7
エルマが消えた瞬間、
世界は音を奪い、色を奪い、意味を奪った。
アシェルの耳には、自分の心臓の鼓動すら聞こえない。
ただ、胸の奥で何かが“切り裂かれたような痛み”だけが残っていた。
(エルマ……エルマ……エルマ……)
名前を呼んでも返事はない。
呼べば呼ぶほど、空虚が広がっていく。
地面に膝をつくと、手が震えていた。
冷たい土の感触すら曖昧になるほど、身体の感覚が乱れていた。
「なんだよ……なんだよこれ……」
声は震え、喉がひりつく。
涙が零れ落ちる。
「エルマ……どこだよ……どこに……!」
しかし返答はない。
空に裂け目が走り、
エルマの“存在痕”すら残さず消していったのだ。
死体も、血も、影も、何もない。
ただ“最初からいなかった”かのような空白。
(そんな……そんなわけが……ない……!)
◆
アシェルが顔を伏せていると、
背後で地面が低く唸った。
ゴ……ゴゴ……ッ……
村の中央部がわずかに沈み始めている。
家々が歪み、土が波のように盛り上がり、
地面の亀裂はどんどん広がっている。
村人たちの悲鳴が、遠くから聞こえた。
「逃げろ!!」
「あああああ家が!!」
「空がまた割れる!!」
しかしアシェルには、もう何も聞こえなかった。
ただひとつの空っぽな思いが頭を支配していた。
(エルマ……返してくれ……返せよ……)
◆
ラルスが涙を流しながら駆け寄ってきた。
「ア……アシェル!! はやく逃げよう!! このままじゃ村ごと……!」
「…………」
「アシェル!! エルマ姉ちゃんは!? エルマ姉ちゃんどこ!? なんでいないの!? なんで……!!」
アシェルは答えない。
答えられない。
喉が焼け、胸が裂け、言葉が出ない。
ラルスは震えながらアシェルの手を引いた。
「逃げようよ……アシェル……お願いだよ……!」
その瞬間。
――ひび割れた空から、光が落ちる。
「危ない!!」
アシェルはラルスを引き寄せ、地面に伏せた。
背後で、アシェルの家が一瞬光に包まれ――
存在ごと、削れた。
(まただ……また何かが消えた……)
この現象は破壊ではない。
“因果の削除”。
存在そのものが抜き取られる。
アシェルの心に、理解不能な恐怖がとぐろを巻く。
(エルマ……も……これで……)
胸が締めつけられ、視界が揺れた。
涙が止まらない。
呼吸が苦しい。
心臓が痛い。
(なんで……なんでエルマなんだよ……)
◆
空の裂け目が広がり、村全体が紫に染まる。
風が逆流し、空気の向きがおかしくなる。
村人の叫びは次々に吸い込まれていく。
アシェルの横でラルスが震えていた。
「アシェル……もうだめだよ……逃げないと……!」
しかしアシェルは立ち上がらなかった。
膝が土に沈む。
拳を握りしめ、肩を震わせる。
「……なんで……だ……」
空をにらむ。
涙で視界が滲み、空の亀裂が“巨大な目”のように見えた。
「なんで……あいつなんだよ……!!」
声が枯れそうになる。
その叫びは、誰に向けたものなのか。
空か、世界か、神か、敵か。
わからない。
ただ一つだけ、
胸の奥に黒い炎が着火した。
小さく、しかし確実に燃え上がる。
それは――
“奪った者を許さない”という感情。
復讐の種。
◆
空の裂け目は徐々に収束し始めた。
光の吸い込みが止まり、世界が少しずつ元の色を取り戻す。
しかし村は破壊され、いくつもの家が消失した。
エルマもいない。
村長もいない。
多くの村人が消えていた。
残ったのは――
静寂と、空白と、喪失。
アシェルはボロボロの地面に倒れ込む。
「エルマ……」
その名を呼ぶ声は、もはや風にも響かないほど小さかった。
(俺は……守るって言ったのに……)
手が震え、血がにじむほど土を掴んだ。
(この力……この現象……これを起こした何かがいる……)
涙と共に、
アシェルは心の中でひとつの“意思”を結ぶ。
(必ず……見つける。
そして――)
(許さない。絶対にだ。)
それが、アシェルを“ただの青年”から
“復讐鬼”へと変える最初の瞬間だった。




