表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カーディア  作者: アデル
第一章 第一項 谷間の農村ロマル
6/83

6

 アシェルはただ走った。

 自分でも驚くほど速く。

 地面を蹴る感触すら曖昧になり、景色が線のように後ろへ流れていく。


(エルマ、エルマ……エルマ……!)


 胸が焦げるように熱かった。

 焦りではなく、本能だ。


 村に近づくほど空気が重くなる。

 何か巨大な“圧”に押しつぶされるような、耳が聞こえなくなるような。


 やがて視界にロマルの家々が見えてきた。


 その上を――

 空の裂け目が走っていた。


 まるで巨大な爪で引き裂かれたかのように、夕空が歪んでいる。

 光が吸い込まれ、色彩がどす黒く沈み、空の一部が“透けて”見えていた。


「嘘だろ……あんな……!」


 これはもう“ただの兆候”ではない。

 世界の破断だった。


 



 


 村の中心では、住人たちが混乱していた。


「逃げろ! 空が割れてる!!」

「何が起きてるんだ、誰か説明してくれ!」

「エルマは!? エルマはどこだ!?」


 アシェルは人混みを押しのけ、家へと走った。


「エルマ!! 返事してくれ!!」


 彼の声が震える。

 喉が詰まり、呼吸がうまくできない。


 家が見えた。


 灯りがついたまま。

 扉が半開き。

 中に気配は――ない。


「エルマ!!」


 アシェルは家に飛び込み、部屋中を探す。


 食器が棚から落ちて割れている。

 揺れがあったのだろう。

 しかしエルマの姿はどこにもない。


(まさか……外に……)


 アシェルは心臓を掴まれたような痛みに顔を歪める。


 



 


 その時だった。


 ドォン……!


 巨大な鼓動のような音が村全体に響いた。


 空の裂け目が一気に“開いた”のだ。


 空間が二つに割れ、大きく口を開き、光が吸い込まれていく。

 重力が歪み、地面が波打つ。


「アシェル!!」


 エルマの声だ。


 アシェルは振り向く。


 エルマが村の井戸のそばに立っていた。

 胸元を押さえ、こちらへ走ってくる。


「エルマ!!」


 アシェルの視界が一瞬だけ明るくなる。

 生きている。

 無事だ。

 それだけで膝が崩れそうになった。


「アシェル……! よかった……! どこ行って……!」


 エルマが駆け寄ってくる。

 その手を掴もうと――


 空が鳴った。


 バキィィィィィンッッ!!


 雷でも爆発でもない。

 “構造の破壊音”だ。


 頭上の巨大な裂け目から、光が降ってきた。


 だがそれは光ではない。


 光に見える“空間の欠片”だった。

 陥没するように空が“落ちてくる”。


「ダメだエルマ!! 下がれ!!」


 アシェルは飛びついて抱き寄せる。

 二人は地面へ転がり、埃が舞い上がる。


 



 


 次の瞬間。


 世界が止まった。


 音が消え、風が止まり、色が薄れた。


(な……んだ……? 動けない……)


 アシェルの意識が白くなる。

 強烈な圧力が四方から押し寄せてくる。


 エルマも息が止まりそうなほど苦しんでいる。


「ア……シェル……っ……」


「エルマ、しっかり……!」


 アシェルは必死にエルマを抱きしめるが――


 その時、


 彼の背後で、存在が“削れた”ような音がした。


 ギ……ギギ……ギ……ッ……


 振り返ると、

 井戸の石壁が“まだらに消えている”。


 破壊ではなく消失。

 石が粒子となって、空へ吸い込まれる。


(これは……因果律の崩壊……?)


 アシェルは理解できないながらも直感した。


 この世界が、何かに“書き換えられている”。


 その現象は――

 エルマの足元にも広がっていた。


「エルマ……逃げ――」


 言い切る前に。


 


 世界が“裂け目の光”を吸った。


 


 空から落ちてきた光の破片が、

 エルマの右肩に触れた。


 その瞬間。


「え……?」


 エルマの肩が――

 存在ごと消えた。


 肉体が砕けたのではない。

 血が流れたわけでもない。


 ただ“肩が最初からなかった”かのように、

 滑らかに消失していた。


「エルマ!!!!」


 アシェルが叫ぶ。


 エルマは驚愕と恐怖の表情でアシェルを見つめた。

 口が震え、声がうまく出ない。


「ア……シェ……ル……っ……いたい……こわい……」


「大丈夫だ! 大丈夫だから!! 離れるな!!」


 抱き寄せようとするが、

 エルマの身体の輪郭が揺らいでいる。


(いやだ、やめろ……消えないでくれ……っ!!)


 空が吠えた。


 裂け目がさらに開き、光が渦を巻く。


「アシェル……!」


 エルマが手を伸ばす。


 アシェルも伸ばす。


 あと少し。

 触れられる。

 もう一度抱きしめられる。


 ――だが。


 


 エルマの腕が、

 光に吸われて消えた。


 


 そして。


 胸が。

 顔が。

 声が。


 次々に“存在を奪われる”。


「ア……シ……」


「待て! エルマ!! 行くな!! 消えるな!!」


 アシェルの叫びは裂け目に吸い込まれた。


 エルマは涙を流し、

 しかし最後の瞬間、確かに微笑んだ。


 ――アシェル、ごめんね。


 その言葉が音になったのか、

 アシェルの心が勝手に聞いたのかはわからない。


 ただその刹那。


 エルマは光となって消えた。

 跡形もなく。影すら残さず。


「…………ぁ…………」


「エルマぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 


 アシェルの叫びが、

 裂けた空にも、崩れゆく村にも届くことはなかった。


 ただ、静寂だけが広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ