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『影姫ヴァレリア――復讐者の宣告』
森の奥に、夜よりも深い静寂が落ちた。
風が止み、葉のざわめきが消え、
ただ二つの存在だけが対峙していた。
アシェル・ラカント。
ヴァレリア・ル=イェラント。
ノワはアシェルの背に隠れながら、
震える声で囁いた。
――あしぇる……
――この ひと……
――“たった ひとり の せん” で うごいてる……
アシェルは短く答える。
「……わかっている。」
ヴァレリアの紅い瞳が、夜の獣のように光る。
「逃げるのは得意なのかしら、アシェル。」
「逃げたつもりはない。」
「では“避けた”という言い方が正しい?
――私からの復讐を。」
アシェルは目を閉じた。
復讐――
それはかつて自分の心を燃やし尽くした炎。
だが今は、違う熱が胸にある。
アシェルは静かに答える。
「お前に復讐される筋合いは……ある。」
ノワが驚いて顔を上げた。
――あしぇる……!?
ヴァレリアの瞳が揺れた。
だがその波紋はすぐに氷に戻る。
「――やっと口にしたわね。
あなたが犯した罪を。」
アシェルは逃げずに続ける。
「お前の国を滅ぼしたのは、俺の復讐の線だった。
それは否定しない。」
ヴァレリアは微笑む。
赤く、鋭く、血の匂いを孕んだ笑み。
「なら、あなたを殺す理由は揺るがないわ。」
アシェルは眉をひそめた。
「だが――
お前が俺を殺したところで、
イェラントは戻らない。」
ヴァレリアはふっと笑った。
「戻らなくていいの。
“終わればいい”。
私の心が死ねば――それでいいのよ。」
アシェルは息を呑む。
(……この女は……
自分の生を復讐に“差し出した”のか……)
ノワが泣きそうな声でささやく。
――この ひと……
――“いきてる せん” と “しんでる せん” が
まざってる……
ヴァレリアは一歩前に出た。
灰色の羽根が散り、
森の因果が巻き込まれる。
「アシェル。
あなたが塔で何を得ようと、
どれだけ存在の位階が上がろうと――
私はあなたを殺す。」
アシェルは言った。
「どうしてそこまで俺にこだわる?」
ヴァレリアは静かに、
まるで誰にも見せたことがない本心を紡ぐように言った。
「私の国を滅ぼしたのは、
あなたの“復讐の線”だった。
私の人生を奪ったのは、
あなたの存在だった。
私自身を殺したのは――
あなたの“選択”だった。」
アシェルは言い返せなかった。
塔で名を得た今でも、
これだけは覆せない。
言い訳も無意味だ。
ヴァレリアは続ける。
「だから私は三十年生きた。
ただ――
あなたを殺すために。」
ノワが震える。
――“ふくしゅう の せん” しか……
のこってない……
アシェルは静かに問い返す。
「俺を殺した後は、どうする?」
ヴァレリアの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「……何も。
それで終わり。」
「お前の人生は、それだけか?」
「それだけよ。
他に何があるの?」
アシェルは言った。
「俺を殺した後――
“お前はどう生きる”?」
ヴァレリアの肩が小さく震えた。
紅い瞳に、わずかに“痛み”の色が差した。
「……そんなこと……
考えさせないで。」
その瞬間――
彼女の気配が変わる。
復讐者としての冷徹な視線に戻り、
灰の羽根が舞い上がった。
「もういい。
あなたと言葉を交わしても、私は揺れるだけ。
――殺す。」
アシェルは構えを取らない。
取る必要がない。
黒核が脈動し、
名の位階がアシェルの周囲に淡い揺らぎを生む。
ノワが必死に叫ぶ。
――あしぇる!!
――この ひと と たたかっちゃ……だめ……!!
アシェルは言った。
「戦わない。
俺は、もう“奪う側”には戻らない。」
だがヴァレリアは飛びかかってくる。
因果を断ち切る速度。
時間をねじ曲げるような軌道。
三十年の復讐が一つの刃になって迫る。
アシェルは目を閉じた。
黒核が静かに震える。
次の瞬間――
世界が一瞬、静止した。
ヴァレリアの刃がアシェルの喉元に触れる寸前で止まる。
ヴァレリアの瞳が震えた。
「な……
何……これ……!?
わたしの“因果”が……
動かない……!?」
アシェルは静かに言った。
「世界が俺を“拘束できない”ように、
俺ももう――
“誰かを殺すために存在していない”。」
ヴァレリアの刃が震える。
赤い瞳が揺れる。
「なんで……
なんで抵抗しないの……!?
あなたは……わたしの……!
わたしの――!」
言葉が噛み砕かれ、
喉の奥で崩れた。
アシェルは答えた。
「俺が抵抗すれば、
お前は“復讐の線”に呑まれて死ぬ。
そうさせない。」
ヴァレリアは息を呑む。
刃が揺れる。
「……やめて……
そんな言い方……
わたしを……許さないで……」
そのとき――
森の上空が赤く染まった。
中央連邦軍が森全域に“因果封鎖”を展開し始めたのだ。
警告の声が響く。
【通達:アシェル・ラカント並びに灰翼筆頭ヴァレリア】
【両名、国家級危険因子として拘束対象】
【森全域を封鎖する】
ヴァレリアがアシェルをにらむ。
「……続きは、ここじゃないわ。」
灰の羽根が散り、
ヴァレリアは森の闇へ消えた。
アシェルは静かに息を吐いた。
ノワが震えながら言う。
――あしぇる……
――あの ひと……
――“ころしたい のに、ころしたくない”
ふくざつ な せん に なってる……
アシェルは答えた。
「俺も同じだ。
彼女を殺したくはない。」
森を囲む光が迫る。
「行くぞ、ノワ。
包囲される前に、森を抜ける。」
ノワがアシェルの手をぎゅっと握る。
――いっしょ に……!!
そして二人は、
追跡される世界から逃げるため、
森の奥へと駆け出した――。




