は私をからかっているのか、その余裕そうな笑みが私の神経を逆なでてくる。アイスだって、トオルは彼女と半分に分けあっていたけど、トオルがそういった事に無自覚なのか、それともそれが当たり前なのか……、私には分からない。
今思うと私だって黄麻と分け合っていたけど、それは小さい頃から一緒にいるからで、トオルともお菓子を三人で分け合ったりもしていた。
私にはトオルと薫ちゃんの関係なんて分からない。
彼女が混ざる事で、三人の輪が壊れてしまうような気がしてならない。
そうやって嫌な方向ばかり考えている私の様子にアンは見かねたようだ。
『ねぇ、安奈。そろそろ映画が始まるわよ。悩みなんて置いといて、今は思いっきり楽しみなさいよ。せっかく、久しぶりに遊びに来られたのだから』
――うん、そうだね――
私は数回瞬きしてから目の前の巨大なスクリーンに目を向ける。アイドル稼業の忙しさでなかなか来られない遊園地。思いっきり羽根を伸ばさないとMottainai!!
それによく冷静になってみると、トオルが薫ちゃんの仲が深いなら、この映画の始まる前におしゃべりでもしているはずだ。それがないのなら、トオルと薫ちゃんの仲が深いというのは、私の勘違いだったのかも……。
私はちらっとトオルの顔を横目で見る。幸いにも、3D眼鏡とシアターの暗さで私の視線に気がつく様子はない。
トオルは腕組をして、じっとまだ映っていない真っ暗なスクリーンを見つめている。まるで、映画を見慣れた常連客みたいだ。
――そうよね、私が勝手に決め付けていただけよね――
私はトオルの様子に安心して声をかける。
「ねぇ、トオル。3D映画って、見た事ある?」
しかし、トオルは渋い顔つきでじっとスクリーンを見つめたまま……。
「ねぇ、トオル?」
私はトオルの方に顔を寄せてみた。
「……zzz」
トオルは小さくいびきをかいていた。
私は苦笑して、そっとトオルの寝顔に手を運んだ。
「……トオル、起・き・ろ!」
「いたっ!?」
トオルのこめかみに放ったデコピンはなかなかいい音を奏でる。
「もう、酷いじゃないか、安奈」
「せっかくの映画なのに、居眠りするトオルが悪いのよ」
恨めしげな目でトオルが文句を言うけど、私はツンと前を向いて言い返す。
「たしかに、トオルが悪いね」
「そうね、トオル君が悪いわね」
黄麻と薫さんにまで言われて、トオルはわざと口を尖らせる。
そんな時、映画の開演を告げるブザーが鳴り、会場が暗くなる。
「始まった。トオル、寝ないでちゃんと見ているのよ」
「う、うん」
今にも寝ちゃいそうなほど怪しい返事に、私はため息をつく。
今度寝たら、思いっきり耳を引っ張ってやるんだから。
◇ ◆◇◆
映画の暗闇のせいなのか、はたまた久しぶりに遊びまわって疲れたのだろうか。安奈に起こされた後、すぐにまた眠りの世界に堕ちて行った――
まだ小さい僕が見上げた暗い夜空は、隙間という隙間を星が埋め尽くすように輝いていて、それは空ではなく宇宙を眺めているようだった。
しかし、夜空が明るい分、今自分がいる場所の暗さが目についてしまう。
僕はくじいてしまった足を無視し、仰向けのまま木の根を掴み続ける。僕が今いる場所はほとんど崖で、申し訳なさそうにちょこんとある平らな所に背をつけている。横目に広がる崖は真っ暗な上に、崖を覗きこめない態勢をとっているので、自分が降りられる程の高さなのか、それとも死んでしまう程なのかも分からない。
僕の心臓は高鳴り続け、手も少し震えてしまう。
怖くて、怖くて、すぐにも起き上がりたいが、痛む足では踏ん張る事もできない。少し身動きすれば暗い崖に落ちてしまいそうだ。
「あ、安奈……。黄麻――」
僕は弱々しく助けを求めて声を張り上げるけど、そんな声は闇に消え、残るは僕の心臓の音だけだ。
まだ小2の頃、夏休みの夜に僕と安奈、黄麻の三人は自転車で少し行った林と山の中間みたいな所へカブトムシを探しに来た。
僕は懐中電灯を手に夢中になって探していると、うっかり崖に落ちてしまったのだ。
運良く手が木の根に引っ掛かって落下を食いとめられたが、見事に身動きができなくなってしまった。
しかし、まだ幼い僕は長時間自分の体を支える事もできなかった。
しびれた手はもう限界に近かった。
「――た、たすけてっ――」
もうだめだと思った時、突如薄い黄色っぽい懐中電灯の光が僕の顔を照らした。
「トオル! 大丈夫?」
安奈の声が聞こえてきた。
「あ、安奈っ!?」
思わず返事を返した瞬間、うっかり木の根を掴んでいた手が緩んでしまった。
ふわりと心地の悪い一瞬の浮遊感の後、その体を引きずりこむ重力に思わず目を閉じてしまう。
しかし、トオルの体には予想していたような衝撃は来なかった。何かがその背中を支えている。
「ふわっ、なにが……」
「……ト、トオル。早く態勢を整えて!!」
上向きを向いているのに見えないが、声からして安奈が支えてくれているようだ。
「も、もう、早く降りて!!」
「ご、ごめん」
安奈の苦しげな声に、トオルは慌てて地面から少し跳び出していた木の根を掴む。今安奈が疲れて手を離してしまったら、トオルは彼女の上に落下して大惨事だ。
トオルが態勢を整えたのを見て、安奈は手を放す。
すると、安奈の支えがなくなった影響でトオルの全体重が木の根にかかる。彼が掴まった木の根は丈夫とは言い難い。木の根はぽっきり折れ、彼は再び落下を開始する。
「イッテテ……」
背中から落下したトオルはその衝撃に息がつまりそうになる。
「もう、トオル、大丈夫?」
「な、なんとか……」
安奈が呆れたような、心配しているような声色で呼びかけ、肩を掴んでトオルを起こす。
トオルは痛む腰をさすりながら、この痛みの元凶に目をやる。
「……思ったより……低いね」
改めて自分が落下した崖を見てみると、その高さはたったの1メートルにも満たないぐらいで、落ち着いていれば対処できるようなものだった。あんなに恐怖で慌てていた自分が馬鹿みたいだ。
トオルがため息をついてうつむくと、膝から流れる赤い血が目に入る。
「トオル、怪我しちゃったの?」
「ん、あ、うん。ちょっとズキズキするだけ」
傷はたいして痛くなかったが、ズボンが血で汚れてしまう方が気になる。
「トオル、ちょっといい?」
安奈は自分のポケットから兎柄のハンカチを取り出し、膝に巻きつけて結ぶ。
「うん、これでよし」
「あ、ありがとう。……でも、ハンカチが血で汚れちゃうよ」
「いいのよ。どうせハンカチなんて、汗と泥で汚れるもんだから。私が上品にハンカチを使うと思っているの?」
じんわりと赤く染まっていくハンカチを見て、トオルは少し申し訳ない気持ちになる。
「分かった、ありがとう。……今度、代わりのハンカチをあげるから。どんなハンカチがいい?」
「うーん、そうねぇ……。今度は兎じゃなくて猫がいいかしら……。いや、やっぱりミッ●ーのハンカチがいいな」
二人は顔を見合わせて笑っていると、懐中電灯の光がこちらを素通りしてから再び向けられる。
「おーい、トオル、安奈!! 大丈夫か!?」
「うん、ごめん黄麻!! 大丈夫だよー!!」
手を振る僕らに黄麻が駆け寄ってくる。
「トオル、転んだの?」
「あ、うん、ちょっとね……」
黄麻の心配げな声にトオルは返事をにごらせる。
「そうなの。聞いてよ、黄麻。トオルったら、こんなに高い崖から落ちたのよ~!?」
「も、もう、安奈、からかわないでよ!!」
トオルが落ちた小さな崖を指差してげらげら笑う彼女に、二人もつられて笑ってしまう。
「あ~あ、今日はカブト諦めて帰りましょうか? トオルも一生の傷を背負ってしまった事だし」
「そうだね。トオルも帰って緊急入院しなくちゃいけないしなぁ」
「もう、二人とも……」
トオルはふてくされて空を見上げる。
東北の綺麗な夜空には白い光を放つ星が無数に散らばっていて、ポツリポツリと流れ星が流れては夜空に溶けていく。
「ねぇ、二人とも、流れ星が沢山流れているよ。今日は流星群かなにかが見られる日だっけ?」
僕が空を指差すと、二人も「ほうっ」と感嘆のため息をもらす。
「本当ね。こんな夜中に外を歩く事があまりないから、こんなにきれいな空を見るのは久しぶりね」
「うん、俺もだ」
三人でしばらく空を見上げていると、黄麻が一際輝く星を指差す。
「あれって、確かはくちょう座、だよな? ほら、あの十字の奴」
「あら、本当ねぇ」
トオルも一生懸命に探すが、あまりにも星が輝きすぎてどれを指差しているのかが分からない。数十秒間じっと目を凝らしたけど、ギブアップした。
「ねぇ、いったいどこにあるの?」
「ほら、トオル。あの十字型の星座だよ。ほら、あの白い星だ」
黄麻の言葉に従って探してみると、少しゆがんだような十字型の星座がはっきりと見える。
「あ、見つけた」
さっきまでは星がランダムに輝いているように見えたのに、はくちょう座だけははっきりと見とれる。まるで、そこに何億年もまえから鎮座しているようだ。
「でも、あの十字型は白鳥と言うよりも弓矢みたいだなぁ。弓矢座の方があっているんじゃない? 改名したらいいと思うよ」
「たしかに、そうかもね」
トオルのトンチンカンな考えに二人が苦笑する。
「うん、トオルの言う通りかもね。でも、それだと物語がないんじゃないかしら?」
「ものがたり?」
安奈が頷いて空を見上げる。彼女は夜空に向かって描くように一際輝く三つの星を指差す。
「そう、物語。トオルだって七夕ぐらいは知っているでしょ、オリ姫とヒコ星の物語。天の川で隔てられた二人を一年に一度だけ会えるようにつなぐ存在。それがはくちょう座なのよ」
「ほへー。安奈、物知りだね」
「もちろんよ。歌手を目指す以上、人の心や物語、美しい風景や様々な出来事。そこにロマンがあるのよ。それを感動できる心がないと歌手なんて勤まらないわ。そして、あの吐くちょう座は恋のかけ橋、ロマンの象徴なのよ!」
熱に浮かされてロマンについて語る安奈に黄麻が笑う。
「はは、中国の神話だと白鳥じゃなくてカササギの橋になっているけど……、ま、まぁ所詮は神話だしね。うん、色々な解釈があっておもしろいと思うぞ」
安奈に不機嫌そうな視線を向けられ、黄麻が緊急回避を決めた。
「安奈は色々な事に感動できるんだね」
彼女の熱いハートにトオルは感心する。自分には安奈ほどに感動できない。……二人と出会わなければ、きっとこの星空を見てきれいと思う心さえなかったと思う。
「それでね、トオル。星座に物語があるからこそ昔から白鳥座は弓矢じゃなくて白鳥なの。」
彼女は空に広がる闇を横切って、星と星をつなぐように指で十字型になぞる。
「星からしたら星座なんて人間が勝手に決めた事。星と星の間に星座の線なんてないし、うっかりしたら沢山の星に紛れて分からなくなっちゃいそうにもなる。星座を知らない人からすれば、それはただの星でしかない。――でも、星座を信じる人にとってそこに星座は在るの。星と星は繋がっていないけれど、私たちが繋がっていると信じていればそれは確かに繋がっているのよ」
「さすが歌手を目指しているだけはあるなぁ。感性豊かだ」
「分かっているじゃない、黄麻。でも、話はまだよ」
黄麻に褒められて嬉しそうに笑い、安奈は偉そうに言葉を続ける。
「人の絆は星座の線のように目には見えないもの。だけど、自分と大切な人達の事を信じていれば、そこにはどんなはさみでも、大量のライトセイバーを使ったって絶対に切れない絆があるのよ。星座が何千年もの間伝えられてきたみたいに、人の絆もそれを信じている限り永遠なの。この先もずっと――、もしかしたら、天国でさえもね」
トオルは彼女の言葉にはっとする。
人を信じられないから孤独になる。それは二人と出会ったばかりの頃の自分のようだ。
あの時二人は自分と仲良くなろうとし、きっと仲良くなれると信じてくれていた。だからこそ今があるのだ。
「うん、安奈の言う通りだよ。人を信じるからこそ、そこに絆がある。きっと」
「ふふ、やっぱりトオルもそう思うのね。私ってば、良い事言う」
自画自賛する安奈の瞳が輝いて見えた。
「じゃぁさ、あの夏の大三角のように、俺達も強い絆で繋がっているのかな」
「そうかもねぇ」
黄麻がこと座のベガとわし座のアルタイルを教えてくれて、ようやく巨大な三角形が見つかる。
「俺がアルタイルで、安奈がベガ。トオルはデネブじゃねぇ?」
「なんだい、黄麻。それって織姫が安奈で黄麻がヒコ星、僕が白鳥座? 僕だけ一歩離れた所にいるみたいだねぇ」
「いや、そういうんじゃねぇけど……」
少し慌てる黄麻をトオルはからかう。
「よし、じゃぁ、トオルが織姫で黄麻がヒコ星、私がデネブね。男同士だし、これなら公平でしょ」
「気持ち悪いよ」「気持ち悪いぞ」
つっこむトオルと黄麻の声がハモル。それを見て安奈はさらににやりとする。
「ほら、息もぴったり」
安奈の言葉にトオルと黄麻は仕方なしに顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。
「はは、そうかもね」
「かもしんない」
笑う三人の上で、三つの星は一際大きく輝いて、夜空に大きな三角形を描いていた。
「はい! プラネタリウムが好きなトオルです。
プラネタリウムは良いですよね。確かに本物の星ではないにしても、真っ暗なドームに点々とした光が散りばめられていて、ところどころに赤や青い光が輝いている。その美しさは本物には遠く及ばないかもしれないけど、春、夏、秋、そして冬の星座が次々と現れる。
それは、時間を超越し、この地球という星からも遠く離れて、宇宙の大冒険をしているかのようです。そう、まさしく星空に吸い込まれそうになって…………気がつくと寝ているのです。
いや、なんかおかしいな? 僕はプラネタリウムの素晴らしさを話しているはずなのに、なんかはズレてしまった。
うん、ちょっとやり直し。その星の優しい輝き、時間を超えたような感覚、宇宙に包まれたような高揚感、少し後ろに倒れたシートの柔らかさ、涼しげなクーラー………。だめだ、こりゃ……。
えぇー、オッホン。今回はここまで。次回をお楽しみに!?」