第1章 なぜ私は「優しくなりたい」と思ったのか
はっきりしたきっかけがあったわけではない。
少なくとも、私自身はそう記憶している。
ただ、振り返ってみると、私の中にはいつも「こうありたい人間像」があった。
それは現実の誰かというより、物語の中に出てくるような、主人公的で、清廉で、迷いながらも最後には正しい選択をする存在だった。
強さはあるが、それを誇示しない。
誰かを打ち負かすより、誰かを守ることを選ぶ。
怒りや悲しみを抱えながらも、それを他人にぶつけない。
そういう、いわば静かな善性を体現した存在だ。
私は、そのような存在に強く惹かれていた。
具体的な名前や作品を挙げる必要はないと思う。それは一人の人物というより、「こういう人間であってほしい」という願いが形を取った像だったからだ。
当時の私は、その像を「理想」と呼んでいたし、疑うこともなかった。
むしろ、それを疑わないことが誠実さだとすら思っていた。
⸻
なぜそこまで「優しさ」に価値を置いたのか。
今思えば、私は世界を少し怖がっていたのだと思う。
露骨な暴力や分かりやすい悪意だけではない。
もっと日常的で、説明もつかず、誰かが誰かを雑に扱う場面。
正しさよりも都合が優先される瞬間。
力関係によって正義がねじ曲がること。
そうしたものに対して、私は強い違和感を覚えていた。
だからこそ、
「せめて自分だけは、そうならないでいたい」
「自分が原因で誰かが傷つくことは避けたい」
そう思うようになったのだと思う。
優しさは、私にとって武器ではなかった。
世界を変えるための理念でもなかった。
むしろ、世界に加担しないための防波堤に近かった。
⸻
その頃の私は、優しさをとても単純に考えていた。
•嘘をつかない
•人を利用しない
•見下さない
•感情的に振る舞わない
•常に公平である
こうしたことが自然にできる人間になれれば、
自分も、周囲も、少しは生きやすくなる。
そう信じていた。
そして、どこかでこうも思っていたのだと思う。
人が皆、同じように考え、
同じように優しくなれたら、
争いは減るのではないか。
当時は、その考えを危険だとは感じていなかった。
むしろ、素朴で、まっとうで、否定する理由のないものに思えた。
⸻
しかし、その「優しくなりたい」という願いは、
しばらくして、私自身を苦しめるものにもなっていく。
理想は高く、現実の私はそこに届かなかった。
感情は揺れ、利己心は消えず、
時には自分でも納得できない行動を取ってしまう。
そのたびに、
「自分はなれていない」
「理想から遠ざかっている」
そう感じるようになった。
それでもこの段階では、
問題は自分の努力不足にあると思っていた。
まだこの時点では、
「優しさ」そのものを疑ってはいない。
疑っているのは、あくまで自分の未熟さだった。
⸻
今振り返ると、ここでの私はとても単純だ。
だが同時に、とても真剣でもあった。
世界を救おうとしていたわけではない。
誰かに説教したかったわけでもない。
ただ、
自分がいることで、
誰かの世界が少しでも荒れないようにしたい
その思いだけは、確かに本物だった。
この願いが、その後どのように変質し、
どのような問いを生み、
どこで行き詰まっていくのか。
それを理解するためには、
まずこの出発点を、否定せずに残しておく必要がある。
だから私はここに、
当時の自分の素朴さと誠実さを、そのまま書き留めておく。




