第28唱 時には逃げられないこともある
手錠で手足を拘束され、和室に転がされている。今は謎の男二人組がどこかへ行ったが、いつ戻ってくるか分からない。絶体絶命のピンチだ。
『逃げるか、倒すかしないとまずいな。ここまでするからには、恐らく口封じに殺されるだろうな』
「……ど、どうしよう。どうしたらいいかな……」
殺されるとあっては心穏やかではいられない。冬場に水風呂でかき氷を食べるよりも寒気を感じる。震えが止まらない。
「ト、トト、トトトール。ぼ、ぼく、僕、どうしたら、い、いいいかな?」
『とりあいず落ち着け。怯えた頭では、まともな判断ができない。【一握りの勇気】を歌って、勇気と幸運を上げろ』
「ワ、ワ、分かった」
僕は眼を閉じて歌う。
ほんのわずかな 一握りの勇気が欲しい
君のもとへ駆けつける足が止まらないように
ほんの少しの 一滴の幸福が欲しい
僕のさしのべた手が君の手を握れるように
【一握りの勇気】を歌って、僕は落ち着きを取り戻す。これを歌えば勇気リンリンになるはずなのに、さっきまでの恐怖が強すぎたせいか、普段よりも冷静になっただけだった。
僕は耳を澄ましてみる。僕が聞こえる範囲に他に人いない。魔法を使うにしても歌わなければならない。歌を聞かれれば二人の男の気を引いてしまうので、今が状況をひっくり返すチャンスだ。
「それで、僕はどうしたらいいのかな」
『少しは、自分で考えてみろ』
僕は唇に人差指をひっかけて考える。変な癖だとお父さんに言われているが、無意識にやってしまうから癖なのだ。
僕が生き残るために、僕に使える一番強力な魔法はガット・ネロマスクに変身する魔法だ。僕も一度しか使っていないから、ガット・ネロマスクでどこまでできるかよく分からないけど、男二人ぐらいは倒せそうだ。
そうと決めた僕は精神を集中させ、【黒猫仮面】を歌う。
どんな時だって
君は独りじゃない
君のそばに僕がいて
家族、友達、恋人
みんな君を思っているから
君は、君だけのものじゃない
だから、僕は君に手を差し伸べるよ
君の心が挫けてしまわないように
闇夜よりも深い色の輝きに包まれて、それはすぐに消え去った。
「…………なんで? どういう事?」
マスクに狭まられた視界から見つめる僕の手には黒い皮の手袋、足は黒いブーツに包まれている。しかし、それ以外は普段の僕のままだ。手を握ったり開いたりしても、自分の腹を穴があくほど見つめても何の変化なし。
『トオル、恐らくだが、お前の心が足りないと思うが……』
「……こころが、足りない?」
思わずトールの言葉を呟き返す。
『そうだ、黒猫仮面はお前があの小学生を助けたいと願った時に使えた。つまりだ、誰かを助けたいという思いと、正義の心がないと使えない。今のお前は助かりたいという思いはあっても、正義の心が欠如している。だから、手足だけしか変身できない。……はぁ、全く、この甘ったれが……』
「そうか……」
あくまでも危険なのは僕だけで、自分のためだけでは正義の心が湧きおこらない。しかし、魔法も面倒くさい。魔法を使う条件に魔力以外にもごちゃごちゃと条件がありすぎる。もしこの小説がゲーム化したらパラメーターを育てるのが大変だ。
「まぁ、とにかく手錠を外すかな」
地獄の門番くそくらえ
神界の番人ふざけるな
お前らなんて知ったこっちゃない
俺は通るぞ!?
今すぐ通せ!!
僕の手足から枷が落ちる。僕は【早く開けろ!】を歌って、手錠の鍵を外したのだ。この魔法を使えば、屋上の南京錠から手錠も外す事ができる。この分ならきっと、銀行の金庫も開けられそうだ。それは頭の片隅に残しておく。将来の保険になるかもしれない。
僕は何かの役に立つだろうと思って手錠をポケットに滑り込ませ、ふすまから外に出た。意外な事にここはボロイビルで、床や壁も汚れて窓も所々割れている。そんなに大きなビルではなく、窓を見る限り恐らく五、六階ぐらいに見えた。マントとスーツがない変身状態では、恐らく空は飛べないし、銃弾を防ぐ事もできない。逃げ出すには常に先手を取らないとならないようだ。
僕が階段の方に向かうと、下から人の気配がした。
「……く、あの野郎がガキさらったせいで予定が狂いまくりだ。これで失敗したら、俺たちの首が飛ぶぜ……」
僕は曲がり角で待ち伏せして、男が曲がってきた所を狙う。
「ガット・ネロパンチ!」
僕はチャラチャラしたヤクザっぽい男の腹を殴り、階段の下まで吹っ飛ばす。酷い目に会わされた鬱憤を晴らした後、僕は反対の手で殴った腕と肩をさする。
「いたたた……、肘とか肩がめちゃくちゃ痛いんですけど……」
『変身して強化された手足に、他の部位が追いつかないんだろうさ。調子にのって力を込めすぎたんだよ、馬鹿が。こっちだってイテエんだから、手加しろ!』
僕はトールに反省の色を示しつつ、逃走を開始する。
「なんだ、今の音は!」
さらに下の階から、別のやーさんが拳銃を手に現れる。
「誰だ! テメェは!?」
拳銃をこちらに向けてきて、やーさんが怒鳴る。
『トオル、カッコよく名乗れよ!』
「う、うん」
僕は一分ほど一生懸命に考え、正義のヒーローが答えそうな名乗り方を口にする。
「……何だかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情け。世界の破壊を防ぐため、世界の平和を守るため……」
「ロケッ●団か!?」
やーさんが視線を鋭くし、拳銃を構えなおす。なんか、やーさんが映画の主役みたいだ。そんな様子に僕はあたふたしてしまう。
「……あれ? そういえば、これって、……悪役のセリフだっけ?」
僕の名乗りをくじったよだ。僕は猫を模したマスクで顔を覆い、手袋とブーツを身に付けた僕はやーさん以上に怪しいのかもしれない。
「わ、私は……、えっと、正義の味方、ガット・ネロマスク! お前らが誘拐した少年は、すでに保護させてもらった!」
僕はびしっと人差指を向ける。
『……なんか、もろ名乗り方を失敗したな……』
トールもがっかりしている。彼はガット・ネロマスクを気に入っていたのだ。
色々と台無しだけど、やーさんはのりがいい性格らしかった。
「そうか、ならお前を生きて帰すわけにはいかない。ここで死んでもらうぜ、ガット、えっと、なんだけなぁ……。えっと、死ね、長靴をはいた猫!」
名前を覚えてもらえず、勝手な名前をつけられてしまった。しかし、それを訂正している暇はない。手足とマスクのある頭以外は普通の体なのだから、なんとしても銃弾を避けなければならない。
「ガット・ネロバリアー!!」
先ほど倒した男を持ち上げ、その背に隠れる。
「人を盾にしているだけじゃねえかぁ!!」
僕を罵倒しながらも、彼は拳銃を構えたまま固まる。さすがに仲間ごと打ってくるだけの残虐さを持ち合わせていないようだ。
「ガット・ネロバスター!!」
「ぶごぉっ!」
僕は盾にした男を階下にいるやーさんに投げつける。ガット・ネロマスクの力と男の体重と高低差に、さすがのやーさんも気絶する。
「ガット・ネロマスクの初陣もまずまずだね」
『はっ、けったいなダークヒーローだな』
僕は男の拳銃を拾いながら下へ向かう。
「おい、そこのお前!」
「おっと、失礼?」
「うわっ!」
新たに現れたやーさんが怒鳴るも、僕は壁に向かって引き金を引き、壁の破片をまき散らす。そして、たたらを踏んだやーさんに向かって鋭く走り込む。強い力を使うと僕の体が反動で痛むため、最小限の力で急所を容赦なく、あたかもICチップを作るかのように的確に狙う。
「ガット・ネロォォ・ゴールデンブレイカー!!」
「ぶぼっ!」
やーさんは股間を押さえて気絶する。恐らく、この男の未来を完全に破壊したであろう。
『よし、この調子でガンガン行こうぜ!』
「まったく、油断は禁物だよ」
僕は階下に足を進めると、さっそく拳銃を持った男が四人も現れる。そのうちの二人は、僕をさらった二人組だ。
「お前は何者だ!」
「ようやくまともに名乗れる……。私は社会の影にひそみ、世にはびこる悪を狩る月夜の狩人。黒き疾風のように駆け、どんな闇でも私の眼は誤魔化せない。我こそが、正義の使者、ガット・ネロ……うわっ!?」
名乗りが長過ぎたのか、じらしたやーさん達が発砲してきた。
「くっ、人の話の途中で攻撃してくるなんて、卑怯な!」
『のりのりだな、トオル』
僕は階段を思いっきり蹴り、飛び上がる。空中で反転して天井に足をついた後、こうもりみたいに逆さになった僕はやーさんたちの姿に狙いを定めて天井を蹴って突撃する。
他の三人は驚きで反応できなかったけれど、僕をさらった茶色のコート男はこちらに拳銃を向けて引き金を引く。
『トオル!』
トールが焦った声をもらすが、僕は冷静だ。マスクを被った僕の動体視力は強化されている。銃口、視線、引き金の指、肩から弾丸の軌道を予測して右手を構える。
肩、腕、指が動くのを確認し、そのタイミングに合わせて親指と人差し指を、豆でも挟むかのように閉じる。
「ガット・ネロ・ヘッドブレイク!」
茶コートの男に頭突きを繰り出した後、体が逆さになったまま両足を回転させて、残り三人を蹴り飛ばす。
『おい、今の技はなんだよ』
「あっと、えっと、ガット・ネロ・タイフーン、かな?」
もはや技名を叫ぶのも、面倒になってきた感があり、トールの質問にその場で考えた技名を告げる。
僕は立ち上がって先を急ごうとするが、急激な痛みが襲いかかり、右手で腹を抑えつけて、かがみ込む。
『おい、トオル、どうした? まさか、さっきの弾を食らったのか? 腹、なのか?』
あまりの激痛に答えられない。トールも痛みを感じるはずだが、僕と百%同じ感覚を得ているわけではないのだろう。痛みは感じても、痛む部位をよく把握できないようだ。
「くっ、……トール、僕、しくじった……。さっきの、弾……」
『うっ、大丈夫か、トオル』
僕はなんとか右手を離し、手袋を取った。人差指が赤くはれ上がっている。
「……突き指した……」
『そっちか! このボケが!!』
銃弾を受け止めて突き指するスーパーヒーロー。なんとも間の抜けたものだ。
「はぁ、ガット・ネロマスクに、回復能力でもないかねぇ?」
痛いのを我慢して、僕は手袋をはめなおす。右手はしばらく使い物にならないようだ。
『まぁ、この分なら楽勝かな。全員、警察に突き出してやれ』
「うん、もちろん」
僕が立ちあがろうとした時だった。
「は、ははは……。拳銃食らって、ただの突き指かぁ……」
額から血を流している茶コートの男がよろめきながらも立ちあがり、狂ったように笑う。
『おい、まだ生きているぜ』
「死んだら困るよ、トール。彼にはもう少し、眠っていてもらおうか」
完全に悪役っぽいセリフを言い、僕は両手を構える。
「ははは……、俺は終わりだ、終わりだ終わりだおわりだオワリダ……」
白目を剥いて、笑い続ける。
『おい、なんか、嫌な予感がするぜ。トオル、急げ!』
「う、うん。ガット・ネロチョップ!」
僕は左の手刀を男の首筋に叩きこむ。
「『なっ!!』」
肘や肩に負担をかけない程度に手加減したとはいえ、クマも倒せそうな勢いだった。しかし、男はびくともしないどころか、僕に殴られた事にも気がついていない様子だ。平然と笑い続ける。
『トオル、離れろ!』
トールが何かを感じ取ったようだ。僕は彼の警告通りに、階段の踊り場を蹴って下りる。
着地した僕は男を見上げた。異様な圧迫感が襲いかかってきて、男から目を背ける事ができない。嫌な汗が背を伝う。
「ははは……グオォォォ!!」
笑い声が猛獣のうめき声に変わり、男の体が奇妙な形に膨れ上がる。まるで木の幹のように分厚く堅そうな胸板が服を破って表れ、腕は子供の胴体程の太さがありそうだ。腹はまるでカブトムシなどの甲殻虫のように割れ、非常にグロテクス。ズボンもサイズが小さく、ぴちぴちで足の筋肉が透けて見えそうだ。こいつを見たらどんなボディビルダーも体を鍛えるのも程ほどにしたくなるような外見だった。
「な、なんだよ。こいつ……」
僕は思わず立ちすくむ。怖いと思っても、恐怖の対象から目を離すのは尋常でない意思の力が必要だ。
『トオル、気をつけろ! とんでもない魔力を感じる! ……とにかく、逃げろ! 今のお前じゃ無理だ!』
トールの言葉で僕は逃げようと決心した。それが功を奏した。
「!?」
とっさに横に跳ぶ。化け物になった男が飛び込んできた。激しい音がビル中に響き、僕が居た場所の壁は砕け、外界が覗く。この地獄のようなビルの中とは違う、外はまさに別世界だった。もし、僕が逃げようと思っていなかったら、呆けたまま食らっていただろう。そして外に投げ出されていたはずだ。
「なんて、威力……」
青ざめながらも下を目指す。
「おい、お前、止まれ!」
先ほどから続く騒ぎでやーさんが集まってきたようだ。僕に拳銃をつきつけてくる。そんな場合ではないのに……。
「早く、逃げて!」
僕は彼らの上を飛び越えて外を目指す。
「おい、待ちやが……がはっ!」
化け物になった男が僕を追ってきて、じゃまなやーさん達は雑に蹴り飛ばされる。まるで、庭の雑草を踏みつけてしまったかのように、化け物は彼らを気にも留めずに僕を追ってくる。
『こいつ、俺達を狙っている』
トールが焦ったように言う。
このまま僕が逃げれば、あいつはあきらめてくれるだろうか? ……いや、追ってくるかもしれない。外に出れば、それだけ周りにいる人に被害を与えてしまうかもしれない。いや、死なせてしまうかもしれない。
警察がかけつけてくるまで五分ぐらいはかかるかもしれない。しかし、警察の拳銃があの化け物に通用するように思えない。マシンガンぐらいは欲しい所だ。
なら、機動隊が到着するまで待つのか? しかし、機動隊が十数分で駆けつけてくれるとは思えない。その間に、どれだけの人が犠牲になるのか……。
「トール……」
僕は決意を固める。今なんとかできるのは、僕らしかいない。……なら、やるしかないじゃないか。
「あいつを、止めるよ」
『おい、正気か?』
僕は小さく頷く。
「ここで、食い止めないと……」
『…………分かった』
少しの沈黙を経て、トールが返事する。
『一緒に止めるぞ』
「うん」
僕は力強く答える。僕の心の中に熱い思いが生まれ、それが力となる。
僕の体を黒い光が包み、次の瞬間には黒いスーツと猫足を模したベルト、夜空よりも黒いマントに身を包んでいた。
『おっ、ようやく正義の心が湧いてきたか。ガット・ネロマスク、完全変身だな』
トールが感心したように言う。戦いの準備はようやく整った。
「行くよ! トール!」
『は、トオルのくせに偉そうに』
僕らは化け物になった男に立ち向かう。
Hi! 実はスーパーマンよりもスパイダーマンの方が好きなトオルです。
この物語で、初のバトルシーンでした。銃弾を素手で受け止めるシーンは沢山ありますが、受け止めて突き指するヒーローは僕ぐらいですね。これなら、受け止めずに避ける方がとってもカッコイイ。
体育のバスケットやバレーボールでもしょっちゅう突き指してしまいましたよ。まったく、痛くて困りますよね。ちょっとした突き指だってペンも握れないのに、学校を早退できない。踏んだり蹴ったりですよね。これからは、固いボールは使いたくありません。
さてと、僕の愚痴もここまで。謎の化け物はいったいなんなのか? 明らかになるのはまだまだ先ではありますが、それまでお楽しみに。