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カーディア  作者: アデル
第一章 第一項 谷間の農村ロマル
7/83

7

 エルマが消えた瞬間、

 世界は音を奪い、色を奪い、意味を奪った。


 アシェルの耳には、自分の心臓の鼓動すら聞こえない。

 ただ、胸の奥で何かが“切り裂かれたような痛み”だけが残っていた。


(エルマ……エルマ……エルマ……)


 名前を呼んでも返事はない。

 呼べば呼ぶほど、空虚が広がっていく。


 地面に膝をつくと、手が震えていた。

 冷たい土の感触すら曖昧になるほど、身体の感覚が乱れていた。


「なんだよ……なんだよこれ……」


 声は震え、喉がひりつく。

 涙が零れ落ちる。


「エルマ……どこだよ……どこに……!」


 しかし返答はない。


 空に裂け目が走り、

 エルマの“存在痕”すら残さず消していったのだ。


 死体も、血も、影も、何もない。

 ただ“最初からいなかった”かのような空白。


(そんな……そんなわけが……ない……!)


 



 


 アシェルが顔を伏せていると、

 背後で地面が低く唸った。


 ゴ……ゴゴ……ッ……


 村の中央部がわずかに沈み始めている。

 家々が歪み、土が波のように盛り上がり、

 地面の亀裂はどんどん広がっている。


 村人たちの悲鳴が、遠くから聞こえた。


「逃げろ!!」

「あああああ家が!!」

「空がまた割れる!!」


 しかしアシェルには、もう何も聞こえなかった。


 ただひとつの空っぽな思いが頭を支配していた。


(エルマ……返してくれ……返せよ……)


 



 


 ラルスが涙を流しながら駆け寄ってきた。


「ア……アシェル!! はやく逃げよう!! このままじゃ村ごと……!」


「…………」


「アシェル!! エルマ姉ちゃんは!? エルマ姉ちゃんどこ!? なんでいないの!? なんで……!!」


 アシェルは答えない。

 答えられない。


 喉が焼け、胸が裂け、言葉が出ない。


 ラルスは震えながらアシェルの手を引いた。


「逃げようよ……アシェル……お願いだよ……!」


 その瞬間。


 ――ひび割れた空から、光が落ちる。


「危ない!!」


 アシェルはラルスを引き寄せ、地面に伏せた。

 背後で、アシェルの家が一瞬光に包まれ――


 存在ごと、削れた。


(まただ……また何かが消えた……)


 この現象は破壊ではない。

 “因果の削除”。

 存在そのものが抜き取られる。


 アシェルの心に、理解不能な恐怖がとぐろを巻く。


(エルマ……も……これで……)


 胸が締めつけられ、視界が揺れた。


 涙が止まらない。

 呼吸が苦しい。

 心臓が痛い。


(なんで……なんでエルマなんだよ……)


 



 


 空の裂け目が広がり、村全体が紫に染まる。

 風が逆流し、空気の向きがおかしくなる。

 村人の叫びは次々に吸い込まれていく。


 アシェルの横でラルスが震えていた。


「アシェル……もうだめだよ……逃げないと……!」


 しかしアシェルは立ち上がらなかった。

 膝が土に沈む。

 拳を握りしめ、肩を震わせる。


「……なんで……だ……」


 空をにらむ。

 涙で視界が滲み、空の亀裂が“巨大な目”のように見えた。


「なんで……あいつなんだよ……!!」


 声が枯れそうになる。


 その叫びは、誰に向けたものなのか。

 空か、世界か、神か、敵か。


 わからない。


 ただ一つだけ、

 胸の奥に黒い炎が着火した。


 小さく、しかし確実に燃え上がる。


 それは――


 “奪った者を許さない”という感情。

 復讐の種。


 



 


 空の裂け目は徐々に収束し始めた。

 光の吸い込みが止まり、世界が少しずつ元の色を取り戻す。


 しかし村は破壊され、いくつもの家が消失した。


 エルマもいない。

 村長もいない。

 多くの村人が消えていた。


 残ったのは――

 静寂と、空白と、喪失。


 アシェルはボロボロの地面に倒れ込む。


「エルマ……」


 その名を呼ぶ声は、もはや風にも響かないほど小さかった。


(俺は……守るって言ったのに……)


 手が震え、血がにじむほど土を掴んだ。


(この力……この現象……これを起こした何かがいる……)


 涙と共に、

 アシェルは心の中でひとつの“意思”を結ぶ。


(必ず……見つける。

 そして――)


 (許さない。絶対にだ。)


 それが、アシェルを“ただの青年”から

 “復讐鬼”へと変える最初の瞬間だった。

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