第39唱 価値観はその状況によって変わる
日曜日なだけあって、まだ開園してから三十分も経っていないのに結構人が賑わっている。休日に叩き起こされて運転手を勤めさせられたお父さんと、遊園地に来て早々に邪魔になるだけの風船を欲しがる女の子。勉学をおろそかにして青春を謳歌する日本の社会を担って行くはずの大学生。全く、学生が遊んでばかりで良いのだろうか?
こういう人ごみはあまり体験がないので、圧倒されると共に、始めて来た遊園地に期待が高まる。
「じゃぁ、安奈ちゃんと黄麻君は、トオル君と小学生よりも前から友達なんだ」
「そうだよ、薫ちゃん。安奈と俺は家が隣同士で、ちょうど小学校に上がる二、三カ月前ぐらいだったかな。トオルが引っ越してきたんだ」
黄麻が渡辺さん、改めて薫に僕らの事を語る。僕ら三人がお互いを名前で呼び合っているのに、彼女だけ苗字で呼んでいると、まるで彼女と距離をとっているような気がしたので、今は彼女も下の名前で呼んでいる。学校で彼女を下の名前で呼んだらコント・トリオがうるさいだろうし、周りからもひやかされそうなのでこの四人と一緒にいる時だけそう呼ぶ事に決めた。
僕らは入園ゲートのモニュメントや、ピート君の着ぐるみと写真を撮りまくってからようやくアトラクションに足を運ぶ。
『おい、トオル。巨大な陶器の馬がぐるぐる回っているぞ!?』
異世界の住人であるトールはさっきから驚きの声をもらし続けている。
僕も遊園地に来るのも初めてという事もあって、最初は大人しい乗り物から制覇していくつもりだ。まずはメリーゴーランド。
この遊園地、キャッツランドのメリーゴーランドは風変りで、半分は普通の木馬だけど、残り半分は猫の木馬(?)だった。黒猫・ぶち猫・トラ猫からアメリカンショートヘアー、ロシアンブルーとかもある。そして、どれも妙にリアルで逆に不気味。剥きだしの牙とか、縦に割れた瞳孔とか、あまり乗りたがる子供はいないと思うのは僕だけだろうか。
『ふうむ、メリーゴーランドか……。軍馬が同じ所をぐるぐる回っているが、人は似たような事を繰り返すという戒め……なのか?』
メリーゴーランドに何やら哲学的な意味を見出すトールを完全に無視して、エルフィーを思い浮かばせる黒猫の木馬にまたがった僕は、顔をふと上げてある一点を見つめる。
「ねぇ、トオル。なんで上をじっと睨んでいるの?」
隣でトラ猫にまたがっている安奈がいぶかしげな顔で尋ねてくる。
「安奈、なんか上でクルクル回って、上下する棒が気になっちゃって。……メリーゴーランドって、こうやって上下するんだね」
「メリーゴーランドの仕組みを見ていて楽しい? 普通は友達に手を振ったり、周りの風景を楽しんだりするものだよ」
「そうよ! トオル君」
安奈があきれたようにため息をついていると、後ろから渡辺薫の元気一杯の声が響く。
「もっとハイテンションで行かないとだめよ。行け! スマートファルコン!! 追い越せ、追い越せ! 桜花賞だって単勝ブッチギリよ!!」
彼女はポニーテールを揺らし、黒い木馬のケツを叩く。そんな彼女に僕は苦笑する。
「その楽しみ方も風変りだと僕は思うけど……。薫さんは競馬が好きなの?」
「お母さんが好きでね。今でも、時々一緒に見に行ったりもしているわ。このポニーテールだって、お母さんの趣味なのよ。馬の尻尾を垂らしたような髪型でしょ。小さい頃、まるで馬のケツのようねって笑いながら、お母さんが整えてくれたのをよく覚えているわ」
「……変な親子……」
そんな事を言われてしまうと、ポニーテールの髪型が馬のケツに見えてしまう。ポニーテールと馬のケツでは似たような意味でもエライ違いだ。
「ねぇ、今度はコーヒーカップに行かない。ね、トオル」
「それがいいね。安奈……」「じゃぁ、みんなで行きましょう!!」
僕が賛成しようとすると、渡辺薫が手を上げてみんなを誘う。
「三人乗りだから、二組に分かれないとね」
乗り物の案内を見て黄麻が呟く。それを聞いて、安奈が僕を振り返る。
「じゃぁ、トオル。わた……」「トオル君。一緒に乗ろう」
安奈が話しかけていたような気がしたけど、薫が手を引っ張ってくるので頷いた。
『カップを模した乗り物をひたすら回すのかぁ……。ひたすら回転させて拷問する器具があったのを知ってはいるが……、実際に自分で体験するとは……』
トールが感慨深げに呟いているけど、僕の胃はそれどころではない。
「……きもち、ワル……」
「いつもより、多く回っています!!」
薫が力いっぱい回すので、上半身にかなりの遠心力が襲いかかり、頭が外に持っていかれそうだ。恐らくだけど、一秒に二回転ぐらいは軽く達していると思う。目の前で笑う薫とコーヒーカップ以外の全てが尾を引いて流れているように感じる。
「……バ、バタンキュー……」
目を閉じたけど、気持ち悪さに変わりはなかった。
――トオルったら、薫ちゃんとあんなに楽しそうに……――
安奈は物凄い勢いで回転するトオルと薫を見つめる。
「ねぇ、安奈。あの二人、滅茶苦茶回してるな。……んっ? おい、安奈ってば……」
『安奈、トオル君の事ばかり見てないで、黄麻君が話しかけてるわよ!』
アンに怒鳴られて安奈は黄麻に目を向ける。
「あ、あぁ。うん、そうね。あんなに回して、大丈夫かしらね?」
安奈は黄麻に向かってほほ笑んでごまかした。
「き、気持ち悪かった」
僕はふらふらしながらコーヒーカップを下りたが、まだめまいも収まっていないうちから、安奈が次の乗り物に誘って来る。
「ねぇ、今度はチューチュートレインに乗りましょう」
「チューチュートレイン? それは歌かい?」
頭をふらつかせながら僕は尋ねる。
「違うぜ、トオル。ねずみの列車のジェットコースター。なんでも、この遊園地で三大絶叫マシーンの一つに数えられていて、とっても有名らしいぜ」
博識な黄麻先生の解説に感心しながら安奈について行き、ビルの五階を越える階段を上った。
「へぇ、これがジェットコースターかぁ。かわいいデザインだね」
先頭の蒸気機関車を模した物が、乗る所を引っ張っている。ねずみが帽子を被って、機関士みたいな格好をしている。
乗り場に並んだ僕らは、グッとパーで一緒に乗る人を決めたが、偶然にも先ほどと同じペアである僕と薫、安奈と黄麻になった。
「安全バーが結構きついね。ガッチガチだよ」
僕は胸と膝を抑えつける安全バーに手を触れる。
「所で薫さん。このジェットコースターってどういうのなの?」
「ふふふ、気になる?」
隣に座る渡辺薫にたずねると、彼女は意味ありげに笑う。
「このジェットコースターは超電導を使っていて、世界で最速のジェットコースターなのよ」
「ちょ、超電導? それって、リニアモーターカーに使っているやつ?」
「そう、それよ」
蒸気機関車を模したジェットコースターなのに、最新テクを駆使した絶叫マシーンがここにあった。『手や顔を外に出さないで……』というアナウンスが流れた後、けたたましい発車ベルが鳴り響く。
「ね、ねぇ、薫さん。これって、大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。気絶したり、失禁したりする人が何人かいるらしいけど、死亡率はゼロで安全性は保証されているの」
ウィンクをする彼女の言葉に、僕は青ざめる。
「あ、あぁ……、ぼ、僕、ちょっとトイレに行きたいなぁ……なんて」
「大丈夫。お土産屋さんでパンツも売っているみたいだから、気にする必要ないわ。じゃんじゃん、失禁してもOK♪」
彼女の声を合図にしたかのように、ジェットコースターは物凄い音を立て始める。最初からモースピードを出す為にエンジンを温めています、みたいな感じだ。
「お、下ろして~!!」
ジェットコースターの発車の勢いで、僕の頭はシートに抑えつけられた。怖くなって目を閉じてしまったが、右へ左へ曲がるたびに頭をぶつけ、上昇下降を繰り返すたびに頭がどっかへ飛んで行ってしまいそうになった。
「楽しかったね、トオル君。また後で乗りたいな」
「……ぼ、僕は、勘弁……。この世に、こんな地獄があるとは……」
楽しそうに笑う薫とは対照的に、僕はゾンビみたいに顔をげっそりさせる。
『しかし、ジェットコースターとやらは凄いな。これはもしかして、龍の騎士を育成するための訓練道具なのか? 軍馬の模擬で軍人を、回転の拷問で優秀なスパイを、ジェットコースターとやらを用いて龍の騎士を育てるのかぁ。……なるほど、遊園地とは優れた戦士を生み出す巨大な育成機関なんだな。スゲーぞ、おい。この世界はとても進んでいるぜ!』
トールが物凄い誤解をしているけど、今の僕にそれを解く気力は残されていない。
「……もう、だめ……。少し休もうよ」
膝に手をつき、頭をふらふらさせて僕は三人へ切実に訴えるが、安奈が不機嫌そうに口を尖らせる。
「えぇ、もうちょっと遊んでからでもいいじゃない。まだ十二時前よ」
「いいじゃないか、安奈。トオルもまいっちゃっているみたいだし、お昼の時間をずらせば乗り物もすくでしょ。薫さんもいいよね」
安奈の肩を黄麻がぽんぽんと叩いてなだめる。
「はぁ……、いいわよ。はしゃぎすぎて少しお腹がすいちゃったしね。私、ピート君のショーをやってるレストランで食べたいわ」
ピート君というのは、このキャッツランドのマスコットキャラクターで、いつも不気味なニタニタ笑いが印象的な雄の三毛猫だ。
僕らはレストランに向かった。まだお昼前だがピート君のショーを見るために、今から席取りしているお客さんがちらほら見える。
それで、舞台を見やすい席を安奈と薫さんに確保してもらい、僕と黄麻で四人分の食事を買いに並んだ。
『おい、トオル。チャプチェ食おうぜ、チャプチェ。ドリンクはマッコリだ』
「……マッコリはお酒だよ。やめてよね」
「ん? トオル、なんか言った?」
「い、いや、なんでもないよ、黄麻」
トールに思わず呟いてしまったのを慌てて誤魔化す。
メニューは思ったよりも色々あって、キムチチャプチェとか、チヂミ、カムジャタンなどと豊富な品ぞろえだ。遊園地の雰囲気を無視しまくっているけど。
僕と黄麻は料理を乗せたお盆を手にして、安奈たちの元へ運ぶ。
「あれ? 薫さん、安奈はどこいったの?」
席取りしているはずの安奈はいなかった。
「安奈ちゃんは、ちょっと席を立ったわよ」
「ふーん、トイレか」
「女の子に、そんな事を言わないの。デリカシーのない男は嫌われちゃうわよ」
いたずらっぽく笑って指を差してくる彼女に、僕は照れて笑い返す。
「いや、ごめん。気をつけるよ」
僕と黄麻はテーブルに料理を並べる。美味しそうな匂いがテーブルいっぱいに広がる。
「じゃぁ、安奈が戻ってくるまで待ってようか。トオル、それまでおあずけだぞ」
「僕はそこまで食い意地張ってないもん」
黄麻の冗談に笑う二人に向かって僕は頬をふくらませて、安奈が戻ってくるのを待つ。
◆◇◆◇
私は洗面台でごしごしと乱暴に顔を洗う。普段なら化粧を気にする所だけど、今日は仕事もオフなので化粧はしていない。
――はぁ、なにやってるの、私……。せっかく遊園地に来たっていうのに――
のぞきこんだ鏡の中の私はどこかくたびれた顔をしていたけど、一瞬鏡が光った後、それは心配げな顔にとって代わる。
『安奈……?』
私の顔がアンの顔に代わったようだ。心配げな彼女の顔に私は微笑み返す。
「アン、心配する事なんて一つもないわよ」
『……そう』
私は喉まで出かかった愚痴を収め込み、先ほどのやり取りを思い出す。
トオルと黄麻が料理を取りに行って、私と薫さんは向き合う事になり、その沈黙がちょっと気まずいけど、それを見せない。
「ねぇ、薫さん。学校でトオルとは仲が良いの?」
「えぇ、それなりに良い方よ。私達、同じコーラス部だしね」
「へぇ、トオルはコーラス部に入っているって言っていたけど、あなたと同じ部活なんだ」
同じ部活だから、この前はジョジョスで一緒に買い物してたのかなぁ……。少しだけ納得。
ほっと溜息をつく私を見て、薫さんは微笑む。
「今回、トオル君を誘ったのはチケットが余っちゃったのよね。せっかく持っているんだもの、行かなくちゃもったいないじゃない」
彼女のいたずらっぽい視線を向けられて、私は心内を見透かされたような気分になってしまう。
「それに、私とトオル君はコーラス部で文化祭にミュージカルをやるの。主人公とヒロインのラブストーリーよ」
「トオルが、ラブストーリーの主人公? そういうガラじゃないわね」
恋愛とは無縁そうなトオルが愛のセリフや歌で舌をかむ姿が目に浮かんで笑えてしまう。
「本当だとしても、それは酷いんじゃない? まぁ、そんなわけで、ミュージカルに遊園地に行くシーンもあったから、トオル君を誘ってみたのよ」
私と目を合わせて笑いながら話す彼女の言葉に、私の気も楽になり、会話も少しはずんでくる。
「そう、なんだ。トオルが女の子と遊園地に来るなんて、てっきりトオルにも春が来たのかと思っちゃった。ほんと、残念ね」
私の冗談に薫ちゃんも笑い返した後、目だけはまっすぐ私を見つめ返してきた。
「あら、でも私は、トオル君にいささか興味を持っている事はたしかよ」
その一言を聞いて、私はわずかに目を見開いてしまう。
「そ、そう……」
私は世界の全てが意味をもたない映像とか背景に見えた。……あるいは、私の方が世界から切り離されてしまったのか……。掴む所がなくて、地面から足が離れ、どこかへ漂って行ってしまいそうな気になる。
「……薫さん、私、ちょっとお手洗いに行ってくる」
「そう。確か、……あっちにあったみたいよ」
彼女が指を差して方向を教えてくれたので、私は頷いて礼を言う。
「ありがとう。すぐ戻るから……」
私はなんとか走りだしたくなる気持ちを押させて、歩いて向かう。
「……安奈ちゃんもトオル君も……、二人して分かりやすいわね……」
動揺して立ち去る私には、彼女の呟きを聞かなかった。
「……まぁ、興味があるっていうのは嘘じゃないんだけどね……」
いつも笑顔の彼女は、その顔を少しだけ曇らせる。
「……安奈ちゃんがいなかったら、私の考え方もちがっていたかもね……。まぁ、欲張りはよくないわ。私は、私の目的が果たせれば……ね」
彼女は再び笑顔を浮かべ、料理を運んで来るトオルと黄麻を一人で待つ。
「みなさん、こんにちは! いつも安奈のお世話になっているアンです。今日はせっかくいつも仕事で疲れている安奈の気分転換になると思っていたのに、何やら大変そうです。私だったら、トールの隣でお昼寝すれば、たちまち元気になれるのに。ストレス発散って、意外と難しいんですねぇ。みなさんもストレスをため込まないように、ときどきは羽を伸ばしましょう。
では、今日はこのへんでお別れです。次回の安奈を応援してあげてね!」