表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

第4章 国家も会社も家族も、私も宗教だった

善が基準になった瞬間に、

それが暴力になり得る。


そのことを考え続けているうちに、

私は次第に、

「では、なぜ人は善を基準にしてしまうのか」

という問いに行き着いた。


そして、その問いは、

私の視線を自分の内側だけでなく、

外側の世界へと向けさせた。



まず気づいたのは、

この社会には「正しさ」があまりにも多い、ということだった。


国家には、守るべき価値がある。

会社には、従うべき理念がある。

学校には、望ましい姿がある。

家族には、当然とされる役割がある。


それらはどれも、

明文化されている場合もあれば、

空気として共有されている場合もある。


だが共通しているのは、


それに従うことで、

世界が説明され、

自分の立ち位置が定まる


という点だった。



この構造に気づいたとき、

私は少し驚いた。


なぜならそれは、

宗教と呼ばれているものの構造と、

ほとんど変わらなかったからだ。


•何が大切か

•何が正しいか

•何を守るべきか

•何を恥じるべきか


それらが体系として与えられ、

それに従うことで、

世界は意味を持つ。


神の名が出てこなくても、

それは十分に宗教的だった。



国家を考えてみる。


国には、

守るべき理念があり、

象徴があり、

物語がある。


その物語は、

「私たちはこうして生まれ、

こうして今ここにいる」

という説明を与えてくれる。


それに従うことは、

安心でもある。


だが同時に、

その枠組みから外れると、

奇異なものとして扱われる。


これは宗教と、

何も違わない。



会社や学校も同じだった。


そこには

「良い社員」

「良い生徒」

という像があり、

それに近づくことが評価される。


それに疑問を持つこと自体が、

ときに問題視される。


家族も例外ではない。


•親なのだから

•子どもなのだから

•家族なのだから


そうした言葉は、

説明を省略しながら、

強い拘束力を持つ。



ここまで考えて、

私はふと、

嫌な予感がした。


もしこれらがすべて宗教的だとしたら、

では——


私自身はどうなのか。



答えは、

思ったよりもすぐに出た。


私もまた、

自分なりの善悪を持ち、

許せる線と許せない線を引き、

「こうあるべき自分」を物語として持っていた。


それは、


•優しくあろうとする物語

•誰かを傷つけない存在であろうとする物語

•世界の暴力に加担しない人間であろうとする物語


だった。


私はそれを、

理性や判断だと思っていた。


だが今振り返ると、

それはかなり強固な信条だった。



つまり私は、


宗教を外側に見つけて、

警戒していたつもりで、

自分の内側にも、

しっかりと宗教を持っていた。


それは他人に強要するものではなかったし、

教義として語ることもなかった。


だが、

自分自身を裁く力としては、

十分すぎるほど強かった。



この理解に至ったとき、

奇妙な安堵があった。


自分だけが未熟だったわけではない。

自分だけが間違っていたわけでもない。


人間は、

何かを信じ、

それによって世界を整理せずには

生きられない。


それは欠陥ではなく、

性質なのだと。



同時に、

一つの恐ろしさも見えた。


もし、

自分の内なる宗教を

「唯一正しいもの」だと

信じてしまったら。


もし、

それを他人にも当てはめようとしたら。


それは、

自分が最も嫌悪してきたものと、

同じ構造になる。



ここで、

私はようやく立場を変える。


宗教を否定する側でもなく、

信じる側でもない。


宗教性から逃れられない人間として、

それをどう扱うかを考える側


へと移動する。



国家も、会社も、家族も、

そして私自身も、

何らかの物語の中で生きている。


問題は、

その物語があることではない。


問題は、


それを忘れてしまうこと


なのだと思う。



この理解は、

私に一つの指針を与えた。


•自分の物語を自覚する

•それを絶対化しない

•他人の物語を壊さない

•自分の物語で、他人を裁かない


完全にはできない。

だが、

意識することはできる。


それだけで、

善が暴力になる可能性は、

確実に下がる。



私は、

答えに近づいたわけではない。


だが、


「自分は何者か」


という問いに対して、

一つの誠実な前提を得た。


私は中立ではない。

無色でもない。

何も信じていないわけでもない。


ただ、

自分が信じていることを、

信じすぎないようにしたい。


それだけだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ