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『最終試練――存在の位階』
白い書板が黒へ沈み込んだあと、
世界は音もなく変化した。
アシェルはノワを支えながら、
ゆっくりと立ち上がる。
そこは――
黒と白の“層”が空間そのものとして積み重なる場所。
触れられる“床”や“壁”という概念がない。
ただ、浮くわけでも沈むわけでもない奇妙な位置に、
アシェルとノワは立っていた。
ノワは怯えてつぶやく。
――ここ……
――“せかい の そとば”……
――かんかく が……“うまれる まえ” の ところ……
アーカーの声が、
これまでで最も近く、最も直接的に響いた。
『ここは“因果の階位”の外側。
世界が世界であるための、最初の深淵。
お前が辿りつくには早すぎる場所だ。』
アシェルは周囲を見渡しながら言った。
「ここが……世界の外側?」
アーカーは肯定する。
『そうだ。
お前の名――“アシェル・ラカント”が定義された瞬間、
世界の構造に歪みが生じた。
その歪みが“ここへの扉”を意図せず開いた。』
アシェルは息を呑む。
(俺が……扉を開けた……?
自分の名を選んだだけで……?)
ノワが震えながら言う。
――あしぇる の なまえ……
――とても つよい……
――“せかい に ひかれない なまえ”……
アーカーが告げる。
『普通の名は世界に固定される。
だが、お前の名は逆だ。
世界を“こちら側へ固定しようとする”。
……まるで、世界が線に引かれていくような感覚だ。』
アシェルは眉をひそめる。
「どういうことだ。」
アーカーは淡々と言う。
『名とは“線引き”だ。
世界の中に線を引き、自分をそこに置く。
だが―― “ラカント” は逆の性質を持っている。
世界の方が、
お前の名の定義へ“吸い寄せられる”。』
アシェルは言葉を失った。
ノワは小さく呟く。
――だから……
――あしぇる の まわり……
――せかい が……ふるえ てる……
アーカーの声が重くなる。
『本来、こういう性質を持つ者は“存在の位階”が上昇する。
神でも、精霊でも、魔でもない。
ただ―― “線の創造者” としての位階だ。』
アシェルは小さく笑い、首を振った。
「俺はそんな大層なものじゃない。
俺は……ただの人間だ。」
アーカーは冷酷に言い放つ。
『――それが問題なのだ、アシェル・ラカント。
“人間であること”のほうが、異常なのだ。』
ノワが息を飲む。
――あしぇる……
――いま の きみ は……
――にんげん の かたち を してる……
――でも……なかみ は……“ちがう もの” に なりつつある……
アシェルは胸を押さえた。
黒核が静かに脈打っている。
恐怖ではない。
怒りでもない。
自分を示す確固たる“核の存在感”。
アーカーは続ける。
『名を選んだ者は、位階を得る。
この塔もまた、かつて“名を選んだ存在”によって作られた。
私はその“残響”に過ぎない。』
アシェルの目が鋭くなる。
「……今のはどういう意味だ。
お前は塔の管理者じゃないのか?」
アーカーは沈黙。
数秒の後、静かに言った。
『私は管理者という“役割”を与えられた存在だ。
塔の主ではない。
塔を創った者は――
“因果の位階を越えた存在”。
名をもつ者。』
アシェルは息を飲む。
(世界の外側……
名を持つ存在……
その残響がアーカー……
じゃあ塔を創った本体はどこへ……?)
アーカーが告げる。
『“名”は位階そのもの。
お前が名を得た時点で、私はもう――
お前を“ただの試練者”として扱えない。』
空間の黒い層がうねる。
アーカーの声が深く響く。
『ここからは最終試練。
お前が名を持つ者ならば、
“位階”を持つ者として証明しろ。
この世界が――
お前の存在を許容するかどうか。』
ノワが震える声で言う。
――あしぇる……
――この しれん……
――“たおす” とか……“かつ” とか……
――そういう もの じゃない……
――“いきもの として の けっしょう”……
アシェルは深く息を吸いこんだ。
(名を得たからこそ…
俺はこの世界のどこかの線に触れてしまった…?
それとも……
俺は最初から“外側に足をかけていた”のか?)
アーカーが宣言する。
『――アシェル・ラカント。
お前の名が世界に“居場所を得られるかどうか”。
その最終判断を行う。
これが最後の試練。』
黒と白の層が螺旋を描き、
巨大な“門”のような形を作る。
門の奥には――
何も見えない闇。
ノワがアシェルの腕を掴んだ。
――あしぇる……
――これは……
――“おまえ が だれ で ありたいか” の さいしゅう けつろん……
アシェルはノワを見つめて頷いた。
「行く。
俺は俺を選んだからな。」
アーカーが低く告げる。
『では――入れ。
“存在の位階”の最終試練へ。
そこでお前の名の価値が決まる。』
アシェルは一歩、門へ踏み出した。
世界が震えた。
黒核が光った。
ノワが祈るようにアシェルの名を呼んだ。
そして――
彼は、最終領域へ消えた。




