第32唱 隣の芝生は青い。それが近くにあればある程!
私は三十分のミニコンサートを開くため、ジョジョスにやってきた。白く平凡なワゴン車に乗った私たちは、三十分ぐらい余裕をみて来たのだが、予定よりも一時間も早く着いてしまった。アン(どっちもアンナではややっこしいため、彼女をアンと呼んでいる)も不服をもらす。
『……暇ね、安奈』
もちろん私もアンも暇だし、マネージャーの村上真理さんも暇なのか文庫本を読んでいる。いつも笑顔で目尻のしわが印象的な運転手の酒井さんも退屈そうで、彼のあくびだけが車内に響く。私の隣にキーボードなどの楽器を演奏してくれる、金髪に染めて皮ジャンを着ている畑山周蔵さんも、ぐっすり眠っている。
私は退屈に耐えきれなくなった。退屈は猫をも殺すのです。
「ねぇ、村上さん。少しだけ時間までお買い物してもいい?」
村上さんは難しい顔をする。
「うーん、だけどね、シンちゃん……」
「いいじゃないですか、村上さん。我らがアイドル、シンちゃんだってたまには羽根を伸ばしたいでしょ。心配なら村上さんも一緒に行って来るといいですよ。目立たない格好ならばれませんから」
酒井さんが援護してくれる。最近の私の不満を汲んでくれているのだろうか、彼のそういう気配りが嬉しい。
村上さんも少し悩んだけど、あきらめたかのようにため息をつく。
「ふー、分かったわ。一緒に行きましょうか」
私は「ありがとうございます」と二人にお礼を言う。私は帽子を目深にかぶり、サングラスをかけ、マフラーをまく。
「シンちゃん、いや、今はプライベートだから安奈ね。安奈、そんなにしたら、かえって目立つわよ。五月なのにサングラスとマフラーは……」
「はーい」
私は帽子だけ被って、村上さんとジョジョスへ向かう。焼鳥屋さんの前で、女子高生達が集まって三匹の黒猫ちゃんに焼き鳥をあげているのが見えたけど、目立つと面倒だから猫ちゃんと遊べない。あとで、トオルに頼んで遊ばしてもらおうかしら。
「村上さん。私、夏用のシャツが欲しいわ。見に行きましょう」
「……そうね、私も旦那の夏服を見ようかしら。夏休みの家で、いいおっさんがランニングシャツ一枚じゃ見苦しいわ」
いつもは仕事の話しかしないので、こうして笑う村上さんの顔が珍しく感じる。笑うと美人なのに少しもったいない。こうしていると、従姉よりもお姉さんっぽい。
私たちは洋服店を見まわる。どこのお店も値引きに引き寄せられたお客さんがちらほら覗き、ジョジョスがイメージ回復に努めた結果がわずかながらに見られる。
「ねぇ、安奈。このTシャツはどうかしら? あなたにピッタリとおもうんだけど。久米島で作られたって」
「カエル?」
村上さんがそこそこリアルなカエルの刺繍がされたシャツを手渡す。濡れたような光沢のある緑色で思ったよりも可愛く、夏でも涼しげな雰囲気が出てきそうだ。
『カエルだって、……買うの? 安奈……』
あら、アンはカエルが嫌いなの? 私は、良いと思うけど。
『だって、カエルよ? 私は毒を撒き散らすポイズンフロッグが思い浮かんで、嫌だわ。あれが嫌いなのよ』
そんな事を言われると、こちらも買う気が失せてくる。カエルってそんなに人気がないのかしら?
私はカエルのシャツを置く。やっぱり、イルカかペンギンがいいかなぁと、思案していると、アンに意識を戻された。
『ねぇ、安奈。向こうにトオル君がいるわよ。ほら、丸い柱の所』
私はアンの言葉に驚き、目を向ける。確かに、ずらりと並んだ服の向こうに、トオルの顔が覗いている。
「あれ、トオル……」
声をかけようかと思ったが、トオルの隣に同い年位の女の子が立っていて、二人は仲が良さそうにおしゃべりしている。……なんか、おもしろくない。
「誰よ、あの子……。トオルがデートぉ? ありえないでしょ」
あのトオルが女の子とデート? いったいこの世界のどこにそんな物好きな女の子がいるのよ。弱気でちょっとお馬鹿さんで、服も安さ重視のセンスなしだし。
『あら、優しくて、顔もカッコ良くて、可愛いじゃない。彼女が出来てもおかしくないとおもうわよ。……それに、そっくりだし……』
「どこが? 顔だって平凡じゃない。まったく……。所でそっくりって、芸能人か誰かに?」
隠れながら二人を覗いていると、太った子、小さい子、リーダーっぽい子がトオル達と出くわし、仲よさそうに話している。トオルの頭を掴んで、内緒話っぽいのをしている。
初めて私と会った時、トオルは独りで、私たちが声をかけてもなかなか心を開いてくれなかった。
今、私と黄麻の他に、トオルには友達がいる。独りだった時と比べて凄い進歩だし、友達としても喜ばしい事であるはず。……でも、なんだろう。素直に喜べない。
私だって、小学五年生に転校してからの友達がいないわけじゃない。
けれど、私がオタクを対象にしたアイドルのせいだろうか、一部の人以外からは少しだけ距離を置かれているような気がする。そして、割と仲の良い友達だって、学校から離れれば縁がない。私が忙しそうなせいもあるかもしれないけど、土日はもちろん、夏休みの長期休暇で一緒に遊んだ事もない。
私にとって胸を張って「友達だ」って答えられるのは、トオルと黄麻だけなのかもしれない。そして、トオルには自分と黄麻が一番の友達と思っていたのも間違いだったのかも……。
なんか……面白くない。
『もしかしたら、安奈はトオルに恋しているのかしら?』
アンにそんな事を急に言われて、私はしばらくの間ポカンとしていた。そしてその意味を理解して苦笑する。
「そんなわけないじゃない。……きっと、トオルに嫉妬しているのよ。友達に囲まれて……」
『あら、そうかしら?』
私がアンに声を出して答えてしまったので、小松さんが不思議に思ったようだ。
「あら、安奈。ここのシャツは気に入らなかったかしら?」
「あ、いや、村上さん。デザインはいいけど、肌触りがいまいちで……。そろそろ準備した方がいいんじゃないですか?」
「……そうね、ちょっと早いけど、その方がいいわね」
私は焦って言い訳する。私の中にいるアンとおしゃべりしていました、なんて言えない。私は村上さんの手を引いて、トオル達から離れた。
「安奈、指の調子はどう? 今日はギターを弾きながら歌けど?」
「あぁ、大丈夫ですよ。もう、曲も指に馴染んでいますし、指も喉も大丈夫です」
私たちが話しをしながらエントランスホールを歩いていると、急にガラガラと重たい音が鳴り響く。
「へっ? なに?」
出入り口はもちろん、他の窓に分厚く重たいシャッターが下りるのが見えた。小林さんも突然の異常な出来事に慌てる。
「何よ? 火事でもあったの!?」
もちろん、火災報知機は鳴っていないし、煙も見えない。だいいち、火事があったからって、シャッターが下りるわけがない。これじゃぁ、逃げられなくなるじゃない。
私たちがあたふたしていると、突然男の声がする。
「お嬢ちゃん。あなたが若手アイドルのシンちゃんかい?」
そんな事を聞かれて、村上さんは慌てて否定する。
「いえ、違いますよ。人違いです」
「嘘はいけないな」
「きゃっ!」
村上さんが男に殴られる。男は黒いコートと帽子、サングラスで目を覆い、赤いマフラーで口元を覆っている。こうして見ると、五月なのにサングラスとマフラーは変だという、今はどうでもいい事がよく分かる。
「お嬢ちゃん、大人しくしてな」
『安奈!? 逃げて!』
アンが警告するも既に遅い。男に拳銃をこめかみに突きつけられ、私は動けなくなる。周りの人達や店員さんも怯えたように私たちを見つめるだけで、動かない。
「ど、どうして……」
「お前は、人質だ。この分なら、事務所の方からも金をむしり取れるだろ」
私は喉を押さえられて、男が引っ張る方向に従うしかない。
「……ま、待って。人質なら、私が……」
村上さんは痛みに耐えながらも立ちあがり、男に懇願する。しかし、男は一蹴する。
「だめだ。こっちの方が、人質として扱いやすい。もう二度と歌を歌えない程度に喉を潰すだけでも脅しになるしな」
『そんな!』
私は緊張でつばを飲み込む音が聞こえる。私が捕まっていちゃ、村上さんだって手も足も出せない。
周りの人たちが、「警察へ」とか、「助けを呼ばないと」とか言っているけど、それが実行されないうちに、ピンポンパンポーンと、放送のチャイムがデパート中に鳴り響く。放送からはあたかも営業しているかのような男の声が流れてくる。
『このデパートは、我々が占拠しました。一階には大量の爆弾がしかけてあって大変危険です。一階から三階までの方は三階へ、四階から七階までの方は六階へお集まり下さい。それ以外の所にいる人は、問答無用で撃ち殺します。政府が金を用意するまで、従順な態度をお願いします。なお、これは繰り返しません』
まるで道化師のように丁寧かつふざけたような放送がピンポンパンポーンと、終わりを告げる。放送が終われば何も変わっていないかのように思えてしまうが、拳銃を突きつける男は消えない。
男は一発だけ天井に打ち、怒鳴る。
「お前ら、三階へ上がれ! それ以外の奴は撃ち殺す!」
私たちは成すすべもなく、男の指示通りにするしかなかった。
◆◇◆◇
『――なお、これは繰り返しません』
人をおちょくっているかのような放送が終わり、三階にいる人たちが「冗談だろ?」見たいな顔をして茫然としている。
「トール!? どうなってるの?」
『トオル、落ち着け。もしかしたら、本当に事件かもしれない。とりあいず、ガット・ネロマスクに変身して様子見だ。これがいたずらで取り越し御苦労なら良いが、もし本当ならシャレにならない!』
「そうだね、トイレで変身しなくちゃ」
僕がトイレへ向かって走る。
「おい、田中。どこへ行くんだ!?」
「トイレ!」
トイレは階段の隣にある。そこまで駆けこんで変身すれば、何があったて対処できる……、そう思っていた僕は急ぐ事ばかり考えて、注意を怠っていた。僕は角を曲がると、誰かとぶつかって尻もち付いた。
「うわっ! ……たたた……、こんな時に……」
『おい、トオル! 早く立て!』
「……ちょっと待ってよ」
『いいから、早く!』
トールにせかされて僕は立ちあがろうとしたが、眉間になにか黒くて、ひんやりと冷たくて固い物が当たる。
「おい、ガキ! 逃げようったて、無駄だ! 大人しくしろ!」
機関銃の銃口は驚く程冷たいのに、僕の額からは汗が流れ、その目の前にはレスラーみたいなマスクを被った男が立っている。
「……ま、まじ?」
『あぁ、もう! お前がまっさきに捕まって、どうすんだ!』
トールの嘆きが痛いほど僕に突き刺さる。
分かっているよ! 魔法を使えなくちゃ、僕はただのガキだって事は!
ギャバ! 大ピーンチなワタルです。
真っ先に捕まるなんて、とんだ大失態です。ガット・ネロマスクに変身できない僕は、ただのガキで、飛べないクロネコはただの宅配便だ。
しかし、この小説も、ほのぼの路線から路線変更しまくりですね。最初の頃は、変身ヒーローの予定なんてなかったのに、僕の苦労が増えそうですよ。
さぁ、これからの戦いはどうなるのかなぁ? 次回をお楽しみに!