第33唱 本当に欲しいものは、近くにあるのになかなか手が届かないものだ
道化師のような声の放送が鳴り響いた後、地獄のショータイムが幕を開けた。
僕らは床に伏せている。僕は固い床の上に座るのが嫌いだ。正座は足が痺れるし、胡坐や体育座りも腰が曲がって疲れる。でも、床に伏せなければ、漆黒の闇のような銃口を否が応にでも目に入ってしまう。恐怖から少しでも逃れたければ、頭を伏せるしかない。
頭を伏せたまま、僕は周りをうかがうと八十人近くの人が恐怖におびえながら伏せている。もちろん、コント・トリオも震えているし、あだ名がタッツーらしい小学生の四人もいる。
ただ、その中に渡辺さんの姿はない。彼女は運良く逃げたのか、あるいは別の階で捕まっているのかは分からない。
そんな事を考えていると、エスカレーターからぞろぞろとマシンガンを向けられた人たちが上がってくる。その中に、見覚えのある人物がいた。
『おい、トオル。あの女は、お前のガールフレンドだろ!?』
怯えた表情の彼女は喉を掴まれながら拳銃を向けられていて、僕らと違って男の手元で捕まっている。
――安奈!――
僕は彼女を呼びたくなったが、歯を食いしばって堪える。ここで注目を浴びても、かえって自分だけでなく、周りにいる人たちも危険にさらしてしまう。
みんなが怯えている中、銃声が鳴り響き、コンクリートの破片が飛び散った音が聞こえる。
「いいか、大人しくしとけ! これから政府と交渉して、金をふんだくる。お前らはその為の人質だ。そして、これから二時間後から人質を殺してゆく。一時間に一人だ。ははは、人質は多いから、沢山無駄遣いできるぞ」
男の悦に入ったような脅しを聞き、みんなさらなる恐怖に怯える。
「おかしな真似をした奴から使ってやるよ。予定が前倒しになるかもしれねぇから、覚悟しとけ!」
再び銃声が鳴り響き、これ以上ない程に身をすくめる。近くにいた老人も気絶してしまったようだ。
このデパートの中、この閉ざされた世界は歪んでいる。全ての歪みのしわ寄せがここに集まっているかのようで息苦しい、その悪意にその身を裂かれそうだ。
普通の人間が、こんな狂った世界にいられるはずがない。
『どうするんだ、トオル。このままじゃ、あの子も、お前も、みんな死ぬぞ。こういう奴らが、「はいお金を受け取りました、領収書をお渡しします」とか言って、無事に返してくれるような奴に見えるか!? よくても、逃走のおとりに仕掛けた爆弾を爆発させそうだ』
トオルの言っている事は残酷だが、かなり的をついている。それで逃げ切れるかははなはだ疑問だが、そこまでしなければ金を手に入れられてもすぐに警察に捕まるだろうし、人を殺すのを躊躇する人間がこんな馬鹿げた事をするはずがない。この種の人間は、他人を傷つけて笑う奴らなのだ。
僕が逡巡していると、近くでコント・トリオのリーダーがポツリと呟く。
「黒猫……仮面……たすけて……」
とても小さな呟き、とても微かにも助けを求める声。悪に嘆き、僕自身さえも否定したヒーローを信じている。僕の事を信じくれている。
しかし、こんなちっぽけな僕はどうすればいいのだろうか。その信頼が重たい。
黒猫仮面にこの場で変身すればいいのだろうか。変身ヒーローの物語には、ラストの方でみんなの前で変身して正体を明かしてしまうような話がある。
それが今なのだろうか。
まだたったの三回目、世間一般的には二回目の登場で正体を明かすのか。この物語はこれがラストなのだろうか。もう、打ちきりなのだろうか。
それでも、みんなを救いたいと願うのであれば、覚悟を決めるしかない。
『その前に、歌を歌ったら気を引きそうだし、変身最中に撃ち殺されそうだが……』
……む、確かに、変身が終わる前に殺されちゃいそう……。
しかし、まだ二時間の猶予がある。それまでに、打開策を考えなければ……。
◆◇◆◇
「ふー、これからどうしたものかしら……?」
四階の女子トイレの個室の中。手にフライパンを持った女の子が頭を抱えている。彼女は大きなコートを羽織って、顔をサンバイザーで隠している。サンバイザーとは、頭の部分がないツバだけの帽子で、顔を日差しから守るための物だ。彼女が付けているのは、ツバが黒いプラスチックでUVカットする、奥様方ご愛用の優れ物だ。
そのサンバイザーとコート、フライパンの三点はお会計を済ませていないものだが、今はレジもやっていない非常事態。お会計よりもその非常事態をどうにかする方が先だ。
彼女はため息をつく。
「……今の私じゃ、たいした魔法も使えないわ」
彼女は強盗犯と立ち向かえるだけの力はある。しかし、その力に余裕はない。無駄な魔法を使わないで、一人ひとり対処すれば勝てるという意味だ。
彼女が一人ひとり対処している間に、人質で脅されて終わりだ。下手をしたら、人質を何人か殺されてしまうだろう。
「私一人じゃ無理。警察か、黒猫仮面が乗り込んでくれないと無理ね」
彼女はそんな暗い想像を追いやろうと、顔を横に振る。
「なにか、考えなくちゃ。まだ、時間はある……。きっと、なんとか……」
彼女は携帯を開き、ワンセグでチャンネルを回してみる。
◆◇◆◇
僕は目を閉じ、エルフィーたちにテレパシーを送る。
――エルフィー、ラジー、マリー嬢。聞こえたら返事してくれ!――
『ふぁーい。……今、お食事中……。あっ、こちらエルフィー……、じゃなくて、コードネームゼロゼロセブン。オーハー』
――お前達、一緒か!?――
『うん、ラジーもマリーもお食事中。マリーはお食事中におしゃべりするのはマナー違反だって、オーハー』
――どこにいるの?――
『へへっ、僕達、でぱーとの中にいるの。しばらくしたら、人がいなくなってお魚が食べ放題なの。それと、ぐるぐる回る所で、追いかけっこしているの。オーハー』
どうやら、回転寿司で無銭飲食しているらしい。普段なら怒る所だけど、今は大歓迎だ。
――エルフィー、近くに赤くてボコッとした物があるから、探してみて――
『何かご褒美、くれる?』
こんな非常事態に物を要求してくるとは図々しい、いったい誰に似たのやら。
――鳥のささみを買ってあげる――
『了解。これからラジー、マリーと一緒に探すね』
エルフィーはそういうと、三匹で火災報知機を探し始めたようだ。
僕の作戦は単純明快。悪く言えば穴だらけの作戦だ。
一瞬だけ強盗の気を引く事ができたら、その隙に逃げ出せるかもしれない。そして、ガット・ネロマスクに変身する。
その作戦のかなめである、火災報知機のボタンを押すという、三匹のミッションはと言うと……。
『エルフィー、こっちで焼き肉屋さんがあるんだなぁ~。食べたいんだな~』
『あら、こちらにうなぎ屋さんがありますこと。高貴な私には、こういう一流の食材が似合うと思いません?』
三匹がわいわいがやがやとレストラン街をうろつきやがって……。こいつら、主の危機だって言うのに、こっのぉ態度はぁぁ……。
――早く探して! 今度、焼肉とウナギもあげるから!――
『『『了解! オーハー!』』』
現金な奴らだ。全く、猫は気まぐれで自分勝手すぎる!
それから僕は三十分程待った。ゲームなんかしているとあっという間に過ぎて行くのに、その三十分はとてつもなく長かった。
その間、店内にあるTVでWHKのニュースを見た。ちょうどリアルタイムでこのデパートをヘリで撮っていて、大量の警備隊がデパートを囲んでいる。一人でも入ってきた事が分かったら、一階を爆破し、人質を殺すと宣言され、踏み込めない状況らしい。そして、政府はお金の準備にあと二時間三十分はかかると交渉しているとアナウンサーが告げる。
警察は後手へ、後手へと回され、にっちもさっちもみっちーも行かないようだ。
僕が恐怖と焦りで顔をしかめていると、エルフィーからテレパシーが送られてくる。
『あ、あー、聞こえますか、聞こえますか、こちらコードネーム、スネークです。赤い出っ張りを見つけました。オーハー』
――見つけた? その中央に穴があって、透明なふたがしてあるから、それを強く押して!――
『了解!』と、元気いっぱいに返事をしたけど、すぐに困った声を返してくる。
『だ、だめ。ジャンプして押してみたけど、びくともしない。オーハー』
――三人でお互いの背に乗ったら、なんとか届かない?――
『やってみるよ』
数分したら、マリー嬢が不満げに答える。
『固くて無理ですわ。思いっきり前足に力を込めてみましたのですが、私たちの態勢の方が崩れてしまいますわ』
『こ、腰を、打ったんだな~』
――そこをなんとか頑張って――
『わ、分かった。やってみるよ』
エルフィーが答えると、しばらく何かしているようだ。
『ラジー、椅子転がすの、手伝って! ……ぎゃっ!』
『潰される、潰されるんだな!?』
『これでは、いつまで経っても埒が明かないですわね』
三匹があれこれ苦戦している様子をテレパシーでやりとりしていると、男の怒鳴り声が聞こえて、目の前に意識を引き戻された。
「こんな事をしても、上手く行かないと思うわよ……」
安奈が怯えながら強盗に反論しているが、そんなのは逆効果だ。
「うっせぇ。俺達にだって、計画があんだよ!」
強く乾いた音が、デパートの中で鳴り響く。安奈は赤くした目から涙をこぼしながら、左の頬を押さえていた。
僕は焦る。このままじゃだめだ。早くしないと。……だけど、今は彼女を助けられない。目の前にいるのに、手が届かない!!
僕の頭の中は焦りと苛立ちと大切な人を失くすかもしれないという恐怖でパニックになるが、頭の中が混乱で真っ白になる程、逆に僕の頭は冴えていった。
僕は床に顔を伏せ、声を押し殺して歌う。袖を口元に当てながら、僕以外の誰にも聞き取れないほど微かに歌う。僕は僕自身と僕が大切に思う人たちのために歌う。
君との距離 手を伸ばしたら
届きそうなのに
何かが壊れてしまう気がして
背中で手を組んだ
君の瞳 問いかけるような
分かってた、なのに
それでも言わずにしまった心を
夜空へ投げ込んだ
不安から逃げたのに この胸張り裂けそうで
風に乗って飛ぶ鳥のように 心に従って飛び出すべきか
もう少しだけ あともう少しだけでいい
君にこの手が届いたのなら
君に伝えたいと その手を握りしめて
あぁ、思いっきり叫びたいよ
あと一歩踏み出せたら
青い空は 追いかける程
遠ざかって行く
ずっと届かないような気がして
眩しそうに見上げた
最初からあきらめて 知らんぷりできたならなぁ
それでも求めてやまない愛 全てなかった事にはできないよ
もう少しだけ あともう少しだけでいい
君にこの声聞こえたのなら
君への思い そっとその胸に抱きしめて
あぁ、精一杯受け止めてよ
勇気込めて伝えられる……かな?
掴んだと思ったら
もっと欲しくなってしまうだろう
そうやって前へ進んで行くんだ
もう少しだけ あともう少しだけでいい
君にこの手が届いたのなら
君に伝えたいと その手を握りしめて
あぁ、思いっきり叫びたいよ
あと一歩踏み出せたら
『あ! なんか、動いたよ!』
エルフィーが報告した次の瞬間、けたたましいサイレンが鳴り響く。
「つ、冷てぇ!?」
強盗が天井から降り注ぐ水に驚いて、身をすくませる。他の人たちも、とつぜんの警報と水に驚き、周りに注意がいかなくなっている。
僕はさっき、遠くにある物に触れたいという願いを込めて歌った魔法、世間一般的に念動力と呼ばれている力だ。
僕の誰かを助けるための願い、それは見事に功を奏し、遠くにある火災報知機のボタンを押すことができた。
僕は身を低くしたまま、階段に走り込む。幸いにも、捕まった人たちの中で僕は後ろの端の階段に近い所にいたので、強盗の先手を取る事ができた。
「ま、待て!」
銃声が後ろで響くが遅い。僕は既に階段を降りていて、一階と二階の間に辿り着いて息を整える。
『さぁ、トオル。いささか遅いが、反撃の開始だ』
「オーケー。物語のヒーローが遅れて登場する理由、少し分かった気がする」
僕は強盗からみんなを守るために歌う。
どんな時だって
君は独りじゃない
君のそばに僕がいて
家族、友達、恋人
みんな君を思っているから
黒い光に包まれて、僕の手足がグローブとブーツに包まれ、服がスタイリッシュな黒い服に変わる。顔が黒いマスクに包まれ、肩からマントが現れる。そして、胴に猫の意匠があしらわれたベルトが装着される。
『トオル、あいつらに目に物を見せてやれ!』
「もちろん!」
ガット・ネロマスクは人々を守るため、闇と立ち向かう。
Hi!! 変身ヒーローアニメが大好きなトオルです。
やっぱり、変身ヒーローの醍醐味は、正体がばれそうでばれない緊張感ですよね。この小説も、やっぱりその路線で行くのか!?
変身ヒーローで思い出すのが、豚のヒーローに変身するぶーリンというアニメが好きだったような気がするのですが、なんかよく今じゃうろ覚えで少し寂しいですね。旬を過ぎたヒーローは忘れ去られるものですかねぇ……。
まぁ、しみったれた話もここまで! 次回でまたお会いしましょう!