第23唱 無自覚な事よりも残酷なものはない!
夕方を知らせるメロディが、どこかにあるスピーカーから流れてくる。穏やかで、単調なリズムだが、このメロディがロボットアニメのエンディングテーマをアレンジしたものである事を、知る人は少ない。
『ねぇ、まだ着かないの? 早く出してよぅ~』
『ちょっと窮屈ですわ。高貴な私がなんで……むが』
『まだかなぁ~。まだなんだなぁ~』
三匹が鞄の中でもがく。
『おい、早くしろよ。たっく、女の部屋を訪れるだけで、おどおどするな!』
「そ、そんな事言ったって、緊張するものは、緊張するんだよ」
僕の人差し指が後ずさるのはこれで何回目だろうか。さっきから、インターホンの表面に触れては離す、を繰り返している。
『じれったい!』
トールの意識が強くなり、僕の右手が勝手に動く。僕のささやかな抵抗も無駄に終わり、ようやくボタンに触れる。
≪はい!?≫ 軽いチャイム音の後に、返答があった。
「あ、ぼ、僕だよ。僕、僕」
返事に焦ってしまい、なんだか詐欺の電話みたいに話してしまった。
≪とおる? ちょっと待ってて≫
インターホンが切られ、足音がドアの前に近づき、ドアノブから音が聞こえる。
「あ、安奈。ちょっと遅くなってゴメ……。」
「遅かったね、とおる。待ちくたびれたよ」
眉毛にかかるほどの茶髪に、切れ長な瞳を緩ませて笑う。僕より五センチは高い身長で、着ている服もお洒落だが落ち着いた印象だ。
「あれ? 君は……」
僕が戸惑っていると、彼はプッと笑う。
「何を言っているんだい? とおる。俺は黄麻じゃないか。まさか、苦手な日本史の年号みたいに忘れた、なんて言わせないよ?」
「あれ、本当に黄麻だ。眼鏡も無いし、髪も茶髪に染めたから、一瞬、分からなかったよ」
よく見ると、たしかに黄麻だった。小四時からかけている、青ぶち眼鏡がないので、別人に見えた。
「まぁ、とにかく上がりな。とおるは遅れてきたから、憐れな子羊は君に決定だね」
「な、何さ。その憐れな子羊って?」
玄関には、靴がいくつか出ていて、ぬいぐるみが飾られていて散らかっている印象がある。しかし、普通の女の子だけが住んでいる部屋だ、散らかっているのが普通なのだろう。
僕が靴を脱いで上がると、焦げくさい臭いが鼻を差す。
「なに? この匂いは……」
うっすらと白い煙がただよう中を進んでリビングに行くと、どうやら、台所から煙は漂ってくる。
「あ、とおる。いらっしゃい」
何かの、白い粉で汚れたエプロンをかける安奈が、台所から顔をだした。
「ちょうど、できあがった所よ。冷めないうちに食べて、食べて」
安奈は茶色と黒の何かを運んで来た。
「……これ、何?」
「何って、ホットケーキよ。ちょっと焼きすぎちゃったけど、まぁ、表面がこんがりしていて、美味しいと思うわ」
安奈がニコニコ笑って答える。
黄麻もニコニコ笑って、さりげなく、一番焦げている物体を僕の前に置いた。
どうやら、一枚一枚順番に焼いたらしく、僕のホットケーキが一番焦げていて、少し焦げた物が黄麻の、比較的にきれいに焼けたのが安奈の。きっと、焼いているうちに、上達していったのだろう。
これで憐れな子羊の意味が分かった。一番酷いパンケーキ初号機を、僕に回してきたのだ。
『おい! トオル! こんな酷い料理を食うな! お前の味覚は俺にまで感じてしまうんだぞ! 絶対に、絶対絶対絶対に食うなー!!』
頭の中で、トールの怒鳴り声が響く。僕は頭が痛くなって、こめかみを押さえる。
「ねぇ、とおる。調子が悪いの?」
安奈が心配そうにこちらを見る。
(ごめん、トール。安奈に「こんなの食べれない!」なんて言えないや)
『うっ、そ、そうか……』
トールは素直にひいてくれた。僕の仲の良い友達の前で、遠慮してくれたみたい。
「大丈夫。ただ、僕はホットケーキにバターと生クリームとメイプルシロップをかけるのが好きなんだ」
「あら、私も好きよ。ちゃんと、生クリームとバターも用意してあるし、メイプルシロップだって、従姉からもらった、本場のカナダ産よ」
安奈はしっかりと、そろえていたようだ。願わくば、火加減もしっかりして欲しい。
僕はバターをたっぷり塗り、生クリームでなんとなく飾り付けをして、ホットケーキをメイプルシロップの海に沈める。「これでもか!」と言うほどに、味をしみ込ませる。
「さぁ、食べて見て」
安奈がじっとこちらを見つめる。その隣で、僕に謝るかのように、黄麻が苦笑いを浮かべる。
「じゃ、じゃぁ、いただきます」
僕はスコールのように、メイプルシロップがしたたるホットケーキを口に運ぶ。
ホットケーキは、シロップとクリームの甘さに負けず、バターの味にも負けず、そのほろ苦さと混ざり合う。結局、どれだけ甘くしても、焦げた苦みは誤魔化せなかった。
『うわー!! ハギャー!!』
トールの悲鳴が僕の頭の中ではじけ飛ぶ。まるで、苦しむ僕の代わりに叫んでくれているかのようだった。
一口食べた僕を、安奈は目を輝かせて訊ねて来る。
「ねぇ、おいしかった?」
「……う、うん。美味しいよ」
僕は何とか笑みを浮かべて、一気に食べきる。ホットケーキを全部飲み込んで、ようやくホットした。これぞまさしく、ホットケーキだ。
「ほ、本当!? まだまだあるから、食べて!」
安奈が台所に行って戻ってくると、その両手には、大量に焦げたホットケーキがあった。
Emergency! エマージェンシー!
なんと! 僕が食べたのは、まだまだ序の口だと言うのか! 真の初号機は、真っ黒な墨となって暴走している!!
安奈のホットケーキは、あまたの犠牲の上で成り立った、唯一の成功体か!?
『もう無理! やめろおぅ! やめてくれぇ!!』
いつも傲岸不遜なトールが喚く。
「ご、ごめん。これ一枚でお腹いっぱいだよ」
僕はなんとか遠慮の言葉を振り絞った。
「そう? 男の子って、いっぱい食べるものじゃないの?」
安奈が首をかしげる。
『どうする!? 非常事態だ!!』
(かくなる上は……)
僕はこっそりバッグのファスナーを開け、三匹にテレパシーを送る。
『エルフィー、ラジー、マリー嬢! 大量に盛られたホットケーキの残骸で遊んで!!』
『『『ラジャー!!』』』
三匹がバッグの中から飛び出し、地獄のホットケーキタワーに猫パンチを繰り広げる。
「あー! ごめんね。こいつらも連れてきちゃったんだ。せっかく作ってくれたのに、本当にごめん!」
「あー、いいよ、いいよ。どうせ、食べきれなかっただろうしね。それにしても、この子たちはかわいいね」
安奈はさっそく三匹をなでる。
そんな彼女の様子に、黄麻はホットケーキを食べながら声をかける。
「ほら、安奈も、冷めないうちに食べな」
「はーい」
安奈がホットケーキにシロップをかけて食べ始める。
『はぁ、助かったの……のか?』
ありがとね、エルフィー、ラジー、マリー嬢。
『どういたしまして』『だなー』『礼にはおよびませんわ』
三匹がニャーニャー鳴くよそに、安奈と黄麻もホットケーキを食べ終わる。
ホットケーキの呪いから立ち直った僕は、黄麻に感じた疑問を口にする。
「そういえばさ、黄麻。なんで、茶髪にして、コンタクトにしたの?」
「俺がイメチェンしたらいけないのかい?」
「いや、そんな事無いけど……」
黄麻に不敵な笑みを向けられ、しどろもどろになるが、そんな僕らを安奈が笑う。
「ははは、何言っているの。黄麻はポツポツ白髪がでてきたから染めたんでしょ」
「そうなの?」
黄麻は秘密を明かされて、照れ臭そうに笑う。
「黒に染めても、染めたって良く見れば、ばれちゃうだろう? だから、茶色に染めたんだ。オシャレのために染めたって思わってもらえるだろう? 白髪の為に染めたって知られたくなかったんだ。あ、メガネは陸上するのに邪魔だっただけだよ」
「ふーん、勉強をがんばりすぎて白髪ができたんじゃない? 少しは、僕や安奈を見習ったら?」
『お前を見習ったら、堕落の一方だろうな』
僕はトールを無視して笑う。
「そう言えば、とおるはコーラス部に入ったんだね。安奈に聞いたよ」
「そうそう、とおるの歌、結構上手だったわよ。昨日、三人で作った歌を歌ったのよ」
安奈がエルフィーを膝に乗せ、背中をなでながら言う。
「へぇ、俺もとおるの歌を聞きたいな」
「ほら、とおる、歌いなさいよ」
「えっと、分かったよ」
二人がせがむので、僕は座ったまま、【夢の船旅】を軽く歌う。
二人は目を閉じて、僕の歌に耳を傾ける。
僕らは人生という海を、夢という空を、未来と言う新大陸を思い浮かべる。
「ほらね、とおるの歌、良かったでしょ」
「うん、本当だね。ちょっと小学生の時を思い出していたよ」
僕らは三人で遊んだ時を思い出して、まったりする。
「じゃぁ、せっかく三人揃ったんだし、ちょっとアルバムでも見ない?」
安奈が食器を片づけてから提案する。
「ちょっと、安奈。今日は因数分解について勉強するんじゃないの?」
「いいじゃない、黄麻。とおるにでも聞けばいいわ。ちょっと待ってて。アルバム持ってくる」
「ちょっと、僕に数学は教えられないよ」
僕が文句を言うけど、安奈は耳を貸さない。
彼女は自分の部屋に行き、何やら大きな物が落ちる音やらを響かせ、しばらくすると分厚いアルバムを胸に抱えて戻って来た。
「お待たせ」
彼女の髪が鳥の巣みたいに乱れている。はたして、いったいどこを探していたのやら。
僕らがその事に触れないでいると、彼女はテーブルの上にアルバムを置いて、開いた。
「あ、これ、七夕の時の写真だね」
「へぇ、運動会の写真もあるね。そういえば、安奈のお父さんって、しょっちゅう写真を撮っていたね。俺の写真も沢山あるなぁ」
沢山の思い出を、しっかりと収めていた。まるで昔にタイムスリップして、カメラを通し、あの頃の自分達を覗いているかのよう。
安奈がページをめくる程に、時間は昔にさかのぼって行く。
「これ見て! これ、とおるが初めて私の家に遊びに来たときじゃない?」
「ちょっ、ちょっと! なんでこんな写真があるの!?」
『ブッ! 何だこれ』
六歳ぐらいの僕が、Tシャツ一枚で涙を浮かべている。小さい頃の僕の又には、ご丁寧にハートのシールがきわどく貼られていた。
「たしか、とおるがおしっこも漏らしちゃった時の写真よね。お父さんも、写真の腕が良いわね」
「ははは、そんな事もあったよね? とおる」
「や、やめてよ。そんな写真、今すぐ捨てて!」
僕が写真を盗ろうとするが、安奈がヒョイと取り上げる。
「ははは、いやよ。反抗するなら、このシールをはがすわよ。観念しなさい!」
「鬼~!!」
安奈が僕の前で写真をひらひらさせる。
「あーあ、なんかインスピレーションが湧いてきたかも。ちょっと、歌詞を考えるから、適当にしてて」
安奈は紙とペンを持ちだして、何やら歌詞を書き留め始める。
そんな彼女を見て、僕は大きくため息を吐く。
「はぁ、……安奈はいじわるだ」
黄麻が苦笑する。
「かもね。安奈はちょっといたずら好きで、少し強引な所があるね。でも、それが彼女の良い所でもある」
「はぁ、長所と欠点は紙一重なのかもしれないね」
僕も彼女のそんな所が嫌いではない。彼女のそんな所に、僕は救われたのだから。
「Hi、アイドル活動にいそしむ安奈です。私はいつも忙しくて、なかなか手料理をする暇もないのよね。だから、この前とおるにお好み焼きをごちそうしてもらった時は、愕然としちゃった。私も負けてられないって! ちょこっと失敗しちゃった所もあるけど、私だって女の子。とおるだっておいしいって言ってたし、今日のホットケーキは成功よね♪ あら、もう歌の練習をしないと。じゃぁ、みなさん、また次回で!」