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『管理層:世界の裏側の揺らぎ』
アーカーの領域へ足を踏み入れた瞬間、
アシェルは息を呑んだ。
空間が――存在していない。
床、壁、天井という概念が希薄で、
黒と白の“面のようなもの”が
遠くで微かに現れては消え、また現れる。
不規則でありながら、どこか“整っている”。
まるで世界の裏側の“設計図”が
そのまま可視化されているような場所。
ノワが震える。
――あしぇる……ここ……
――にんげん が きて いい とこ じゃ……ない……
アシェルは息を整えた。
「それでも、ここへ来なきゃいけない。
この先にアーカーがいる。」
ノワは弱い光を放ちながらうなずいた。
――われ も……がんばる……
――あしぇる の こころ が きえちゃわない よう に……
アシェルはノワの影を軽く撫でる。
(ノワは限界が近い。
この領域そのものが、ノワの存在を削っている……)
歩みを進めるたび、
周囲の空間が“反応する”ように波打つ。
黒い面に近づけば白い線が揺らぎ、
白い面に近づけば黒影が伸びる。
(これは……意思を持っているのか……?
それとも反射のような機構……?)
そんなことを考えていた時――
突然、背後から声が響く。
『――お前は“選ばれた”のではない。
ただ、そこに“落ちてきただけ”。』
アシェルは弾かれたように振り返る。
だが、誰もいない。
声だけが、空間に染み込むように広がる。
アーカーの声だ。
『反応する必要はない。
私の声は“因果の束”として届いているだけだ。
空間のどこから聞こえても、意味は同じ。』
アシェルは低く答える。
「姿を見せろ。
隠れて語るな。」
アーカーの声は淡々としている。
『隠れているのではない。
私は“姿を持たない”。
必要であれば、後で見せよう。
だが今はまだ早い。』
ノワが震える。
――こわい……
――あいつ……“せかい の おもて に いる かのよう で”
――“うら に いる かんじ”……
アシェルは周囲に目を凝らす。
(確かに……
声が空間の層そのものから聞こえている……
人間どころか、“形ある存在”の気配がしない……)
◆
◆アーカーが“アシェルの過去”を引きずり出す
アーカーが言う。
『お前は黒核を持った。
それは偶然だ。
意図して選んだ者はいない。』
「偶然……?」
『そうだ。
本来なら黒核は“世界の根へ返還される”。
しかし、お前の因果線が黒核の“欠損部分”に正しく噛み合った。
だから宿った。それだけだ。』
ノワがはっとする。
――あしぇる の いんが……
――くろかく を よんだ……?
アーカーは続ける。
『黒核とは、本質的に“欠損と修復”の概念だ。
お前は失った。
村を。妻を。未来を。
だから黒核は、お前に宿った。』
アシェルは拳を握りしめる。
(……俺の喪失が……黒核を呼んだ……?)
アーカーの声が、さらに深く刺さる。
『――では、試そう。』
黒と白の面がぐにゃりと歪み、
アシェルの前に“形”が現れる。
妻の姿だった。
アシェルは息を呑む。
(……やめろ……!!)
ノワがすぐに叫ぶ。
――あれ は にせもの!!
――あしぇる の おもい を えぐる ため の……!!
だが偽の妻は微笑む。
『アシェル……あなた、まだ私を追っているの……?
もういいのに……』
アシェルの心臓が痛む。
アーカーの声が冷たく刺さる。
『お前が黒核と結びついた理由。
それは“喪失に縛られたからだ”。
黒核は失われたものに反応する。』
『お前が失わなければ、黒核は宿らなかった。
お前は“喪失の象徴”。』
アシェルは歯を食いしばった。
「――黙れ」
だが、偽の妻はさらに近づく。
『もし生きていたら……
あなたはこんな怪物にならなかった……?』
「黙れ!!」
空間が震えるようにアシェルが叫ぶ。
ノワはアシェルの前へ飛び込むように告げる。
――あれ は……
――あしぇる の “いたみ の かたち”
――ほんとう の ひと じゃない……
――みて は だめ!!
アーカーの声が重なる。
『――喪失。
それがお前の核だ。
復讐心はただの表層。
その奥の“欠損”こそが、お前を動かしている。』
アシェルは震えながら言葉を絞り出す。
「……違う……
俺は……失ったからじゃない……
奪った奴を許さないから……ここにいる……」
アーカーは即答する。
『許しを求めているのは、お前自身だ。
喪失を終わらせる“理由”を求めている。』
空間が一気に暗転した。
妻の姿は黒い影になり、
アシェルの周囲へ伸びていく。
ノワが激しく震える。
――あしぇる!!
――あの こえ に……
――こころ を とられちゃ だめ!!
アシェルは息を荒げながら影に抗う。
(ちがう……俺は……俺は……!)
そして――
影がアシェルの胸に触れた瞬間。
黒核が低く鳴った。
ドクン……
アーカーが愉悦を含んだ声で囁く。
『ようこそ、黒核保持者。
“本当の役割”を教えてやろう。』
空間がさらに深く割れ――
アシェルは“管理層の核心”へ引きずり込まれていく。
ノワが叫ぶ。
――あしぇる!!!
――にげないで!!
――われ が……われ が ひっぱりもどす!!
だがアーカーの声は優しいほど冷たい。
『逃げる必要はない。
お前はずっと、この瞬間を求めていたのだから。』
アシェルは唇を噛み――叫んだ。
「違う!!
俺は……復讐を求めてここに来たんだ!!」
黒と白の層が閉じ、
アーカーの本領域がついに開かれる。




