第13唱 人生相談は自分が人生を積んでから!
「いったい、あの子、何があったのだろう……」
僕は机に向かって白紙の原稿に向かったが、ペンは一向に進まない。白紙の原稿用紙を前にしても、川辺であった男の子の事が頭から離れない。
『全く、原稿が進まないのをあの子のせいにするつもりか? あの子も良い迷惑だろうよ』
トールの嫌味に僕は口を尖らせる。
「別に、そういう訳じゃないよ」
僕はそう答えながらも、あの男の子の目が思い浮ぶ。
孤独で、悲しそうな目をしていた。
「あの目はまるで……」
僕はポツリと呟く。
結局その土曜日は成果が上がらなかった。
日曜日の朝、僕はまた白紙の原稿用紙の前でうんうんと唸っていた。
『はぁ、白紙の原稿とお前の唸り声が脳裏から離れないぜぇ。何か面白い事はないかねぇ』
トールも退屈しているようだ。基本的に彼は僕に語りかける事以外にやれる事が無いので、そりゃまぁ退屈から逃れる事は難しいだろう。まだ、引き籠りの方が人生を満喫していそうだ。唯一の救いは、引き籠りと違って宿主に生活費を要求しない事である。
「だめだなぁ。図書館にでも行ってみようかなぁ?」
『そうしろ。このままじゃ退屈で、退屈で、俺の精神が参っちまう』
僕の呟きにトールが賛成する。
『僕も! 僕も! 図書館に行きたい!!』
『図書館? 寝心地良いかなぁ?』
『高貴な私には読書が似合いましょうね』
子猫達も興味新進だ。
「えっと、猫は図書館には入れないから、図書館までお散歩するんなら良いけど……」
『『『えぇ~!!』』』
子猫達は不満そうだった。
僕は子猫達を連れて、道を歩く。僕は残念な事に自転車をまだ持っていない。
僕の前を子猫達がじゃれながら歩く。僕の住むマンションはペット厳禁な為、マンションの出入りには十分に気を付けてもらう。彼らがマンションの住人に見つかっても自己責任、余所の猫の振りをしてもらう。マンション暮らしのシティキャットは、毎日がハードライフなのだ。
僕達は図書館に行く前に、ちょっと昨日の川に寄り道した。全くの反対方向だけれども、昨日の男の子がいるかどうか気になったのだ。
今日も空は青々としていて、川端にある雑草は穏やかな風にゆらゆら揺れ、濁った川が日の光でちらちらと輝く。一日にどれだけ走っているのか謎なおじいさんが「エッホ」と掛け声をかけながらランニングをしている。雑草の上で小学生4人が集まって、立ったまま、なにやら小さく動いている。両手にPSPを持ち、「狩れ!」とか「ボウガン行け!」とか話しているところを見ると、どうやらモンハンを青空の下で楽しんでいるらしい。
僕が川端を眺めながら歩いていると、昨日の男の子らしき子が河原にポツンと座っていた。ちょっと離れていて昨日の男の子か自信なく、話しかけて人違いだったら恥ずかしい。
エルフィーがその男の子に寄り、風に流れてくる匂いを嗅ぐ。
『昨日の子だよ、ねぇ、とおる、早く!』
エルフィーの言葉で僕は安心して彼に近寄るも、どうやって声をかけるか思いつかず、立ち止ってしまう。
えっと、どうしよう?「昨日お会いしましたよね?」でも、それじゃ、僕が黒猫仮面であるとばれちゃうし…… 「本日は晴天ですね?」もおかしい、変な人だと思われるし。「僕、げんきん出しなよ?」って、小学生相手に何を聞いているのか、僕は……
僕の頭が混乱していると、三匹がしびれをきらしたようだ。
『とおる! 早く!』『ンアァ?』『早くおしい!』
それでも動かない僕を無視して、三匹が斬る!
『チャンチャララ~♪チャチャチャチャチャチャ、チャンチャララ~ン♪』
エルフィーが自分で時代劇っぽい効果音を発しながら、彼に走り寄った。彼の効果音は僕らにしか聞こえないけど……
『それー! 野郎ども! 突撃―!!』『んだなぁ~!』『あら、レディもいるわよ。』
三匹がろくでもない事に力を合わせた。
『『『ジェット・ブラック・アタック!』』』
緑の大地を駆けるエルフィーが彼の背中に飛びつき、後続のマリー嬢が首元に前足の足形をつける勢いで飛びついた。最後にラジ―が空高く飛び上がり、宙で一回転して、華麗に彼の頭の上に飛び乗った。
「うわっ!!」
彼は川端の少し斜面になっている所に体育座りをしていたので、三匹に飛びつかれ、でんぐり返しをする要領で前に転げ落ちてしまった。一回転、二回転、三回転と転がり、きれいにピタッと下で体育座りの格好をして止まった。
「なんて事をしてくれるんだぁ!」
僕が愚痴をこぼしながらも、彼に駆け寄った。彼は突然の事に茫然としているようで、目をまん丸にしている。
彼の数歩手前で僕は立ち止って、どう声をかけようか言葉に詰まってしまった。言葉は言霊。特に最初の一言は良好な人間関係を築く上でとても重要である。最初のアプローチで人の第一印象は決まり、この場の第一印象が悪ければ彼に話を聞く事はできないだろう。
そうして、言葉を慌てて探してこう言った。
「十点満て、ん?」
僕が思いつく限りで、最悪な印象を与えてしまっただろう。
暫くの間、彼は茫然としていたが、僕の声に気がついて僕をキッと睨んできた。
「……何か用」
絶対零度の視線が僕の顔を貫く。人の視線が痛いと思った事は、これが初めてかもしれない。
「あっと、えっと、その、ごめんね。僕が飼っている猫が迷惑かけたね?」
僕はちょっとひきつった苦笑いを浮かべながら謝る。彼はあきれたかのように、少し睨む視線が和らぐ。そばにいたラジ―に気が着き、彼の頭を優しくなでる。
「この子達、お兄さんの猫?」
「えっと、そうだよ」
彼は「へぇ」と頷く。
「うちは、マンションだから、ペットは飼えないんだ」
「うっ!」
僕は思わず声を詰まらせる。僕もマンション暮らしだが、ペットを無断で飼っている。おまけに、まだ予防接種もままならない。僕は飼い主として失格かもしれない。
僕が悩んでいるのを余所に、彼は「もしかしてこの子が昨日・・・なわけないな」とか呟いている。
悩んでいる僕を、彼はエルフィーを膝に乗せたまま僕を見上げた。
「・・・ねぇ、お兄さん。」
「・・・(ぶつぶつ)、そういえば・・・いや、えっと、ごめん。何?」
僕は悩みを振り払い、彼の呼びかけに応えた。
「ねぇ、僕、お兄さんと昨日会った? お兄さんは変な格好をしていなかった?」
「い、いや、会ってないよ。もしかしたら、どこかですれ違ったかもしれないけど・・・。変な格好の人も、僕は知らないよ。」
「そう……」
僕はあわててそう応えてアハハと笑う。
「ねえ、この子達を抱いてみる?」
僕が話をさりげなく、強引にそらす。昨日の黒猫仮面と同一人物だなんて知られたくない。
「この子達、変わっているよね。猫が初対面の人間に飛びついて来るわけないのに。」
「こいつらは好奇心旺盛なんだよ。」
そう言いながら僕は苦笑する。
「ほら、こうやって抱くんだよ。」
僕がぎこちなくラジ―を抱き上げる。
『苦しいんだな! 窮屈なんだな! 早く下ろすんだな!!』
ラジ―は尻尾をバタバタ振り、足でもがく。
「クスッ。お兄さん。猫飼っているくせに、猫を抱くのが下手くそなんだね。」
彼は少しほほ笑みつつも、エルフィーを抱き上げ、僕に抱き方を見せた。
「ほら、お腹を胸にくっ付けて、お尻の下からこういう風に。」
『ヤッホー! ラジ―。気持ちいいね』
『全く。なに、年下の男の子に教わっているんだよ。』
トールに茶々を入れられながらも、僕は彼の抱き方を手本にしながら、抱き方を直した。
『はぁ~、苦しかったんだな』
ラジ―が落ち着いたようだ。どうやらこの抱き方が良いらしい。
「ありがとう」
僕は照れながらお礼を言った。
僕はラジ―を抱きながら、彼のすぐ隣に座った。
彼もエルフィーを抱きながら座った。
『私は抱かないのですか? エルフィーとラジ―ばかり不公平です。私には地べたがお似合いって事ですの? 私の美しい肉球が痛んでしまいますわ!』
マリー嬢がプンスカ怒る。
僕は苦笑しつつ、あぐらをかいて、ラジ―の隣に彼女を乗せ、濁った川を眺める。
本当は彼に話を聞きたかったが、どうやって話を切り出したらいいのか分からず、ただ都心を流れる汚い川を眺める。
『早く話を聞けよ、このヘッピリ腰! なぜ、あの格好がダサいのかを!』
「…………」
僕は隣にいる彼に、僕が独り言を言う変な人間と思われないため、トールの罵倒に対して沈黙を守る。
しかし、トール。聞く事があさっての方向を向いているよ。余談ではあるが、よく熱血ドラマでは「明日に向かって努力する」とか「来年に向けて鍛える」とかあるけれど、「明後日に向かって努力する」とかは聞かない。「明後日に向かって努力する」だと、とんでもない方向に向かっているような気がする。明日・来年と明後日の格差は何だろうか? 本当の本当に余談だけど……。
僕がそんな今はどうでもいい事を考えていると、男の子はエルフィーを膝の上から下ろした。
「さてと、お兄さん。僕はもう帰るね。」
「あ、あぁ。……またね。」
男の子は立ちあがり、トコトコ歩いて行った。ただ一人ポツンと歩く姿は、青空輝く太陽に照らされていても、どことなく哀愁を漂わせている。男の子はそのまま歩いて行って、どこかに消えてしまいそうな雰囲気を感じる。
そんな男の子の後姿を見ていて、僕はハッと気がつく。
「あっ! まだ名前も聞いていなかった……」
『相も変わらず愚図な執事です事』
男の子の悩みどころか、名前すらも聞けなかった僕にとって、マリー嬢の嫌身には耳が痛かった。
僕は子猫たちと別れて、今は図書館で本を読んでいる。
子猫達はそのまま商店街をお散歩しに行った。お肉屋さんやお魚屋さんの近くで可愛らしくうろついていると、時々ごちそうを貰えるらしい。野良の経験の賜物だ。
僕はミュージカルのシナリオ作りの為、参考文献を読んでいる。「長靴をはいた猫」は基本だ。しかし、僕がその本を読んでいるのは、その基本中の基本を読んだ事が無かったからだ。なにかのアニメや人形劇で見ちゃうと、いちいち活字を読もうという気になれないんだ。現代人は忙しく、心のゆとりの時間を持つ事ができないんだ。僕もゲームや漫画に忙しく、活字を読む時間が無い。もっと自分の時間が持てたらいいのに……。
僕は読み終わり、本を閉じた。お昼は過ぎてしまったが、運動不足なもやしっ子スキルで昼ごはんを抜かす。外食は僕の虎の子のお小遣いにハルマゲドンを引き起こす。贅沢は敵なのだ。
「長靴をはいた猫」を読み終わった僕は本棚に返却し、新たなる世界に手を伸ばす。その一冊は太古から英知を求める人間に大いなる宝を授けるため、目覚めの時をずっと待ち続けていた。その一冊は太古の昔、極東の地にて、夏目漱石という偉人が残した一冊である。その本は何人のものの人間がその写本を刷り、現代にまで伝えられてきた。
して、その本の題名は…………
「『吾輩は猫である』、みっけ!」
僕は何度この英知の書に挫折を繰り返してきたのか……
小学1年生の時、父が持っていたが投げて遊んでいた。
小学5年生の時、一ページ目だけを読んで放り投げてしまった。
しかし、今度こそは読み切ってみせる!
『三度目の正直』という、ことわざは、今日この瞬間の僕の為に在る!!
僕は読書席に戻り、英知の書と向き合った。
ページをめくると、古い用紙の匂いがする。お世辞でもいい匂いとは言えない、というか少し臭い。指で触ると、ガサガサするだけだ。
僕は古い本の感触を我慢して、活字を目で追いだした。
快調な読み出しだった。全ての物事は始まりに大きく左右される。もし、人生が始まりで全てが決まってしまうのなら、それこそが運命と呼ぶべき物かもしれない。
そう、快調な読み出しを踏む事ができた僕は、運命の女神が微笑みかけられているのだ。
そして今、僕は20ページ目を開いたまま、机の上に突っ伏している。英知の書に仕掛けられた睡魔の力は僕を拒んでいるかのようだった。
『二度ある事は三度ある』ということわざは、今日この瞬間の僕の為に在る!
僕の上と下の瞼が押しつ、押されつつの激戦を繰り広げている所に、第三者が乱入した。
「田中君も図書館に来てたんだ」
「ふぇ、あれ? 渡辺さん?」
そう、僕が睡魔の罠に墜ちかかっている所を渡辺さんが引っ張り上げた。
「へぇ、『吾輩は猫である』を読んでいるんだ。私、どうしても古めかしい文体が苦手なんだよね」
「そうなんだぁ。僕もどうやら苦手らしい……」
僕は寝ぼけた頭で返答する様子に、彼女は少し笑った。
「そうだね、そうとう眠そうな顔をしているもん」
僕は「んー」と唸るような返事をした。
「ねぇ、これってミュージカルのシナリオ作りの参考にするつもりだったの?」
彼女は僕の読んでいたページを覗き込みながら、僕に聞いた。
「そうだけど……、どうやら難しいらしいね」
僕はため息をつき、恨めしげに本を力なく睨んだ。
渡辺さんは僕の様子を気の毒そうな顔をした。
「そっかぁ。まぁ、仕方無いんじゃない? 先輩もできるだけで良いって言ってたし。」
「そうかもしれないけど……。まぁ、先輩が無茶言うんだもんねぇ」
彼女の言葉に少しだけ戸惑ったが安心感が大きくなった。
彼女は立ちあがって、バッグを手に持った。
「じゃぁね、私はもう帰るから」
「うん、じゃぁね」
僕は眠たげな目をしたまま彼女に別れを告げた。
彼女が去った後、僕は白紙の原稿用紙に目を向ける。
「はぁ、ミュージカルのシナリオ作りも小学生も上手くいかないなぁ……」
そうやってボヤイテいると、なにかが足りない気がする。なんだろう? と、暫く考えていると、何が足りないのかようやく分かった。
そう、トールの罵倒がさっきから聞こえないのだ。
「……トール?(ひそひそ声)」
「…………」
トールの返事が無い。
どうしてだろうと思って考えていると、僕が途中で挫折した本が僕の目の前にある。
「……もしかして、これのせい?」
偉大なる賢者様も英知の書の睡魔には勝てなかったようだ。