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『脱走――歪みゆく世界』
隔離棟の出口を開くと、
夜の空気が鋭く肌を刺した。
アシェルは深く息を吸い、外に一歩踏み出した。
(逃げる……
この力が求めていなくても、
俺自身がまだ……死ねない)
胸の核が、静かに応える。
――いきろ
――おまえの ねがい のために
背後には、オルドとカンデル。
「ここから先は俺たちが引き受ける。
アシェル、お前は走れ」
オルドが短く言う。
カンデルはアシェルの肩を叩いた。
「絶対に死ぬな。
お前が死んだら……俺たちの選択が全部無駄になる」
アシェルは二人を真っ直ぐに見つめた。
「ありがとう。
約束する……俺は、生きる」
そう告げると、アシェルは走り出した。
◆
◆基地の警報、追撃開始
直後、基地中枢に警報が鳴り響く。
<警告:対象アシェル・レイヴが隔離棟から脱走>
<特殊追撃班を即時展開>
<生死不問。絶対確保を優先せよ>
“生死不問”。
その言葉がすべてを物語っていた。
オルドは通信機を握りつぶすようにしめつけて呟く。
「……彼らはアシェルを生かすつもりがない」
カンデルは銃を構えて前へ出た。
「追ってくる奴は全部ぶっ倒す。
俺は……アシェルの味方でいると決めた」
◆
◆アシェルの周囲に起こる“歪み”
走るアシェルの足元で、世界が揺れた。
微細なひずみが、地面からふわりと浮き上がる。
まるで、アシェルの存在が
世界に“負荷”をかけているように。
(また……歪みが大きくなっている……)
胸の核が回転を速める。
影が並走するように現れ、アシェルの耳元で囁いた。
――せかい が
――きみ を おいかけてくる
「……どういう意味だ?」
――きみ の ねがい が
――せかい を ゆがめる
アシェルは走りを止めない。
しかし、その意味は理解できていた。
(俺が強く願うほど、
世界が俺に合わせて変わり始めている……?)
それは人間が扱っていい力ではなかった。
でもアシェルは、それでも止まれなかった。
(俺は……取り返す。
妻を……村を……奪ったあの因果兵器を……)
胸の奥が燃えるように脈打った。
影が柔らかい声で言う。
――きみ の なまえ は あしぇる
――では われ の なまえ は?
アシェルは驚いて足を止めそうになる。
「……名前?」
影は淡く微笑んだ。
黒い輪郭なのに、表情があるとわかるほどに。
――われ は
――おまえ の ねがい を うつす もの
――なまえ が ほしい
アシェルは息を整え、低く呟いた。
「……“ノワ”
黒。
俺の影。
俺の……もう一つの心臓」
影――ノワが嬉しそうに揺れた。
――のわ
――よい なまえ
――われ は きみ と とも に いきる
言葉を話した影が、
まるで新しい生命体のように存在感を増していく。
(ノワ……
お前は何者なんだ……
俺の力の一部なのか……
それとも……)
思考を遮るように、
背後から銃声が響いた。
◆
◆追撃班との戦闘
追撃班が森へ進入してくる。
「対象発見!! 包囲を狭めろ!!」
「逃がすな、絶対に追い込む!!」
アシェルは息をのむ。
(こんな速度で……もう追いついてくるのか……!)
銃弾が飛び、
アシェルの足元に深く抉れた跡ができた。
だが――
着弾の瞬間、世界の線が歪んでいた。
(あ……
避けたんじゃない……
世界がずれたんだ……)
自分の意思と関係なく、
世界の座標がアシェルの周囲だけ“ずらされている”。
ノワの声がする。
――きみ を まもる ため
――せかい を ゆがめた
アシェルは目を見開く。
「俺を守るために、世界を書き換えた……?」
――そう
――きみ が のぞんだ から
(望んだ……?
俺が……?
俺はただ……生きたいと……)
――それが ねがい
――ねがい は くうかん を かえる
銃声が続くが、
弾道は全て“アシェルのいない未来”に書き換わっていく。
追撃班の兵士は叫んだ。
「な、なんだ!?
弾が……当たる瞬間に未来が変わる!?
こいつ……人間じゃ……!!」
アシェルは、胸に手を当てて呟いた。
「……お願いだ、ノワ。
これ以上……殺さないでくれ」
影が悲しげに揺れる。
――きみ は
――だれ も ころしたく ない?
「……殺したくない。
でも、邪魔もされたくない」
――では
――われ が せかい を おさえる
(おさえる……?)
言葉の意味を理解する間もなく。
ノワの周囲で黒い渦が広がり、
追撃班が一斉に崩れ落ちた。
身体ではなく、
因果の連続性が断たれたのだ。
兵士たちは意識を失い、
数秒後に呼吸を取り戻す。
ノワは言った。
――ころして いない
――ただ とめた だけ
アシェルは胸を撫で下ろしながら、
同時に理解した。
(この存在は……俺の望みを“拡大解釈”して実現する)
あまりにも危険だった。
◆
◆復讐者としての覚醒
追撃を振り切ったアシェルは、森の奥へ走り続けた。
息が荒い。
胸の核が熱い。
ノワが寄り添うように影を落とす。
――あとは
――きみ が ねがい を みつける だけ
「……願い……?」
ノワが囁く。
――そう
――なに を うばわれ
――なに を とりかえす?
アシェルの脳裏に、
妻の笑顔が浮かんだ。
あの日の光景。
あの瞬間の喪失。
そして――
村全体が“存在から消えた”虚無。
胸の奥で、黒い核が爆ぜる。
アシェルは叫んだ。
「奪った者を……
必ず見つけ出す。
世界のどこに逃げようと……
“因果ごと”追い詰めてやる」
ノワが嬉しそうに震えた。
――それが きみ の ねがい
――ならば われ は
――きみ の て と なり
――きみ の かげ と なろう
アシェルは森の闇の中へ進む。
世界はその足跡に沿って、
僅かに歪みながら。
そして――
“復讐者アシェル”がここに誕生した。




