第3話 初めての部屋での距離感
私は、からすの手を握ったまま小さな階段を上がる。バーのざわめきはもう遠く、街灯の光が部屋の窓から差し込むだけ。心臓の音が耳まで響いて、どうしようもなく高鳴っていた。
「ここ……」からすが小さく笑いながら扉を開ける。中に入ると、想像より少しだけ散らかった空間が、妙に温かく感じられた。私は一歩、また一歩と進むたびに胸の奥がぎゅっとなる。こんな気持ちになるのは初めてだった。
「……座っていい?」私の声は少し震えている。からすは軽く頷き、ソファの端に腰を下ろした。私も隣に座ろうとすると、自然と距離が縮まる。膝が軽く触れて、心臓が跳ねるのを感じた。
「……今日は、外で怖くなかった?」からすが小さく聞く。
私は少し考えてから答える。「うん、からすがいてくれたから。手をつないでくれたし……」
彼女は少し恥ずかしそうに目を伏せる。視線が交わるけれど、すぐに逸れてしまう。その瞬間、私の胸はぎゅっと締め付けられた。
部屋の中は静かで、呼吸と小さな動きだけが響く。私は、からすの髪の香りがふわりと漂うことに気づいた。黒髪の束が肩にかかり、光に照らされて揺れる。触れたくなる衝動を必死に押さえた。
「ふくろうって……本当に真面目だよね」小さな囁き。
「え?」思わず顔を赤らめてしまう。
「手をつなぐのも、こうして隣に座るのも、全部ドキドキしてる感じが……」からすの声が、心に直接響く。
私は視線を逸らすけれど、心の奥では「もっと近くにいたい」と強く願っていた。思い切って手を少しだけ重ねてみる。柔らかく温かい指先が触れ、全身にじんわりと電気が走った。時間が止まったように感じ、胸の奥の鼓動だけが際立った。
距離はほんの数十センチ。でも、空気は濃密で甘い。私は、自分の心臓が早鐘を打つのを感じながら、静かに思った。
――これが恋……なのかもしれない。
からすの笑顔を見ながら、心の奥でそっと頷く。私たちの名前はまだ仮名のまま。「ふくろう」と「からす」だけど、それで十分にお互いを感じられる。
窓の外には街灯の光が差し込み、二人を包む影を長く伸ばしている。私はこの瞬間を胸に刻もうと決めた。初めての部屋、初めての距離感、初めての心のときめき――すべてが、私の中で静かに、でも確かに輝いていた。
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