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『三十年後の世界――変わり果てた地図』
銃口が向けられた。
塔の入口跡を背にしたまま、
アシェルはゆっくりと兵士へ向き直る。
兵士は明らかに怯えていた。
「な……なんだその格好は……
識別信号が……反応しない……!?
貴様、どこの部隊だ!」
アシェルは冷静に答えた。
「俺は部隊じゃない。
ただ戻ってきただけだ。」
兵士は後ずさる。
「戻ってきた……?
塔から……?
まさか、あなたは――
“生還者”……なのか?」
その言葉に、アシェルは眉をひそめる。
「生還者……?」
兵士は震えながら言った。
「塔に足を踏み入れた者で生きて戻った者など……
百年にひとり現れるかどうかだ……
あなたは――
特殊生存例だ!」
(塔から生還すると……アノマリ……
異常存在扱いか……)
ノワがアシェルの背中にしがみつき、
兵士を警戒している。
――あしぇる……
――この ひと……
――こわがってる……けど……
――なにか……“よごれた におい” が する……
アシェルはわずかに頷き、
兵士へ問いかけた。
「教えてくれ。
ここは……どこの領域だ。」
兵士は答える。
「ここは第六方面区。
三十年前の戦役で荒廃し、
今は“中央連邦”の監視区画だ。」
アシェルは、理解が追いつかなかった。
(第六方面区……
そんな区分は俺がいた時代にはなかった……
中央連邦……?)
兵士は続ける。
「あなた……もし記憶が混濁しているなら言ってください。
この三十年で世界は激変しました。
“因果律操作”は国家運営の中枢となり、
軍事・経済・司法の全てが因果制御で管理されています。」
アシェルは息を呑む。
(因果律操作が……
世界の基盤……になっている……?)
ノワが震える。
――あしぇる……
――いやな かんじ……
――せかい が……“ひとつ の て” に にぎられてる……
兵士が通信機に手を伸ばす。
「とにかく……あなたは拘束させてもらいます。
塔生還者は全員、中央で審問を受ける決まりだ。
国家レベルでの危険因子なんです!」
アシェルは少し考え、
そして兵士へ静かに言った。
「ひとつだけ質問に答えろ。」
兵士が戸惑う。
「……な、なにを?」
アシェルの声は震えていなかった。
「三十年前……俺の故郷を滅ぼした“隣国”。
今も存在しているのか?」
兵士の顔が強張る。
「な……!
隣国……!?
あなた、それを……」
アシェルの全身に力が入る。
「答えろ。」
兵士は硬い声で言った。
「……イェラントは、滅びました。
二十年前、連邦によって完全に。
今は地図上に存在しません。」
アシェルは目を閉じた。
(滅んだ……
なら俺の復讐は……
すでに果たされている……?
そんなはずは――)
兵士の声が続く。
「しかし……
一人だけ、生き残りがいます。」
アシェルは目を開いた。
兵士は言う。
「イェラント最後の王族の血を継ぐ人物――
“ヴァレリア・ル=イェラント”。
今は連邦最大の暗殺組織“灰翼部隊”の筆頭として活動。
……連邦すら制御しきれていません。」
アシェルの胸が熱くなる。
ノワが震えながら言う。
――あしぇる……
――それ……
――“ふくしゅう の せんいん” だよ……
アシェルは呟く。
「……ヴァレリア……
亡国に追いやった俺を……追っている……
そういうことか……」
兵士はまだ話していた。
「彼女はたった一人で、
連邦の因果律中枢を破壊しようと試みた……
そして――
彼女は言ったんです。」
アシェルは息を飲む。
「なんと言った?」
兵士は震えながら答えた。
「『あの男――アシェルに、必ず復讐する』と。」
アシェルの周囲の空気が張り詰めた。
黒核が低く脈動する。
ノワがアシェルの手をぎゅっと握る。
――あしぇる……
――はじまる……
アシェルは静かに言った。
「兵士。
俺を拘束するつもりなら、好きにしろ。
だが――
ひとつだけ覚えておけ。」
兵士が身をすくめる。
アシェルは、
塔を出た者らしい静かな威圧を放ちながら言った。
「俺が探しているのは、国でも軍でもない。
ひとりの女だ。
ヴァレリア――
イェラントの“影姫”。
彼女が俺を探しているなら、
俺が行くまでもない。」
兵士は凍りつく。
アシェルはゆっくり歩き出した。
「――いずれ向こうから来る。」
塔を出たアノマリ。
消えた村。
軍事化した因果律。
そして、残っていた復讐の影。
アシェル・ラカントの帰還を、
世界はただ恐怖と共に迎えた。




