8
――翌朝。
アシェルが目を開けた時、世界には色がなかった。
土の匂いも、風の気配も、村人の話し声もない。
聞こえるのは、自分の呼吸だけ。
昨日、ロマルの村に訪れた“あの現象”。
空を割り、森を沈め、人々の存在を奪った災厄。
それは夢ではなかった。
アシェルは身体を起こすと、胸が痛んだ。
呼吸の仕方すら忘れそうなほど、胸の奥が空っぽだった。
(エルマ……エルマ……)
名前を呼ぶたび心臓が壊れそうになる。
しかし呼ばずにはいられなかった。
(守るって……言ったのに……)
目を閉じると、
昨日の最後の光景が、まるで焼き付けられたかのように蘇る。
伸ばした手。
消えていく体。
消える直前の微笑み。
胸の奥で何かが砕ける音がした。
◆
どれだけ時間が経っただろう。
外に出ると、村は前日とはまるで別物だった。
消えた家がある。
残った家も半壊している。
一部の土地は沈み、逆に盛り上がっている。
現実の村というより、
見覚えのある村の“歪んだ模写”のようだ。
生存者は――少ない。
「アシェル……アシェル……」
ラルスが泣きながら駆け寄ってきた。
「父ちゃんも母ちゃんも……いないんだ……
いないんだよ……どこにも……!」
アシェルは頭を撫でてやることしかできなかった。
自分の喉が痛むほどの悲しみを抱えながら。
「大丈夫だ……絶対に……とは言えないが……
俺たちは……生きるしかない」
その言葉は、自分に向けたものでもあった。
◆
生き残りの村人たちが中央の広場に集まった。
人数は……半分以下。
見知った顔が次々と欠けている。
「村長がいなければ、どうすれば……」
「他の村へ逃げるしかない」
「でも道が……森の方はもう……」
希望という言葉すら出てこない空気。
(エルマがいない……村が壊れた……
俺は……どうすればいい……?)
アシェルは何も考えられず、ただ空を見上げた。
昨日の裂け目は消えていた。
空は元通りに見える。
けれど――
“もう二度と元には戻らない” と本能が告げていた。
◆
その時だった。
村の外れから、不自然な土煙が上がった。
「なんだ……?」
「まさかまた……!」
生存者たちがざわつく。
アシェルも警戒しながら目を凝らす。
徐々に土煙の中から“何か”が見えてきた。
それは――
軍の装甲車だった。
「軍だ……?」
「救助か!? 助けが来たのか!?」
一瞬期待が浮かぶ。
だがアシェルは胸の奥に、不穏な予感を覚えていた。
装甲車は村の中央へ入り込み、数名の兵士が降り立った。
全員が重装備で、銃だけでなく因果安定装置まで携えている。
先頭の兵士が荒れた村を見回し、
冷たい声で言い放った。
「……ひどいな。
こちらの報告通り、“因果災害区域”か」
アシェルは眉をひそめた。
(因果……災害……?
やっぱり昨日の現象は……)
兵士は腕につけた端末を操作する。
「生存者は……想定より多いな。何名だ?」
生存者の一人が答えた。
「二十……いえ、二十三名……です」
「ふむ……残存率としては悪くない」
“残存率”という言葉の冷たさに、村人たちはざわついた。
(なんだ……この態度は……救助じゃないのか……?)
アシェルの胸に再び不安が膨らむ。
「ここから重要な通達がある」
兵士は紙を一枚取り出し、読み上げた。
「王国因果律研究省の命令により、
本日この地域の生存者のうち、
健康な成人男性は即時徴兵対象 とする」
村に衝撃が走った。
「徴兵……!?」
「なんでこのタイミングで!? 村がこんな状態なのに!」
「俺たちを戦場に送るつもりか!?」
アシェルの拳が震えた。
(……戦争……
この状況で……俺たちを“労働力”として使うつもりか……)
兵士は淡々と続ける。
「因果災害は敵国が仕掛けた可能性がある。
よって我々は戦力が必要だ。以上だ」
アシェルの胸で、怒りがうごめく。
「俺たちは昨日……人を失ったばかりだ。
家族を……妻を……!」
アシェルが言うと、兵士はわずかに眉を動かした。
「……それは災難だったな。だが状況は待ってくれない」
「ふざけるな……!」
「不満があるなら軍本部へ申し立てろ。
だが今は命令に従え。――個人事情は関係ない」
“個人事情”。
聞きたくなかった言葉だ。
エルマの喪失が、軍にとってはただの“数字”でしかない。
アシェルの胸に、黒い感情が渦巻いた。
(奪われて……壊されて……
その直後に “戦え” だと……?)
拳が血が出るほど握り締められる。
兵士はさらに続けた。
「なお、徴兵は拒否できない。
拒否する者は敵性因子の可能性ありとして拘束・調査対象となる。
以上だ」
「……てき、せい……?」
村人たちの顔が青ざめる。
アシェルの脳裏に、昨日の災厄が浮かぶ。
空の裂け目。
因果の消失。
存在の破断。
あれを起こした“敵”がいる。
いや、もっと巨大な“何か”が動いている。
アシェルの心に、
怒りと恐怖と虚無が混ざった黒い靄が広がった。
(俺は……奪われた。
何もかも……奪われた。
だったら……)
兵士がアシェルに目を向けた。
「お前、丈夫そうだな。名前は?」
アシェルは、ゆっくり顔を上げた。
涙も枯れ、声も震えていたが――
目だけは異様なほど冷静で、深い闇を宿していた。
「……アシェル・レイヴだ」
「よし、今から部隊に編入する。同行しろ」
アシェルの胸で、ひとつの感情だけが形を持った。
(戦う……必要がある。
この現象の原因を見つけるために……)
そしてもうひとつ。
(エルマを奪った“敵”を……見つけるために)
その瞬間、
アシェルの中で何かが静かに確実に“変わった”。




