表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カーディア  作者: アデル
第一章 第一項 谷間の農村ロマル
2/83

2

夜のロマルは、都会のような人工灯をほとんど持たない。

 代わりに、満天の星空が村全体を照らすように降り注ぐ。


 アシェルの家の軒先では、エルマが藁の束を干しながら鼻歌を歌っていた。

 風に揺れる藁の音が、彼女の声に合わせてさわさわと響く。


「ねえアシェル。都会って、夜も明るいんだよね?」

「らしいな。星が見えないって話もよく聞く」

「それってちょっと寂しくない?」

「俺は星なくても構わないけど、こういう匂いはないんだろうな」


 アシェルは手に持った木箱を置き、深く息を吸った。

 土と草の匂い。それに少しだけ混じる、どこか甘い香り。

 エルマが使っている手作り石鹸の香りだ。


「……戻ってきたくなるかもな、都会で疲れたら」

「うん。それならすぐ帰ってきてもいいんだよ? 私だけ先に行ってもいいし」

「まさか。置いていかれたら生きていけない」

「ふふん、言ったね? じゃあしっかりついてきてよ」


 二人の笑い声が夜の静けさに溶けていく。


 



 


 家の中では、古い家族写真が飾られた棚がある。

 アシェルの両親は彼が十代半ばの頃に亡くなり、エルマの家族が彼を支えてくれた。

 その影響もあって、アシェルはエルマのことを“家族以上”に感じていた。


 夕食後、二人は片付けを終え、囲炉裏の前でくつろぐ。

 薪がゆっくりと爆ぜ、小さな火の粉が舞った。


「アシェル、覚えてる?」

「……何を?」

「私たちが初めて一緒に畑耕した日! あの日、アシェルってば――」


「言うな! 頼むから言わないでくれ!」


 エルマは声をあげて笑う。


「泥だらけになって、転んで、苗ぜんぶ折って!」

「仕方ないだろ、初めてだったんだ」

「でもあの日、私、思ったんだよ」

「……ん?」


 エルマは真剣な表情になった。


「“ああ、この人となら、どこに行っても楽しいだろうな”って」

「……」


 アシェルは言葉を失い、火のゆらぎが彼の横顔を照らす。

 返事をしようとしたその瞬間――


 家全体が ごく僅かに 揺れた。


 ほんの一瞬。

 エルマも気づかないほどのかすかな振動。

 地震とも違う、重心を針でつつかれたような異質な“感触”だった。


 アシェルは眉をひそめた。


「……今、何か揺れた?」

「え? 揺れた?」

「いや……気のせいかもな」


 そのやり取りの裏で、外の空に微かな“ひび”が走っていた。

 通常なら人の目には映らない、それは “世界の因果構造” の裂け目。

 しかし、この時のアシェルもエルマも、それに気づくことはなかった。


 



 


 翌朝。

 太陽がまだ東の山の端を越えていないのに、村の広場が騒がしい。


「なんだ……?」

「アシェル、来て! 村長さんが!」


 二人が駆けていくと、村長ハルドが村人を前に紙を掲げていた。

 紙は王国政府からの通達だ。

 因果技術研究省の印章が押されている。


『国境地帯における軍事衝突増加のため、

 一般地域においても因果防護訓練の実施を義務とする』


 村人の誰もが顔を見合わせる。


「いやだねぇ……戦が近いということかい?」

「ロマルは遠いのに……また税を取られるのか?」

「訓練って、何をするんじゃ?」


 エルマがアシェルの袖を引く。


「ねえ、これって……」

「ただの予防措置だよ。街ではもっと前からやってるらしいし」

「でも……都会に行く話、しばらく延ばした方がいいのかな……」


 アシェルは悩むように目を閉じた。


 ――行きたい。

 ――行かなきゃいけない。

 ――でも今、エルマを連れて行っていいのか?


 そんな迷いが胸で絡まる。


 



 


 村長が人々を散らしたあと、アシェルに近づいてくる。


「アシェル、お前さん、最近“空の色”に気づいてるか?」

「……見てはいます」

「やはりか。わしにもわかる。あれは尋常じゃない」


 アシェルは息を呑む。


「村長も……?」

「年寄りの勘じゃよ。こういうのは妙に当たるもんじゃ」

「……」


 村長の眼差しには、有無を言わせぬ重さがあった。


「お前とエルマの未来を応援したい気持ちは変わらん。

 だが……急ぐことはない。

 “世界の空気”が変わっておる。落ち着くまで待つのも手じゃ」


 アシェルの胸に、得体の知れない不安が走る。


「……わかりました」


 そう答えたものの、内心はざわついていた。


 



 


 昼過ぎ。

 エルマと畑の畔を歩きながら、アシェルは空を仰ぐ。


 太陽は照っている。

 雲も流れている。

 だけど――空の端に、薄い線のような“ひっかき傷”が見えた。


「また……だ」


 アシェルは立ち止まった。


「え?」

「いや……なんでもない。木の影と見間違えたのかもしれない」


 エルマは不安げにアシェルの手を握る。


「ねえ、アシェル。

 もし……もし何かあったら、逃げようね。

 どこだっていい、私、アシェルと一緒なら……」


 言葉の先が震えていた。


 アシェルはその手を握り返す。


「何があっても、俺が守る。絶対に」


 その言葉は確かに本心だった。


 しかし――

 この時のアシェルは知らない。

 “守る”という約束が、

 後の人生で最も彼を苦しめる誓いになることを。


 そして、空のひびはこの瞬間、

 とても小さく、しかし確実に広がった。


 ロマルの村が最後に迎える“普通の一日”は、

 すでに終わりかけていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ