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カーディア  作者: アデル
第一章 第四項 最深部への門
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9

『精神試練⑥――喪失の再定義』


 


孤独の領域が崩れ去ったあと、

空間はまるで海水のように揺らぎ、

新しい色――深い紺に染まり始めた。


ノワが不安そうにアシェルの手を握る。


――あしぇる……

――この いろ……

――なんか……“こころ の なか の おく” の いろ に にてる……


アーカーの声が響く。


『次の領域は“喪失”だ。

 お前が人生で最も多く抱え、

 最も誤解してきた概念。』


アシェルは息を整える。


「……喪失は……俺の人生の中心だ。

 それを今さら誤解だと言うのか?」


アーカーは静かに答える。


『ああ。

 お前は“喪失を悲しみ”だと定義している。

 だが喪失とは悲しみではない。』


アシェルは眉を潜める。


「……どういう意味だ?」


アーカーが告げる。


『喪失とは、“輪郭を作る欠落”だ。

 悲しみは結果。

 だが喪失そのものは――お前を形作る構造だ。』


ノワが小さく震える。


――あしぇる……

――なんか……いやな よかん……


 



◆喪失は“形”として目の前に現れる


空間の紺色が分裂し、

波のように揺れながら形を作り始めた。


それは――


家。

畑。

道。

村の景色。


だが“影だけ”の状態で、

色も音も匂いもない。


まるで、

忘却の中に沈んでしまった記憶の殻。


アシェルは静かに呟く。


「……これは……」


ノワが答える。


――あしぇる が……“うしなった かたち”……


アーカーの声が落ちる。


『お前が“喪失”と呼ぶ出来事は、

 世界から奪われたものではない。

 お前の中で“形骸化した部分”だ。

 喪失とは“穴”ではない。

 “残響”だ。』


アシェルは拳を握りしめた。


「……ふざけるな……

 喪失が残響だと……?

 そんな綺麗な言葉で誤魔化すな!!

 俺は……妻を失ったんだぞ!!」


アーカーは淡々と告げる。


『誤魔化しているのはお前だ。

 喪失を悲しみで包み、

 “見ないことで守ってきた”。』


アシェルは一瞬息を呑んだ。


(……確かに……

 俺はずっと……

 妻の死を“悲しみの塊”として扱ってきた……

 その奥にあるものには、触れようとしなかった……)


アーカーが続ける。


『お前は喪失を“欠けた穴”だと思っている。

 しかし、本質は逆だ。

 喪失は“お前の輪郭が生まれた場所”。』


ノワが小さく呟く。


――あしぇる の かたち……

――あしぇる の こころ の はじまり……


アシェルは目を細める。


(喪失が……俺の輪郭をつくった……?

 悲しみじゃなく……形……?)


 



◆“妻の喪失”が形を取り戻す


紺色の空間が割れた。


そして――

彼女が現れた。


妻。


だが、輪郭は歪み、影のようで、

目元は“空白”になっている。


声も記憶も欠けた、不完全な形。


アシェルの胸が激しく痛む。


「……リナ……」


ノワが震えてアシェルの服を掴む。


――あしぇる……

――それ……ちがう……!

――ほんもの じゃない……!!


アーカーが言う。


『その影は“記憶の残響”。

 お前が喪失と呼ぶ部分の構造だ。

 悲しみではない。

 “形”だ。』


妻の影が、動かぬ口で言葉を放つ。


『……あなた……どうして……ここに……』


アシェルは目をそらせなかった。


胸が痛い。

呼吸が苦しい。

足が動かない。


(……俺は……

 “彼女を思い出すことすら”

 怖がっていたのか……?)


ノワの声が泣きそうに揺れる。


――あしぇる……

――それ に さわっちゃ……だめ……


アーカーが問う。


『アシェル。

 お前は妻を“悲しみの象徴”として抱え続けた。

 しかし喪失とは悲しみではなく――』


妻の影がゆっくりと手を伸ばしてくる。


アーカーの声が続く。


『――“お前の形を作る輪郭”だ。』


影の手がアシェルの胸に触れた――

瞬間。


アシェルの視界が、

“完全な記憶”で埋め尽くされた。


妻の笑い声。

涙。

不安。

触れた手の温度。

最後に交わした言葉。

伝えられなかった想い。


それらが一気に押し寄せ、

胸に刺さる。


「……あ……あ……っ……!」


アシェルは膝をつき、胸を抑えた。


ノワが叫ぶ。


――あしぇる!!!

――その きおく……!!

――“おまえ の からだ を こわす” !!


アーカーが言う。


『喪失を避ければ苦しむ。

 喪失を抱けば壊れる。

 ならば――

 “喪失を定義し直す”しかない。』


アシェルは荒い息の中で呟いた。


「定義……し直す……?」


アーカーは告げる。


『悲しみとしてではなく。

 怒りとしてでもなく。

 憎しみとしてでもなく。

 “存在の証明として”受け入れろ。』


妻の影が、アシェルの胸へさらに深く触れる。


アシェルの胸の黒核が爆ぜるように脈動した。


ドクンッ!!


 



◆黒核が進化の兆候を示す


ノワが驚愕の声を上げた。


――あしぇる!!

――くろかく が……かわってる……!!


黒核はこれまでの“漆黒の円環”ではなく――

内側に“白い線”を伴い始めていた。


黒の中に白。

空洞の中に光。


アーカーが少し驚いたように言う。


『……なるほど。

 お前は“喪失を形として受け入れる器”を持っていたか。

 黒核が第三段階の準備に入った。』


アシェルは苦しげに問いかけた。


「どういう……意味だ……?」


『喪失を“悲しみ”から“構造”へ変換した時、

 黒核は次の段階へ進む。

 お前は喪失を恐怖ではなく――

 “輪郭としての力”に変え始めた。』


ノワが震えながら言う。


――あしぇる……

――きみ の こころ の かたち が……

――かわり はじめてる……


アシェルは妻の影に触れず、

しかし逃げもしなかった。


喉が震え、

涙が熱くこぼれる。


「……俺は……

 お前を……失ったことを……

 ずっと悲しみだと思っていた……

 でも……」


アシェルはゆっくり目を閉じた。


「お前がいたから……

 俺は“愛せる人間”だったと知れた……

 それを……形として持ち続ける……」


影の妻がかすかに揺らいだ。


アーカーの声が静かに響く。


『それが“喪失の再定義”。

 悲しみから、輪郭へ。

 欠落から、構造へ。』


アシェルは涙を拭い、

妻の影に背を向けた。


「俺は前へ進む。

 喪失を抱えて……

 喪失に支えられて……

 それでも進む。」


影の妻が――

“笑った”。


色も声もない影なのに、

確かに笑っていると分かった。


そして影は静かに崩れ、

紺色の空間は光へと溶けていった。


ノワがアシェルに抱きつく。


――あしぇる……!!

――すごい……!!

――きみ は……ほんとう に……


アーカーが静かに告げる。


『喪失を越えたな。

 ならば――』


声が低く深く響く。


『次は“生の理由”を問おう。』


アシェルは息を飲む。


ノワが震える。


――あしぇる……

――それ……いちばん……むずかしい やつ……


空間がゆっくりと胎動し、

“生の理由”の領域が姿を現し始めた。

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