第3唱 急が場走れ!
自称賢者のトールに魔法の手ほどきを初めてうけた徹。彼は立派な魔法つかいになってトールを元の世界に送り戻せるか?
いつの頃だろう……、きっと4歳の頃の夢だと思う。
母さんが笑いながら「いい子に留守番しているのよ」と言う。
僕は胸が張り裂けそうな程に「行かないで!」と言いたい。そうすれば、きっと母さんは交通事故に合わなかったかもしれないのに……
しかし、そのたったの一言が口から出てこない。それがどれ程残酷で、どれだけ苦しい事だろうか。
それでもその言葉は声にならない。
幼い僕は、ただ出かける母親に笑顔で手をふるだけで、
母さんは笑顔で口を動かし、声をかけてくるけど、何を言っているのか聞き取れない。
『うるせぇぇぇ!! ママ、ママ喚くな!! 寝ている時ぐらい、ちったぁ静かにしろ!!』
自称賢者様、ことトールの怒鳴り声が僕の今日一日の始まりを告げた。
僕はびっくりし、掛け布団を高々とはねとばして飛び起きた。しばらくの間、ぼうぜんとしているとトールの怒鳴り声が再び頭の中に響き渡る。
『朝から喚いて俺を無視するとはいい度胸じゃねぇか、あぁん!?』
賢者様は朝からご立腹のようです。
「えっと、鏡、鏡。」
僕はコントみたいに手探りで鏡を探し出して覗きこむと、鏡の中のトールはこちらをじっと睨んでいる。彼の腹を立てた顔に僕はバツが悪くなる。
「ごめん、トール。僕、そんなに寝言がうるさかった?」
『たぁっく、どうしてお前みたいな奴が俺と魂を共有する者なんだか。神の御技はたかだか人間の俺には理解できないぜ!』
トールが嘆く。トールの言い草にはひどいと思うが、そんな些細な事は夢の内容を思い出して吹き飛んでしまった。
幼いころ、母さんは事故で死んだ。父さんに聞かされた時、しばらくの間は信じられなかった。少し待っていればアパートに帰って来てくれるような気がして、そのすぐ後に引っ越しする事になった時は、とても駄々をこねた記憶がある。
それからと言うものの、うちはどこか重たい空気が支配していた。父さんもどこか無口で神経質になり、いつも不安そうな顔をしている。
それからあきらめてきたが、夢を見てどうしようもない願望がよみがえってしまった。
……母さんに、会いたい……。
「ねぇ、トール。願いを込めて歌う事で魔法を使えるのなら、死んだ人を蘇らせることもできるのかな?」
僕の呟きにトールは難しい顔をする。
『まぁ、難しいだろうな。トオルにはまだ説明していない事がある。……魔法は願いが強く、歌が上手で、素質がある程様々な事ができるが、だからと言って、それが万能なわけではない』
トールは少しだけ賢者らしく、気難しそうな声で語る。
魔法は心から生まれるものであり、強い願いと、美しい歌により世界に干渉する事ができる。
しかし、魔法はそれを使うものだけの心に反応するわけではない。
世界には恒常性があり、常に正しい姿に有ろうとする力がある。それが魔法を阻む一つの原因である。その世界の恒常性を越える魔力がないと魔法は使えないとの事。
それと魔法をかける対象の心にも影響される。傷を癒したり、魔法で危険から守ったりなどの魔法は、かけられる対象の心も望むことだから魔法をかけやすい。
しかし、攻撃魔法は掛けられる対象の心が拒絶するため、魔法をかける事は難しいとの事。
そして攻撃魔法は、相手を傷つける事を心の底から望まないといけない。そのような事は生粋の悪人である事や、相手に対する怒り憎しみや、戦意がなければ難しいらしい。
『それで、死者を蘇らせる事は、世界の恒常性に阻まれて人類にはまず不可能だ。ゾンビやアンデッドも、元々は死んだ人を蘇らせたいと純粋な願いからの魔法だったが、失敗して願いが歪んでしまった物なんだ。……人を蘇らせる事は犯してはならない禁忌だ……』
トールの静かな語りに僕は心が沈む。できるかもしれないと思っただけ、胸が苦しくなる。だけど、母さんにもう一度会いたい、なんてあきらめなくちゃ。それに……
「母さんもそんな事のぞまないよね……きっと」
僕の呟きにトールが沈黙する。彼だって、「死んだ人に会いたい」と、そんな願いをしてはいけないと分かっていても、その気持ちを理解できなくもないのかもしれない。
僕は沈黙に気まずくなって鏡から目をそらす。
何気なく部屋の片隅を見上げると、衝撃的な物が僕の視界に飛び込んできた。
それは地獄を守護する二人の門番のようだった。それは鋭い槍のようであり、悪魔の尻尾のようでもあった。
短い門番は8を指し、長い門番は6を指す。つまり、am.8:30……。
僕は時計を目にしてベッドから飛び降りた。
「まずい、遅刻だぁ! どうして早く起こしてくれなかったんだよ!」
僕は鞄を手にしながらトールに文句を叫ぶ。
『んなこったぁ知るかぁ! てめぇが早く起きなかったのが悪いんだよ!』
僕は大慌てで支度をする。しかし、とても間に合いそうにない。
「トール!! 瞬間移動みたいな魔法はないの?」
僕は泣きすがる、トールは苦々しそうな声で言う。
『あるはあるが、難しいぞ』
「いいから教えて!?」
難しいだろうが、なんだろうが、それをやらなければならない。
トールはしばらく押し黙って考える。
『そうだな、切羽詰まっていた方が魔法を覚えやすいかもな。お前には一人前になってもらわねばこっちが困るし』
「いいから早くして!」
トールはせかしてくる僕にやれやれとため息をついてから説明をする。
『瞬間移動の魔法を使う時は、行きたい場所を正確に思い浮かべないといけない。下手すると地面に埋まったり、そこにいる人と混ざり合ってしまう可能性がある。」
「それってかなり危険ではないですか!?」
僕は恐竜の化石と一緒に掘り起こされる自分を想像してしまう。そんな僕を他所に、トールは説明を続ける。
『まぁ、そうだなぁ。ま、それはひとまず置いといて、と……。そして昨日やったように、瞬間移動したいと願いを込めながら歌うんだ。」
「えぇい!この際やってやろうじゃないか!!」
僕は即興で歌を考えた。
題名 遅刻しちゃうよ!
作詞 田中 徹
作曲 田中 徹
歌 田中 徹
地獄の鐘が (リーンゴーン リーンゴーン)
悪魔の声が (キーンコーンカーン)
僕の頭は (ドーンヨーン ドーンヨーン)
お先の見通し真っ暗さ~
どうしたら良いの?
どうすれば良いの?
後ろから指さし笑い物
職員室はまっぴらなのに
神様仏様悪魔様
なんでもいいから助けて
僕のイメージ
僕の生活
僕のプライドを守るため
なんだってするから
お願い僕を
あの地へつれていって(リーンゴーンゴン)
無論、僕は歌ったが失敗した。
『徹。きちんと瞬間移動する場所をイメージしたか?』
「そうか、焦っていて忘れてたよ。……えっと、誰に見られず、安全な場所は……えっと、屋上?」
『イメージしたらさっさとやれ!』
トールは容赦ない。
僕は再び精神を集中させ、大慌てで歌う。
願いを込めて歌う。
遅刻したくないと切実な思いを込めて歌う。
二度目、歌ったけど何も起こらなかった。
三度目、オレンジ色の光に一瞬だけ包まれたが、それだけだった。
四度目、光に包まれて、僕の体が一瞬浮かび上がったが、僕が歓声をあげると集中力が切れたのか、再び重力に引っ張られて尻もちをつく。
五度目、今度こそ学校の方向へ瞬間移動した、……学校の方角へ約二メートルだけ……。僕はマンションの六階からダイビングする前に、なんとかベランダの手すりを掴んで事なきを得た。『ふざけんな!』という賢者様のありがたいお言葉を頂き、僕は涙ぐむ。
六回目、今度は真上に約二メートルだけ瞬間移動した。たばこと酒の匂いがぷんぷんした部屋で、若いカップルがベッドの中で寝ていた。掛け布団から覗く顔は、ケバイ女性と強面な男性で、テーブルには白い粉が置かれていた。
僕は怯えながら、こっそりと部屋の外へ出る。
そうやって何度か失敗を繰り返した。
「はぁー、これって成功するのかなぁ?」
ふと時計に目をやると、時計の針はam8:55を指示している。 後5分しか時間はない。
「む、無理だー! 遅刻! 遅刻!」
そんな思いが後押ししたのか、歌を歌うと溢れんばかりに輝くオレンジ色の光が僕を包み込み、視覚を奪う。
僕の体が重力から解放されて浮かび上がって、空高くを光の速度で飛び上がり、大空を横切る。
ほとんど時間が経たないうちに光が弱まり、視覚を取り戻すと下の方に屋上が見えたので、なんとか足の裏で着地する。
スピードが出ていたので脚に酷い衝撃が走るかと思ったが、以外にも脚にかかる負荷は軽かった。
僕は自分の体をじっと眺めた後、周りを見渡し、空を、町を見下ろした。
なかなか実感が湧かなかったが、ようやくここが学校の屋上だと認められて、胸の内から感動が押し寄せてくる。
「凄い、成功だ。」
『トオル、早くした方がいいんじゃないか』
僕は歓声を上げてガッツポーズをとるけど、トールが冷めた声ではっと我に返る。こんな事をしている場合ではない。急いで教室へ向かわなくては!
僕は屋上から中に入ろうとしてドアノブを回して入ろうとしたが、押そうとした所で強い手ごたえが返ってくる。
「か、鍵がかかってるよ!!」
僕は悲鳴を上げた。普通に考えれば屋上の扉に鍵がかかっているのは当たり前だ。
『やれやれ、もうあきらめな』
トールはあきれてため息をついた。
しかし、ここまで来ておいて、あきらめるなんて無いよ。僕はドアにしがみついた。僕は声を張り叫ぶ!
題名 早くあけろ!
作詞 田中 徹
作曲 田中 徹
歌 田中 徹
早く開けろ!バカ野郎―、この野郎ー
とっとと開け!バカ野郎―、この野郎ー
早く開かないとぶっ壊すぞ?
とっとと通さないと押し通るぞ?
地獄の門番くそくらえ
神界の番人ふざけるな
お前らなんて知ったこっちゃない
俺は通るぞ!?
今すぐ通せ!!
ドアの向こうで金属音が妙に大きく鳴り響き、扉はあっさりと開いた。
『すげぇ、即興で開封の魔法を使ったよ。人間切羽詰まるとなんでもできるんだなぁ。やはり、徹には魔法の才能が底しれないなぁ』
必死の形相で走る僕をよそに、トールはあきれたような、感心したようにつぶやいた。
地獄の鐘が鳴り響く中、僕は走る。廊下を僕の足音が慌ただしく響くが、そんなのお構いなしだ。
チャイムが鳴り終わる前に、僕は教室に飛び込む。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
先生は既に出欠をとろうとしていた所らしく、出席簿を持ったまま目をまん丸にして僕を見つめてくる。
「ふー、ぎりぎりセーフって所かな。」
先生は走り込んできた僕にビックリしているのか、さっきから僕をボケっと見つめている。クラスメイト達もド派手な登場をした僕が珍しいのだろうか、ずっと見つめてくる。
ぎりぎり入ってきたのに相当ビックリしたのかなと僕は不安に思う。遅刻ぎりぎりとはいえ、こんなにうるさく入ってきてはまずかったのかもしれないと、僕がそう思った時、先生が僕に声をかけてきた。
まるでこの世にあり得ない物を見たかのような顔をして先生は……。
「田中君…だっけ…、君、……制服はどうしたの?……パジャマ着てるけど……?」
僕の顔は盛大に歪み、すっとんきょな声を上げた。数十秒後、クラスの盛大な笑い声が僕をやさしく包み込んだ……。
おとなしい徹が魔法は大成功、人生は大失敗してしまいます。徹が成長するのをやさしく見守ってください。