4
『精神試練①――アシェルの恐怖の形』
空間が静かに軋む音を発した。
黒と白の層が歪み、
その隙間から“何か”がじわりと滲み出してくる。
アシェルの眉がわずかに震えた。
(……これは……嫌な気配だ……
サリエルの攻撃とは違う……
もっと、本能を刺激する……)
ノワが弱い声で告げる。
――あしぇる……
――これは……“きみ の なか の かげ”……
アーカーの声が静かに響く。
『恐れる必要はない、アシェル。
これはただの“自己照射”だ。
お前という存在が、何を憎み、何を恐れ、
何を否定してきたか――その投影。』
「……俺は恐れるものなんてない。
喪失も怒りも、全部抱えてここまで来た。」
アーカーは穏やかに、しかし冷たく言う。
『では聞く。
なぜ黒核の暴走に怯えた?』
アシェルは言葉を失う。
『なぜノワが弱ることに恐怖した?
なぜサリエルに“お前は存在しない未来の人間だ”と言われた時、
心臓が止まりそうになるほど痛んだ?』
アシェルは拳を握り締めた。
(……やめろ……
それ以上は言うな……)
ノワが震えながらアシェルの背へしがみつく。
――あしぇる……
――むり に こたえなくて……いい……
しかしアーカーの声は止まらない。
『――お前の恐怖の核は“喪失そのもの”ではない。
“自分の存在理由が消えること”だ。』
アシェルの目が大きく見開いた。
◆
◆恐怖の具現――“存在が薄れていくアシェル”
空間が割れた。
その裂け目から現れたのは
血や肉を持たない“透明な人影”。
輪郭はアシェルそのもの。
だが薄い。
声を出そうとすると、その口元は崩れ、線に戻る。
まるで――
存在が消える瞬間のアシェル。
ノワが絶叫する。
――あれ は……
――“きみ が おそれてる かたち”!!
――“じぶん が じぶん で なくなる” っていう……
透明のアシェルは、歩み寄ってくる。
足音はない。
視線もない。
しかし“アシェルそのもの”であることが理解できる。
本物のアシェルの胸が締め付けられた。
(……俺は……
本当にこんなものを……
心の奥で抱えていたのか……?)
アーカーが告げる。
『怒りも憎しみも破壊も、表層。
その奥にあるのは――“自己の不確定”。』
『お前は恐れている。
村を失い、妻を失い……
もし復讐を終えた後、
“何者でもなくなる”ことを。』
アシェルは震える声で反論しようとするが、
声が口の内側で崩れた。
ノワが必死に叫ぶ。
――あしぇる!!
――きみ の なまえ を よんで!!
――われ の なまえ も よんで!!
アシェルの唇が震える。
「……ノ……ノワ……」
透明なアシェルが、
本物のアシェルの胸へ手を伸ばした。
触れられた瞬間――
アシェルの視界が白く染まる。
◆
◆存在が薄れていく感覚
アシェルは膝をついた。
自分の輪郭がぼやける。
手の感覚も足の存在も薄れていく。
(……なんだこれは……
体が……ない……?
俺は……どこにいる……?)
ノワがアシェルへ抱きつこうとするが、
影の腕がアシェルをすり抜けた。
――あしぇる……!?
――さわれない……!!
――さわれない の……!!
透明のアシェルが囁くように語りかける。
『お前はずっと恐れていた。
復讐が終わった後、自分がどうなるのか。
何を失い、何が残るのか。
“空っぽの自分”になることを――』
アシェルの心がざわつく。
(俺は……
復讐しか……
心に残っていないのか……?
何も……?
終わったら……俺は……?)
アーカーの声が淡々と降る。
『そうだ。
お前は目的を失えば消える。
黒核は宿主を“未定義のまま保持”できない。
存在理由が消えれば、黒核ごと消滅する。』
『お前の存在は“目的依存”。
復讐の火が消えた瞬間――
お前という人間は形を保てなくなる。』
アシェルの胸の奥が軋んだ。
ノワが震える声で叫ぶ。
――そんな わけ……ない……!
――あしぇる は……
――あしぇる は……
――われ の “ともだち” だ……!
透明のアシェルがノワへ視線もないまま言う。
『お前は道具だ。
この男が“自己崩壊”しないように作られたただの保護装置。
友ではない。』
ノワの影が震え、細かく砕けそうになる。
――ちがう……!!
――われ は……あしぇる に……
――よばれたんだ……
――“とも” を、ほしかった から……!!
アーカーがノワへ冷たく告げる。
『未分類因果体よ。
お前の存在が削れているのは――
アシェルが“必要としなくなってきているから”だ。』
アシェルの胸が激しく痛む。
(……ノワを……必要としない……?
そんなこと……あるものか……!!)
透明のアシェルが囁く。
『ならば言え。
自分は何者なのか。
復讐の後、どう生きるつもりなのか。
復讐を終えても、存在し続ける理由があるのか。』
今度こそアシェルは返せなかった。
なぜなら、
答えを考えたことが一度もなかったからだ。
アーカーが言う。
『お前は“恐怖”を認めぬ限り進めない。
復讐者としてではなく――
一人の存在として、答える必要がある。』
アシェルはうつむいた。
言葉は無い。
ただ胸の黒核だけが脈打ち、
存在が薄れようとしている。
ノワが弱りながら叫ぶ。
――あしぇる!!
――きみ は……なんでも……こたえ なくていい!!
――われ が……そば に いるから……!!
アーカーが静かに告げる。
『では、選べ。
恐怖から目を逸らし、ここで崩れるか。
恐怖を抱いたまま進み、例外として存在するか。』
アシェルの瞳が、
ふっとわずかに揺れ――
再び炎の色を帯びはじめた。
(……俺は……
まだ……終わっていない……)
この瞬間――
アシェルは“自分が本当に恐れていたもの”を理解しはじめた。
それは――
“復讐が終わったら、自分という存在がなくなること”。
そして、
その“恐怖そのもの”が、
アーカーへの道を開く鍵となっていく。




