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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

主に恋愛系

夫が婚約者の元に還った後の世界で私は幸せな再婚をします

作者: 白水那由多

 ピチャン……ピチャン……


 水滴がゆっくりと水面に繰り返し滴り落ちる音が聞こえる。

 頬や手、それだけではなく、体全体に石の硬く湿った感触と冷たさが伝わってくる。

 

 私は横たわっているようだ。

 だが、なぜこのような状態に?

 それにここはどこだろう?


「うぅ……」

 自然とうめき声が口から出たあと、私はなんとか意識を取り戻そうと、瞼に力を入れて瞬かせながら目を見開いた。


 何度も瞬きを繰り返すうちに、ぼんやりと霞んでいた色彩が次第に輪郭を形作り、ようやく焦点が定まってきたのか、私の目にはっきりとその光景が映し出された。


 私の目に映った光景。


 それは日が差してきらきらと光り輝く水面と、そこに浮かぶように静かに佇む女神の像という神秘的な画だった。

 

 そうだ。


 ここは……私がいたのは女神の泉だった。

 その事を認識した私は手に力を入れ、緩慢な動きながらも上体を起こして後ろを振り返った。


 背後には私と同様に他の人間たちが散らばるようにして倒れていた。


 果たして彼らは無事なのだろうか?

 心配になった私は自分の一番近くに倒れていた宮廷人に声を掛けようとした。

 

 しかし、声を掛けるよりも前に彼も意識を取り戻し始めていた。私と同じようにしてうめき声を出したあと、首を横に振り膝をつきながら起き上がった。


 またそれが号令になったかのように、倒れていた他の人たちも微かに声を上げて体を動かし、徐々に意識を取り戻しているようだった。



 その様子を伺っているうちに、私は今までの出来事を一気に思い出した。


 念願だったここの場所、つまり、どんな願いでも一つだけなら叶えてくれるという女神の泉にやってきた私たちは、現れた女神に願いを叶えてもらい───


「ローラン?」

 思わず私は彼の名前を叫んだ。


「ローラン!」

 再び、今度は大きな声を出して彼の名を呼んだものの何も応答はない。


 さらに、あたりをきょろきょろと見渡してみたものの、彼の姿は全く見当たらなかった。



 ああそうか。

 私は俯いてそれ以上は何も言わなかった。


 そうだ。


 これは自分が願ったことではないか。


 私は女神に向かって、ローランを元の世界に戻して欲しいと願ったのだ。

 元の世界には彼の子供を孕っている婚約者が待っているから、と。


 だが、彼は元の世界に還る事よりも私とこの世界に居ることを望んでいた。

 しかし、私はどうか私の事を捨てた父と同じ道を辿らないで欲しいと彼を拒絶した。


 その口論の末、必死に引き留める彼を無視して私は女神に近づき、願いを叶えてと叫んだあと眩い光に包まれたのだ。

 

 そして今この場には、私のことを愛してくれ、私もまた愛していた夫の姿は完全になくなっていた。

 彼がいないということは……女神は私の願いをちゃんと聞き入れてくれたということだろう。



 馬車に揺られながら、私は一人で静かに帰宅した。

 執事のセバスチャンとジローチャンは笑顔で出迎えてくれたが、ローランの姿がないことに気が付くと、どうしたのだどこにいったのだと私に尋ねた。


 私はそれまで我慢していたが……二人の顔を見た途端、ついに堪え切れずに涙をこぼし、嗚咽しながら私の願いでローランを元の世界に還したのだと伝えた。


「そんな……うそや! なんでローランちゃんを元の世界に還したんや!」

 ジローチャンは私に向って、出発前にローランちゃんはあんなに嬉しそうな笑顔をしてたやないかい! なんで二人でおることを選ばなかったんや! と声を荒げた。

 

 確かにジローチャンからすれば、ローランはあちらの世界に還る素振りを見せていなかったし、挨拶もない突然の別れにショックを受けるのは当然だろう。


 それに彼は私よりもずっと長く執事としてローランの傍で仕えていて、絆だって私が思っている以上に深いものがあったはずだ。


 いや、深くなければ……


 女神の泉を取り合ったローランの元恋人であるアンジェラ夫妻が率いる商会に対して、私を守るために命を賭けて爆死しようとした彼を止めるどころか、運命を共にしようとする選択なんてしなかっただろう。


 そんな彼らの強い絆を無理やり断ち切った私は、彼から責められても仕方ない。殴られても文句は言えない。


 だが、ここでセバスチャンが私を守るようにして間に入った。

「ジローチャン、落ち着いて。そもそもこの結婚は、旦那様が元の世界に戻るためにしたものだったでしょう。お嬢様はご自身の気持ちよりも義を通された勇気ある決断をなさったのです! お嬢様だってあなた同様にお辛いのですから、どうか責めないでください!」


 ジローチャンは大きく溜息を吐いて苛立った様子で、まさかこんな別れ方をするとは思いもせんかったわ! クソッ! と悪態をついてその場を去っていった。


 私は彼の後姿を黙って見つめることしか出来なかった。



 それから三ヶ月くらいの月日が過ぎた。


 その間の私は自分が想像していた以上に落ち込み具合が激しく、ローランと別れた直後の一週間はベッドからまともに出ることすらできなかった。


 でも、ずっとそんな状態であれば罹る必要もない病気になってしまう、とセバスチャンは毎日部屋のカーテンを開けて日差しが入り込むようにしてくれた。


 それから、ようやく私はベッドから出れるようにはなったものの、街へ出かける気力までの回復には至らず、仕事はセバスチャンのサポートを得ながら家からは一歩も出ない生活という有様だった。


 食事もダイニングではなく、自室や執務室で取るようにしていた。

 ダイニングではどうしてもローランが座っていた席の方に目がいってしまい、彼はもうここにはいないのだという現実がナイフのように突きつけられるので、自然と避けるようになっていたのだ。


 正直、これまでは振る方だって辛いという言葉を聞いても、自分から言っておいて何言っているんだとしか思っていなかった。


 だが、今回自分がその立場になってみてそれを思い知った。


 だって、私は彼のことが嫌いになったわけでもなく、彼に悪いところがあったわけでもなく、彼を憎むことがあったわけでもないのだ。

 ただ彼のことを愛しているという想いしかなかった。


 時折、あの別れの時に、彼が決して見せる事のなかった涙を流していた事も無意識のうちに頭の中に浮かんできてしまう。


 愛しているが故に身を引く事が、こんなにまで自分を酷く傷つけるものだとは知らなかった。



 とはいえ、私は一生この悲しみの檻の中に囚われて暮らしていくほど愛に従順な教徒でもない。


 第一ずっと毎日こうやって悲しんでいると、次第にうんざりした気分になり、どうやったらこの気持ちを忘れられるのだろう、逃げだせるのだろう、楽になれるのだろうという思いに今は駆られていた。

 

 それに、この世界に転生してくる前に歩んできた30何年かの人生だって、何度か恋をしても上手くいかず落ち込むことはあったけれど、なんとか立ち直ってこれたじゃないか。


 気持ちを切り替えなければ……と思いつつも、私はやるべきことが全くできていなかった。


 つまりローランの住んでいた側の整理だ。


 私たちは当初偽りの夫婦関係だったため、家は同じでもダイニングと玄関は別として生活スペースは完全に分けていた。


 もうローランは帰ってこないのだし、けじめをつける意味でも彼のいた部屋はちゃんと片付けるべきなのだろう。


 しかし私は、彼の物を処分すれば本当に彼との関係、いや思い出も全て断たれてしまうような気がして、いざ実行しようとするもそこで手が止まってしまっていた。


 女神の泉を訪れる前の日の夜、私のために彼の想いを込めて弾いてくれた、本当の意味でのプロポーズをしてくれたピアノ室もあの時のままだ。

 

 私はなんとなくそのピアノ室に入り、ピアノの蓋をそっと開けて鍵盤をなぞった。


 ここには彼の指がいつもすべらされていたのだ。

 鍵盤に触れてみてたものの、そこに彼の手はなく、冷たい鍵盤の感触のまま。


 ピアノの弾き方をちゃんと知らなかった私に、彼の大きな手が重なり、基本の形はこうだと教えてくれた思い出が蘇ってきた瞬間、私の目からまた熱いものがこみ上げてきた。


「やめてよ……鍵盤が濡れちゃうじゃない」

 そう独り言を漏らしても、目から出てくるものは遠慮という言葉を知らないとでも言うように、私の頬を伝ってぽたぽたと白い面に落ちていった。


 その時、コンコンと部屋の扉がノックされる音が聞こえた。

 手の甲で目を拭い、音がした方向に私が振り返ると何故か深刻な面持ちをしたセバスチャンが立っていた。


「どうしたの?」

 私はそう尋ねて彼の入室を許可した。


 普段であれば笑顔を絶やさないセバスチャンだが、今の彼は強張った表情のままで全く変えようとしなかった。


 彼は私の目をじっと見つめ、意を決したように口を開いた。

「お嬢様。大変申し上げにくいのですが……旦那様のご葬儀を執り行っていただけませんでしょうか」


 葬儀ですって?! 私は予想もしなかった彼の提案に苦痛に近い衝撃を受けた。

「そんな……どうして? だって彼は死んだわけじゃ……」


「お嬢様にとっては大変お辛いこととは存じます。ですが旦那様はこの世界からいなくなったという証明のため行っていただきたいのです!」

 セバスチャンは自分も辛いと言っているような顔をしながら、こう私に説明した。


 ローランが亡くなったとすれば、裏で経営している店舗は以前のようにセバスチャンが運営できる。

 しかし生死不明だとその実行権限が彼にはない。今は猶予期間でどうにかなっているが、そろそろその猶予も終わる。


 そうなれば必然的に私がローランの後継者として、その責務を追うことになってしまう。

 だから葬儀をあげて欲しい。ローランが消失した事は宮廷人たちも証言してくれているし、誰も意義を唱えるものはいない、と。


 もちろん、この提案については彼が権力を握りたいからというような、つまらない野心から発しているのではいないことを私はわかっている。

 セバスチャンは本気で私のことを心配しているのだ。


 この世界には、一般人を相手にした健全な表の世界の店舗と、綺麗なお姉さんが従事する夜の店だったり、もっと大っぴらには言えない怪しげな事をやっている裏の世界の店舗がある。


 現実問題として私は表の世界の店舗を担うだけで実は精一杯だった。

 本来であれば初心者モードなのだから店舗の数だって少ないはずなのに、ローランと結婚したことでマップの領域が広がり運営店舗数は倍に増えていたためだ。


 一方で裏の世界について、私はほぼ全くわからなった。

 ローランのように表も裏も自分の手中に収めたいという野望だってありもしなかった、というより裏の世界自体を知らなかったのだから。


 そういう訳で、今後私がこの世界で生きていくには、裏の世界に通じているセバスチャンとジローチャンのサポートが欠かせないことは確かだ。


 私は自分の力のなさに大きくため息を吐いた。


「どうかご決断をしていただけないでしょうか。お嬢様のお気持ちに整理をつけるためにも」

 セバスチャンは再び私にそう声を掛けた。


 そうだ。ローランと別れると決断したのは自分からだったではないか。


 それにこの悲しみに暮れているだけで何もしないでいて、一体この先、どのようなメリットがあるというのだろう?


 私は他にいい方法はないのかと思案したが、さっぱり何も思い浮かばなかった。


 いっそのこと、セバスチャンの言う通り葬儀を執り行った方が気持ちに蹴りがつくのではないか……


 そのように結論に至った私は、頷くと葬儀を実行して欲しいとセバスチャンに依頼をした。


◆◆◆


 薄暗い中、ステンドグラスと蝋燭の明かりだけが輝いている教会で、ローランの葬儀は執り行われた。

 祭壇の前には形式として棺が置かれているが中は空っぽだ。

 

 私は顔にベールを掛けた喪服姿で一番前の座席に座り、献花に訪れた人に向って終わるたびに一回一回礼の代わりにお辞儀をした。

 祭壇には彼が好きだったカサブランカ・リリーが大量に並べられている。


 葬儀は大々的にはせずにひっそりと行うつもりだったが、葬儀をやると聞きつけたローランの知人が多数押し寄せ、次々に献花を捧げに来てくれたのだ。

 

 それに聖歌隊の歌う厳かな聖歌はなんと心地よいものか。

 私は現実世界で参列した祖母の葬儀に重ね合わせた。

 もちろんその時は仏式だったが、僧侶の上げる読経が不思議と心にしみわたり、悲しい気持ちを落ち着かせ慰めてくれたことを思い出したのだ。


 そしてとうとう、献花は最後の弔問客の番となった。 


 それはジェラルドさんだった。

 私は彼が式が始まる前からこの教会に来ていたことに気づいていたが、最後の献花をしているということはきっと他の客に順番を譲っていたのだろう。


 彼は献花をした後、他にもう客がいない事を確認して、この度はお悔やみ申し上げますと彼らしい真面目な面持ちで私にそう言った。


 私は彼にもお辞儀をした後、特にそれ以上会話をすることはなく、もうこの場を切り上げるつもりだった。


 しかし、ジェラルドさんは私に向って更に話しかけてきた。


「カサブランカ・リリー。いい選択ですね。彼も喜ぶと思います。新店舗を出す度に、彼はこの花を店先に飾っていたようですから」

「え? ジェラルドさんは新店舗が出る度に、いらっしゃっていたんですか?」

「あ……ええ。僕は個人的な用事というよりも、仕事の都合上でと言う事ですけど。ところで、よければ彼のどう言うところが好きだったのか、僕に教えてもらえませんか」

「……?」


 私はなんでそんな事を聞いてくるのかと不思議に思った。

 だが、ぜひ聞かせて欲しいとジェラルドさんは微笑んでいる。


 彼はローランとは不思議な友人関係で結ばれており、ローランが自分がこの世界からいなくなった後に、私の再婚相手として推薦していた人物だ。


 ちなみに知り合ったのは、ローランが私にサクラとして出てくれと言った婚活パーティーだ。

 でもサクラというのは私を無理やり参加させるための嘘。

 彼が婚約者の元へ還ってしまえば、私が一人ぼっちになってしまうからと再婚相手をあてがうために開催したというパーティーだ。


 しかし、それも建前でその実態は……彼が私への気持ちを断ち切るために開催したものだった。


 そのためローラン自身はジェラルドさんに複雑な感情を抱いていたようだが、彼ら的には何か深い信頼関係のようなものが実はあったのかもしれない。


 そんな彼を無碍にできないと思った私は、彼に木の椅子の横に座るように促した。

「なんて言っていいのかわかりませんが」

 私はまずそう前置きをした。そして……


 ローランと初めて出会った際になんて嫌な男なんだろうと思ったにもかかわらず、気がついたら彼の事を好きになってしまっていた。

 不思議な事に彼といると落ち着くのに、一方でふとした仕草や話し声でときめきというか心臓がどきどきしたり。

 それに危ない仕事をしてるのに、時折無防備になったり、真剣にピアノを弾いてるところが可愛く思えて。


「でも本当に色々思う事があり過ぎるんです。多分、彼の事そのものが大好きだったのかもしれませんね」


 気が付けば私は一時間近くジェラルドさんに向ってそう話し込んでいた。

 寂しかったのかもしれないし、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

 時間がそこまで過ぎていると気づいたのは、ふと時計が目に入ったからだ。そこまで自分が話していたことに自分自身で驚いていた。


 さらにここまで話した途端、急に悲しい感情に襲われてどっと涙があふれ出てきてしまった。

 そうなのだ。私がいくらここで彼の事を愛していたと他人に話したところで、もう本人は居ない。

 もう何も伝えることはできない。もう声すら聞くことも……


 また話に集中しすぎて、相手がジェラルドさんだということについては、すっかり忘れてしまっていた。

 彼はローランの推薦だけではなく、自らも志願して私の再婚相手になりたいと言ってきた人なのに。

 

 私は泣き顔を見せてしまった上に、忍耐強くこんな話を聞いてもらったことに対して、彼に不快な思いをさせたのではないかと急に申し訳ないという思いに襲われた。

「すみません。話し過ぎましたね」

 

 ところが私の予想に反して、ジェラルドさんは穏やかな笑みをずっと浮かべたままだった。

「いいえ。とんでもない。どうか謝らないでください」

 さらに彼は、僕は今の話が聞けて良かったですとも言った。


「それだけ彼の事を深く愛していたあなたは、やはり素晴らしい人だと僕は思います。僕としては……」

 彼はそう言ったところで、目を逸らして少し沈黙した。


 しかし、再び私に目を向けて口を開くとこう続けた。

「いえ、なんでもありません。僕の願いは……あなたがこの苦しみからなるべく早く解かれることです。僕が彼の立場であったならば、苦しむあなたに心を痛めたはずです。でもどうか無理はしないで下さい。今は気の済むまで、悲しみに存分に浸ることも僕は大事だと思います」


 それではと言って、彼は静かにその場を去っていった。

 

 初めてジェラルドさんに会った時もそうだったが、何故彼に対してはこんなにも話しやすいと感じるのだろう。


 彼はメガネをかけており、癖の入った髪の毛、少し丸みを帯びた体型をしており、モデルのような体型をして顔も良かったローランと比べると、あまり見た目を整える事やファッションにそこまで関心がないらしい。

 だが、その飾らなさが自然で、一層温厚そうな印象を私に与えていた。


 もし、ローランと出会わずに彼に先に出会っていたのなら、私の運命もまた変わっていたのだろうか。

 そうしたら、こんな悲しい思いはせずに済んだのだろうか。


 いや、あの時の私は誰かと恋愛するなんて思いもよらなかったし、きっとジェラルドさんに出会っても何も感じる事はなかっただろう。


 私は改めてローランとの出会いは、自分に大きな影響を及ぼしていたのだと感じた。


◆◆◆


 それから正式に裏の世界はセバスチャンとジローチャンが運営担当する事になった。

 しばらく数ヶ月の間は特に問題もなく、穏やかに日々は過ぎて行った。


 ところが。


 それは、私がいつものように自分の執務室で仕事に取り掛かっていたある日のことだった。

 

「お前、何ふざけとんじゃ! ボケェ!!!」

 そのようなとてつもない怒号が家の中に響き渡ったと思うと同時に、ジローチャンの舎弟が私のところにすっ飛んできた。


「姉御! どうか頭たちの喧嘩を止めてください!」

 彼はそう私に向かって叫んだ。


 声の出元はどうやらジローチャンのようだ。

 一体何をやらかしたと言うのだろう。

 私は大慌てで舎弟と共にその現場へと急いだ。


 私が駆けつけると、なんとそこには───


 セバスチャンとジローチャンが派手に殴り合いの喧嘩というより殺し合いをしていた。

 二人とも顔を血だらけにしており、壁には穴が空き、ガラス窓は割れている。家具だって倒されてひっちゃかめっちゃかだ。


 他の舎弟たちも喧嘩を止めようとして二人に声をかけていたが、なんや! じゃかあしいわ! ぶち殺すぞ! というジローチャンの大きな声で返され、彼らも止めに入ることが出来ずにその場に立ち尽くしていた。


 ジローチャンは壁際に追い込んでいたセバスチャンに掴み掛かると、再度拳を彼に当てようとしたため、たまらず私は何してるの! とやめなさい! と金切り声のような大きな声をあげて、ジローチャンの手を掴んだ。

 

 内心、物凄く怖かったが、これ以上セバスチャンを傷つけようとするのは見ていられなかったのだ。


 するとジローチャンは私の事を睨みつけた。

 しかし、ふと我に返ったのか、舌打ちをしてタバコ吸ってくるわと言ってその場を去っていった。


「セバスチャン、大丈夫?! 今、救急箱を持ってくるわね!」

 私は目の下が赤黒くなっているセバスチャンにそう声をかけて部屋を出ようとした。


「いえ、お嬢様! 私は大丈夫ですからどうぞお構いなく」

 セバスチャンは立ち上がると、ポケットからハンカチを出して顔の出血している部分に当てた。


 しかし、この派手な喧嘩は一体何が原因なのだろう。こんな喧嘩自体、私は初めて見たのだ。

 セバスチャンだってやられっぱなしの柔な男のはずじゃない。

 CQCの達人だし、本気になれば特殊部隊を素手で制圧出来るほどの腕を持っているのだから。


「ねぇ、あなたの主人として聞かせてちょうだい。何でこんな事になってるの?」


 セバスチャンは言葉を濁らせた。そして今回の原因は自分にも非があると言った。

「いいですか。私はお嬢様を責めるつもりは全くありません。ただ……ジローチャンは今までだったら現場に行って派手に暴れ回れたというのに、今や事務方仕事の比率が多くなったため、つまらなさすぎると不満が爆発したようなのです」


 実はローランがいた頃は彼が指揮をとっていたため、セイクレッド家のマッドドッグの異名をもつジローチャンは、その名の通り舎弟を率いて商売敵やら、こちらとの約束を破ろうとする不届ものに対して暴れ回っていた。


 しかし、ローランがいなくなった事で、彼が指揮官の立場になってしまったため、それがだんだんとストレスになっていたようだ。


「実は最近縄張り争いがあったのですが……私は彼の不満に気が付かず、なによりもさっさと解決したかったため、彼に頼まず私自身で行ってしまった事に怒りを覚えたようでした。自分の読みが甘過ぎました。迂闊でした」

 セバスチャンはそう言って私に頭を下げた。


「そうなの……確かに二人には負担をかけている事は申し訳ないと思ってるわ。でもジローチャンだって執事でしょう。私は彼にもちゃんと責務を果たして欲しいと思ってる。あとでジローチャンにもちゃんと言うわ」

 私がそう言って部屋を後にしようとしたところ、セバスチャンはそれは止めてくださいとなぜか止めた。


「お嬢様。今はジローチャンも旦那様がいなくなった事で、どうしようもない寂しさを抱えているのです。どうか、彼の事は大目に見ていただけないでしょうか。それに、こんな時に大変申し上げにくいのですが、さらに悪いニュースがあるのです」

「悪いニュースですって?」


 セバスチャンによると、実質支配していたローランがいなくなった事をいい事に、またギザン地区でアンチソーシャルな組織同士の抗争が激しくなっているそうだ。


 ギザン地区は私たちが女神の泉を手に入れるため派手にぶち壊した街だ。復興もまだまだ手がかかっている。

 そのため人の手を必要としており、外部つまり他国から人が入りやすくなってしまっている状況だと。


 また、そういった連中はジュクシン地区のカブラギ町やギロッポン地区にも進出する機会をうかがっており、仮に徒党を組んで一斉に蜂起なんてされたら、さすがにジローチャンと自分が頑張っても抑えこむ事はできない、とセバスチャンは言った。


 それにやはり仕切っているのが、商会の長ではなく執事というのは、敵から舐められる要因にもなってくる。

 顔を見せてここは自分のシマだとわからせればそんな簡単に出張ってこないが、長が不在だと奴らは確実に遠慮なしにやってくるだろうと。


 彼の話に私は絶句した。


 でも考えてみれば、本来なら私のいる世界は初心者の世界でありもっと緩くプレイというか、暮らしていけるはずなのに、なぜかこの世界はローランが選択していた上級者の世界に取り込まれている。

 それはローランがいなくなった後も変わりがないようだった。

 このまま初心者気分でいれば、この先なにが起こるかわからない。


 それを鑑みて、私はセバスチャンの言いたい事を汲み取った。

 これを解決するには二つの方法しかない。


 一つは自分が表も裏も支配する女帝として君臨するか。

 でも私は生憎そんな、ローランの元カノであるアンジェラのような女王様キャラではない。

 むしろローランを狙っていた女たちに地味な奥さんと呼ばれるような女だ。


 そんな私が仮に極妻のような格好で出てきたとしても、すぐにハッタリだと見破られてむしろ状況が悪くなるだたろう。


 となると残るはもう一つだ。


 再婚して相手に裏の事を担ってもらう。

 それしか考えられない。


 でもそれは……はっきり言って今の気持ち的に物凄く抵抗がある。

 いくら気持ちにケリをつけようとしたとて、やはり自分の中にはまだローランの事を思う気持ちは残っているのだから。


 私は一週間近く悩みに悩んだ。


 しかし、人間は追い込まれると思いもよらない発想がひらめくようだ。


 私の頭の中に、ふとある考えが過ったのだ。


 そうだ。自分も当初はローランと白い結婚をしたではないか。

 これを逆手にとって、相手には裏の世界を牛耳ってもらう代わりに自分とは何もない関係でいてもらう。

 場合によっては相手が愛人を持つことも許そう。


 ただ、それで愛人と共謀して乗っ取られてしまうのでは元も子もない。


 裏の世界はともかく、表の世界の分は私が死んだら権利は指定した人に、遺産を全額恵まれない孤児たちに寄付をする。

 また、私の寿命を考えて60年以内に死んだり、離婚に至る決意をさせたなら、裏の世界の運営権利も剥奪する。


 それでどうだ。


 まあ、こんな条件で上手くいくかはわからないが、セバスチャンの情報収集力は高いし、野心的すぎる輩は除外してくれるだろう。

 

 何よりもやらないよりかはマシ。


 そう思った私は至急で裏世界に強い再婚相手の候補をセバスチャンに選ばせて、またしても婚活パーティーをひらく事を命じた。



 場所は私の家で行われた。


 外の会場を借りようかと思ったが、相手が相手なだけに、万が一の事を考えてセキュリティが高く、変な行動を起こされた場合に対応できるよう、罠が仕掛けられる自宅の方がいいとセバスチャンが判断したためだ。


 それにいざとなれば、ローランが作っておいた牢屋も拷問室も大きめの焼却炉もある。


 また、今私は使っていないローラン側の棟の応接室にいて、セバスチャンの選んだ面々を目にしているのだが……


 正直な事を言おう。

 私はローランが以前無理やり開いた婚活パーティーにやってきたような、容姿端麗、眉目秀麗な人たちを想像していた。


 だが、現在ここに集まっている人物たちは───


 当たり前かもしれないが、どう見ても、いや完璧にその筋の人しかいなかった。


 一番若そうな人でも年は自分よりも10近く上、皆がっしりとした体型をしており、顔に傷があったり、肌が浅黒かったり、メガネをかけてスラリとしているが神経質そうだったり、他と比べたら穏やかそうだが60は確実に過ぎている、などなどかなり癖のある面々だ。


 婚活パーティーというよりも、完全にそちら界隈の会合そのもので、言葉をお互いに交わさないがばちばちと目から火花を散らしている。


 また、人数も5名ほどしか来ていない。

 確かもっと声をかけたはずだろうに……と思っていると、セバスチャンがこっそりと疑問に答えてくれた。


 裏の世界を牛耳るのなら、それに見合った事をできる人間ではないといけない。文字通り常に戦いあっている社会なのだから。

 

 ましてやローランの遺していった場所は、カブラギ町やギザン地区、そしてギロッポンなのだし、そこを押さえられればこの国で覇権を取れたも同然となる。


 だから、彼らにはあえてどこの誰が来るという参加情報を流した。

 無論、皆ライバルだ。

 こちらはそうして下さいなんて一切言っていないのだが、この日までに勝手に戦ってその数を減らしていってくれたようだ、と。


 さすが仕事が出来る執事は、先のことを読んで行動してくれる。


 そう言う訳で、この会場に来ている人たちは普段ジローチャンやその舎弟に慣れているとはいえ、雰囲気というか人相も込みでガラが悪く、あまり積極的に関わりたいと思えない人物たちばかりだった。


 だからやっぱりちょっと……とはいえ、呼んでしまった手前、おかえりくださいとも言えない。

 私は裏の事はさっぱりわからないので、セバスチャンとジローチャン立ち合いのもと、それぞれをローランの執務室に呼んで面談というなのお見合いを行った。


「ああ、疲れたわ」

 なんとか終わったものの、私は緊張もあって大きくため息をついた。


 はっきり言って、もちろん相手の事はとてもではないが夫とはみなせない。

 話してみれば違うかもと思ったが、なんだかもう、色々と違い過ぎたのだ。説明するのも疲れるくらいに。


 だが、現実問題として迷ってる時間はあまりない。

 こうなったらやはり、いかに自分にとって利点がある人重視で選ぶしかないのか。

 ちゃんとこちらとは線引きして、裏の事をうまく立ち回ってくれる人を。


 それを基準にするならば、どの人にすべきかとセバスチャンとジローチャンに相談していたところ……


 突然ノックもせずに、執務室の扉が勢いよく開けられた。


「お前、お取り込み中のときはノックしろって何度も言うとるやないかい!」

 扉を開けたジローチャンの舎弟はそう怒鳴られた。


 しかし、謝りもせずに舎弟はなぜか顔を真っ青にして、足も震わせながら怯えている様子を見せている。

 ジローチャンに怒鳴られてるのは日常茶飯だし、それが原因では無いだろう。


 そのまま彼は、聞いとんのか? こらぁ? と血管を浮き立たせて怒りが現れているジローチャンに向かって近づくと、頭! どうかそれどころじゃないんです! 話を聞いてください! と言って、手元をぷるぷると震わせながら耳打ちで何かを報告をした。


「は? なんやて? はぁ? その話はほんまか?! お前、嘘やったらしばき倒すぞ! ……ジュリアちゃん、決断はちょっと待っててな。確認してくることがある!」

 ジローチャンはそう言って、報告に来た舎弟と共にどこかへ一瞬消えると、なぜか嬉々とした様子で戻ってきた。


「ジュリアちゃん。最後にもう一人おったわ。ジェラルドが来たんや!」

 さらに彼は、ぜひとも会ってやってくれへんか。会わないと絶対、いや死ぬほど後悔するで! と言ってきたので私は顔を顰めた。


 なんでジェラルドさんが? 

 しかも彼はそれほど裏の事を知っているはずでもなさそうなのに。

 第一、今回の婚活パーティーには呼んでもないはずだ。何故やって来たのだろう。


 そう思いながら、私は彼には会っても断るだけなのにと思いつつ呼んでもらうように頼んだ。


 しかし、この場にやって来たのは───


 少し伸びた癖の入った髪の毛は、後ろにリボンで一つ縛りにしている。

 顔からはメガネが取り払われており、野暮ったさを強調させるような太かった眉もちゃんと整えられていた。

 さらに丸みを帯びた顔つき、それだけではなく体全体が引き締まり、服装も前とは異なって洗練されたものを選んでいるようだ。


 つまり目の前には、以前とはほぼ別人といった具合のジェラルドさんが現れたのだ。


 その姿に私もセバスチャンも呆気に取られて口をぽかんと開けた。


「どう? 驚いた? これでもまだ僕からしたら完璧ではないんだ。あともう少し体を絞ってから君に会いにいこうと思ってたのに」

 私たちの表情を見てジェラルドさんは軽く笑うとそのように言って、さらにこう続けた。


「思いの外、この体は着痩せするタイプだったみたい。検分するのに取り敢えず全部脱いでみたら、まだ20代なのに結構お腹がでてるんだよ。これじゃあ僕のプロ意識に反する。ここまでにするのだって相当だった。こんな頑張ったと思うのは高校生の頃に15kg近く減量した以来かな。食事制限や筋トレ、水泳にランニング、あと縄跳びで必死にダイエットしたよ」


 でもまさか僕が見た目を変えてるその間に、再婚しようとするなんて。


 しかも僕が予言したとおりじゃないか。


 広大なこの地を君一人でやっていくのはどうかと思うって。

 一応裏の世界に通じてる執事だって二人もいるのに、上手く使いこなせないなんて何やってるんだか。


 この少しイラッとする話し方に私は思わず、は? と言って眉間に皺を寄せた。


 以前のジェラルドさんは、決してこんな話し方はしなかったはずだ。

 もっと穏やかで丁寧な口調だ。

 こんな自信ありげで、キザったらしくて少々ナルシスティックな雰囲気も含んだ言い方なんてしなかったはずだ。


 彼は私の様子を見て、してやったりとしたような笑みを浮かべた。

「けれど僕の予想は当たりだった。痩せてみたら、やっぱりジェラルドは僕にそっくりだった。その証拠が君の顔に正直に出てる。ただ背が前の僕よりも7cmも低いことだけは除いてね」


 意味がわからなさすぎる。

 私もセバスチャンも首を傾げる一方で、まさか戻ってくるなんてなぁとジローチャンは笑顔で大喜びしている。


「戻ってきたって……え?」

 私は顔を顰めながらさらに目を瞬いた。


「あぁ、そうだよ、ジュリア。女神はちゃんと僕の願いもちゃんと聞き入れてくれたようだ。この世界で君と幸せに暮らしたい、っていう願いをね」

 私の目の前にいる彼は、今度は馴れ馴れしく私の名前を呼んだ。


 そうなのだ。

 私たちの前には見違えったというよりも、少し小さくは感じるがほぼ彼と変わらない。


 目の前にいるのは───


 この世界からいなくなったはずの夫、つまりローランそっくりの自称ジェラルドさんなのだ。


 確かに女神もあの時は、未熟な自分のせいで私たちが不幸せになるのは嫌だとか、ハッピーエンドが好きとか、なんとかなれーっ! とちいさいながらもかわいらしく一生懸命呪文を叫んでいたような。


「君たちを驚かせたかったのもあるけど、他の候補者がいる中に僕が混じっていたら、何で死んだはずの旦那が混じってるんだと確実に怒号が飛んできただろう? だから、あえて遅れて一番最後にやってきた。待たせたね」


 さらに彼は、一度現実の世界に戻ったと思ったらまた刺されて戻ってきたんだと言った。


 今度は彼がとある女性と付き合っているというフェイクニュースが世間に流れたのだが、その女性は別の男性と結婚したため、なんで彼女の事を幸せにしなかったんだという、その女性とも結婚した男性とも全く関係のない男に恨まれて刺されたのだと。

 ……一体なんなんだ、それは。


「つまり前はローランとして。今回はジェラルドとして僕は転生した」

 そう言って目の前の彼は微笑んだ。


 あぁ……何と言う事だろう。

「信じられない」

 自然と私はそう漏らしていた。


 そしてある重大な事が心に引っかかった。

「それでまた、結局あなたの婚約者をあちらの世界に置き去りにしてきたの?」


 ローランは私に結婚を申し込んできた当初、身重の婚約者と待ち合わせをしているときに刺されたと言っていたのだ。

 元の世界に戻るため、女神の泉で願いを叶えてもらうのに私に協力して欲しいと。


 ところが彼はそれは違うと首を横に振った。

「その事なんだけど、元の世界に戻った事であちらにいた僕の過去を全てを思い出した」


 ジェラルドさんは私に近づくと衝撃の真実を伝えてきた。

 

 ……嘘でしょ!!

 でも私の前世の記憶と、彼がこの世界にやってきた悲劇を重ね合わせれば納得はいく。

 確かにまあ、それなら問題は全くないけれど。

 詳しい話は長くなるのでこの場では割愛するが。


 しかし、セバスチャンだけはまだ厳しい顔をしていた。

 もしかしたらジェラルドさんがでっち上げているだけで、ローランの振りをしているのではないかと彼はこの時思っていたようだ。


 ジェラルドさんは前々からなぜか知らないが、私に対してご執心のようだから、今度の婚活パーティーは以前と違って私が主催の本気のものだと知ればすっ飛んできてもおかしくはない、と。


 そのためセバスチャンは、ローランと言える証拠を示して欲しいとジェラルドさんに向かって言った。


「そう。それならピアノ室にあるピアノでも弾いてみようか? そうだな。今度はリストの愛の夢なんてどうだろう。でもそんな優雅でロマンチックな演出をしてる時間はないと思うけどね。だから、手っ取り早く僕だという証明をしよう。ジュリア……君の右胸の下と左の腿の付け根にはホクロが一つずつある。どう? そんなことを知っている男は僕しかいないと思うんだけど」

 

 確かに彼の言う通りなのだが。

 もちろん私はジェラルドさんにはおろか、世間一般にそれがわかるような姿なんて見せたことはない。

 それを知っているのは普段着替えを手伝ってくれる使用人……あるいはローランだけだ。


 驚いている私にさらにジェラルドさんはこう言った。

「まあ、だけどセバスチャンやジローチャンにその証拠を見せる訳にもいかないだろう? それに僕は使用人から聞き出した訳でもない」


 彼は使用人を買収した疑惑を潰しに掛かった。

「それを証明するために、どうして僕がそれを知っているのかという、あの日の出来事をもっと詳しく話そう。あの後、僕たちは初めて二人で寝室に向かった。すでに我慢の限界を迎えていた僕は君を強く抱きしめたあと、ようやく精神世界の絵空事ではなく、僕の身も心も全てを捧げて君を愛し、目眩く快楽の園で魂の交わりを感じることが出来るのだ、と歓喜に震えた。そして君に再び口付けをして寝巻きを取り払い、そのまま思い切りベッドに押し倒し……」


 あぁ、何て事だろう。

 ……これは絶対にローランだ。


「それ以上言うなー!!!」

 私は普段上げないような乱暴な言葉遣いに加えて顔を真っ赤にし、ソファにあったクッションをジェラルドさんというか、ローランに向かって投げつけた。


 ジェラルドさん、いやローランは投げつけたクッションを片手で受け止めると、やれやれといった表情で笑い、元の位置に戻した。


「どう? ジュリアのこの狼狽ぶりをみても僕のことが信じられない? それでも別にいいけど。そうだ。それならセバスチャン。君と僕しか知らないこと……あぁ、ジュリアに君の恋人の名前を教えるのはどうかな。ねぇ、ジュリア。実は知っていたら意味がないけど、セバスチャンの恋人の名前はハロ……」


 どうか、それだけはおやめください! と今度はセバスチャンが顔を赤くして大声で叫んだ。

「あぁ、あぁ……! なんと言うことでしょう。確かに人の弱みに漬け込んで脅してくるその嫌らしい……いや、戦略を練った悪魔的なやり方は旦那様そのものです! 信じられない!」

 セバスチャンは顔を引き攣らせているが、喜んでるとも言えるような何とも言えない表情をしている。


「ようやく二人とも僕の事を信じてくれてよかったよ」

 わかってくれて良かったとローランは微笑んだ。


「でもどうやって婚活パーティーをやるって知ったの?」

 こんな情報を聞き出すなんて、どこからか盗み取ったのだろうかと私が疑問に思っていると、彼はこう答えた。


「それは君たちが話してるのを直接聞いていたからだよ。ジェラルドがこの部屋に、発見されにくい超高性能な盗聴器を仕掛けていたんだ。僕が聞いた感じからして、恐らくそのソファとソファの間にでも仕込んでるんじゃないかな」

「はあ?!」

 私は大きく声を上げた。

 なぜジェラルドさんがローランの執務室にそんなものを仕掛ける必要があったのだというのだろう。


 すぐさまセバスチャンがローランが指差したソファを調べると、確かにその隙間から一見すると何処にでも売っているごく普通のペンが出てきた。

 何だ。ただのペンではないかと私は思ったのだが、それを手にしているセバスチャンの顔は厳しい。


 彼が手早くクルクルと先の方を回すと、なんとその中からは小さな機器のようなものがコロンと出てきたのだ。

「確かにこれでは仮に見つかったとしても、誰かがペンを落としたのかくらいにしか思わないでしょうね」


 実に用意周到で抜かりない、と彼はため息を混じらせた。

「そして何の疑いも持たれずに机のペン立てに戻される。しかしながら盗聴器だと気づいた時には時遅く……おまけに仕組んだ真犯人も分かりにくくなる。そこまで計算しての事なら相当ですね」


 それが彼の恐ろしさだ、とローランは言った。

「僕も驚いたよ。婚活パーティーの翌日に彼がこの部屋に来た時、さりげなく細工をしたんだろうね。それしか考えられない」


 私はそんなに上手くいくものだろうか? とローランの推測に疑問符がついた。

「でもあの時はセバスチャンだってこの部屋にいたわよね?」


 ローランはともかく、セバスチャンならジェラルドさんが怪しい動きをしたならば、すぐ気がつくはずだろう。

 私は優しそうな彼がそこまでするなんて、にわかに信じられなかった。


 もしかして、温厚だからゆえローランみたいな人間に脅されて仕組んだのだろうか? と私は一瞬頭の中で考えた。


 でも、私の推測は違ったようだ。


 ローランはセバスチャンから気づかれる危険性も承知の上でやったんだと言った。

「とはいえ、彼が仕組んだときに、思いがけない協力者が現れたんだ」

 

 すっと人差し指をローランは私の前に指した。

「それはジュリア。君自身だよ」

 犯人はお前だ、と言うような顔を彼はしている。


「えっ?!」

 思いもよらない彼の推理劇に私は面食らった。

「なんで私なのよ。私はそんな事に加担なんてしてないわよ!」

 何で私が盗聴の手伝いなんてしなければならないのだろうか。全くもって解せない!

 こんなの迷推理というやつなのではなかろうか。


 しかし、ローランの推理劇場は続く。

「あの日、君は婚活パーティーの件で僕に文句を言いにノックもしないでこの執務室に現れた。そして結果的に僕から離婚話をされ、顔面蒼白になってこの部屋を出て行ったよね」

「それが何なの?」

「わからない? その後すぐに、心配したセバスチャンは君の後を追ってこの部屋を出ていったんだ」

「あ……!」


 思い出せばそうだ。

 私はイマキタ産業との勝負に負けた場合、ローランから離婚されると言われてショックでこの部屋を出ていったのだ。


「あの後のこの部屋の空気といったら……それこそ暗く沈んで葬式みたいな感じだった。けれど、ジェラルドにとっては思ってもみないチャンスだった。セバスチャンは居なくなるし、僕だって君の反応に驚いてその場に立ち尽くしてたんだからね」


 そしてジェラルドも君の様子が心配だ、でも自分はまた振られてしまったから日を改めると言って、この部屋を出ていった。

 その隙が生まれたタイミングで仕掛けていったんだとローランは言った。


 彼の答えを聞いた瞬間、私の肌は氷で触られたような感覚に陥った。

 ジェラルドさんは良い人だと思っていたのに。

 何の目的で一体そんなことを……


 私が信じられないという顔をしているのを見たローランは、首を横に振った。


「ただ一応、彼の名誉のために言っておくけど、君の事を知りたいっていう、ストーカーじみた男がするような動機からなんかじゃない。むしろ僕の動向を探りたかったんだ。そんな彼が優しそう? 温厚そう? 人畜無害? とんでもない! 彼はああ見えて、表家業では花屋なんてやってたりするけど、ただの産業スパイなんて単純でつまらないものでもなかった」


「随分と含みのある言われ方ですね。一体彼は何者だったのでしょう」

 セバスチャンは真剣な面持ちで、ローランにそのように尋ねた。


 質問を受けたローランは微笑んでいる。

 まるでその結果を報告するのが楽しみだ、とでも言うように。

「彼が一体何者だったのか。その答えは奪衣婆の橋。彼の正体はあそこのオーナーだったんだ。さすが僕が見込んで推薦しようとした男だね」


「そんな……ご冗談ではなく本当ですか?!」

 ジェラルドさんの正体を知ったセバスチャンは驚いた声をあげ、全くもって信じられないという顔をした。


「奪衣婆の橋って、カブラギ町の地下を中心にギザン地区やギロッポンまで広がってると噂がある、前に教えてもらった大遊戯場の?!」

 私は以前ローランに、カブラギ町の地下には三途の川みたいな変な名前の場所があるのか、と聞いたことがある。

 その時、それの名称は奪衣婆の橋だと教えてもらったのだ。


 なんでも、そこは裏社会の人間の遊び場として地下に煌びやかな空間が広がっており、表向きではチンチロリンとかポーカー、ルーレットなどまだマシな賭博をやっているようなのだが。


 それでは刺激が全く足りないと言う人間や、賭け金をすってしまい文無しになってしまった人間たちは、さらに下の階へ降りていき、とてもではないが口には出さないようなエグい賭け事をしたり、させられてるとかなんとか……


 きっと命綱なしの綱渡りをさせられたり、血液を抜くゲームにチャレンジさせられたりするのだろう。参加者から観客もザワついてるのが目に見える。


 実に恐ろしい、なんて恐ろしい世界なのかしら!

 ……まあ、ローランと結婚したお陰でそういうのもある程度までなら慣れたけれど。


「そう。ジュリアの言う通り。あそこのオーナーは僕ですら、セバスチャンですらどんなに調べても分かりやしなかったというのに。まさか知らない人からよく道を尋ねられたり、世話好きなマダムから飴を貰いやすいようなジェラルドが裏の裏の世界のオーナーだったとはね……でも、今は僕がジェラルドだ。そして、ジュリア。君を手に入れれば完璧だ」 

 そう言ってローランはニヤリと笑った。


「そういう訳だから、ジュリア。今すぐにでも結婚しよう」

「え、今すぐ?!」

 私とセバスチャンは同時に声を上げた。


「何でそうなるのよ!」

 あまりに唐突すぎる。せめて明日ならともかく、今すぐって!

 最初の結婚をした時よりもリードタイムが短いじゃないか。そんなに私と結婚がしたいのか。


 本当に彼のこのペースは相変わらずだ。やっぱり本物のローランだ。


 私は急な展開に困惑しつつも……もちろん彼が戻って来てくれたことも、再び結婚を申し込んでくれたことも本音では嬉しかった。

 だが、一人の女としてそんな簡単に承諾するとは言えない。

 

「ちょっと待ってよ。あなたが戻ってきたんだから、せっかくだから、その、やっぱり、ちゃんと……ドレスだって選んで式をあげたい……じゃない」

 普通に考えてみて欲しい。

 政略結婚のように無理やりではなく、ちゃんと大好きな人と結婚するのだ。


 それなら多少なりとも希望はあるというもの。

 いくら拗らせてる私だって!


 しかし、この男はこういう時は冷酷なのだ。

「いいや。ダメだね。今すぐだ」

 私の希望は無情にも却下された。


「だって外を見てごらん。君が招集した男たちは本気で君のことを狙ってるようなんだ。誰と結婚するか決定が出され次第、問答無用で奪い合いが始まり、山賊のように君のことを担いで奪い取っていくことは目に見えてる。それに前も僕は言ったよね? ほかの男に取られるのは嫌だって」


 その言葉に反応したセバスチャンは急に真顔になると、どこからか双眼鏡を取り出して慎重に窓に近づいた。

 敵陣への潜入が得意な彼らしく、隠れるようにして外を伺い、確かに見合い相手の男たちの舎弟と思われるものたちが続々と家の周りに集まっていると言った。


「旦那様のおっしゃるとおり。彼らは網や麻袋、ダンボールなどを準備しているようです……トラバサミや落とし穴まで!」

「あぁ。だから武器と変装した戦闘員を積んだ馬車を囮として出し、その間に地下の隠し通路から街に出て教会に向かおう。もちろん護衛はセバスチャンに任せるよ」

「承知いたしました」


 私はそんなぁ! と大きく叫んだが、ローランはそんなのをお構いなしでジローチャンに向かっては、結果に納得しないと長居したがる客人に対してはきちんとお見送りして、それでもどうしても居たいというのなら地下で特別なおもてなしを、外の掃き掃除は思う存分一つ残らず丁寧にやってくれと言った。


「よっしゃ! 喧嘩や! 戦争や! 派手にやってやろうやないかい! ドスはどこや!」

 ジローチャンはまるでフリスビーを投げられた犬の如く、ヒャッハーといったのかは定かではないが、そのような勢いで外に出て行ってしまった。


 だが、ジローチャンが部屋の外に出て行った直後だった。


 窓からの明かりが急になくなった。

 

 それは日が陰ったからではなく、彼らが現れたからだった。


 ロープを伝って現れた、何体もの黒い悪魔たちが。


 その悪魔たちは手に棒のような物を持っており、思い切り窓ガラスを───


「甘いですね。同じ手には二度も引っかかりませんよ」

 セバスチャンは少し呆れていると言った表情で冷静にそう言うと、壁際のレバーを手に取ってすぐ下に降ろした。


 その瞬間、バチバチという音が窓から響き渡ると、黒い戦闘服を着た侵入者たちは、まるで殺虫灯にやらてしまった我のようにバタバタと大地へと落ちていった。


「やだ。侵入者までまたやって来るなんて……」

 自分で蒔いた種ではあるが、どうやらお呼びしてしまったお客様は本当に本気なんだ、と私は泣き出したい気分になった。


「そう言えばこの前侵入された時、ジェラルドはアンジェラが我が家へ刺客を放った事を実は知っていた。だから、仮にセバスチャンたちが失敗して僕たちが捕えられたとしても、彼の部下が助けに入る予定だったらしい」

「そうなの?!」


 またしても知らなかった真実を知り私は驚嘆した。

 しかし、さらにそれだけじゃない、とローランは言う。


「どうやら彼のプランでは、助けた後に僕がアンジェラたちに報復するのを陰で手伝おうとしてくれていた。けれど、結局そこは君とセバスチャンの役目に変わった。ほら、覚えてる? 最後の決戦で武器を置いて行ってくれた……」

「……!」


 そうだ。そうなのだ!


 セバスチャンが弾切れを起こして、あちら側の敵と対峙した時にいきなり知らない女性から武器の提供を受けたのだ。


 それ以外にも、道の途中で都合よく弾薬や爆弾、麻酔銃などが落ちていたのだが……

 そうそう! 木箱を派手に壊した時にもマグナム弾、グレネード弾がでてきたり。

 ちょっとセバスチャンの体力が落ちているなって時には軍用の食料とか、栄養ドリンクとか。


 でもあれらは全てジェラルドさん側が全て提供してくれてたってコト?!


「そういうことだ」

 私は何も言ってないのに、顔に出ていたのかローランがそう答えた。

「アンジェラの最終的な狙いは裏の裏の女王になる事だった。実に彼女らしいと言えば彼女らしい。でも付き合っていた当時、僕が聞いても彼女はまだ願いを考えてないとか、何か面白いことを見つけたら考えるとか、そんな調子だった」


 何を思っているのかわからないが、ローランは軽くため息を吐いた。

「だからジェラルドも僕たちに協力してくれていたみたい。もちろん彼にはイマキタ産業を倒せるだけの力は余裕であった。とはいえ、彼が主体となって彼女たちを倒すなんて事をしたら、その存在を知られるリスクが高くなってしまう。そういう訳で、彼は急遽イマキタ産業から聖女を奪還する事になった君たちを影で支援していた訳だ。敵対するならともかく、恩人であるならば誰だと探る事もしにくいからね」


 ただ……とローランは言葉を続ける。

「まさか勝ち目なんてないと思われていた君がアンジェラに勝ってしまった。しかも偶然とは言え、街を丸ごとダメにするほどの破壊力。結果、噂に尾鰭が付いて君が実は裏の裏の女王だったのではって、僕自身も辿り着けなかった暗部で現在そう言われている」


 さっきの刺客だって、確実にこの婚活パーティーの参加者による者ではない。

 このパーティーに乗じて私を攫って手籠にしようとしている部外者だろう、と彼は教えてくれた。


 その話を聞いて、私はまたしても泣きそうになった。

「嘘でしょ!? こんな事になるくらいなら、いっそ転生してきた時点で言ってくれれば良かったのに。そうしたら婚活パーティーなんて開かなかったわよ! というか……いつ転生してきたの?」

「具体的な日付はいつだったかよく覚えてないけど、でもはっきりと気がついたのは自分の葬儀の前日だった」

「そうなの。ふぅん……ん?」


 私はふと何かに気がついた。

「え、ちょっと待って。ということは葬儀の日は……」

「うん、そうだよ。自分の葬儀に出れる機会なんて99.9999%ありえないからね。僕はこんなにも皆から好かれ愛されていたんだと嬉々としながら葬儀に参加してた」

「と言うことはつまり……」


 ローランはにっこりと微笑んだ。

「正直、もし君が僕のことをすっかり過去のことにしていたらどうしようかと内心はヒヤヒヤしていた」

 けれど、それは杞憂に終わったと胸に手を当てながら彼は言った。


「君から長時間僕の話を聞いて、特に最後、僕の事を丸ごと愛していたって聞いた瞬間は、その場で卒倒するかと思った……また思い出せば胸の鼓動が高鳴るのを感じる。それにあの時、喜びに満ちた僕がどれほど君の事を抱きしめてキスしたかったと思う? けれど今はその時じゃないって必死に自制したんだから。むしろ褒めて欲しいくらいだ」


 私はあの時のことを思い出して、再び顔を真っ赤にして俯いた。


 だってあの時は他にも……


 もうこれ以上他に好きになれる人はいないと思うとか、なんでこんな出会いしかなかったんだろうとか、もし次に生まれ変わったら今度は普通の出会いで出会たい、彼の妻となれた事は至高の幸福とかなんとか言っていた気がするのですもの!!


 それをまさか、まるっきり張本人に向かって言っていたなんて。

 通りで辛抱強く、じっと嬉しそうに笑顔で聞いていてくれた訳だ。


 ……もうこれまで彼に対して悲しみ、涙を流していた時間を全て返して欲しい。

 本当に本当に本当に! まったくもう!


 私は恥ずかしさもあったが、何も言わずに話を聞いていたという彼の事を睨みつけた。

 しかし、そんな私の事を見つめながらローランは軽く微笑んでいる。


「そんなに睨まないでよ。この世界に戻って来れて、本当に僕は良かったって思ってるんだから。それにジュリアの気持ちを知れてよかったって思ってるのは本音の本音だよ。僕のことをそんなにも愛してくれてありがとう」

 彼は私から目を逸らさず、優しい声でそう語りかけてきた。


「ローラン……」

 私は睨むのを辞めていた。そしてそれ以上何も言えなかった。


「さあ、準備が整いました。お嬢様、旦那様。こちらから出ましょう。ただ、あちらの出口に用意した馬が白馬ではないのだけはご容赦を」

 着々と脱出するための準備をこなし、最後に本棚の隠し扉のロックを解除した笑顔のセバスチャンにそう言われて、私たちは扉の中に入るように促された。


「あ、そうだジュリア。二点ほど言いたい事があったんだ」

 何かを思い出したらしく、足を止めてローランはそう声を掛けてきた。


「え? 言いたい事って?」

「まず一つ目。君はこの結婚を白い結婚だと条件にあげていたけれど、僕はそんなのさらさら守る気はないよ。僕たちは今度は本物の夫婦になる。それは覚悟して欲しい」

 彼はなぜか真顔になりこちらを見つめた。

 まあ、何を言いたいのかはわかるけど。


「いいわよ。それは全然構わない。それでもう一つは?」

「僕の呼び名なんだけど、ローランではなくてジェラルドって呼んでくれないかな」

「何で? どう言う事?」

「名前なんて単なる符号にしか過ぎない。それに、僕はジェラルドの願い事も叶えてあげたいんだ」


 ローランによると、こう言う事だそうだ。

 何故、ジェラルドさんが私に関心を寄せていたのかと言うと……


 実はジェラルドさんは私が転生してくる前のジュリアと、幼い頃にすでに出会っていたそうだ。

 出会ったと言っても言葉を交わすほどではなく、あちらが見かけた程度らしいので、私からしたら初めて会った人と変わりなかったのだが。


 それでも彼にとってはジュリアは初恋の人で、募集がかかった際にその気持ちを思い出し、実際に私と会ったらさらに想いが昂り、いつか結婚できないものかと願っていたらしい。

 そしてその事は、ジェラルドさんなりの意地もあったのかローランがいた時には教えてくれなかったそうだ。


 裏の裏の世界の男だけど案外純情なところは嫌いじゃない、とローランは言った。


「まあ、彼の思っていた形とは違うだろうけど、一応は彼の願いは叶えられるわけだし。ジェラルドって呼んで欲しいのは僕から彼に対する敬意だ」

 ローラン、いやジェラルドはそう言って私に手を差し出してきた。

「でも君を愛してるって気持ちは僕の方が完全に上だけどね。そこは彼に負けるつもり、譲るつもりは絶対ない。さあ教会まで急いで行こう」


 私は彼の手を取った。

 この手の感じは不思議な事に前と変わらない。私のよく知っている手だ。

「わかったわ、ジェラルド。ただ……大急いで式をあげる代わりに、新婚旅行だけは私の行きたいところに絶対に連れて行ってよね!」

「もちろん。約束するよ。君の行きたいところならどこへでも。仮に現実世界に戻ったとしても、僕は同じように君の事を大事にするよ。それに……」


 そう言ったところで、ジェラルドは私の顔を見てふっと笑った。


「何よ?」

「いや。さっきの事を思い出して。ジュリアも女の子なんだなって思って」

「何それ」

 私は思わず眉間にシワを寄せた。


「まあ、そんなに怒らないでよ。怒った顔も可愛いけど。今は都合上入籍を急ぐけど、終わったらちゃんともう一回挙式をしよう。ドレス選びだって今回はとことん付き合うよ。順番は前後するけど、婚約指輪だって贈るつもりだよ。エメラルドなんてどう? オズの魔法使いが好きなんだろ?」

「本当?!」

「うん。ジュリアが幸せなら僕も幸せだからね」


 私たち二人は扉を潜ると、駆け足になりながら笑顔で教会へと向かった。

 最後までお読み頂きありがとうございます。


 本作は『私の夫には婚約者がありまして(https://ncode.syosetu.com/n9079ju/)』のもし異世界でエンディングを迎えたら、という事で話を思いつき書きました。


 細かい話や現実世界でのエンディングバージョンはこちらに色々書いていますので、気になられたら読んでみてください。

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