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革靴とミカン

作者: ちりあくた

 革靴をピカピカにしたいなら、ミカンの皮で磨くといい。そんなライフハックを聞いたのは確か、六歳の夏だった。古びた平屋の縁側にて、蝉がわんわんと泣き散らす中、僕は祖母の膝に乗りながらスイカを頬張っていたのだ。スイカはパイの切れ端のような三角柱型に切られていた。僕は左手に種を吐き出すためのティッシュを、右手にスイカを構えるという万全の体勢であった。


 彼女には関係のない話を切り出す習性があった。それが生来のものなのか、あるいは歳がもたらす悪癖なのか、亡くなった今では分からない。ただ、少なくとも初対面からああだったので、僕にとっては祖母=取り留めのない人だった。彼女はいつも通り「そうさねえ」と語り始めた。


「皮……スイカのは捨てていいけど、ミカンはダメだ。ミカンで革靴を拭けば、布よりも綺麗になる」


 つぶやくような平淡なトーンだった。僕はなんと答えたのだっけか。いや、返したのは無言だったかもしれない。彼女の言葉は鼓膜を震わせていたが、当の僕はスイカにお熱だった。例年より熟れていたのか、脳を揺らすような甘さにびっくりしながら、夢中になってかぶりついていた。


 まあ、あの頃の靴の認識なんてたかが知れている。それは親がどこからか持ってきてくれる支給品でしかない。くくりとしてはサンタクロースのプレゼントと同じなのだから、さして彼女の言は理解できなかった。


 けれど、あの語り口は独り言というよりは、ガーゼに消毒液をぽたりぽたりと垂らすように、僕の五臓六腑に知識を染み渡らせるような、確かな意図があったようにも思える。もしそうならば十三年も覚えているのだから、彼女の目論見は大成功だろう。しかし、なぜ覚えているのだろうと考えたとき、そこには二つの理由があるのだと思う。


 一つは、あれが祖母の登場する数少ない記憶だからだ。僕が八歳の頃、彼女は階段で転倒して大腿骨を折り、そのまま病院に行ったっきり、二度と帰ってくることはなかった。骨折を皮切りに、ありとあらゆる病状が湧いては湧いては消えなかったらしい。


 しばらく後にこじんまりとした葬式が開かれ、そこで母のくぐもった泣き声を聴きながら僕は悟った。人とは限りなく不安定なジェンガみたいなものらしい。どんなに軽い衝撃でも一度均衡を崩せば、あとはバラバラになって終わってしまう。じゃあ親も、僕もそうなのか? 葬式の後、僕はどこか人に優しくなれたように思える。


 そんなこんなで祖母との思い出は八年しかない。物心つく前を除けば三年弱だ。祖父は生前に亡くなっているから、祖父母を足してもそれだけだ。当然、これ以上思い出が増えることはない。


 だから「忘れられない」と言うよりは忘れないように、定期的にこの記憶を思い出している。離れゆく思い出に手綱をつけて、ふとした際に改めて手繰っておくのだ。友人たちが現在進行形で祖父母との日々を作っている中、自分だけ彼女の記憶がないのはなんだか寂しいのである。


 もう一つの理由は言うのも気恥ずかしいが、祖母の話を受け取った僕の思考が、あまりにもおかしかったからである。この十数年で常識に染まってしまった結果、僕は現状への不満ゆえなのか、あの頃のうぶさに独特な味を感じるようになっていた。


 僕はあの話を聞いてこう思ったんだ。ゴミで革靴を拭いても汚れるだけじゃないか、と。当時の僕は、物を物として見るよりも、物に貼りつけたラベルを本質として認識していた。ミカンは「食べ物」であり、果肉を頬張ったあとの皮に価値なんてない。そう思い込んでいたのだから、祖母のうんちくは戯れ言にしか聞こえなかったのである。


 その考えは一つの視点に留まらず、ある種の執着となっていたように思える。いつも幼稚園へ持って行く弁当箱は「幼稚園用」であり、他の場所へのピクニックで用いることを許せなかった。ごっこ遊びでギャングを務めた馬のぬいぐるみは、いついかなるときでも「悪者」として愛でてはいけないと思っていた。両親がやけに説教くさい絵本を読ませてきたのは、凝り固まった価値観を幼いうちに矯正せんとしていたのかもしれない。


 そう、厄介な執着ゆえに、僕は祖母に大きな迷惑をかけてしまったのだ。五歳の春のことである。彼女は僕が帰省するたびに、散歩に連れて行ってくれていた。その経路は決まっていて、家を出て住宅街を通り、小山の中腹へ繋がる細路地を抜け、寂れた神社へお参りに行く。帰りは来た道を辿っていけば良い。僕の中でこのルートは普遍的なものとなっていた。しかし、その回ばかりはイレギュラーが発生してしまった。


 僕はアスファルトを軽やかに蹴り、住宅街を駆け抜けていた。水色のTシャツを波立たせ、タンポポの綿毛とともに風に乗る。やがて細路地の手前に差し掛かり、くるりと振り返って通りを見通した。祖母は遥か遠くで点のようになっていた。その様は見慣れていたが、僕は得意げになって叫んだ。


「追いていっちゃうよ。早くしないと知らないよ」


 彼女は小さな体躯を精一杯膨らませて、しゃがれた大声を出した。


「そっちじゃないよ。ちょっと待ってな」


 仕方なしに口を歪め、木陰の下で彼女が着くのを待つ。それは果てしなく長い時間に思われた。三度目のあくびを終えた後、祖母は「ふう」と息を切らして僕の元へとやってきた。僕は彼女の袖をぐいっと引っ張って言った。


「ばあちゃん、早く行こうよ」


 言い終える瞬間にはすでに走り出していた。しかし、思わぬ反動を身体に受けた。


「今日はそっちじゃないさ。向こうにきれいな桜が咲いたから、見てもらいたいと思ってね」


 彼女は優しい声色でそう言った。今まさに桜を前にしているかのように、彼女の瞳は穏やかにほころんでいた。そう、細路地を無視して道なりに行ったところに、森林公園の入り口があって、そこに大きな桜の樹があったのだった。今はもう伐採されているらしい。雷に打たれて折れたとか、豪雨の影響で根腐れしたとか、家族のうちで色々憶測があったが、事実は定かでない。まあ、どうでもいいことだ。大事なのは、ここで素直に従っておけば、さした記憶にはならなかったということだ。だが、あのときの僕は拳を握り、ぶんぶんと首を降ってしまった。


「やだ。こっちがいい」


 規定のルート以外の寄り道ができてしまえば、それはもはや散歩ではない。当時の僕はいつも通りのことをしたかったのだ。決してふらりと桜を見に行くような、散歩擬きではなく。


 そんな馬鹿らしい執着に縛られ、いくら祖母に手を引っ張られようと、一生のお願いを使わせようと、僕は木陰の中から頑として動かなかった。あの頃の体感では三十分ほど、そんな無為な強情を張り続け、とうとう彼女は折れてしまった。


「分かった分かった。じゃあいつもの方に行くよ」


 疲れ果てたように彼女はとぼとぼと歩み始めた。対する僕は兎のようにあちこちを跳ね回っては、再び彼女との身勝手な競争を始めるのであった。


 結局、その日はいつもの散歩道を行き来して帰った。僕は同じ道筋にこだわりつつも、その中の変化を見つけてははしゃいでいた。鎮守の森には芽吹き盛りの木々が並び、地にはカタバミや菜の花が賑やかに咲いていた。あの黄色い光景は今でも思い出せる。あれは「春が何たるか」を印象づけられた最初の経験であり、心はくすぐったいような愉快さに満たされていた。


 しかし、祖母にとってはそうではなかったはずだ。僕がモンシロチョウやらテントウムシやらを見つけて騒ぐたび、彼女は逐一「すごいねえ」と頭を撫でて褒めてくれた。だが彼女の瞳には、桜を見に行こうと提案したときの光はなかったように思える。


 あのときを最後に、両親の仕事の都合で、春に帰省することはなかった。ついに祖母と桜を見る機会は失われたのだ。今になって僕は口惜しく思っている。その桜はどんな装いを見せてくれたのか、この目に映しておけばとぼんやり悔やんでいるのだ。


 別に花々の美しさ自体に興味はない。桜の名所なんて日本国内にうんざりするほどあるだろうし、あの森林公園が特別綺麗だったなんて、そんな話は誰からも聞いたことはない。問題なのはその桜が、祖母の見せたがった景色だということだ。一緒に桜を見に行く、そんな些細な願望を叶えてあげられないままに、彼女との記憶は途切れてしまった。当然亡くなった今となっては、もう取り返しがつかない。遺影と一緒に花見をしたところで、それは本質的に何か食い違っているように思える。そういうわけで桜を見るたびに、僕は背中を指でつつかれたような気分になる。


 ところでなぜ、彼女は桜を見せたがったのだろう。ふと考えたことがある。多分大した目的はなくて、ただ綺麗な景色を大切な人と共有したいという、誰しもが当たり前に持つ感情ゆえなんだろう。けれど、妄想に近い話ではあるが――もしかしたら革靴とミカンの話みたいに、彼女には意図があったのかもしれない。革靴の件は十三年も覚えている。ならば桜の景色を見ていれば、僕の網膜にはその記憶が宿っていたはずだ。


 きっと人生のどこかで、革靴についての雑学から何らかの教訓を得られるかもしれない。いや、教訓なんて明確な形を持たなくても、もっと曖昧な、霧めいた感情のようなものを。彼女がそれを伝えたかったのであれば、本当に桜の景色も見ておけば良かったと、飽きもせず考えてしまう。でも今は、行動なしの意図を感じることに意味がある、そう信じるしかない。彼女との記憶を忘れないことがその一助になるならば、僕はいつまでも例の言を思い出すだろう。革靴をピカピカにしたいなら、ミカンの皮で磨くといい、と。

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― 新着の感想 ―
好きです!!!祖母との思い出を大事に、大事にしているのがすごく伝わってきました!!!桜を見に行かなかった後悔もヒタヒタと伝わってきて、これが本質なのかは分からないですが、それが自分を変えるきっかけにな…
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