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『世界の裂け目へ――“核心領域”への降下』
世界の守護者が退いたあと、
裂け目はなおも脈打ち続けていた。
それは単なる穴ではない。
世界が最初に傷ついた場所。
因果律が「正しい形」を失った、始まりの地点。
ノワがアシェルの手を強く握る。
――あしぇる……
――そこ……
――“もどれなく なる せん”……
アシェルはゆっくり息を吐いた。
「……ああ。
だが、もう引き返す意味はない。」
彼の胸で黒核が静かに脈動する。
塔で得た名。
世界に拒まれ、それでも消えなかった自己定義。
それは、この裂け目に呼ばれている。
シエルが一歩前に出た。
「ここから先は、“世界の表層”ではないわ。
因果律が物理や時間として振る舞う以前の層。
あなたの名がなければ、
認識すら保てない。」
ノワは小さく呟く。
――たお の……した……
――でも……せかい の……なか……
アシェルは頷いた。
「塔でも世界でもない。
その“間”。」
◆
◆降下――世界が意味を失う
アシェルが裂け目へ足を踏み入れた瞬間、
“下”という概念が消えた。
落ちる感覚はない。
代わりに、世界が遠ざかる。
色が剥がれ、
音が遅れ、
重さが意味を失う。
ノワの声が、少し歪んで届く。
――あしぇる……
――ここ……
――“じかん” が……ばらけてる……
アシェルはノワを抱き寄せる。
「離れるな。
ここでは、存在が薄れる。」
周囲には無数の“断片”が浮かんでいた。
・崩壊した都市の一瞬
・泣き叫ぶ兵士の顔
・因果律操作で書き換えられた戦場
・消えたはずの村の風景
(……これは……
世界が修正しきれなかった“失敗の履歴”……)
アシェルは悟る。
この領域は、世界のゴミ溜めだ。
人間が因果を弄り、
世界が「なかったことにしきれなかった残骸。
ノワが震える。
――ここ……
――かなしい せん ばっかり……
◆
◆核心領域――世界の心臓前室
やがて、空間がわずかに安定した。
そこには、巨大な“環”が浮かんでいた。
輪でも円でもない。
因果が循環しようとして失敗した痕跡。
シエルの声が低くなる。
「ここが“前室”。
この先にあるのが――
世界の核。
因果律操作が生まれ、
そして歪んだ場所。」
アシェルは一歩踏み出す。
すると、
環の内側から声が響いた。
低く、重く、
個人を持たない声。
「――名を持つ者よ。」
アシェルの背筋が凍る。
(……世界の守護者とは違う……
これは……
“世界そのものの反応”……)
声は続く。
「なぜ、ここへ来た。」
アシェルは迷わず答えた。
「壊れたからだ。
世界が。」
一瞬、沈黙。
「世界は、壊れていない。」
アシェルは首を振る。
「壊れている。
因果律操作という“仮の心臓”で
無理やり生かされているだけだ。」
ノワが小さく付け加える。
――せかい……
――いたい のに……
――いたく ない ふり……してる……
環が軋む。
「……人間が選んだ結果だ。」
アシェルは一歩前に出た。
「なら、選び直す。
俺が。」
シエルが息を呑む。
「アシェル……
それは――
世界の選択権を奪う行為よ……!」
アシェルは静かに答える。
「奪わない。
返すだけだ。
世界から因果律操作を取り除き、
“選べない力”を消す。」
黒核が、これまでで最も深く脈動した。
ドクン……。
環の奥が、ゆっくりと開く。
そこには――
鼓動する“何か” があった。
人工的で、
塔に似ていて、
それでいて世界の一部。
ノワが震えながら呟く。
――あしぇる……
――あれ……
――“まちがって つくられた こころ”……
アシェルは理解した。
(これが……
因果律操作の源。
世界が自分で作ってしまった“代替心臓”。)
そして、ここで彼は確信する。
いつか第三主人公が眠っていた場所――
世界が因果律操作を“完全に捨てるための装置”は、
この心臓と対になる存在だ。
アシェルは拳を握った。
「……まだ終わりじゃない。
これは、始まりだ。」
環の奥で、
世界の核が鼓動を早める。




