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カーディア  作者: アデル
第一章 第一項 谷間の農村ロマル
4/83

4

日が傾き始める頃、村の風景は鮮やかな橙色に染まっていた。

 普段なら美しい夕暮れとして人々の心を癒す時間。

 しかし今日の夕陽はどこか色が濃く、重すぎた。


「……赤いな」


 アシェルは家の前で立ち止まり、空を見上げた。

 夕焼けは本来なら一面に広がるはずだが、今日は妙な“境目”がある。

 色の濃淡が線を引いたように不自然に分かれ、

 まるで空のキャンバスが二枚重なったように“ずれて”いた。


 風が吹く。

 だが空のずれは直らない。


「アシェル? 今日は畑、もう終わり?」


 エルマが家から顔を出す。

 その笑顔は心を和ませるが、アシェルの不安は消えなかった。


「ああ……今日はもう無理だ。なんか、体が落ち着かない」

「それ、私も……なんだか変な胸のざわざわがして……」


 エルマがアシェルの腕にそっと手を重ねる。


「大丈夫だよね?」

「……大丈夫だ。俺がいる」


 言い切った。

 だが胸の奥では“本当に守れるのか”という恐れが静かに渦巻いていた。


 



 


 夜。

 ロマルは昼に比べて静かだが、今日は異様なほど静まり返っていた。


 虫の声がない。

 風の音がない。

 水路の流れすら、耳に届かない。


 音が消えた世界は、現実感を薄れさせる。


「ねえアシェル、聞こえる?」

「……ああ。何も聞こえない」


 二人は囲炉裏の前で膝を抱えて座っていた。

 まるで、外の沈黙が扉まで染み込んでくるようだった。


「こんな静かな夜、初めてかも」

「虫が鳴かないなんてな……」

「やっぱり変だよ、最近の空。割れてるみたいに見えるし……」


 エルマはアシェルの袖をぎゅっと摘んだ。


「ねえ、アシェル。都会に行くの、ちょっとだけ延期しない?」

「……そうだな。少し様子をみてもいいかも」


 その瞬間、エルマはほっと息を吐き、アシェルの肩にもたれた。


「ありがとう……なんかね、予感がするの」

「予感?」

「うん。行くなら行くでいいんだけど……今じゃない、って」

「……」


 エルマの声には、冗談も気休めもない、本気の響きがあった。

 アシェルは髪をそっと撫でて答えた。


「わかったよ。今は焦らない」

「うん……ありがと」


 



 


 しばらくすると、

 ――コン、コツン

 と、遠くで何かが鳴った。


「……今の、聞こえたか?」

「う、うん……何の音?」


 外を覗くと、村の端にある見張り塔が微かに揺れていた。

 塔の上には村の若い男たちが常駐しているが、今日は誰もいないようだ。


「様子見てくる。エルマは家にいてくれ」

「ダメ、私も行く」

「危ないかもしれない」

「アシェル一人を危ない目に合わせる方が嫌だよ!」


 エルマの気迫に押され、二人で外へ出た。


 



 


 ロマルの村を縦に走る石畳の道を進む。

 風は吹いているのに、風の音がまったくしない。

 影は揺れるのに、葉のざわめきがない。


 世界の“音”が消えていた。


「アシェル……怖いよ……」

「大丈夫、俺がそばにいる」


 そう言いながらも、アシェルの背筋に冷たい汗が流れる。


 見張り塔の下に到着。

 塔は古木の柱で組まれており、普段は村の子供たちが遊び場にしている。


(なぜ揺れている? 風もないのに――)


 塔の頂上を見上げた瞬間、アシェルは気づいた。


「……倒れかけてる……?」


 塔の柱が、

 根元から“ずれたように”ひび割れている。


 崩れたのではない。

 外力が加わったのでもない。


 存在そのものが、数ミリ左右に引き裂かれたように分離していた。


「なに、これ……なんなの……」


 エルマの声が震える。


(これは……自然現象なんかじゃない……)


 アシェルは確信する。

 空のひび、木の裂け目、そして塔の“ずれ”。

 それはすべてつながっている。


(世界の構造が……揺らいでいる?)


 その思考が頭をよぎった瞬間――


 塔の上から、乾いた音が落ちてきた。


 ぱき……ぱき……ぱき……


 木材が“剥がれる音”。

 だが崩壊ではない。

 まるで塔の一部が存在を拒まれるように、“因果的に分離”していく。


「アシェル! 離れて!」


 エルマが腕を引っ張る。

 アシェルは彼女を抱き寄せ、数歩後退した。


 



 


 その時だった。


 ――空気が、抜けた。


 村全体から、音が吸い込まれたような深い沈黙。

 その中心に、塔の上で何かが“生まれかけている”気配。


 アシェルは身体が震えるほどの恐怖を感じた。


「……逃げよう、エルマ。すぐにここから離れよう」

「う、うん……!」


 二人は全速力で走り出す。


 背後で――


 バチンッ!!!!


 塔が“見えない力に押しつぶされたように”崩れ落ちた。


 爆音でもなく、破壊音でもない。

 まるで“存在が消える瞬間”のような、異様な破断音。


 砂煙と木片が舞い上がる。


「アシェル! 早く……!」


(何かが来る……これはただの前兆じゃない……)


 アシェルの直感が叫んでいた。


 “世界のひび割れ”が確実に近づいている。


 そしてそれは――

 ロマルの平和を容赦なく、確実に奪い取る。

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