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『訓練兵舎にて』
適性検査が終わった後、
オルド少佐は何も説明せず、ただ短く言った。
「――兵舎へ案内する。ついてこい」
研究棟の冷たい空気から出ると、
基地の騒音が一気に押し寄せてくる。
怒号、走る足音、重機の唸り、訓練の爆音。
アシェルの村ではありえなかった“生の戦場の音”だった。
(ここが……俺のこれから生きる場所か)
胸が重くなる。
しかし歩みは止まらなかった。
◆
兵舎の扉をくぐると、
汗と鉄の匂いが混ざった空気が鼻をついた。
狭いベッドが規則正しく並べられ、
壁には因果技術用の端末が雑に掛けられている。
アシェルが足を踏み入れると、
中にいた数人の訓練兵が一斉に視線を向けた。
「……なんだあいつ」
「徴兵組か? また厄介なのが来たな」
「見ろよあの目。寝てねぇ野犬みたいじゃねぇか」
軽口とも挑発ともつかない声が飛ぶ。
(……気にするな。今は何も必要ない)
アシェルが無言で通り過ぎようとした時――
「おい、お前」
ひとりの男が前に出た。
筋肉質で背が高く、髪を短く刈った青年。
腕には既に何度か訓練を受けた痕跡が見える。
「徴兵なら徴兵らしく、まずは挨拶くらいあるだろ?」
「……挨拶?」
アシェルは表情を変えずに答える。
「悪いが、必要性を感じない」
その一言で、兵舎の空気がざわついた。
「なんだと……?」
「喧嘩売ってんのか?」
「あーあ、やらかしたな徴兵くん」
(最悪な方向に進んでるな……)
外から眺めていたオルドが、だが止めようとはしない。
(……試しているのか?)
◆
筋肉質の青年が歩み寄ってきた。
「新人がデカい顔するんじゃねえよ。ここでは“序列”がある」
「……ああ、あるらしいな」
「だったら――」
「だが、俺には関係ない」
アシェルは淡々と言った。
怒りでも挑発でもない。
ただ事実として。
その“無感情さ”が、逆に相手の神経を刺激した。
「てめぇ……!」
青年が拳を振り上げ――
「やめとけ、レフ」
低い声が響いた。
兵舎奥のベッドから、ひとりの男が立ち上がった。
長いコートを羽織り、無精髭を生やした男。
年は三十代半ばほどだろうか。
「なんだよカンデル。こいつムカつくだろ」
「ムカつくのはわかる。だが……殴るな。お前が怪我する」
「……は?」
レフだけでなく、周囲の兵士も黙り込む。
カンデルと呼ばれた男はアシェルを観察するように見つめた。
「お前、昨日この基地に来たばかりだろう?」
「そうだ」
「……戦場の匂いがする」
アシェルはわずかに眉をひそめた。
(戦場……? 俺はまだ戦ってすらいない)
しかしカンデルの言葉は続く。
「目が死んでるんじゃない。
“何かを失った人間の目”だ。
それも――普通じゃない喪失だ」
兵舎が静まり返った。
アシェルはその言葉に一瞬だけ反応したが、
すぐに視線を逸らした。
「……関係ない」
「いや、あるさ」
カンデルは言葉を選びながら言う。
「そういう人間はな……とんでもない力を出す。
軍に来る前に何があったかは知らねえが――」
その目が鋭くなる。
「“死なれると困る”タイプだ」
レフが呆れたように言った。
「相変わらずだなカンデル、お前の直感は」
「外すことは少ない」
カンデルは肩をすくめ、アシェルに歩み寄った。
「アシェル、だったか?」
「……そうだ」
「ここじゃ、強い奴も弱い奴も同じだ。
死んだ奴は強くても弱くても“ただの死体”だ」
「……」
「だから、ひとつだけ忠告しておく」
カンデルは声を低くして言った。
「――ここで生きたければ、“心を殺すな”。
心が死んだ奴は、因果技術に呑まれる」
(心を……殺すな……?)
その言葉だけは、アシェルの胸にひっかかった。
カンデルは背を向けて言う。
「お前の中に“熱”があるなら、絶対に手放すな。
それが、お前を生かす」
(熱……)
胸の奥にある、あの奇妙な熱。
エルマを喪った時に生まれ、
検査室で反応し、
今もわずかに脈打っている“黒い熱”。
(これが……俺を生かす……?)
アシェルは胸に手を当てた。
それは憎しみでも怒りでもない。
もっと曖昧で、深く、静かな熱。
それが何なのかを理解するまでには、
まだ時間が必要だった。
◆
オルドが兵舎の入口で言った。
「アシェル・レイヴ。
お前には“特別訓練”が割り当てられる。
通常兵とは別の時間帯だ」
「……どうして俺だけなんだ?」
「理由はお前の胸に聞け」
そう言い残し、オルドは去った。
(胸に……?)
アシェルは深く息を吸う。
(俺の中の“熱”……
あれが何を意味するのか……確かめてやる)
その決意は、
アシェルをさらに深い戦いの渦中へ導いていく。




